ヴァンプス・エブリデイ

愛江瀬葉

邂逅


薄暗い路地に俺の呼吸音だけが響く。



唐突な話だが、俺は今、どうやら特殊部隊とやらに追われている。


無論、俺がなにか悪いことをしたという訳では無いし、かと言って、そんな言い訳が通じる相手ではないことは先ごろ身をもって知った。


俺が話し合いをしようと持ちかけたら、問答無用で集中砲火された。


それでも生きていられるのはやはりこの俺の体の所為なのだろう。



曰く、『生きているだけで罪』なんだそうだ。



何を隠そう。俺は吸血鬼なのだから。



とはいえ、ついさっき蜂の巣にされるまでは、あまり意識しなかった。


恐ろしい速さで撃ち抜かれていく自らの体をただ眺めているという体験は、そうそうできるものではない。


それに撃ち抜かれる速さよりも早く再生する肉体を見ていることはそれはそれで壮観だった。


俺が吸血鬼になったきっかけは、はっきりと自覚している訳では無いが、恐らく昨日の出来事が原因だろう。



学校が終わり、仲のいい友達も少なく、部活にも所属していない俺は、当然のことながら放課後一緒に遊ぶ様な人間はいないわけで……。


一人で学校近くのゲームセンターに立ち寄ってみたものの……。


そこはリア充と陽キャの巣窟と化していたためいたたまれない雰囲気になり、弾かれたように俺はゲームセンターをあとにしたのだった。


しかし、ハナからアテもなくほっつき歩いていただけなのでそれからの予定を決めるのに苦労した。


小一時間ほど、スマホをいじりつつ考えていたところ、現在読んでいるライトノベルの新刊が出ていることを思い出し、街の書店へと足を運ぶことにした。


その後、ライトノベルの新刊や、気になる作品、雑誌、マンガなどを立ち読み、購入して店を出た。






気付くと時刻はとっくに午後10時を回っていた。家には俺一人しかいないため別段急ぐ理由もないが何となく家路を急ぐ。


ふと、曲がり角を曲がると目眩がした。思わず膝をついてしまう。すると、視線にある女性が目に入った。






その女性はとても蠱惑的で、見ているだけで魂が抜き取られそうだった。


雪の様な、いや、もしかしたらそれよりも更に白い肌。


白い肌よりも更に輝く輝く艶のある金髪。


清楚という言葉はこのためにあるのかと言うほどにマッチしているほんの少しだけ青白いロングワンピース。


そこからすらりと伸びる少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細い手足。燃えるように赤く、そして艶やかに光る唇。


