文通~二人を繋ぐ回転灯~

生島いつつ

序曲~翼~

序曲~翼~ 第一話

 名古屋駅のシンボル、タワーズもこれで一旦見納めである。二年前に一度は上京の話が出ていたが、諸事情によりその時は見送った。

 そして今日、僕河野翼こうの・たすくは住み慣れた名古屋を離れ上京する。大学の卒業式を先週終えて、この一週間慌ただしく上京の準備をした。


「東京行ったらみんなによろしく言っといてね」


 新幹線を待つ駅のホームで見送りに来たあおいが言う。ホームには僕が乗る予定の新幹線の到着のアナウンスが響いていた。


「うん。伝えとく」

「来年は私が東京行くからよろしくね」


 まだ寒さが残る三月中旬。葵はコートの襟元を両手で締め白い息を吐いている。


「私就活しないんだからくれぐれも頼むよ。事務所にちゃんと私の席用意しといてよ」

「わかってるって」


 葵は僕の一歳年下でこの春大学四年に進級するのだが、一年後の予定に念を押してくるので僕も念を押して答えた。その時けたたましいアナウンスに合わせてホームに入ってきたのはのぞみだ。


「じゃぁね」

「うん。元気で」


 葵と別れた僕は十四号車の扉を潜ったのだが、先を進んだ僕は足を止めた。

 二人掛けの窓側の席。……のはずだが、先客がいる。その女は肩甲骨ほどまである髪で顔を隠し、窓に頭を預けて眠っている。髪と顔の間からイヤホンコードが伸びていて、コードの先にはiPodとのぞみ指定席のチケットがあり、手に握られていた。

 彼女のチケットには十二のDと座席が書かれてある。降りる駅は僕と同じ品川のようだ。乗車駅は指で隠れていて見えない。通路側の席なのに窓側が空いていたので勝手に座ったのだろう。隠した髪で顔はよく見えないが服装や雰囲気から若そうな印象を受ける。


「ま、いっか」


 僕は喫煙ルームに行くために席を立ちあがることがあるので、通路側の席の方こそ都合がいい。窓側の席から隣の席の乗客を跨いで通路に出るのは気を使う。そう思い手荷物を棚に上げ、僕は十二のDの席へ座ったのだ。


 のぞみが名古屋駅を出てから数十分後。僕は一本目の煙草を吸い終えて席に戻って来ると隣の席の女が起きていることに気付いた。重そうな瞼を少しだけ開けているのだが、最初に思ったよりもかなり若そうだ。少女と言うべきか。


「あの……」


 僕が座席に座ると隣の席の少女が遠慮がちに声を掛けてきた。


「もしかしてここの席の方ですか?」


 イントネーションが標準語ではない。関西の方だろうか。


「はい」

「ごめんなさい。すぐどきます」


 少女が慌てて手荷物をまとめ始めたので僕はそれを手で制した。随分と可愛い顔をしていて美少女という印象を受ける。とまぁ、それは置いておいて、慌てる少女に僕は伝えなくてはならない。


「いいです、そのままで。僕煙草吸うのにちょくちょく席立つんで。こっちの席でいいです」

「ごめんなさい」


 少女は手荷物を元に戻すと申し訳なさそうに軽く会釈をして窓の外を見たのだが、すぐに僕に向き直って問い掛ける。


「あの、今どこ走ってるかわかります?」

「名古屋を出て少し経つから愛知と静岡の県境くらいかな」

「そんなに寝てたんや」


 少女は少し乱れた髪をかき上げるとiPodの操作を始めたので、僕は特に構うことなく座席で大人しく過ごすことにした。


 更にしばらく走ると窓の外に富士山が見えてきたのだが、三月の富士山は頭に雪を被り文化遺産としての趣を感じさせる。一服しようと思い僕が席を立つと隣の席の少女が声を掛けてきた。


「あの……」


 十二列目の二人掛けの席から久しぶりの声だ。彼女が起きてから最初の会話以来無言だったのだ。


「煙草ですか?」

「はい」


 戻ってきた時の煙草の臭いが不快なのだろうか。もしそうなら遠慮をしようかと思い、正直に答えたのだが、次に少女から返ってきた言葉は意外なものだった。


「うちにも一本もらえませんか?」

「え? あ、はい」


 十代にも見えなくはないその少女のおねだりに僕はあたふたしたが、応じてしまった。


 少女は喫煙ルームに付いて来たのだが、三人ほどが入れる新幹線の中の喫煙ルームには僕と少女しかいない。僕はメンソール煙草の箱を取り出すとライターと一緒に煙草を一本少女に差し出した。

 少女は煙草を受け取り火を点けると、煙草を咥えたばかりの僕に火を差し出してくれたのだが、美少女からの火だと思うとそれが少しばかり照れる。僕の煙草に火が点いたことを確認すると少女は僕にライターを返し、そして大きく一息吐いた。


「ふぅ……うまっ。久しぶりや。やっぱり煙草はメンソールやな」

「止めてたの?」

「止めるつもりはなかったんですけど、未成年やから買うのを控えてるんです」

「ふぅん」


 やはり十代か。違法とは言え未成年でも煙草を吸う少年少女はたくさんいる。僕も吸い始めは十代の頃だった。この少女は律儀にもコンプライアンスを順守しているのだろうか。


「お兄さん名古屋からですか?」

「うん。君は?」

「……新大阪です。これから東京で暮らすんです」


 少女は煙を吐くと僕の質問に答えてくれて、僕と同じこの春の上京組のようだと思うと、少し仲間意識が持てた。ふと窓を向くと外の富士山が先ほどよりも大きくなり存在感を増していて貫禄を感じる。


