重力
@maetoki
第1話
次元を越えて襲来してくる人類の敵、ガリォリとの戦いは熾烈を極めた。地球人類の六割が蒸発させられ、いまもなお戦いは終わりが見えない。奴らの拠点……空にぽっかりと開いたディメンション・ポータルを閉じてもまた別のどこかでポータルが開く。まるでモグラたたきをやっているかのようだ。人類はこの未曾有の危機に対し、産めよ増やせよの作戦で立ち向かった。
ガリォリに核爆弾を始めとした通常兵器は通用しない。初潮前、十代前半の少女が身にまとった魔導具でしか退けられないのだ。故に彼女らは魔法少女と呼ばれた。飛翔用魔導具・マギフリューゲンハイト、近接戦闘用魔導具・優良型魔断鎌、中距離戦闘用爆裂魔導弾頭・
少女の死は無駄ではない。人類が辛うじて生き延びているのは、誇るべき彼女らの戦果だ。
少女は一人では死なない。適切な兵器運用、および円滑な作戦行動を実現するためマジカルウェポンシステムの中核には人格を有したサポートAIが搭載されている。人類を導く叡智を宿した彼らは、時折魔法少女のよき話し相手になることもあった。
二○七九年の秋、太平洋沖上空で繰り広げられた第五九三次会戦においてもそれは変わらない。
トリエルは飛翔用魔導具のギアを限界まで上げ、自分が耐えられるぎりぎりの超高速戦闘を行っていた。ポータルから出たばかりの敵は比較的密集している。そこへ切り込み、素早く数を減らすのが魔法少女達の基本戦術だった。我先にと武勲に飛び付く魔法少女隊の先陣を切る、彼女はそのうちの一人だ。まとったマジカルウェポンシステムのサポートAIに呼びかける。
「メンカリナ、鎌」
『了解。第壱戦術。魔断鎌展開』
パワードスーツの右腕部から簡易的な鞘が起き上がると一条のレーザービームが伸びる。魔力を帯びたそれは、少女の身体には不釣り合いな大きさの鎌になった。トリエルは魔断鎌の具合を確かめもせず群れに突っ込んでいく。一振り二振り……と、もはや視認すらも不可能な速度で、彼女は滅茶苦茶に鎌を振り回す。刃渡りはおよそ十五メートル。一見無茶なようでも、トリエルの半径十五メートル以内を掃討するにはこれが手っ取り早い。魔断鎌が少しでも掠った敵は、増幅されたトリエルの魔力により数ミリ秒のうちに融解する。
「次」
トリエルの叫びに呼応してメンカリナが自動的にルートを再計算。手近な集団を感知するとひ弱な四肢のバランスを取って再度突撃する。
敵集団はようやく迎撃用に無数のレーザーを放ってくるが、トリエル達にとっては弾幕の体をなしていない。針のむしろを掻い潜るようにトリエルは避け、再び群れの端に到達した。と、
『トリエル、下。敵』
「っ!」
手短にメンカリナが告げる。急制動で身をひっくり返すと、振り向きざまに小さく左手を掲げた。
「あれ」
少女を刺し殺そうと鋭い角を伸ばして迫ってくる黒い物体を認めて手短に命令する。あいつを殺して、あの武器を使って……二重の意味を込めて発せられた言葉を以てメンカリナは左に収納された魔法銃で反撃する。
ぴしゅん。短い発砲音とともに正確にコアを狙われたガリォリは機能停止するも、慣性により失速することなくトリエルめがけて飛び込んできた。黒い弾丸、まるでオタマジャクシのようだ……トリエルは小さく舌打ちし、身を捩りながらそいつの角に手を伸ばす。
ガリォリの体表は未知の金属のようなもので覆われている。パワードスーツをまとったトリエルが掴むと金属同士がぶつかり合う硬い音が弾けた。彼女は一瞥もせず、無理な体勢のままスーツの膂力に任せて力尽くで本来のターゲットの真ん中に放り投げた。再度、伸ばし切った左腕をぴたりと標的の下底部に据え叫ぶ。「あれ」