そんな特徴をすべて打ち消すかのような、真っ赤な瞳。異様なほどに長い八重歯。


もしも現実世界に吸血鬼がいたらこんな感じなんだろうな。そんなことを朦朧とする意識の中で考えた。


いつの間にかその女性は、ぬらりと音もなく俺の目の前に立っていた。


その女性が初めて口を開く。



「貴様の血を寄越せ。」



しっかりと、はっきりと言ったその言葉を理解するのに時間はかからなかった。


明らかに俺を下に見ていると感じ取れるその口調と、相反して、聞き取りやすく、それでいて美しい声は、俺の思考をさらに混乱させた。


そうか……。俺はここで死ぬのか。でも、こんな美人に血を吸われて死ぬなら悪くないかも……。


なんて、なんの生産性もない思考が俺の脳を埋め尽くす。そして俺はゆっくりと首肯する。


その女性は少しばかり驚いたようだった。しかし、俺はそんなことを気にもとめずに、首筋をその女性に差し出した。


丁度、こんな人生に飽き飽きしていたんだ。


特になんのイベントもなく、青春なんてものは幻想に過ぎず、人付き合いや、世渡りがうまく、容姿的に恵まれている人だけが勝者になれる。


勝者以外は勝者を引き立てるモブにでもなれればまだいいほう。


最悪、勝者となんの関わりもなく死んでいく。なんていうつまらない日常に俺は飽き飽きしていたんだ。


こうやって、美人に殺されるなんて、俺の人生にとっては最初で最後の一大イベントだ。


女性が俺の首筋に顔を近づける。間近で見ても美しい横顔だ。



次の瞬間。





女性は俺の首筋にぶすりと牙を突き立てる。


不思議と痛くはない。むしろ、どちらかと言えば、気持ちがいいような。


そういえばどこかの本で、吸血鬼にとっての吸血は単なる食事だけでなく、眷属を増やす生殖的な意味合いもあるとかって書いてあったな。


だから、吸血鬼には美形が多いのだとか。なるほど納得だ。俺自身もさっきこんな美人に血を吸われて死ぬなら悪くないかもなんて思ったしな。


なんて考えながら自らの体から、血と同時に力が抜けていくのを感じ、まぶたが重くなるのに抵抗せずにそのまま目を閉じた。



二度と目が覚めることがないということを自覚しながら。





ふと、目が覚めた。ここはなんだ?地獄か?はたまた、天国か? どちらでもないとすれば、中国か?


