#1 情報執行局 - 1

 誰が描いたのかは分からないが、おそらくアルプス山脈を描いたであろう絵画が放置されている。まだ捨てられて間もないのだろうか、汚れなどの類は一切見当たらない。何かしらの影響で下半分がボロボロになっている点以外は完璧だ。

 かつての英雄たちが、イタリアを攻めようと思い立つと必ずこの地を越えていき、そしてすべてを成功させている。ハンニバル、シャルルマーニュ、ナポレオン。少し前のドイツ宰相の言葉を借りれば、賢者は歴史に学ぶと言ったところか。今後の優秀な軍人たちはナポレオンの失敗を学んで、ロシア領に攻め込もうなどとは考えもしないだろう。

 子どものころからぼくは彼らに憧れていた。聡明な軍師、そして偉大なる魔導師と称えられた彼らに。もし甦れば特級導力技術者という肩書が付与されるであろう彼らに。そんな憧れが肥大した結果、この情報執行局という職に就いたのかもしれない、と無残にも投棄された霊峰を見ながらふと思った。

 ところで、今ぼくたち01分隊が何をしているのか説明すると、ヨーロッパ中で活動しているイタリア系犯罪組織の一拠点であるとロンドン警視庁スコットランドヤードが指定した屋敷に潜入している。統一されたイタリア王国の傘下となったシチリアから飛び出したアウトローな輩が、どういうわけかブリテン島に流れ着いてしまったらしい。すでに国内で強盗やら殺人やらの一通りの犯罪はすべてこなしているようで、警視庁も手を焼いていた連中だ。さすがにイタリア本土に攻めるとまではいかないが、ハンニバルらのような存在に少しは近づいているのだろうか。それにしては今のぼくの武装は、個人的に購入したモーゼルC96と支給されたウェブリーリボルバーが一丁ずつに、二年前に陸軍で採用されたばかりのリーエンフィールドと、いささか現代的すぎる。

 潜入自体はとても簡単だ。裏口に備え付けられたパンチカード式ロックは、ぼくたちからすれば南京錠パドロックをこじ開けるほうがまだ難しいといった感じで、解析機関を接続口に繋げば、ものの数十秒で穿孔機が扉を開けるカードを吐き出してくれる。そんな面倒なことをしないでダイナマイトやら導子回路やらを使って扉ごと爆破すればいいじゃないかと思うかもしれないが、この犯罪組織の本拠地というのがロンドンのど真ん中に位置してしまっているので、そんな荒っぽい方法をとることはできない。

 そうして手に入れた合鍵をカードリーダに通して、裏口を開ける。内部にいた構成員は目を丸くしたことだろう。裏口が突然開いたのにもかかわらず、そこには誰もいない。正確にはぼくたちはその場にいるのだが、環境同化回路カモフラージュを使用していたので、その姿が網膜に投影されることは無い。

 そんな狼狽えている構成員を、ぼくはサプレッサーを装着したC96で容赦なく射殺する。今回下された命令は逮捕ではなく殺害だ。度重なる反社会行為に上層部も組織そのものを潰すことしか考えていないのだろう。もっとも、今回は別に決定的な要因があるのだが。

 面倒なことに、殺した構成員のほかに別の人間が三人いたようで、仲間が血を噴き出しながら倒れるのを見るや否や、ぼくたちが侵入した裏口に向かってリボルバーを乱射してきた。どこから仕入れたのかは知らないが、イタリア人らしくボデオを全員持っていた。残念ながら裏口には、本当の意味で誰もいない。

 明後日の方向へ照準も覗かずに撃っていた構成員Aをまず僕が殺し、Bを部下のリズがウェブリーで殺し、少し離れていたCをもう一人の部下であるダグラスがエンフィールドで撃ち抜いて殺す。導力を使ったほうが大きな音を立てずに殺すことができるのでそちらを使いたかったのだが、異種の回路が干渉して環境同化回路カモフラージュが解けてしまうのはどうしても避けたかった。

「クリアです。ここの見張りは今の三人だけですかね」ダグラスがブリティッシュ弾を装填している。「少々ドンパチし過ぎた気もしますけど」

「にしては誰も駆けつける様子はないな。他の連中はみんな夢の中らしい」

 時計を開くと、時刻は深夜二時を回っていた。これからこの屋敷に住み着いている連中はみな、深い眠りに落ちたまま頭と胸を撃ち抜かれて死んでいくのだ。絞首刑になるよりは幾分楽な死に方ではありそうだ。

 廊下を道なりに進むが、見張りなどがいる様子は一切なく、壁に掛けられているいくつかの風景画がその静寂を見守っていた。あれほどの銃声が響いたというのに、今はぼくたちの足音しか聞こえない。

 客間のような部屋に入ると、そこには人の死体がうつ伏せになって倒れていた。テーブルにはポーカーをしていたような痕跡があるが、肝心のカードは血と脳漿でぐっしょりと濡れており、そばには02分隊長のクリフォードとその部下たちがいた。

「案外早く会ったな」

「正面玄関は拍子抜けさ。見張りがうようよいるもんかと思ったが、一人が居眠りしてるだけだ。で、こいつらは俺らの侵入に気付くことなくあの世に行っちまったよ」

「03、04分隊は?」

「今ごろ二階で羊と戯れてる奴らを殺しまわってるだろうさ」

「まともに撃ち合いになったのはぼくたちだけか。これじゃただの虐殺だな」

「こいつらが善良な市民たちにやってきたことだ。因果応報だよ」

 クリフォードはウェブリーの銃口を死体の頭にぐりぐり押し付けている。

「で、肝心のものは見つかったのか」

「ああ。そこの穴の先だ」

 クローゼットが本来の位置からずれており、そこには人ひとりがやっとのことで入れるくらいの穴がぽっかりあいている。ベタで杜撰ではあるが効率の良いシークレットルームの造設方法。

 穴をくぐると、そこには鉄の棒と数字が印字された歯車が無数に連結されている、高さ二メートル強の見慣れた機械が佇んでいる。解析機関だ。ただ、これが一般に販売されているごく普通の商用解析機関であれば、この犯罪組織の構成員たちは永眠することはなく、英国自慢の全展望刑務所パノプティコンで優雅な暮らしを謳歌できたことだろう。

「わざわざ技術部の研究所に忍び込んで筐体ごと盗み出すなんて、よほどの命知らずじゃないとできんわな」

「これが二重処理機構ツインプロセッサ搭載の解析機関ですか。初めて見ましたが見た目は普通の解析機関とそう変わりませんね。どこに導子回路を書き込むんでしょう」

 リズが物珍しそうに、世間には一切出回っていない、導子回路を拡張デバイスとして接続できる次世代解析機関をじっくり見つめている。

「あんまり詮索するとぼくたちも消されるんじゃないか」

「仮にも執行局所属なんですから、今さら秘め事の一つや二つ一緒でしょう?」

「そういうの、局長の前で言うのだけはやめてくれよ」

 ぼくは環境同化回路カモフラージュを解除し、部下たちに作戦終了を告げた。きっと帰った後はこいつらの後ろ盾を調査する仕事が待っている。

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