 この後品川駅に着くまで僕と少女は多少の会話をした。と言っても無言の時間の方が長かったのだが。そして僕達は品川駅のホームで別れたのだ。とても可愛らしくて人懐っこい少女だという印象だった。


 僕は品川駅から電車を乗り継ぎ、新居のある備糸市びいとしに到着した。都心からアクセスが良く、電車で三十分ほどの距離は喜ばしいと思う。

 新居へは駅を出ると歩いて十分ほどで着いた。その時、新居のマンションの前には引越社のトラックが二台停まっていて、一台は見覚えがある。僕の実家から出たトラックだ。もう一台は他に今日このマンションに引っ越してくる人のトラックだろうか。

 引越社の社員が僕の姿に気づくとトラックから降りたので、僕はマンションに案内して、四階にある自分の部屋を開けると、荷物の搬入が始まった。


 日が西に向いた十五時半頃。実家から運び込んだ僕の荷物は少ない。六畳1Kの部屋への荷物の搬入は半分以上進んでいた。家電などは先月一度来た時に量販店で揃えていて、明日届く予定だ。

 すると僕の部屋に作業着を着た引越社の社員が訪ねてきた。その社員は荷物を運んでいる引越社とは違う作業着で、片手に携帯電話を持っている。


「あの、すんません」

「何でしょう?」


 この業者の言葉は関西のイントネーション。新幹線でも聞いたな。どうやら今日は縁があるらしい。


「隣の部屋の引越業者なんですが、こっちのお客さん今道に迷うてるみたいで。昼過ぎには品川駅に着いたらしいんですが、そっからの電車がわからん言うてますねん。うちらはトラックで来てるさかい、電車の説明ができひんのです。もし良かったら電話代わるんで説明してもらえませんか?」

「はい、僕で良ければ」

「お願いします」


 僕は承諾したものの実は人見知りで、耳に当てた引っ越し業者の携帯電話に緊張が流れていくようだ。


「もしもし、電話代わりました。今どこにいますか?」

『わかりません』


 電話の声の主は女で今にも泣きそうだ。業者と同様やはり関西のイントネーションである。


「電車は降りたんですか? 駅は出たんですか?」

『電車は降りたけど駅は出てません』


 ならどこの駅にいるかくらい答えられるだろうに。よほど混乱しているのだろうか。電話越しにその様子が切実と伝わってくる。


「なんていう駅にいますか? 看板出てますよね?」

「西備糸駅にいます」


 即答だ。自分がいる場所をわかっているじゃないか。


「品川から向かったのならそれは行き過ぎですね。東備糸駅まで戻って下さい。それから南口を出てまっすぐ歩いて、三丁目の交差点を右です。駅から出て十分ほどでマンションに着きますから」

『ありがとうございます』


 僕は電話を切り引越業者に返すと、引越し業者は「おおきに」と申し訳なさそうに頭を下げた。


 それからしばらくして僕の部屋の荷物の搬入が終わったところで、僕は日用品の買い出しに行こうとマンションを後にした。


 日用品の買い出しを終え、途中ラーメン屋で夕食を取り、マンションに戻った時にはすでに日が暮れていて、引越社のトラックはもうない。隣人は無事引っ越しを終えたのだろうか。そんな下世話なことを考えながら部屋に戻ってきて、僕は買い物袋から缶ビールを取り出しプルタブを開けると一口のどに通した。あまり冷えていなくて不味い。冷蔵庫は明日届くのでこればかりは仕方がない。


 するとインターフォンが鳴った。解かれていない荷物が邪魔でモニターフォンまで辿り着けない。僕は玄関まで行きドアを開けたのだが、そこには一人の女が立っていた。共用廊下の蛍光灯が逆光になって顔がよく見えない。


「こんばんは。隣に引っ越してきた小林です。昼間はご迷惑掛けました。すごく助かりました。ありがとうございます。これご挨拶に」


 隣人の小林と名乗る女はそう挨拶をすると菓子折りを差し出したので、僕はそれを受け取ると再び顔を上げた。


「あ……」


 僕は驚いて小さく声を上げたのだが、そのわけは、今度ははっきりと彼女の顔が確認できたからだ。


「あ、新幹線の」


 彼女も僕に気づき声を出したのだが、お互いに驚いて目を丸くしている。そう、目の前に立っていたのは新幹線で隣の席だった少女だった。


「またお隣さんですね」


 彼女はまだ幼さの残る可愛らしい笑顔で言うが、こんな偶然があるものなのかと驚く自分がいる。それこそ出来過ぎだと思う。


「お兄さん同じマンションなら品川から一緒に来れば迷わんかったやん」


 彼女は悔しそうに言うのだが、確かにそうかもしれない。


「ちょっと待って」


 僕は思い出して彼女を引き留めた。一度部屋に戻って自分が用意した菓子折りを彼女に差し出したのだ。


「ご挨拶に」

「おおきに。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 再び一人になった僕は部屋に戻るとビールを脇に置き、荷解きを始めた。まず最初に開けた箱、その中には透明のビニール袋に入れた数十通の手紙が入っている。僕はその手紙の束を取り出すと箪笥の上段の引き出しに入れた。手紙の宛名「河野翼様」という字を見て気づく。


――そう言えばお隣さんに名乗るの忘れてたな――

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