時計を見ると時刻は午前3時。死後の世界でも時計は動くらしい。


体を起こしてみると、そこは俺が死んだはずの場所だった。


辺りを見回すと、先ほどの俺を殺した金髪の女性が電柱にもたれかかって寝ていた。俺が立ち上がると俺が起きたことに気がついたのかゆっくりと目を開けた。







「やぁ。また会ったね。君、名前はなんて言うのかな? 」



謎の女性は俺にそう問いかけた。




「橘 詠(たちばな よみ)ですけど……」



「そうかそうか! 君はそんな名前なのか。いい名前だ! 」



その女性は先程血を要求してきた時とは対照的に極めて朗らかに俺に話しかけた。




「ここは一体? 」



「まぁ、とりあえず少年。此所にかけたまえ。」



女性はそう言って、自分の隣をポンポンと叩いた。俺は促されるまま女性の隣に座った。




「悪いけど、君は私の独断と偏見で、吸血鬼にさせてもらった。」


そう女性は言った。それからその人は、自らがかなり高位の吸血鬼であること。そして、とある人たちに追われてこの街へやってきたこと。

そして、名を、リーゼロッテ=フックスベルガー(Lieselotte=Fuchsberger)ということを教えてくれた。




「是非、リーゼと呼んでくれたまえ。」



最後にこう付け加えるのも忘れなかった。ぶっちゃけフルネームはもう忘れてしまったから、自ら愛称を提示してくれるのはありがたい。




「じ、じゃあリーゼ? 」



「なんだい? 」



「なんでまた俺なんかを吸血鬼にしたんだ?」



「うーん。いきなり難しい質問だね。」



リーゼと名乗るその女性は少し困ったように答えた。




「なんというか……波長が合ったんだよ、君とは。それに自分から首を差し出す人も初めてだったしね。どんな人でも多少は抵抗するんだよ?普通は。」



リーゼは理由をそう語った。もしかしたら、他に理由があって、今言ったのは建前なのかもしれない。


でもそのことを知る由もない俺はそれで納得するしかなかった。


それから、リーゼは俺に吸血鬼の特性、弱点、その他伝承などを伝えた。やはり本で見るよりも嫌に現実味があった。


事実、吸血鬼にニンニクは効かないことを調べるためにニンニクを大盛りで食べたこと。それが成功したことで調子に乗って、聖水を飲んだら死にかけたこと。


それでも、高位の吸血鬼だから数分で治癒したこと。太陽の下に出たはいいが、体が燃え上がり、それより早い速度で体が再生するので死ねずに苦しんだこと。


リーゼのする話はとても面白かった。引き込まれる話し方というか、取り憑かれるような話し方だった。






そして、もうすぐ日が登ってこようというその時。




「ふむ。今日はこの辺にしておこうか。私の武勇伝はまだあるけど、やがて日が登る。さすがの私も太陽には勝てない。君も家に帰るといい。家に両親は? 」



「いないけど……」



「そうか! なら都合がいい。今日は学校とやらを休むといい。そして夜になったらまたここで会おう。私の隠れ家で吸血鬼としての生き方を教えてあげよう。」



「ああ、分かった。それじゃあ、またここで。」



そう言って、俺とリーゼは別れた。






家に帰ってからはとても疲れていたので少し寝た。それもそのはずよく考えてみれば体の血液を1度完全に抜かれているのだから。


目を覚ますと午前7時だったから早速学校に電話をかけて適当に仮病を使って休むという旨を伝えた。




「しかし、こういう時は一人暮らしは楽だよな……。」



誰もいない部屋で孤独を紛らわせるようにそう呟いた。


夜までは何もすることがないので、先日買った本を読む。読み進めている間にいつの間にか時刻は午後1時をとっくに回っていた。




「そう言えば妙に腹が減るな。カップ焼きそはでも作るか。」





台所でお湯を沸かす。麺の入っているカップにかやくを入れ、お湯を注ぐ。