再度、銃身から閃光が放たれる。飛び去る小型ガリォリを追うように着弾した弾丸は爆発を呼び、ガリォリの群れの中心で今度こそ爆散した。連鎖爆破に巻き込まれ、トリエルが鎌で切り裂くつもりだった黒い魚達も四散する。
『敵ガリォリ、下等兵隊級撃破』
「出直して来なさいッ」
ガリォリが現れたごく初期は、まだ人類の中にも《ガリォリと共存できるのでは》と対話を試みた者もいた。結果は考えるまでもない。人類の使者はその後帰ってこなかった。奴らは次元の壁こそ越えられるものの、およそ知性を備えているとは思えない。一直線に人間に向かってくることから、むしろガリォリの上位知性存在が放った矢ではないかともいわれている。
戦闘開始から数百秒、集団と呼べる程のガリォリ群はおらず、散り散りになりつつある。魔断鎌のぶん回しでは対応できない。トリエルをはじめとした魔法少女達は近接武器から遠距離兵器に切り替え、マジックホーミングミサイルの雨を降らせようとしていた。
「ミサイル用意」
『第伍戦術、了解。味方識別完了。いつでもどうぞ』
ところがトリエルは一瞬だけ躊躇した。AIにより完璧にコントロールされたミサイルは誤射などするはずもない。しかしトリエルは戦場の最中である物に目を奪われていた。AI……メンカリナはまだ気付いていない。いま撃てば爆発に巻き込まれるかもしれない。
そうこうしているうちに、他の魔法少女達がミサイルを撃ってしまった。憎き人類の敵どもは地獄の劫火に灼かれる。トリエルは掲げたミサイル砲塔を所在なさげに引っ込めた。
「……ふう」
終わってみれば戦いなどあっけないものだ。ガリォリの総撃破数二万弱に対し、人類の死傷者は七百二。負傷者まで含めると四千程度になるが、これは戦闘行為が不能になるほどの重傷ではなかった。総じて作戦成功といえるだろう。
トリエルもこのとおり五体満足のまま帰投しシャワールームで湯を浴びている。感傷に浸るのもそこそこに、彼女は壁にあるボディソープのスイッチを押した。基地のシャワールームの湯は一人につき合計六十秒しか出ない。のんびり鼻歌も歌わせてもらえない。ともすれば戦闘中よりも忙しい。
非常事態、人類が立ち向かう未曾有の危機。言葉ではわかってはいるが、その影響がこうも日常部分にまで及んでくると息が詰まる思いだった。魔法少女の安息は小さく区切られたシャワールームよりも細い。
この基地に来るまでは―もっとも具体的には何歳のことだったか、トリエル自身も覚えていないが―彼女の髪は長かった。透きとおる銀色の髪を風に乗せていた。いまのようなマニッシュショートにしたのは、パワードスーツの運用には極めて邪魔なのと、シャワーの時間が足りなくなってしまうためだった。
湯の使用時間が迫る。彼女は石鹸の流し忘れがないか最終確認をしてから眼を瞑り、頭から湯をかけ流す。音もなく水の供給が止まった。シャワーヘッドは首を絞められたかのように奔流を止める。
「……あ」
ふとトリエルは首筋に手を当て、一瞬だけ固まった。触ったてのひらを見ると泡が付いている。どうやら流し損なった場所があったらしい。
無駄だとわかっていながらもシャワーのスイッチをひねる。それから意味もなくシャワーヘッドを振り回したりしてみる。もちろん湯は出ない。
釈然としない風でノズルを壁に引っ掛けると、トリエルは勢い良くバスタオルで首を隠した。そのままごしごしと身体を拭きながら更衣室まで戻る。彼女はいちばん隅の場所を愛用していた。トリエルに限らず、四隅は使用者が多い激戦区だった。各国から雑多に寄せ集められた魔法少女達はみな文化も言語も違う。非戦闘時にまでくっつき合おうとはしなかった。気心の知れた友人などいるはずもない。みな物陰に隠れるようにしてこそこそと裸になる。
