囚われの女神リーゼ視点

「起きろ。女神よ」


 私を悪夢の中から引き戻す、とても暗く深い声。

 また私を呼ぶ声がする。彼らが私を呼ぶ時は、決まって誰かが不幸になる時だ。


「お目覚めかな。我らが女神様」


 私を呼ぶ男。黒い全身鎧に真紅の目。兜から飛び出す二本の角を持つ男。

 この世界の魔王。この男によって世界は変わった。


「起きたばかりのところで悪いが、ひと仕事してもらおうか」


 透明な液体の入った培養液の中から外を見る。

 天井に近い位置に取り付けられた私の檻。出ることの叶わぬ地獄。

 想像通り、眼下に見知らぬ男性の死体が見えた。


「さあ、死した勇者に神の加護を! 新たなる世界のために!」


 魔王が叫ぶと、その場にいる幹部も叫ぶ。


「我らの世界のために!」


 大地から宇宙まで伸びる巨大な塔。

 この塔の最上階に幽閉された私は、ここで裏切りものの女神と魔王軍に囚わた。

 そして勇者を呼び出し加護を与え、世界を絶望に染める装置と化している。


「さて今回の神の加護は何かな」


 彼らの背には純白の翼。

 この場所に呼ばれた何も知らない勇者に、天使を名乗って近づく。

 そうして信頼を得て洗脳・改造手術を行っている。


「加護注入を開始しろ」


 装置のスイッチが入り、視界が赤く染まる。

 全身に激痛が走った。これもいつものこと。これも魔王軍のエネルギーになる。

 私の意思とは無関係に、倒れ伏す死体に加護が与えられてしまう。


「ウ……ウゥ……アアアアアァァァァ!!」


 悲痛なる叫びとともに、死んだはずの勇者が覚醒する。

 その魂までも悪に染め、この世界の災厄がまたひとつ、生まれた。


「おめでとう。再生勇者56号よ。我ら魔王軍は君を歓迎する」


「全テは……魔王サマの、新たなる世界のタメに……」


 勇者の全身から炎が吹き出し、体を焼き尽くす。

 どうやら存在そのものが炎となってしまったようだ。


「上出来だ。連れて行け」


「はっ」


 きっとあの勇者も、殺したくもない人を殺し、その身が朽ち果てるまで使われる。

 これも私が弱いから。私が魔王軍の企みを読めなかったからだ。

 全て私の責任。これは私の罪。いつ終わるとも知れない大罪。


「さて、もうひとつのお仕事だ。女神様」


 私の痛みを、負の念を蓄積し、塔から全世界へと拡散する。

 それがこの装置のもうひとつの役目。

 世界を悪意で満たし、生物を侵食して化物を増やす。


「もうすぐだ。間もなく我々の悲願は達成される」


 人々が化物に変わり、化物が人を食らう。

 そして反抗する人間を勇者に殺させる。

 そんな場面を、ずっとこの塔を通じて感じ取っていた。


「前の女神はいい置き土産をくれたものだな」


 これも私の心を追い詰めるため。

 どこにも逃げ場はない。抵抗しても、その力すら装置へと吸収される。


「余ったエネルギーで勇者を召喚しておくか。デトロ」


「ここに」


 魔王の横に現れる、全身紫色の化物。

 魔王軍参謀デトロ。勇者による実験を繰り返す外道だ。


「次の勇者を召喚してよい。好きに使え」


「はっ。早速召喚魔法の手配を致します」


 装置により指示を出す場面を、眠ることも目を背けることも許されず見続ける。

 モニターに映し出されるのは、見慣れた大きな部屋と魔法陣。

 体から力が抜けていく。無理矢理に勇者召喚の儀式をさせられている。


「さあ、新たなる勇者を呼べ。この世界のためにな」


 私のせいで、また人が死ぬ。罪のない命が消えていく。

 何度も死にたいと思った。けれど、この装置の中では死ぬことすら許されない。

 今更逃げ出すことなど……きっと許されない。許されてはいけないんだ。


「次の勇者はどんな加護か……炎人間が出たのだ、次は水人間か? 土人間かもしれんな」


 私が死んでも、絶望に染まりつつある世界は変わらない。

 それでも、もう誰にも傷ついてほしくなかった。

 本当に、本当に物語に出てくるような勇者様がいるのならどうか。


「…………助けて」


 ――――――その願い、叶えてやろう。


「誰……?」


 誰かの声がした。聞きなれない声だ。


『ん、ここは?』


 誰かの声に気を取られているうちに、新たな勇者が召喚されていた。

 黒髪黒目。ごく普通の若い男性に見える。

 モニター越しでは、特別な力があるようには見えない。


「ごきげんよう、新たなる勇者よ。我らは世界を守護する天使。君を歓迎しよう」


 これ見よがしに翼を広げ、勇者に付け入ろうとするデトロ。

 何度も見たやり取り。再転送はできない。死の運命を呼び込んでしまった。