出来上がりをいざ食べてみると……。







「……なんだこれ。まっず。食えたもんじゃねぇな。」



全く味がしないのだ。


勿論、俺は味覚障害ではない。昨日まで普通に食べていたカップ焼きそばなのに味がしないのはやはり吸血鬼になったせいなのか。


自分の体が徐々に人でないものへ変わっていってしまっている恐怖に吐き気を覚えた。


とはいえ、一度作ってしまった手前、食べないというのは実にもったいない。一度にかきこんで完食した。しかし、数分後には結局すべて吐き出してしまった。


仕方が無いので俺は空腹を誤魔化すように再び眠りについた。今度はなかなか眠りにつけなかった。



本日3度目の起床。時計の針は午後6時半を指している。頃合いだ。


俺は早速出かける準備をする。日は沈んでしまっているが、西の方の空はまだ赤い。


念には念を入れようと一応日焼け止めクリームを塗り、長袖のパーカーを羽織った。






目的の場所にはものの十数分でついた。




「そういえば、夜とは言ってたけど、具体的な時間聞かなかったな。リーゼは時計を持ってるのか? 」



独り言はすっかり癖になってしまった。暇なのでスマホをいじる。とりあえず、モバイルバッテリーを2つ持ってきた。1つは充電式、もう1つは電池式だ。


リーゼの言う隠れ家とやらにコンセントがあるか分からないからな。




「……しっかし、遅いな。リーゼのヤツ。」



時刻はもう午後8時半を過ぎている。いくら夜とはいえ、もう来てもいい頃なんじゃないだろうか。






突然、後方から爆裂音がした。その音の正体は後方1kmほどの家のようだ。更に爆発音に続けて、マシンガンのような銃火器の射撃音が立て続けに聞こえる。


嫌な予感がする。こういう時の俺の嫌な予感は大抵当たる。急いでその場を立ち去ろうとする。しかし……。




「待て! 」



1歩踏み出したところで呼び止められる。 


見ると、ストラのようなものに身に付けた神父風の男がタブレット端末を操作しながらこちらを睨みつけている。俺を呼び止めたのはこの男のようだ。


男の後ろにはミリタリー服を着ている人が5人ほどいる。皆、マシンガンやら、アサルトライフルやらをこちらに構えている。




「な、何ですか? 」



かわいた喉から声を振り絞る。声が裏返りそうになるのを必死で抑える。




「お前は、吸血鬼について知っているか? 」



「吸血鬼? 何ですか? それ。伝説やおとぎ話でしか聞いたことないですけど? 」



「……そうか。」



額に脂汗が滲む。恐らく嘘をついているのはバレているだろう。男の人を射抜くような鋭い視線が俺に刺さる。そして、その男は更に俺を問い詰める。




「ならば、リーゼロッテ=フックスベルガーという女を知っているか? 」



「知りません。」



答えがやや食い気味だったか? 俺のそんな焦りも知らず男は更に核心に近い質問をしてくる。あいつ、名前バレてんじゃねえかよ……。




「そうか。ご協力ありがとう。ところで、これは君が落としたのか? 」



そう言って、男はポケットから何かを取り出す。


遠目からだとなにか良く分からない。警戒しつつも少し近づいてみる。すると、一瞬の間に俺はミリタリー服共に拘束された。


迂闊だった。罠だとわかっていながら対処ができなかった。男が俺に近づく。そしてミリタリー服からサバイバルナイフを受け取る。




「少し失礼するよ。」



そう言って、俺の腕を少し傷つける。じわりと血が滲む。しかし、瞬く間にその傷が癒える。途端に、男達の目の色が変わった。




「治ったぞ! しかもかなりの速度だ! これよりこいつを個体No.493の眷属と断定! 個体No.8524とし、準優先ターゲットに認定! 即座に抹殺に移れ! 」



「「「「「了解! 」」」」」

 