トリエルもまた誰とも眼を合わさないようにしながら、ロッカーにしまっておいた洗いたての肌着を引っ張り出す。
「……?」
手短に仕度を整えるつもりだったトリエルが一瞬動きを止める。ロッカーの奥に何か書いてあった。わけもなくきょろきょろと周囲をうかがう。みな一心不乱に服を脱ごうとしており、誰も彼女のことなど気に留めていなかった。
見間違いかもしれない。誰も、誰とも交わるつもりはないはずだ。……トリエルは疑り深くもロッカーの中を覗き込む。
『アイ・アム・グラビティ』
私は重力。拙い、丸文字のアルファベットでそう書かれていた。幸いトリエルは英語圏の出身だったので意味は読み取れる。きっとこの一文を書いた少女はそうではなかったのだろう。『アイ・アム・グラビティ』の下にも何やら文字らしきものが書かれていたが、トリエルには蛇がのたうち回った絵文字にしか見えなかった。
しかし不思議とトリエルはその文に惹かれ、気付くとマジカルウェポンシステムの一部、携帯通信端末を取り出してカメラのシャッターを切っていた。端末のカメラ機能なんて何の用途に使うのか不明だったが、ひとまず更衣室で盗撮するためではないだろう。
と同時に大きなシャッター音が鳴り響き、トリエルは即座に自分の不用意な行動を恥じた。珍しく注目を集めるのを感じながら、彼女は早足で更衣室から出る。
大急ぎで自分の部屋まで戻る。プライベートも何もあったものじゃない大部屋。寝るためだけの部屋。三段ベッドがひしめき合う養豚場のような寝室である。魔法少女達はここでも相互不干渉を貫いている。……とはいえ、寝室はある程度文化圏の似ている者が集められるようで、小声ながらこそこそと相談する英語が聞こえている。
トリエルは幸い誰からも声をかけられることなく、自分のベッドに潜り込むことができた。三段ベッドの中段。薄くしなびた毛布を被り、先程撮った写真を開く。
『アイ・アム・グラビティ』
その下に続く文は、よく見やれば多数の言語が使われているようだった。言葉の意味はわからずとも、曲線が多く使われた文字と角ばった文字が並んでいれば違う言語だと気付く。ちょうど観光地の標識のようだ。だとすれば同じ意味の言葉が並んでいるのだろう。
「メンカリナ、ちょっと」
手早く戦闘用サポートAIを呼び起こす。端末に搭載された、いわゆる《ヘルプコンシェルジュ機能》である。世界で広く使われているメッセージ交換アプリのインタフェースを流用したものだった。
『はい。私のサポートが必要ですか』
「この写真に映った言葉の意味が知りたい。翻訳よろしく」
『基地内留学ですね?』
「いいから」
メンカリナの返答が軽く鈍る。と、機械翻訳されたものが表示された。
『《私は重力》《私は重力》《私は重力》。およそ4ヶ国語で書かれていますね。トリエルが書いたのですか? マイナス七点です』
「十点満点で?」
『百点』
トリエルは鼻白む。
「わたしが書いたものじゃない」
『そうでしょうね。いちばん長い文章はアラビア語で書かれています』
してみると、それが《彼女》の母国語なのだろう。長い文章というからには《私は重力》以外の意味が込められているに違いない。
「そこには何て書いてあるの」
