釣りゴルファー
冬野 周一
釣りゴルファー
今日は真にゴルフ日和である。うららかな春の陽射しがとても暖かい。
「お客様、クラブの確認をいたします」とキャディーが言った。
「ドライバーと3番、5番ウッド、アイアンが4番から9番とサンドとアプローチ、それとパターの合計12本と」
「・・・?」「こちらは?」
「あっ、それ釣り竿」
「ここの7番ショートに池があったよね、前回来たときに見たんだよねー、でっかい鯉をね」
「だから今日は必ずあの鯉を釣って帰ろうと思ってね」
「あのー、お客様ゴルフ中に釣りは困りますけど」
「あー大丈夫、7番はさクラブハウスの直ぐ裏にあるから。お昼の休憩時間に行ってこようかと思ってるから」と竿竹鮎太郎(さおだけあゆたろう)が呑気に答えた。
竿竹鮎太郎は、大の釣り好き者である。あそこで何々が釣れたと聞けば翌日には会社を休んでその場所へと向かうほどの『釣りキチ』なのである。
あの『釣りバカ日誌』の浜ちゃんの上手をいくのではないかと、巷ではもっぱらの評判である。「釣りは趣味ではなく、もう人生の全てかもしれない」と本人自身が語っている。
そんな彼に会社の上司が「接待ゴルフ」を持ちかけてきた。
「ゴルフ?そんな面倒なものはお断りいたします」と反論したのだが、
「今のプロジェクトは我が営業部にとって最大のチャンスなんだ。このプロジェクトが契約出来れば社長賞間違いなし!だから君が営業部のリーダーとして相手方の接待をして欲しいのだ」
「確か君は以前ゴルフをやっていただろう、釣りを始める前に」と営業課長が尋ねた。
「ええ、確かに3年前まではね。でももうクラブはどこにいったか分らないし、スウイングも忘れちゃったし、それにゴルフ自体もう関心がありませんから」と竿竹が答えた。
「まあ『昔取った杵柄』で1、2回練習すれば大丈夫さ。それにあんまり上手な者より下手な方がウケが良いし、君は天性の接待上手の持ち主だから、君が相手してくれれば相手さんはきっと楽しんでくれる筈だ」と営業課長は無理やり押し込んだ。
そんなやり取りが一ヶ月前、そして練習は先週末に雨が降り、予定していた釣りが流れた為、暇潰しに練習場へと足を運んだのである。
「竿竹さん、妙なものをお持ちですな」と本日の接待相手の男性の一人が声を掛けてきた。
「あー、これっすか、さっきも言いましたけど7番ホールの池で釣っちゃおうかなと思いまして」と全く接待には程遠い軽々しい口調で答えている。
「ほう釣りですか。鯉とか聞えましたが。どのくらい?」とこの男性も軽い調子で突っ込んできた。
「うーっん、確か80cmはあったと思うけど。ただ昔の事だし跳ねた一瞬なんで確かではないっす」と竿竹が答えた。
「それは楽しみだね、いや僕もね少しばかり釣りを嗜んでいるもんでね」
「出来たらその場に立ち会わせてくれないかな」と男性が言った。
「あそりゃどうぞ、別に見られて恥ずかしくもなけりゃ観客がいた方が張り合いが出るからいいっすよ」と軽々しく答えた。
インスタートから2時間半、午前のハーフが終了してお昼の休憩に。ゴルフのプレイは不可もなくこなした。接待側のメンバー達もまずまずのスコアであったし、気さくに、そして時折天然のボケを撒き散らす竿竹に好感を抱いてくれたようで楽しいゴルフタイムだった様だ。
「竿竹さん、お昼は?食べずに行くの?」と男性が尋ねた。
「ええ、休憩は50分だから急がないとね。自分はおにぎりを用意してるから大丈夫っす」
「そうか、じゃあ僕もパンでも買ってあとで食べることにして一緒に行こうか」
「ところで竿竹さん、予備の糸とハリはお持ちではないでしょうか?」と男性がうきうきした表情で言い寄ってきた。
「あー、ありますよ。でも竿は僕の一本しかないですけど」
「竿は大丈夫、僕はドラバーを使うから」