それからは流れるような動作で俺から距離を取り、四方八方から俺を蜂の巣にする。しかしその傷は先程の様に瞬く間に癒えていく。




「再生能力が想定よりも高いぞ! 火力を上げろ! 」



更に激しくなる銃撃、それに対して俺は丸腰。何とかしてこの攻撃をやめてもらわなければ。




「​──ッ! 待ってくれ! 俺の話を聞いてくれ! 」



「吸血鬼の話など誰が聞くものか! 貴様ら吸血鬼など生きてこの世に存在するということ自体が罪なのだ! 神を冒涜している! 死して償え! 」



だめだ。言ってることが支離滅裂な上に話し合いが通じない。こうなったら急いで逃げなければジリ貧になりいつから殺される。ぐっと脚に力を入れる。


そして、一気に踏み切る。俺の体は重力に逆らうように宙へ舞う。家を2、3軒超えた隣の道に着地する。着地で乱れた体制を整え、今度は全速力で走り出す。




「クソッ! 逃がすな! 追え! 追って必ず仕留めろ! 」



やはり後ろから声がする。いくつもの銃弾が俺を掠めあるいは貫通する。しかし、脇目もふらずに逃げる。生き残るために。





そして現在に至る。


流石に住宅地でぶっぱなしてしまった手前、これ以上被害を出すわけにもいかないのだろう。先程の様に銃を乱射するような真似はしないようだ。


しかし、ここにいてもいつかは追いつかれ捕まる。闇雲に逃げても先回りされる。どちらにしても早くこの路地を出なければ行けない。


そう思ったが突如ついさっきまで忘れていた空腹が俺を襲う。脳に栄養が行かず、目眩もする。足を踏み出した途端に膝から崩れ落ち、俺は倒れてしまった。






目が覚める。流石に本日4度目の起床はだいぶキツい。身体中が痛い。時計を確認しようとして、俺はベッドの上で寝ていることに気が付く。




「一体誰が……? 」



思わずそう呟く。すると、部屋の反対側にあるドアが開く。咄嗟に身を構える。







「あれ? 起きたんだ? 」



ドアの奥から出てきたのは同年代くらいのショートカットの女の子だった。




「ビックリしたよー。家の前に出ると突然服が穴だらけと男の子が倒れてるんだもん。てっきり夢でも見てるのかと思ったよ。」




「君が助けてくれたのか? 」



「うん! そうだよ? 」



「そうだったのか……ありがとう。」



「いえいえ! どういたしまして。っていうかさ! 君の名前は? 何ていうの? 」



「……橘 詠(たちばな よみ)。」



「え? 詠君って2年B組の、橘詠君? 」



「……え? なんで俺のこと知ってるんだ?」



「分かんない? あたしはC組の花桐 咲依(はなぎり さえ)だよ? 」



まさか同じ学校の生徒だったとは……。しかも隣のクラス……。でも全く知らない。友達少ないし。




「すまん。分からない。」



「そっか! まぁでも、クラス違うししょうがないよ! 」



「でも、なんで花桐さんは俺のこと知ってるんだ? 」



「咲依でいいよ? でも詠君。自分で気づいてないだけで結構話題だよ? 入学当初もクールでイケメンだねって話があったし! 」



「そうだったのか……。全然知らなかった。てっきり俺はモテないんだと思ってた。彼女だってできたことないし……。」



「あたしだって! いつも早く帰っちゃうからてっきり彼女がいるもんかと思ってたよ。……って! そんな話よりも! 」



「ん? 何だ? 」



「さっき詠君が寝てる間にすごい怖い人たちが知らないか? ってきたんだけど……なに? アレ。」



「あ、あぁ。ちょっと説明が難しいっていうか、自分でも信じられないっていうか。」



「なになに? 時間ならあるし。無理にとは言えないけど、言ってくれるなら話聞くよ? あ、でも話したくないなら無理に話さなくてもいいからね? 」



「いや、話したくない訳では無いんだけど……そうだな。嘘だと思うなら信じなくてもいいんが……」



俺は、何故かはわからないが咲依に今まで起きたことの全てを話した。自分が吸血鬼になったこと。食べ物が食べれないこと。特殊部隊に追われていること。全てを話した。




「……なるほどね。」



「こんなファンタジーな話信じなくてもいいんけどな……俺が話されたら信じないし。」



「……いや、信じるよ! 事実、あたしの家に特殊部隊だっけ? の人が来たのも本当だし、詠君の服が穴だらけなのもほんとだからね。」



「そうか。信じてくれるのか。」



それだけで救われた気がした。生きていてもいいと言われた気すらした。しかし、その瞬間、空腹とは明らかに別種の感情が襲ってきた。


吸血衝動だ。突然、咲依の白い首筋が目に入る。今の俺には輝くほど眩しく、ご馳走のように見える。


いくら知り合いだからといって、ほぼ今日会ったばかりの人、それも、俺の命を救ってくれた人に対して、血を吸わせて貰おうだなんて非常識にも程がある。


俺の心が激しく葛藤しているその時、咲依が話しかけてきた。




「どうしたの?詠君。顔色悪いしさっきから震えてるよ?具合悪かったりしたら言ってね?」



その心に染みる優しさが今は葛藤を更に加速させる。そして、しばらくの沈黙のあと……。


俺はそのことを恐る恐る口にした。




「な、なぁ。咲依。お腹すいたんだけど……」



とうとう言ってしまった。




 「そっか! それは大変だ! じゃあなにか待ってくるね! あれ? でも普通の食べ物は食べれないんだっけ? じゃあどうすれば───」



咲依は、俺の目をまっすぐ見据えた。すると、途端に静かになった。何やら目も据わっている。ここで俺はリーゼとの会話を思い出した。


聞くところによると、吸血鬼の特性として魅了があるのだそうだ。目を見た相手を自分の虜にして、吸血をしやすくするらしい。


俺があの時リーゼに惹き寄せられたのはその魅了のせいだそうだ。




「咲依。お前の血を俺にくれないか? 」


俺は咲依の目を見つめたままそう言った。リーゼがそうしたように……。


咲依はそれに対してゆっくりと頷く。そして俺は咲依の首元にゆっくりと牙を突き立てた。あの時のリーゼはこんな気分だったのか? 






