第27話 うわさ『カオナシ』

「ねぇ、あのうわさ聞いた?」


 私の名前は江里菜、県内有数の進学校の二年生だ。


 そして私に興奮気味に話しかけてきたのは知佳。知佳は怖いもの好きな同級生だ。


 ただ少し変わっているのは実話というか実体験を本人から聞くことを信条としている体験派だった。体験派ということは聞いた話を現場に行って確認しないと気が済まない、というとても迷惑な友人だった。


「聞いてない」


「もう、江里菜はいつもそう言う」


「だって知佳と違って私は怖い話が苦手なんだもの」


「誰が怖い話って言った?」


「えっ、違うの?」


「違わないけど」


「やっぱり。何の話かは知らないけど聞いてないし聞く気もないわ」


 私は本当に怖い話が苦手だ。苦手なのには理由があるのだが、その話は知佳にはしていない。好奇心で私の過去をあれこれ詮索されては堪らないからだ。


「冷たいわね。でもそう言いながらもいつも付いてきてくれるのが江里菜なんだよねぇ」


 そうなのだ、知佳一人で危ない場所に行かせるわけにもいかない、ということでいつも一緒に行かざるを得なくなってしまうのだ。


「今回は行かない」


「えっ、なんで?」


「嫌な予感がするのよ」


「江里菜の感は当たるからなぁ、となると」


「行くのを止める?」


「絶対に行く」


 そうなのだ。江里菜が悪い予感がすると言った時は本当に怖いことが起きる確率が高いのだ。そんな好機を知佳が逃す筈がなかった。


「明日の土曜日は暇だよね」


「バイトは無いけど」


「うん、知ってる。今日はうちに泊まりなよ」


「嫌よ、一晩中怖い話をして寝かせないんだから」


 いつも知佳の家に泊まる時はホラー映画観賞会になるか知佳の仕入れた怪談を聞かされるのが常だったのだ。結局断り切れずに江里菜は知佳の家に泊まることになってしまう。いつものことだった。


「それでね」


 この夜は知佳が仕入れた噂話の披露と、その真偽の検証のために明日出かける計画を練るのだ。


「早速?」


「夕食も食べたしお風呂にも入ったんだから、それしかないでしょ」


「もういいわ、好きにして」


 江里菜は諦めることにした。いくら言っても知佳は聞かないからだ。これさえなければ親友として申し分ないんだが。


「それでね」


 改めて知佳が話を始める。話はだいたいこんな感じだった。


 江里菜たちの住む街から電車とバスで1時間ほど離れたところに過疎化が始まっている村がある。村は市町村合併の時にどこにも相手にされなかったらしく今でも村だった。そこに『カオナシ』という妖怪が実在する、というのだ。


「カオナシ?何処かのアニメの出てた奴じゃないの?」


「違うわ。妖怪は妖怪なんだけど顔がない、ってことは顔が欲しい、ってことなのよ」


 カオナシは夕方の4時くらいに若い女性に後ろから声を掛けてきて『あなたの顔をちょうだい』と言うらしい。


 もちろん誰もが断るのだが、嫌だと言うとそのまま殺されてしまうらしい。遺体をずるずると引き摺って行くのだと言う。その引き摺られた跡が毎回くっきりと残っているらしいのだ。


 嘘か本当かは判らないが、その村の若い女性はみんな『カオナシ』に殺されてしまったので急激に過疎化が進行していると言うのだ。


「そんな。村中の若い女性がその『カオナシ』に殺されてしまったと言うの?」


「公式にはそんな話は何処にも出てないらしいんだけどね。でも若い女性がみんな居なくなってしまった、というのは本当みたいなの」


 実際はただ若い女性は山深い村を離れて街に出ただけなのだろう。そんなに大量に若い女性が殺されているのならニュースにならない筈がない。


 ただ、その村は駅からバスで30分以上掛かる山奥にあったので他の街との交流があまり多くなかったので村の情報は確かに表に出ることが少なかった。


「それでもし『いいよ』って言ったらどうなるの?」


 江里菜の素直な疑問だったが知佳には想定外の質問だった。


「えっ。そう言えば確かに『いいよ』って言った人の話は出てこないわね。どうなるんだろ?」


「そりゃ『カオナシ』に顔を取られるんじゃないの?」


「確かにそうなるわね」


 知佳の目が輝く。


「まさか」


「ええ、もし『カオナシ』に会えたら『いいよ』って言ってみるわ」


 これが知佳だとは判っていたが、そんな危ないことをさせる訳には行かない。


「絶対だめよ。そもそも行っても会える保証もないんだし、明日はどこか買い物にでも行きましょう」


 そんなことに素直に合意する知佳ではないことも十分判っているのだが江里菜には悪い予感しかしていなかったのだ。


「嫌よ、絶対に明日行くから。江里菜が来ないなら一人で行く。買い物に行くなら朝から行けばいいし、向こうに三時には着くように行くから」


 そう言うと知佳は先に寝てしまった。気が付くともう日付が変わっていたのだ。


 次の日、結局一人でも行くという知佳を本当に一人で行かせるわけにもいかないので江里菜も付いていった。いつもこれの繰り返しだ。ただ本当に今回は悪い予感が止まらなかった。