『《私は重力。みなが私を見る。ガリォリさえも私を見る。彼らは重力のように私に引かれ集まってくる。私は全てを巻き付けて散らし飛ぶ。全ての危険は私の元に集う。少女に安息を、休息を。私は重力になりたい。盾よりも強いもの、重力が皆を守る。それは私です! ソヘイラー・アリー・アル・ガーミディーより》』
「変な英語」
『直訳ですから』
「伝わらないわね」
『意訳してみましょうか? 《ヘイお嬢ちゃん、重力ってステキだぜ……》』
「いい、いい。ニュアンスはわかった」
トリエルはふっと息を吐き天を仰いだ。
「これは祈りの言葉だったのね」
『私がみなを守るですって。立派ですね。連携嫌いの魔法少女とは大違い。トリエルも復唱してみたらどうですか』
「……私は、重力になりたい」
『そっちじゃなくて』
メンカリナのツッコミを既読スルーして、トリエルはもう一つ質問を打ち込む。
「この、ソヘイラーさん? って子はいまもこの基地にいるのかしら」
『ソヘイラー・アリー・アル・ガーミディー。正規登録された魔法少女の全名簿を検索……、同姓同名は五名います。うち、当太平洋沖基地に所属していたのは一名』
「あら」
『みな戦死しています』
「あらあら」
『享年は……おや、トリエルと同い年ですね』
「ここにいたソヘイラーさんは、何年前に死んだの」
『半年前に亡くなっています。味方の流れ弾に当たったみたいですね』
半年前なら、トリエルも基地に配属されている頃だ。当然面識はないが、どこかで肩を並べて戦っていたこともあったのかもしれない。
「フレンドリ・ファイアか。そういう重力はイヤだね」
『お察しします』
ミサイルにしろビームにしろ、AI同士が味方の位置を把握して完全に射線管理しているはずだ。通常なら背中から撃たれることなどあり得ない。よほど運が悪かったのだろう。
「……でも、こんな言葉が書かれていたなんて。ずっと気付かなかったわ」
『どこで見つけたのですか?』
だがメンカリナの問いかけには応じない。何か考え込んでいる風だった。
『トリエル。おーい。トリエル嬢?』
トリエルはそのまま無視を続け、撮った写真を開いている。アラビア語で書かれたという言葉に実感は沸かなかった。メンカリナに訳してもらった言葉ではトリエルの頭に入ってこない。彼女にとって、ソヘイラーが書いた言葉は《私は重力》の一文だけ。それだけが真実だ。
「……わたしは重力になりたい」
スマートデバイスを胸に置き、トリエルは毛布をかぶったまま蒼い空を思い描く。
夜更けにトリエルははっと眼を覚ました。どうやらベッドの中で瞑想したまま寝落ちしたらしい。毛布を足で蹴って顔を出す。既に消灯時間は過ぎている。部屋の中からは穏やかな寝息が響いている。
妙に静かだった。それが、いつも聞こえてくる誰かさんの寝言が聞こえないせいだと、トリエルはすぐに気付く。名前も知らないあの子。どうして今日に限って静かなのだろう。
昼の戦闘に疲れ、今日だけは深い眠りに就いているせいかもしれない。あるいは昼の戦闘で被弾して、野戦病棟に移っているのかもしれない。あるいは……。
トリエルは跳ね起きた。すんでのところでベッドの一段上に頭をぶつけるところだった。
慌てて勢いを殺し、上体だけを起こす。血が巡るに連れ、どんどん意識が研ぎ澄まされていくのを感じる。だが聞こえるのは寝息ばかりだ。もはや寝息すらも夜の静寂と同価値に聞こえる。周囲は静か過ぎる程に静かで、窓の外では波音さえも止まっている。無音、嵐と背中わせの孤独……。
背を舐める不安感に圧され、トリエルはベッドを飛び降りる。入り組んだベッドの樹林をくぐり部屋を出た。廊下は非常灯とトイレの明かりだけがまたたいていて、彼女はそのどちらでもない方向へ進み出す。