「……んっ。」



咲依が少し吐息を漏らす。俺は咲依の首元から、流れ出てくる深紅の血を無我夢中で吸う。


飲み込むと溶けたバターのような塩味と鉄文が俺の乾いた喉と空っぽの胃袋にじんわりと染み渡るのを感じる。


今までの食事の中で一番美味しい。それが同時に俺がもう人ではない証拠なのだ。涙が俺の頬を伝う。それに気づいたのか咲依が俺をそっと抱きしめてくれる。


それによって更に涙が止まらなくなる。嗚咽を漏らしながらも貧血にならない程度に血を吸い、首から口を離す。


俺の唾液の効果で目に見える速度で首の傷は塞がる。まだ咲依の呼吸は荒い。自分も苦しいだろうにそれでも俺を抱きしめる手を緩めない。


そして、俺は咲依の胸の中で




「ありがとう。」



と、呟いた。俺にはそれしか言えなかった。


あらゆる感情が渦巻く俺をただ無言で抱きとめてくれる咲依にはありがとうなんて言う、安っぽく、ありふれた言葉でしか感謝を伝えることが出来なかった。


ひとしきり泣き腫らしたあとは2人とも疲れて同じベッドで寝てしまった。






朝、目が覚める。


体を起こすと隣には咲依が寝ていた。寝顔は昨夜よりも何歳かばかり若く見えてとても愛くるしかった。その寝顔を見つめていると、咲依も目を覚ました。


寝ぼけ眼を擦る姿もとても可愛い。見ると瞼が腫れている。きっと咲依も泣いたのだろう。俺のいないところで、こっそりと。


そう思うと咲依の目の前で泣いてしまった自分が恥ずかしく思えてくる。俺はそっと咲依の頭に手を乗せると、




「お前は、強いな。」



そう言った。すると咲依は




「ううん。あたしは強くなんかないよ。あたしから見たら詠君の方が強く見えるよ?」



と、俺に返した。




「・・・そうか。」



咲依からすると俺の方が強いらしい。人間はどうも他人の方が自分よりも強いと思ってしまう生き物らしい。




「貧血とかは、大丈夫か?」



昨日は欲に任せて吸血してしまった。気を付けてはいたがもしかしたら吸いすぎてしまっているのかもしてない。純粋に咲依が心配だ。




「全然大丈夫だよ。身体は丈夫だから。」



心配ないよ。咲依はそう言った。なら一安心だ。


さて、ここからは俺の問題だ。ここにも長い間いられないだろう。何よりたくさんの迷惑をかけてしまった。最後に、




「……なぁ。咲依。俺はお前の事が好きだ。」




「ん〜?それってどういう意味で?」




「もちろん、人として、友として。そして……一人の女性として、俺はお前を愛している。」



「……そっか。あたしもだよ。」



「いや、それは違うんだ。吸血鬼の特性の……」



「違くないよ? 魅了とか、吸血鬼とか関係なく、一目見たときからあなたのことが大好きでした。」



「あなたは覚えてないかもしれないけどあたし達、昨日が初対面じゃないんだよ? 」



「……そう、だったのか。」



「うん。そうだよ。」



そう言うと、咲依は俺の頬にキスをした。だが、俺が告白をしたのは咲依と幸せになるためじゃない。


もしかしたら二度と会えないかもしれないから、その後悔を残したくないからだ。でも、咲依が俺のことを想ってくれているとなると話は別だ。


生きて帰る理由ができた。絶対に咲依を傷つけさせはしない。



「なぁ。咲依。俺はこれから決着に行く。もし、俺がこの戦いに勝って戻ってきたら。俺と結婚してくれ。」




 「ねぇ。まだ気が早くない? あたし達高校生でしょ? それじゃあ戻ってきたらあたしと付き合ってよ。それならいいでしょ? 」




「……あぁ。そうだな。」



咲依は『フラグだよ? 』とかって言う野暮なことは言わなかった。


ただ知らないだけの可能性もあるけれど、それでも俺の覚悟を受け止めてくれているということだろう。




