楽曲 第十三話

 九月に入ってもまだ昼間は暑さが残っている。タスクは久しぶりにハンドルを握り高速道路を走っていた。行き先は伊豆の温泉宿だ。助手席の千紗は終始ご機嫌である。


 この旅行の企画は沙織の功績だが、実行は李奈の功績であった。千紗は二人に感謝をしている。李奈の部屋であのタイミングでタスクと仲直りをしなければキャンセルしていたのだから。ちなみにタスクはキャンセルの危機があったことを知らない。


「先生、車持ってたんやな」


 助手席の千紗が楽しそうに話しかける。


「実家でずっと眠ってたんだよ。東京ではいらないかと思って」

「これからはずっと東京に置いておくん?」

「そのつもり。ちょうどいいタイミングでマンションの駐車場空いたし」


 車がなくても生活ができる東京とは言え、多くの機材を抱えるタスクにとっては車があった方が便利である。機材のメンテナンス等、急を要する時は業者を呼ぶより直接自分で店頭に持ち込んだ方が早い。車種は、楽器運搬があったサバハリメンバーだった時からの名残でミニバンだ。それを数日前実家のある名古屋から東京に持って来たわけである。


「向こう着いたらどう動くんだ?」


 千紗から宿しか聞かされていないタスクは行動予定を把握していない。それ故の質問だ。


「それがな、行ってみたいとこぎょうさんあってん。けどな……」

「どうした?」


 歯切れの悪い千紗にタスクは質問を続けた。


「社長と牛島さんからな泊りはオッケーもらえたんやけど、あんま外を動き回るな言われて。パパラッチ対策やて。それで許可してもらえたんは温泉街の散策だけやねん」

「ハーレムも、エラクナッタモンダナ」

「嫌味か? バカにしとんのか? どつくぞ」

「ハンドル握ってるのでできれば今は……」

「旅館着いたらでええか?」

「ボクが悪かったです。全面的に謝罪します」


 二人は高速道路を降りると途中遅い昼食を取り予約してあった宿に着いた。映画の撮影にも使われたことのある立派な旅館だ。エントランスが広く高級感のある絨毯で床が彩られている。二人は揃って受付カウンターに立った。そしてタスクは宿泊者名簿を書こうとペンを握った。


「予約したんうちやからうちが書くよ」


 そう言って千紗はペンを取り上げた。この行動で千紗はタスクの名前の漢字表記を見るチャンスを棒に振ってしまった。


「うわー、先生海見えるで。すっごーい」


 二人は仲居に案内され、千紗は部屋に入るなり興奮した様子で窓際に寄った。


「先生ここ部屋風呂あんで。しかも露天や露天」

「部屋風呂? 聞いてないぞそんなの。って言うか、予約する時にわからなかったのかよ?」

「知ってたで。ピックアップした旅館、全部部屋風呂ありやったもん」

「……」


 すると千紗が手を後ろに組んでタスクの顔を覗き込むように寄って来た。


「後で一緒に入ろうな。背中流してやんで」

「……」


 冗談だとはわかっている。揶揄われていることはわかっている。しかしそれでもタスクは赤面した。それを千紗はしてやったりの顔で見る。


――沙織ナイス――


 これは千紗の心の声だ。


「お食事は何時頃にお持ちしましょうか?」

「七時で」


 正座をしてお茶を煎れ終わった仲居が問うのでタスクが答えた。


「畏まりました。では十九時にお部屋にお持ちします」


 仲居は丁寧に頭を下げて部屋を出た。それを見計らって千紗はタスクの腕に絡みついた。そしてタスクの肩の辺りに頬を寄せてタスクを見上げる。無垢な笑顔だ。心なしか肘に柔らかな感触を感じる。


「散策行こ?」

「……」


 タスクは無言で千紗を見下ろす。頬が紅潮するのを感じる。


「なんや。またどつかれたいこと言うんか?」

「いや……」


 タスクは千紗から目を逸らした。この時不覚にも至近距離での千紗のこの表情に胸を射られていたのだ。


 二人は温泉街に出ると軽やかに歩き回った。軽やかなのは主に千紗だが。旅館から温泉を放流したために上る川の湯気。風情ある小奇麗な橋。石畳で整えられた道。軒を連ねる土産物屋。どれもが二人の心を軽快な気分にさせてくれる。


 歩くうちに千紗はタスクの小指を掴むようになり興味のある土産物屋などに引っ張った。周囲の人たちはこの二人が恋人同士であると信じて疑わない。特に道行く男は横に連れた千紗を見てタスクに羨む視線を向けている。


「先生せっかくやからなんか一緒のもん買お? 例えばキーホルダーとかバッグに飾れるもんがええねん。もうすぐヤマトさんのスタジオ始まるやろ? そしたら先生もベース持ち歩くやん。うちもスネアのバッグがあるから」

「それならいい考えがあるぞ」

「何?」


 千紗が期待に声を弾ませる。この後タスクの口から何が出るのか楽しみなのだ。


「キーホルダーとかだとお揃いってすぐばれるからまた俺らの関係疑われるじゃん? だから染め物とかハンカチ買って半分に切って二人で分けてバッグの内側に縫い付ける。俺も持ち運びはギグバッグだから針通るんだよ」