「ドライバー??なーーるほどね。釣りは道具じゃないっすよね、この腕っすよね」と二人は笑いながら支度を始めた。
クラブハウスから歩いて3分。目的の池が目の前に現われた。
「まだいますかね」
「いますね、最近ここに来た人から聞きましたから間違いないっすね。狙った獲物は逃がさない。これ僕のモットーなんです」
餌は「練り団子」に「ミミズ」。
「ではお先に!」と段取りの出来た竿竹がスナップを利かせて放り込んだ。
「チャポン」と池の中心当りに餌は投げ込まれ、ベールを起こし、リールを適度に巻き込んだ。
男性はドライバーのネック(ヘッドの付け根)にライン(釣り糸)を括り同じくハリには練り団子とミミズをぶら下げて大きく放り投げた。男性はリールがないので一本竿と同じ要領だが、本来の竿に比べるとクラブのヘッドがあるから違和感はある。
しかし男性は手慣れた感じでクラブのシャフト撓らせ上手にポイントを投げ込んだのである。
「へえー、うまいっすね」と竹竿が感心した。
男性がニヤリとした。その目付きは獲物を追う不適な笑いだった。
10分が経過した、まだ当りはこない。竿竹は一度リールを巻き、餌の状態を確認した。練り団子もミミズも外れてはなかった。あまり水に浸かっているとふやけ過ぎてはと、練り団子を付け直してみた。
20分が経過しても当りはこない。
「きませんねー」と少し苛ついてきた竿竹が男性に声をかけた。
「まあこちらの様子を見ているのでしょう。釣りは我慢比べですよ」と男性は余裕を浮かべながら答えた。
30分が経過した。すると水面に小さな波が湧き起こった。
そしてドライバーのシャフトが大きく撓った。
「おー!きた!きたぞー!!」男性が歓喜の声を上げた。
男性はドライバーを両手でしっかりと握り、少しずつ後退りした。一歩下がって緩め、また一歩下がって緩め。じわりじわり獲物を岸に引き寄せた。
竿竹が気を利かして「タモ」を用意して待ちかまえた。
「あと一歩!」「それ!!」「ゲットっす!!」
タモ網に入った大きな魚はやはり『鯉』だった。目見当で約1mあろうかという大物だった。
「やりましたね!ちょっと悔しいっすけどおめでとうございます!」素直に竿竹が称えた。
「ありがとう。君が手助けしてくれたからだ」
「これで積年の鬱憤が晴れたよ。ありがとう」
「積年の鬱憤?」
「うーん、いやね実は僕も二年前の今頃このゴルフ場に来てね、見かけたんだよね」
「その時も、竿も餌も用意してなかったから、一度家に帰って夕暮れにやって来たんだ。もうここに着いたときには営業終了でさ、入口の門も閉まっていてね」
「どうしようかな、また改めて来ようかなとも思ったんだけど、血が騒いじゃってね、無理やり垣根をくぐり抜けて入っちゃったのよね。薄暗い中で一点を見つめながら立ちすくんでいる姿は異様だったろうね」
「どうやら守衛が残っていたみたいで、僕に気付いて通報したんだよね。それからは大騒ぎでさ。いやー、何とか事件にならずに済んだけど家内がね、『釣り禁止令』を出してきてさ」
「だからあの騒動以来二年間大人しくしてたんだけど」
「だけど今日の君の顔を見ていたらまた血が騒ぎ出してね。まあこれで鬱憤も晴れたし、めだたしめでたしだ。ありがとう」
「僕もね、『狙った獲物は逃がさない』が哲学なんだよ」と言いながら釣り上げた『鯉』を池に返したのである。
その日の「接待ゴルフ」は無事に終わり、その男性とは何事もなかったかの様に別れた。
そして3ヶ月後の「プロジェクト調印式」の会場で、竿竹はあの男性と再会したのである。
「やあ、その節にお世話になりました」と契約先の代表取締役が笑顔で近づいてきたのであった。
釣りゴルファー 冬野 周一 @tono_shuichi
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