「じゃあ。生きて帰ってくるから。」



そう言って、俺は咲依の家を出た。






家から出ると、俺は精一杯の声で吠えた。そして脚に力を入れ、目一杯ジャンプした。


奴らがどこにいるかは知らない。だが、俺がこうやって目立っていれば奴らの方から寄って来てくれるだろう。今日の天気は曇りのち雨。


つまり太陽が出ない俺たち吸血鬼にとっては絶好のコンディションだ。


数分ほど街の中を跳んでいると、







「いたぞ! 個体No.8524だ! 今度は逃がさん! 殺せ! 」



ストラを身につけた、聖職者紛いのあの男だ。しかし、今日は周りにいる連中が違った。


1人はバカでかい刀、1人はロケットランチャーのような筒状のもの、もう1人は拳銃を持っていた。




「バカめ、自ら姿を現すとはな。殺してくれる。」



エセ神父がそう言った。しかし、




「待て、そう焦んなよ。神父サマよォ。」



エセ神父の仲間の刀を持った男が神父を宥める。




「おい、吸血鬼ィ! 」



「なんだ。」



「ただ4対1で勝負してもつまンねェ! ここは、バトル物っぽくタイマンで勝負しようぜ! 俺ら4人となァ! 」



刀の男が俺にタイマンを持ちかける。俺としては別にいいんだが……。




「構わないが、お前らが勝てる確率が減るぞ? 」



「ケッ! 馬鹿かよ。丸腰の相手を一方的にボコったってつまンねェだろ? 俺サマは血沸き肉踊る勝負がしてェンだよ! 」



「お前らがいいんならいいが? 」



「ィよォし! 決定な! 最初は俺サマだぜ。」



先程から俺に話しかけている一番馬鹿っぽい奴が初めに俺と戦うらしい。




「流石に住宅地はまずいだろ? 場所を移動しよう。お前らもこれ以上被害を出すと怒られるんじゃないか? 」



「ん? ああ。そうだな。俺サマも権力には勝てねぇ。」



「よし。なら着いてこい。」



そう言って俺は跳び上がる。







「フハハッ! 俺達ヴァンパイアハンターを舐めんなよ! 」





 そう言うと、バカは、俺と同じ高さまで跳び上がった。どうやらこいつらは対ヴァンパイアの特殊部隊らしい。







「この辺でいいだろ。」



丁度広い空き地があった為そこに着地した。




「ヘッ! なかなかいい場所じゃねェかよ。」



「あぁ。じゃあまず、ルールを決めよう。」



そう提案する。今の俺は少しでも時間稼ぎをしなければならない。




「俺らとお前らで闘うんだろ? お前らは1人ずつ勝負する。勝敗はどちらが死ぬか降参するまで。武器はなんでもありあり。で、どうだ? 」



「悪くねえ。それじゃあ行くぜ! 俺はヴァンパイアハンター、グリンデ=バッカス! ハーフヴァンパイアだ!」



なるほど、ハーフヴァンパイアか、どうりでしかも混血はだいたい強いのが相場らしいな。しかし、名前までバカか。ある意味すごいな……。




「さァ! いざ勝負だぜェ! 」




バッカスはそう言うと、一瞬で俺の後ろへ回り込んだ。右手に持つ刀を左上に切り上げる。少し反応が遅れて右手が持っていかれる。






傷口から血が吹き出す。治りがいつもよりも遅いようだ。




「そういやァ言い忘れてたが! この刀は聖水で清めた対ヴァンパイア用の特注品だ! 並のヴァンパイアなら切られた腕は二度と生えてこねえが……流石は個体No.493の眷属だ。再生力がエゲツねえぜ! 」



自慢げに語るバッカス。話しながらも斬りつけてくるその動きには一貫して無駄がない。攻撃するスキがない程に早く刀を振るう。




(何とかして動きを止めないと。上位の吸血鬼は変身や物理創造能力があるらしいが俺はできるんだろうか……)