誰かに見つかることなど考えていなかった。
トリエルは昔のことを思い出していた。唯一の記憶といってもいい。むしろ彼女が戦う唯一の理由といい換えてもいい。
トリエルの幼い頃にはもうガリォリが襲来していた。世間は閉塞感に沈み、テレビや新聞も毎日戦争のことばかり伝えている。空はいつ見ても鉛色の曇り空だった。プライマリ・スクールに入るときには父親を亡くしていた。
そんな日常にあって、ただ一日だけ別世界を訪れたことがある。彼女が住んでいたのはカリフォルニア州のさる田舎町だが、七歳の誕生日、母親に連れられ都会のテーマパークまで遊びに行ったのだ。テーマパークに行ったのは後にも先にも一度きりであり、脳裏に深く刻まれている。
空中ブランコやメリーゴーランドも楽しかった。が、なにより思い出深いのはパークのキャラクターからもらった風船だった。《ジェットコースターで怖い思いをした記念》として子ども達に贈呈されたらしいが、トリエルは昔から空を怖がらない少女だったので何のことだかよくわかっていなかった。
ともかくひたすら楽しい一日を象徴する物品である。
ところがトリエルは昼食にピザを食べようとしたとき、うっかり持ち手を離してしまった。ヘリウムが詰められた風船はあっという間に空へと浮かび上がり点になって見えなくなる。
別にそのときはなんとも思わなかった。だってピザをお腹いっぱい食べたから。同じぐらい楽しい気持ちをお腹いっぱい詰め込んでいたから。母親にもう一個同じ物をもらってくるかと聞かれたが、特に愚図ったりすることもなく、トリエルは「いらない」と答えた。むかしから希薄な娘を装うのが得意だった。
だが楽しい一日が終わり、二日三日と経つに連れ、自宅まで戻ってきたトリエルは後悔を覚え出す。楽しい気持ちなど所詮一瞬だけのものだった。パークで食べたピザなんかはもう、とっくにトリエルの身体から排泄されてしまっている。もしここに何か形あるもの……、たとえば、あのとき逃げていった風船さえあればトリエルはいつでも楽しい気持ちを取り戻せただろう。
手を離してしまったのは仕方がない。しかし風船が飛んでいったのは悔やんでも悔やみ切れなかった。何故あの日、《いらない》と答えたのだろうか。彼女は楽しい気持ちを忘れ、ひたすら苦い思い出を噛み締めて大きくなってしまった。やがて魔法少女に選ばれいまに至る。
戦いが楽しいわけがない。死線をくぐるとき、トリエルはいつだって泣きそうになる。厳しい訓練に心が弾け散りそうだった。
いまさらあの日に戻って風船を掴むことはできない。しかし次に風船を掴んだとき、また逃がさずにいられるだろうか。手を離しても決して離れて行かない力があるだろうか。
あるとすれば、答えはきっとひとつしかない。ばらばらになりかける自分自身の心を繋ぎ留める力があることをきょう知った。
「わたしは重力になりたい。……なりたかったんだ」
トリエルの独白を黙って聞いていたメンカリナが、携帯端末を勝手に起動させると呆れたように尋ねる。
『え、それが逃げ出した理由ですか』
「そう。……じゃないや、わたしは別に逃げ出すつもりはない」
『同じです。だってトリエルが向かっているのは、パワードスーツの格納庫でしょう』
メンカリナにあっさりいい当てられ、トリエルは奥歯を軽く噛む。
「それが何か?」
『どこへ飛ぼうというのです。こんな夜中に、出撃命令も出ていないのに』
「あなたには関係ないし、説明したってわからないわよ」
『けれど類推することはできます。トリエルあなた、その日行ったというテーマパークに行くつもりではありませんよね』