「ええなそれ」


 話がまとまった二人は土産物屋を数店舗探し回った。そして綺麗に染められた藍色のハンカチを見つけた。模様が折り紙の風車かざぐるまを想起させる。


「千紗ならもっと明るい色を選ぶかと思ってた」


 温泉街を旅館に戻りながらタスクは千紗に言った。千紗は嬉しそうにハンカチを目の前に翳して歩く。


「バッグ黒やろ? うちも黒やからこの色の方が目立たんやん。それに模様が気に入ってん」

「模様ってその風車かざぐるまみたいなやつ?」

「そや。風車かざぐるまって回転するもんやろ。それがええねん。うちらのシンボルやから」


 タスクは千紗の言うシンボルにピンとこなかった。しかし千紗の幸せそうな表情に満足して、それ以上の質問は野暮だろうと思い口を止めた。


 千紗は部屋に戻るとすぐさま間仕切りされた脱衣室に消えた。そして程なくして出てきた千紗の姿にタスクは度肝を抜かれた。


「じゃーん。お風呂入ろ?」


 千紗はバスタオルを巻いた格好で部屋に入ってきた。肩と足の露出が想像を掻き立てる。


「ちょ、部屋ん中で、そんな、どえりゃぁ格好。早よぅ、服着りゃっせ」

「ほんま先生ってやりがいあるわー。動揺しすぎや。リアクションが期待を裏切らんな。部屋の露天風呂、中から丸見えなんやからバスタオル巻くんは当たり前やろ」


 タスクが期待通りの反応をするものだから満足そうな千紗。タスクは一度表情を整えた。


「……。バスタオルお湯に浸けていいのかよ」

「そんなん旅館の人にわかりようないやん。さ、入んで」

「は? 本当に一緒に入るの?」

「当たり前やん。着いた時言うたやんけ。どうせ一人で入ったかて中から丸見えなんやから。それならせっかくなんやし一緒に入ろうや?」

「お、おう」


 そう言うと千紗は再び脱衣室に消えた。結局一緒に入るのかと動揺が残る。

 タスクはタオルを持って脱衣室に入ると、その時千紗はもういなかった。タスクは服を脱ぎ腰にタオルを巻いて、そして磨りガラスになっているスライドドアを開けた。するとそこにはバスタオルを巻いた状態の千紗が仁王立ちをしていた。満面の笑みである。


「早かったな。ご褒美や」


 瞬間! 千紗は両手とともにバスタオルを広げた。タスクは固まってしまった。


「あはははは……」


 千紗が腹を抱えて笑う。タスクは打ちのめされて膝が折れそうになった。千紗はチューブトップのブラにホットパンツを穿いていた。タスクは悔しさで顔を上げた。しかし更に増えた露出と髪を結った千紗の艶やかさに重ねて敗北を感じた。


「先生こっちぃ。もう悪戯せんから」


 千紗は洗い場へ移動した。のそのそとタスクは風呂場に移動する。


「ここ座り」


 タスクは言われたとおりに千紗の前に座った。正面には曇り止め加工がしっかりと施された鏡がある。背中に立つ千紗の姿が確認できる。細い手足に引き締まったウェスト。そして胸のふくらみ。ちらちらと視線が向いてしまう。


「先生いつもありがとな」


 千紗はタスクの背中をタオルで擦りながら言った。


「こないだは喧嘩してもうたけどほんまはいっつも感謝してんで」


 タスクは下を向き、背中の心地よい感触を感じながら黙って千紗の言葉に耳を傾けた。


「なかなか改まって言う時あらへんから今言わせてな。先生がうちのこと大事に育ててくれてるんはわかっとるよ。もちろんハーレムも。まだ半年やけど、先生と出会でおうてへんかったら経験できんこといっぱいあったわ。先生と出会えて先生のお仕事に携わることができたんはうちの人生のかけがえのない財産や」


 タスクは湯気で顔が湿っぽくて良かったと思った。顔が濡れていたおかげで見せたくないものを隠すことができた。


 タスクと千紗は体を洗い終わると肩を並べて湯船に浸かった。千紗は相変わらずチューブトップとホットパンツ姿で、視界の奥行きを遮る湯気のせいで一瞬全裸かと見間違う。


「そう言えば先生の誕生日っていつなん? 半年近く一緒におって聞いたことなかったわ」

「十一月三十日」

「良かったぁ、終わってなくて」

「千紗のちょうど一週間前」

「ほんまや。ちゅうか先生うちの誕生日知ってたん?」

「十二月七日だろ? ツイッターのプロフィールで見た。俺はSNSでは濁してるからな」

「へぇ、知っててくれたんや。嬉しいなぁ。あ、同じ射手座や」

「そうだね」


 この後タスクは先に風呂を上がった。部屋にいると浴衣姿の千紗が風呂から出てきた。髪は結ったままでうなじの露出が色気を感じさせる。千紗はタスクの隣の座布団に足を伸ばして座った。脇にはハンド鞄を置いている。その中を漁ると自分の太ももをポンポンと叩いて言った。


「おいで」

「え?」

「耳かき持って来たから耳掃除したる。今日は先生感謝の日やからできる限りのことはすんで」

「そんな祝日あったか?」


 タスクはそう言ってはにかみながらも素直に千紗の太ももに頭を預けた。心地よい感触が耳の中を行き交う。


「うおっ、とれた。こらでかいで」

「最近してなかったからな」

「せなあかんやん」

「これからも千紗がしてくれる?」

「それはプロポーズと捉えてええんか?」

「その返答に困る返しやめろ。どう答えたらいいんだ」

「そらそうや。少なくともうちをアトリエにずっと置いてくれるんやったら執務室でソファーか折り畳みベッド使つこうて膝枕で耳掃除できんで」

「じゃぁずっと俺のパートナー続けて」

「任せぃ。ちゅうかとっくにそのつもりや」


 小気味いい会話に二人は自然と笑った。穏やかで和やかな空気が二人を包んだ。

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