「ハァッ!」



一振りの日本刀をイメージしている念を込める。すると目の前にイメージ通りの日本刀が現れる。それを手に取り、バッカスが放つ攻撃をいなす。






するとバッカスは若干よろめく。そのすきを狙いバッカスの首を狙い日本刀を叩き込む。中学時代に数ヶ月だけやった剣道が役に立つ日が来るとはな。


そしてバッカスの胴と頭は綺麗に分離する。更にバッカスの胴体の心臓を思い切り突き刺す。断末魔をあげる暇もなくバッカスは敗北した。






バッカスの体が地面に崩れ落ちる。いくらハーフヴァンパイアとはいえ本物の吸血鬼の心臓を狙った一撃には耐えられないか……。




「……ふぅ。さて、次はだれだ? 」



今度は、眼鏡姿の頭の良さそうなやつが1歩前に出る。ロケットランチャーを持っているやつだ。




「次はお前か? 」



「あれは君とバッカスが決めたルールだろ?我々が守る義理はない。」






頭の良さそうなやつがそう言い放つと俺に向けて突然ロケットランチャーを構え、発射する。




「何ッ!? 」



そのロケットランチャーから出てきたのは杭だった。


吸血鬼の弱点として心臓に杭を打つというものがある。つまりこいつが持っているのは言うなればパイルランチャーだ。






そしてさらにそいつの後方から銃声がする。とっさに避けると弾丸は左腕を掠めて飛んでいくり。すると掠った傷口から体が溶けていく。


恐らくこれは銀の弾丸もしくは呪文を刻んだ弾丸で撃つという吸血鬼の退治方に則ったものであろう。




「どいつもこいつもガチで対ヴァンパイア武器じゃねぇかよ。」



パイルを避けると弾丸。弾丸を避けるとまたパイルというように絶え間なく攻撃される。接近さえできればいいのだか、相手が2人だとそれすらも難しい。




「しまった! 」



弾丸に気を取られているうちにパイルで四肢を固定され、動きを封じらたてしまった。もう。ここで負けるのか。


咲依との約束のためには死ねないってのに、どうやらパイルにも少量の銀が含まれているらしく、力がうまく出せない。逃げるどころか動くことも出来ない。




「喰らえっ! 止めだッ……」



これは死んだな……。そう思った瞬間。頭上から声が響く。






「ちょっと待ちな! ヴァンパイアハンター共! 」







「……やっと来たか。遅ぇよ。リーゼ。」



「いやーすまないね。他の雑魚連中を潰すのに割と手間取ってしまって……」



やっと来てくれた。なぜリーゼがここにいるかと言うと……。


さっき家を出たあとの俺の行動。あれは傍から見れば吠えているだけにしか見えないが、吸血鬼の特性として眷属の間でだけ使えるコミュニティがある。


俺はそれでリーゼにほかの連中の撃退とそれが終わってからの俺の方への参戦を頼んだ。あくまでも俺はリーゼの眷属だ。つまりは単なる下位互換に過ぎない。


経験の差もあるためオリジナルであるリーゼの方が強いのは当たり前だ。結果、俺はリーゼが来るまでこいつら4人の足止めをしていたのだ。


リーゼが腕を一振りする。すると轟音とともに真空刃が生まれ二人の首を跳ね飛ばす。




「……強すぎるだろ。」



「まあね。巷じゃ最強の吸血鬼なんて呼ばれた時期もあったしな。」



「……さ、流石過ぎる。」



まるで蚊でも潰した後のような顔で自慢をするリーゼ。なんだかんだ言って俺の20倍くらいは強いんじゃないか? 




「おい! そこのエセ神父! 」



あ、こいつの中でもエセ神父なのか。




「いや、あいつ本名がエセって言うんだってよ。」



「ガチのエセ神父かよ!? 」



 衝撃だ。今死んだ奴らも割とまんまな名前なのかもな。




「……フフフ、フハハハハ! 流石は最強の吸血鬼だ! だが、喰らえッ! 聖水シャワー! 」



「効かないね! 」



「何ィ!? 何故だッ!? 」



「溶けるより早く再生しているからな! 」



「何ィッ!? 出鱈目過ぎるだろォ!? 」



「爆ぜろ! 」



リーゼがエセ神父の胴に掌底を放つ。


すると何故か爆発が起き、神父の体は木っ端微塵になる。



「いや、何でだよ!? リーゼ! いくらなんでも今のはおかしいだろ!? 」



「私くらい高位だと出来るんだよ。」



ヴァンパイアって一体……。


俺が苦戦した戦いもリーゼの登場によりものの数分であっけなく終わる。


そして俺は咲依のもとへと帰る。




「あ! それと! 」



「ん? なんだ? リーゼ。」



「これはいい忘れてたけど吸血鬼は恋をするとその人後しか飲めないからね! 気をつけて! 」



「……あぁ。知ってるよ。」



「……そうか。ならいいんだ。ところで話は変わるが……私はそろそろ長旅に出る。」



「……たまには戻ってこいよ? 」



「それは……恐らく無理だろう。」



「……そう、なのか? 」



俺は、リーゼがそう答えるのを知っていた。そしてなぜこの話を今持ち出したのかも知っていた。でも、それでも……。




「あぁ。だが、まあ、暇があればたまには戻るよ。またね。」



「……ッ!あぁ!またな!」



俺にはリーゼを止める度胸も覚悟もなかった……。


それでも俺は咲依の家へと急ぐ。


自分の手で取り戻した日常の喜びと永遠の別れをを噛み締めながら。



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ヴァンプス・エブリデイ 愛江瀬葉 @Saber1107

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