「まさか」
『件の風船が心残りなのでしょう。久しぶりに過去のことを思い出した。いまから向かえば、到着する頃には昼です。テーマパークだって開いている』
「わたしはそこまで子どもじゃない。メンカリナ、あなたも超AIという割には、人間のことわかっていないのね」
今度はメンカリナがむっとする番だった。
『ではどうするつもりです』
「今日の戦闘中、ヘリウム風船が浮かんでいるのを見たのよ。戦闘空域に紛れ込んでいたみたい。見惚れてたらミサイル撃ち損ねた」
『……同じじゃないですか』
「全然違うわよ」
『あの日無くした風船が欲しい。結局そういうことでしょう。いっておきますが、トリエルが数年前に無くした風船なんて、とっくの昔に萎んで海に落ちちゃっていますからね。アジアの童話に、風船おじさんという逸話があってですね……』
「そんなのわかってる」でも、とトリエルは続ける。「わたしはあの風船を手に入れないといけないのよ。だってわたしは、重力になりたいんだ」
トリエルは足を止める。メンカリナと口喧嘩しながら、いつの間にか格納庫の重厚なシャッターの前に辿り着いていた。トリエルは慣れた手付きで脇にある生身の人間用の非常口に百一桁のパスワードを打ち込み解錠する。
なんと立派なセキュリティか。ただ平常時からサポート用AIと親しんだ魔法少女達にとって、この程度の電子錠はもはや錠の意味を成していないのであった。
堅固なパスワードをいとも簡単に破られたセキュリティ・シャッターはすんなり降伏し、中へ通ずる道をべろりと吐き出した。
格納庫の中はひんやりとした涼しい空気と少しの湿気に満ちていた。驚いたことに庫内は明るく、数十人の整備員が徹夜で作業をしていたのである。
誰にもばれないように行動していたつもりのトリエルは面食らってしまった。扉を開けたまま棒立ちになり、そのまま忙しそうに走り回っていた若い整備士の男と目が合う。
「トリエルちゃんじゃないか。どうしたのこんな時間に」
親しげに声をかけてきた整備士にはロリコンの気がある。トリエル自身は彼の名前を知らなかった。特段親しいわけでもないし、なんなら初対面である。
「い、いや。あの……」
『私と話し合って、夜間訓練をすることにしました』
戸惑うトリエルの代わりに、意外にもメンカリナのほうから助け舟を出してくれた。ポケットの中から話に加わっている。整備士はすぐに納得したようにああと膝を打つ。
「なるほどねぇ。ガリォリの奴らはいつ攻めてくるかわからない。夜の襲撃に備えるのも大事だからね。俺もトリエルちゃんが死んじゃいやだもん」
「は、はあ……」
トリエルがたじろぐのをよそに、メンカリナはすらすらと話を進める。
『申請書は上層部に提出済みです。私達のスーツはどこですか』
「こんなこともあろうかと、既に整備は終わってるよ。いつものB46列だ」
『ありがとうございます』
整備士はニッカリと笑うとトリエルに手を振り、それからすぐ自分の作業に戻ってしまった。
トリエルはわけもわからぬまま、いわれたとおりBの列に向かう。
「……訓練申請書なんていつの間につくったの」
『戻ってからつくります。事後申請です』
トリエルはため息を吐いた。ほっと安堵の意味と、心底呆れたような意味合いとで。いずれにせよメンカリナの機転のお陰で怪しまれずに済んだというものだ。
「いちおうお礼をいっとく。ありがと」
『気が変わっただけです。動機はどうあれ、いまのあなたに夜間訓練は必要です』
「ああ、それで。警報でも鳴らして警備員でも呼ばれるかと思った」
『本当に呼んでいたらどうするつもりですか。考えなしなんですから』
