第76話

僕 「そ、それで」

佳子「もうこれは、あたしがワンコちゃんにほんとのことを言ってあげなきゃ、って

   去年ぐらいから思っていたのよね。

   でも、あたしもやっぱりみわちゃんに遠慮があって、なかなか踏み切れなかったの。

   そしたら、ことし、偶然、ワンコちゃんの手帳をバスで拾ったの。

   ああ、これで、始まったなって、思って。

   でも、最初から、みわちゃんに邪魔されたら困るから、

   みわちゃんがヨガの新年会に行ってて確実に家にいない日に、

   あたし、新年会を早めに失礼してワンコちゃんに電話したのね。」



そんな始まりだったんですか。


最初の第一声の電話は、みわちゃんがいないのを見計らってかけてきたんですか。

ものすごい話だ。



僕 「ええ、でもそしたら、なんであんなにまだるっこしい展開にしたの?

   最初から、言ってくれればよかったのに」

佳子「最初から言うのは、さすがにためらわれたのよ。

   だって、あたしとワンコちゃん、23年も離れていたじゃない。

   いきなりすごい話をしても、うまくいかないって思ったから、

   だから、場面を作って作って、少しずつ少しずつ近づいて、

   だんだん違和感がなくなるようにしたかったの」

僕 「え、それでロールプレイングゲームみたいなことになったの?」

佳子「そう。もちろん、何か危ないことになったら、すぐやめて

   全部お話しするつもりだったけどね。

   幸い、昨日までは危ない展開にならなかったから、そのままにしてたの」

僕 「え、じゃあ、みわちゃんのお父さんの会社が危ないとわかったのは、いつ?」

佳子「危ないとわかったのは、もうだいぶ前。

   でも、危ないということが世の中に出るとわかったのは、昨日の朝よ」

僕 「え、昨日の朝?」

佳子「そう。朝ごはんを食べ終わったところで、仲居さんから耳打ちが入ったの。

   サンガの件は、明日には新聞に出ますって」



そういえば、確かに、昨日朝食を食べ終え、スリッパを履こうとしたところで、

仲居さんが佳子さんに寄り添っていたな。


あれは、吐き気に配慮して、じゃなくて、

佳子さんに情報を突っ込むため、だったのか。


スパイみたいだな、大観光。さすが、大観光。


そして情報が入った佳子さんは、その後すぐに、僕に解散を命じた。


サンガが危ない話が世の中に出るんだから、みわちゃんから何か話があるはず。

早く帰って、まずはみわちゃんに会ってきなさい。そういう意味だったのか。


僕は、佳子さんが僕が思いも寄らない視点から

僕のことを気遣ってくれていたことを知り、

驚くと同時に、深い感謝を覚えた。

   


僕 「そうだったんだ」

佳子「そう。でも、みわちゃんからはきょうに至るまで、ワンコちゃんに

   自分が本当に考えていることを話したという報告はなかったし、

   このままワンコちゃんがみわちゃんに押し切られたら、

   ワンコちゃんが本当に不憫だと思うの」

  「だから、今日、ついに直接、手を出しました」



手を出す。本来であれば、やましいことを表す言葉だが、

いま、佳子さんが言わんとしていることは、もちろんそんなことではなくて、

僕のために、ついにみわちゃんとの間に介入してくれた、

ということがよくわかった。


     

僕 「いや、ほんとにびっくりだよ」

佳子「ごめんね。本来であれば、あたしなんかが話すことじゃないけど」

僕 「ううん。教えてくれて、本当にありがとう」

  「今、ショックだけど、いつかは知らないといけないことだったと思うし」

佳子「うん」

僕 「じゃあ、これからみわちゃんに話、聞いてくる」

佳子「うん」

  「がんばって」


昨日も佳子さんは別れ際に「がんばって」と言ってくれた。


僕はそのとき、漠然と

「仕事をがんばって」くらいのエールだったと思っていたが、

それはまったく違って、

近いうちにこういう展開になることを察知してのエールだったのだろう。


そして、それは実際にそうなった。

きょうは、明確に「みわちゃんとの話、がんばって」というエールだ。



僕はもう一度「うん」と答えて、立ち上がり、ホテルの玄関に向かった。

玄関にはすでに、ホテルのワンボックスカーが用意されていた。

これも、佳子さんが用意してくれたものだろう。



僕 「また車を用意してくれたの?ありがとう」

佳子「急ぐでしょ」

僕 「うん」

佳子「がんばって」

僕 「ありがとう、本当に、ありがとう」



僕は、佳子さんに頭を下げると、車に乗り込ませてもらった。

乗り込むと、すぐに発車した。



「ありがとー」


辺りは、もう薄暗かった。

僕は、見送ってくれる佳子さんの顔を、見えなくなるまで、見つめていた。


車の中で、僕はふいに涙をこぼしてしまった。

あまりにも、知らないことばかりで、僕は、打ちのめされてばっかりだ。

知らなかった事実の大きさと重さにただぼう然とすると同時に、

今までの自分は何だったのだろうという思いがあふれ、涙を流してしまった。



「石井様」

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