『随分と真っ白な場所だな』


 室内は白で統一され、豪華な調度品もある。

 天使が勇者を呼んだと印象づけるためだ。


「世界を救うため、どうか我々に力をお貸しください」


『そっか、なあ天使さん』


「なんですかな?」


『女神はどこだ?』


 場の空気が変わる。なぜ女神の存在を知っているのだろう。


「女神様はこの世界を見守るお方。おいそれと場所を話すわけにはまいりませぬ」


『んじゃもうひとつ質問だ。お前らなんで天使の格好なんてしてる?』


「はて、天使が天使の格好をするのは当然でございましょう」


『似合ってないぜ。ドス黒い魔力と血の匂いがきつすぎる』


 その場にいた天使が一斉に武器を構える。

 それに気づいているのか、いないのか。ため息をついて残念そうな顔をする男。


『しょうがない、自分で探すか』


 彼の指先から軽く光が放たれ、一瞬で塔全体を暖かい魔力が通り過ぎる。


『……そこか』


 ほんの数秒だった。その行動の意味を理解するのに数十秒かかった。

 塔に探索魔法をかけたんだ。全長数百キロに渡る塔に一瞬で。

 カメラの位置がわかっているのか、こちらへと微笑む勇者。


『待ってな、今行くよ』


 突き出された拳により画面が消え、塔全体が大きく揺れた。


「四天王を全員向かわせろ」


「全員……ですか?」


「我々には一部のスキすら許されん。確実に殺せ。一切手を抜くなと伝えろ。総員戦闘配置につけ!」


「はっ!」


 そこからしばらく、塔が小刻みに揺れ続けた。

 何が起きているのかわからない。何も伝わってこないからだ。

 勇者の苦痛も、誰かの叫び声も、なにひとつ、なぜか聞こえない。


「勇者一人にいつまで手間取っている……」


 突然の衝撃。轟音とともに中央の床が吹き飛び天井を貫く。


「なんだ! 何が起きた!」


「見つけたぜ。待たせて悪かったな」


 数分前に見た顔が、目の前にあった。

 特殊ガラス越しでもはっきりとわかる。新しく呼ばれた勇者だ。


「ん……この装置はまだ壊しちゃダメだな」


 不意に、肩に誰かの手が置かれる。

 驚いて振り返ったときにはもう、私は装置の外だった。

 いつの間にか男の人に抱きかかえられている。


「よし、救出成功。もう大丈夫だ。俺がいるからな」


 おそらく転移魔法だ。それも恐ろしく速く、高精度な。

 培養液に浸かっていたのに、体に水滴すらついていない。

 ずっと状況がうまく飲み込めないままだ。


「貴様……どうやってここに」


「いちいち昇るのが面倒だったんでね。天井全部ぶち抜いたのさ」


 この塔は女神と魔王が作り上げてしまった最強の要塞。

 人間の力で壊せるはずがない。


「四天王はどうした?」


「悪い。まとめてやっちまった。どれが四天王だったんだ?」


 私を部屋の隅に下ろしながら、平然と言い放つ。


「どっか怪我とかしてないな?」


「え、あ……はい。大丈夫です」


「そっか、よしよし。よく頑張ったな。偉いぞ」


 子供を褒めるときのように、優しく頭を撫でてくる。

 なぜだか安心できた。ずっと張り詰めていた心が、ゆっくりと暖かくなるようだ。


「再生勇者よ!」


 号令によって召喚される勇者たち。

 自我はない。ただ魔王の指示を聞くだけの傀儡。


「まだ残ってたか。悪いな」


 一斉に襲いかかる勇者の群れ。その前に立ち、そっと両手をかざす男。


「今帰すよ」


 炎となっていた再生勇者が、再び人の姿に戻って……消えた。


「バカなっ!? どうなっている!」


 次々と消えていく。最後の一人まで数秒で消えた。


「嫌な記憶を消して、人間に戻して、元の世界へ帰してやったのさ」


 死者を蘇生させる。しかも人間に戻すなど、私でもできるかわからない。

 この人はどこかおかしい。勇者だとしても異常だ。


「これは天使と、世界への反逆だ。世界の秩序を守る女神を装置から外すなど許されん。貴様は勇者ではない。処刑する」


「部下ってのはトップに似るもんだな」


「なんだと?」


「芝居が下手だぜ、女神様」


 人差し指を軽く振っている勇者。魔王の兜が縦に割れ、音を立てて床へと落ちる。


「あなたは…………女神クローディア!!」


 金色の髪。赤い瞳。間違い無い。

 私の前任であり、この世界を裏切り姿を消した、女神クローディアだ。


「そんな……我らが魔王様をどこへやった!」


 混乱しながらもクローディアを問い詰めるデトロ。

 その胸に容赦なく魔力の刃が突き刺さる。


「確かめてこい。同じ場所へ送ってやる」


「なっ……きさ……ま……」


「お前の役目は終わりだ」


「ぐげああああぁぁぁぁ!!」