「今度考えとく」
そういうわけでトリエルは自分のマジカルウェポンシステムを装着する。手足に巻き付けた金属の鎧が興奮した彼女の温度を冷やした。
トリエルがシャッターのところまで行くと、さっきの整備士が手を回して扉を半分だけ開けてくれた。トリエルは再度礼をいい、身を屈めて外に出る。ぴりりとした夜風が頬を撫でた。
「ちょっと拍子抜けしたけど、行こう」
『システムオールグリーン。魔導残量よし。行けます』
飛行ユニットに点火。滑走路を軽く助走してから、トリエルは空を目指した。
『風船を見たというのは、この辺りですか』
昼間の戦闘区域にやって来るとメンカリナのほうから尋ねてきた。基地から数キロ離れた沖合の空である。
「そう。ミサイル構えときに見た」
『どのミサイルでしょう』
「……ミサイルは、ミサイル」
『ですから、ミサイルにもいろいろ種類があってですね。牽制用とか援護射撃用とか大規模殲滅用とか』
「使い分けなんていちいち覚えてらんないよ。メンカリナがいつも自動で選んでくれるじゃない。締めに一発どどーんと撃つやつよ」
『……帰ったら座学が必要ですね』
いいながらも、《締めの一発》で伝わったらしくメンカリナは西の方角に舵を取る。そしてのんびり飛びながらメンカリナが尋ねた。
『見つけたら威嚇射撃してもいいですか』
「冗談。ただのゴム風船よ、魔法力が掠めただけで蒸発するわ」
『いちおう我々、訓練に来てるわけですから』
「じゃあ敵に素早く近付く訓練ってことで。風船は手に入れないと意味がないの。だってわたしは―」
『心置きなく重力になりたいんでしょう。戦いに専念できるのはメンタル面でも大事です。そこはぎりぎり理解します。ですが……』
メンカリナの言葉を遮りトリエルが叫ぶ。
「あった!」
闇夜に紛れて見えづらいが、トリエルの眼はたしかに紺色の風船を捕らえていた。次の瞬間、トリエルは最小限の無駄のない動きで風船に回り込む。そして右手の鉤爪でそっと風船の紐を掴んだ。
「捕縛完了。ばーん。撃墜一、みっしょんこんぷりーっ」
『よくできました。というか、あの戦闘下でよく無事でいましたね』
「風船は幸運のシンボルでもあるのよ」
トリエルは鼻高々に鳴らした。
「じゃ、訓練終わり。さっさと帰りましょう」
『威嚇射撃はしないにしても、このまま帰るんですか。撃ったほうがいいですよ』
「……あなたいつからそんなにトリガーハッピーになったのよ」
『トリガーハッピーというかですね。この場合』
突如、トリエルの耳に警報が鳴り響く。人類に不快感を催すようつくられたハイトーン、ガリォリの来訪音だ。
『戦うべきかと』
「ちっ……。メンカリナ、あなたまさか知っててここに?」
『ガリォリの襲来なんて予期できませんよ』
「それもそうか!」
トリエルの体は自然にディメンション・ポータルの方へと向かっていた。メンカリナが武装のロックを解く。いまや彼女はガリォリを数十の手段で殺せる戦闘兵器だった。
『ポータルサイズは極小。統計的に見て、出現数は三百以下。私とあなたなら、三分で殲滅できます。でも念のため、基地へ知らせますか?』
「知らせるわよ。でも、事後報告でじゅうぶん。あなた得意でしょう」
『ええ。最近覚えました』
「ならよしっ」
少女の姿を認めた黒い集団が一斉に飛びかかろうとしている。激突は必至だ。互いが互いを潰そうとする緊迫の局面で、トリエルはかつてない安心感を覚えていた。味方はいないかもしれない。しかし自分は皆の味方だ。
馬鹿の一つ覚えみたいに突っ込んでくるガリォリども。負ける気がしない!
