翼のかわりにはならない

谷樫陥穽

モンフェルメのこと ー 序章にかえて ー 

 モンフェルメはピレネー山脈の北、フランスの最南端に位置する山間の小都市である。険しい岩山に囲まれた盆地に、中世の趣を色濃く残す美しい街並みが開け、三万人の人口に対して年間二百万人の観光客が訪れる。欧州有数の製薬会社の研究所と工場がある他には、めぼしい産業はなく、市の収入の半分近くを観光に頼っている。道路標識などにはフランス語とスペイン語の両方が表記されており、飲食店などではどちらでも通じる。

 その歴史は古く、ユリウス・カエサルによるガリア侵攻に際してケルト人が作った砦が起源と言われる。八世紀には、カール大帝の臣下が領主に任じられてモンフェルメ辺境伯領が置かれた。南北の交易の要所としてもモンフェルメは中世全般を通して繁栄を享受した。

 この都市がこうむった最大の苦難は、十三世紀のアルビジョワ十字軍であろう。当時、ラングドックと呼ばれた南フランスは、形ばかりはフランス王に臣従しながらも、トゥールーズ伯コンティ・ドゥトゥールーズカルカソンヌ副伯ヴィスコンティ・ドゥカルカソンヌらの有力な諸侯を中心として独自の政治・文化を繁栄させていた。そこにはびこったカタリ派あるいはアルビ派と呼ばれたキリスト教異端に対する排斥を名目に、北フランスを中心とした諸侯からなる討伐軍が南フランスを蹂躙したのである。一二二九年にトゥールーズ伯レーモン七世がフランス王ルイ九世の軍門に下ると、狭義のアルビジョワ十字軍は終結したが、今度は残ったカタリ派をあぶり出すような異端審問の嵐が吹き荒れた。一二四四年三月にはカタリ派最後の拠点といわれた山上の城塞モンセギュールが陥落。カタリ派には多くの商人や騎士、身分の高い者達が含まれており、このときもカタリ派の高位の聖職者をはじめモンセギュール城主の妻子ら二〇〇人以上が自ら火刑台に上った。

 その翌年の一二四五年、時のローマ教皇イノケンティウス四世は、異端を匿った廉でモンフェルメ副伯ローランを破門し、討伐軍の派遣をルイ九世に命じた。聖王ルイ九世は異端の覆滅を教皇に誓い、その五月に『十字軍』をモンフェルメに差し向けた。神聖ローマ皇帝フリードリッヒ二世が破門されたことで知られるリヨン公会議をはさみ、モンフェルメの攻城戦は二ヶ月間にわたって続いた。

 ところでモンフェルメには竜騎士団があったという。当時の欧州としては大型のアラブ産の馬か、山羊の一種を騎獣としていたと一般には考えられるが、そんな解釈は無粋というものだ。竜の意匠は、現在の市の紋章をはじめ市内のあちこちに残り、今は郷土博物館として保存されている領主の館 シャトーの騎士の間にも見事な壁画を見ることができる。土産物屋の軒先には、ぬいぐるみからワインにいたるまであらゆる竜が溢れている。

 市に残る文書によれば、竜騎士団は一二四五年の『十字軍』との戦いで重要な役割を果たしたが、大きな損害も被った。

 それを最後に、モンフェルメの竜騎士団に関する一切の記録は見つからない。

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