 バラバラに斬り裂かれ、断末魔を残して消えた。


「少々予定外だったが……まあいい。リーゼに私を倒すだけの余力はあるまい。貴様が死ねば、計画は遂行できる」


「それをさせないために俺がいるんだよ」


 勇者が一歩一歩軽い足取りでクローディアへ向かう。

 中央に空いた穴の前で対峙する二人。

 余裕に溢れたクローディアと、日常会話でもするかのような気軽さの勇者。


「人間が女神に勝てるとでも?」


「お前はもう女神じゃない。魔王でもない。ありふれた小悪党さ」


「ぬかせ!!」


 神速の突きが勇者を襲う。回避も防御もできずに喉へと刃が当たり。

 魔力の刃が砕け散った。


「なんだと!?」


「残念。ボスキャラやるには、ちと威厳が足りないみたいだな」


 何かがぶつかる音がした。

 次にクローディアが吹っ飛び、塔の壁を突き破っていく。


「やってくれたな人間!」


 壁の外からクローディアが戻ってきた。

 鎧は砕け、素肌を晒しているけれど、そこには美しさのかけらもない。

 本当に小悪党のようだった。


「こうなれば、全霊をもって貴様を殺す!」


「お、隠し玉があるのか」


 塔を経由して宇宙の闇と、星の負のエネルギーをその身に取り込み始めた。


「よしよし、乗ってくれたか」


 まるで始めからそのつもりだったとばかりに頷いている。

 この人の思考が理解できない。


「わかるか? 世界の闇そのものが! 生きとし生けるもの全てが私の力だ!!」


 世界そのものを滅ぼせるほどに膨れ上がった闇。

 その中心に彼女はいた。


「ククク、フハハハ! ハーッハッハッハ!!」


 暴力的なまでの殺意。負の感情全てがないまぜになったような不快感。

 全身を黒いオーラで包んだクローディアは、もはや女神を超えている。

 だというのに、全宇宙に響く高笑いを聞きながら、微塵も驚いた様子がない。


「ちゃんと全部吸収したか? 消し残しは後始末が面倒だからな」


 クローディアの両手に、一条の光さえ届かない闇の渦が迸る。


「消えろ人間! この世界とともに! 魔黒雷光波!!」


「悪いね、そろそろ晩飯の時間だから帰りたいんだ」


 なんとなく突き出されたような、魔法でも武術でもなさそうな右ストレートにより、クローディアという諸悪の根源は、あっけなく爆散した。

 悲鳴を上げることすらできず、生み出した闇すらも完全に消滅。


「よし、後始末して帰るか」


 暗黒の女神を倒しておいて、なんの感慨もないのか。

 本当に何を考えているのかしら。

 今だって装置をぺたぺた触っているし。


「こうかな……ほいっと」


 装置に莫大な魔力が注ぎ込まれた。

 今までのエネルギー全部を足しても到底及ばないほどの量だ。

 急速に全世界へと拡散されていく魔力。


「まさか……システムを理解して……?」


 ありえない。ありえないけれど、塔のシステムを瞬時に理解し、逆に正のエネルギーを拡散して世界を治そうとしているのか。


「よし。治った」


 治ったらしい。負の力という病は、この男にとって大したものではないのだろう。


「掴まれ。飛ぶぞ」


 手を差し伸べてくる勇者様。無意識に掴むと、体がふわりと宙を舞う。

 抱きかかえられ、塔を見下ろすほど高く飛んでいた。


「なにをしようというのです?」


「あの塔邪魔だろ。ぶっ壊して、それからお前の治療」


「壊すって、どうやって?」


「こうやるのさ」


 私を置いて塔に接近し、端っこを掴んで乱暴に引っこ抜いた。

 もう言葉も出ない。夢にしてもジョークにしても、あまりにもふざけている。

 現実を認識できない。脳が理解してくれない。


「で、こうして」


 そのまま塔を何もない方向へと投げる。まず平然と投げていることがおかしい。


「んでもってこうだ」


 右手から光の……光線? 規模が大きすぎて正しく認識できませんでした。

 とにかくそれで塔をまるごと消してしまう。


「よし、終わり。ほら見てみろ。戻ったぜ」


 隣に来ていた勇者様につられて下を見る。

 そこには、私が守りたかった緑あふれる星があった。

 私が汚してしまった星が、美しい人の住める星へと、あるべき姿へと戻っていく。


「さ、行こうぜ」


「どこへです?」


「お前が安心できる場所だ」


 不安はなかった。この人の笑顔と温かく力強い手は、深い闇に沈んでいた私を、もう一度陽のあたる場所へ連れ出してくれたのだから。


「はい、勇者様!」


 これが、私と勇者様の出会いでした。

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