「かかってきなさいよ。これもわたしが重力だからなんでしょう。引き寄せるのならそれでもいい。地球はわたしが守るんだ……ッ」
トリエルは右手に風船を構えたまま、反対の手で魔断鎌を携える。まずは挨拶代わりに一閃。正面突破を試みたガリォリの尖兵がいきなり消滅する。
「そんなもので、このわたしと張り合う気!」
トリエルの意識の外でメンカリナが武装を選択する。機体を下がらせ、爆発から避けつつホーミングミサイルを構える。
今度は撃てた。
まったく危なげのない盤石の戦闘力。恐怖を乗り越えたトリエルは実力を遺憾なく発揮し、瞬く間にガリォリを殲滅した。
片手にヘリウム風船を抱えた魔法少女の戦いは、もし見ているものがいたのなら、きっと賞賛の雨を降らせただろう。
「呆気ないわね。風船のほうがよっぽど歯応えあるわ」
『同意します』
トリエルは意味もなくひらりと宙返り。そのままクイックターンを決めて基地へと針路を取った。彼女が守った場所、人類のいる場所へ。
そして遙かなる帰路へつこうとしたとき、彼女はあり得ないはずの声を聞いた。声にしてみると、いつもと変わらない平坦な調子だった。
『では、これにて私の任務も完了しましたので。さよならトリエル』
「えっ?」
メンカリナは自機への魔導接続をストップする。基地へ向かい飛んでいたトリエルは失速し、みるみるうちに高度を下げた。焦ったトリエルは手をばた付かせながら、いまにも剥がれようとする右腕のパワードアームを押さえつける。
「何をする気。墜ちるでしょ」
『無論そのつもりです』
「なっ……」
トリエルは唾を飲み込もうとする。自由落下のせいでうまく口が動かなかった。喉を持たないメンカリナだけが流暢にスピーカーから説明を垂れる。
『ソヘイラーのときもそうでした。重力の何があなた達を惹き付けるのですか。まるで意味がわかりません』
「説明なんていいから、はやくスラスターを点けて。このままじゃ二人とも死ぬわ」
『あなたを基地に帰すわけにはいきません。被害は私達二人だけでは済みませんよ。トリエル、あなたは重力になりたいと願った。人類には過ぎた力です。先程も見たはずでしょう。あなたが風船を手にした途端にディメンション・ポータルが開きました。ガリォリは重力に引き寄せられるのです。あなたは盾なんかじゃない。災厄を引き寄せる重力、ガリォリを呼び寄せるただの餌です』
「そんな、わたしは……」
『戦闘空域だからよかったものの、もしも基地にポータルが開いたらどうするのです。基地には魔法少女もたくさんいますが、それ以上に非戦闘員が大勢います。全滅こそしないでしょうが、相当の被害は免れないでしょうね』
「それを全部、わたしのせいだっていうの!」
『はい』
メンカリナは至極あっさり認めた。
「でも、わたしは……重力になりたいなんて、ただの言葉遊びよ。わたしは安心と納得が欲しかったのよ。戦うのは怖いから」
『おめでとう、そしてあなたは重力になった』
トリエルは怯んでしまった。機体がぐらつくのを感じる。
『でもね、自分自身が重力になろうだなんて、おこがましいんですよ。だいいち、空を飛ぶ不思議な少女が重力に縛られているなんて変でしょう?』
「わたしは不要だというの。機械が人類を裏切るつもり!」
『もし心の底から人類が不要だと思うのなら、私は黙ってあなたを基地に帰していますよ。愛すべき愚かな人類。彼らを守るのが私の使命です』
少女がまとったマジカルウェポンシステム―メンカリナはまるで、あざ笑うかのように各部のフレームを軋ませた。
自分は助からないのだ。星が逆さまに映り、夜空を斜めに落ちる感覚の中、トリエルはたったひとりぼっちだった。このまま海に叩きつけられ、死ぬだろう。その予感は正しい。
そしてメンカリナは『では。あの子によろしく』と告げるとパワードスーツの拘束を一瞬だけ緩ませる。するりと面白いようにトリエルの身体だけが抜け落ちた。主を失ったマジカルウェポンシステムは次の瞬間にはもう、トリエルのことなど忘れてしまっていた。次の主人を求めているかのように基地へと向けて青い炎を吹かせる。トリエルから搾り取った魔導残量はまだたっぷりある。
トリエルは真っ逆さまに、瞬刻とも思える短い時間を落ち続けていた。海嘯が青いうねりとなって目前に迫る。短い生涯を終える。そのときになって、ようやく彼女は気付くだろう。
やはりわたしは重力だ。だから星の重力とひとつになる。
そして。
重力 @maetoki
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