「さあ、着いたわ。なんだか寂れた村ね」


 バスに最後まで乗っていたのは終点の村に行く二人だけになっていた。途中でみんな降りてしまったのだ。着いた時は三時半を回っていた。


「帰りのバスは五時で終わりなんだから、それまでにバス停に戻らないと歩いて帰ることになるわよ」


「判ってるって。でも1時間ちょっとしか時間が無いと会えない確率が高いわね。ここには宿泊施設はないのかしら」


「過疎の村なんだから有る訳ないじゃない。あっても泊まらないわよ。それに観光資源があったら過疎化なんてしないでしょ」


 江里菜は怖い気持ちを紛らわせるために常識的な話を淡々と話すようにしていた。出来るだけ『カオナシ』の話をしたくなかったのだ。


 バス停から舗装されていない村の道を適当に歩き出す。なんとかそれだけで戻れるといいのだが、と江里菜は願っていた。


 村の雰囲気の暗さもあり冬の曇り空の所為もあって、辺りはもう薄暗くなりはじめていた。街灯が少ないのも理由なのだろうが、そもそもあっても点灯しないのではないか。


「出ないわねぇ」


 知佳は能天気に先を歩いている。『カオナシ』は後ろから声を掛けて来るので、もし居たとしても声を掛けられるのは江里菜の方だ。


「居る訳ないじゃない」


「でも本当に若い女性は全然居ないみたい。それってちょっとは可能性あると思わない?もっとも村に来てから誰とも会わないけど」


「思わない。でも本当に誰とも会わないね」


「江里菜はいつもそう言うんだから。いくら過疎化が進んだ村だとしても、人っ子一人居ないって言うのは、ちょっと変じゃない?」


「もしかして本当に『カオナシ』が出る時間帯だから誰も外を歩いてないのかしら」


 その可能性はある。江里菜は異様な雰囲気を感じていた。二人の周りだけ周囲から隔絶されたかのようだ。その時だった。


「お嬢さんたち、こんな村に何の用だい?」


 後ろから声を掛けられて二人が驚いたのは言うまでもない。後ろに人の気配が無かったからだ。二人が振り返ると70歳くらいのお婆さんか立っていた。


「あ、お婆さん、実は私たち『カオナシ』のことを調べていて今日は実際にこの村に来てみたんです」


 知佳が正直に全て話してしまった。村の人が気を悪くするに決まっているのに。


「なんと『カオナシ』のことを調べておるとな。悪いことは言わん、直ぐに引き返すこった。後悔することになるぞ、なあ」


「えっ、それじゃあ『カオナシ』は本当に居るんですか?」


「何じゃ、信じてここに来たんじゃないのか。それじゃ尚更じゃ、直ぐに帰りなさい。本当に『カオナシ』に出会ってしまう前にな」


 それだけ告げるとお婆さんは二人を追い越して行った。


 知佳の顔に満面の笑みが浮かぶ。『カオナシ』は実在するのだ。時刻はそろそろ四時になろうとしていた。


「本当に居たじゃない『カオナシ』。でもさ」


「ん?なに?」


「さっきのお婆さんも変なこと言ってなかった?」


「変なこと?」


「後悔することになるぞ、なあ、って」


「後悔することになるって意味だよね、別に変なことじゃないんじゃない?」


「いや、そうじゃなくて、最後の『なあ』っていうとこ」


 知佳が言いたいことが江里菜にはよく判らなかった。


「その『なあ』が変なこと?」


「そう。あのお婆さん、江里菜のことを見て『なあ』って言った気がした」


「私に向かって?そうかも知れないけど、それが変なことなの?」


「あの『なあ』はお婆さんと江里菜が知り合いって感じがしたんだけど」


「そんな訳ないじゃないの」


「だよね。でも、だったらあの『なあ』は何だったんだろう。やっばりあの流れで『なあ』は変だよ」


(ああ、やっぱり今回は最悪の事態になっちゃった)


 江里菜の感は当たるのだ。


「知佳」


「ん、何?」


「ちょっとあっち向いてくれない?」


「何で?まあ、別にいいけど」


 知佳が江里菜に背を向けた。


「向いたけど、これでいいの?ねえ、江里菜、どうすればいいのよ」


「あなたの顔をちょうだい」


「何言ってんのよ、江里菜。それは『カオナシ』のセリフでしょ?」


「だから言っているのよ、応えて。あなたの顔をちょうだい」


 知佳は振り向けなかった。そこには自分の親友である江里菜が居ない気がしたからだ。そして決心する。


「いいよ」


 その声は震えていたが確かに聞こえた。


「なんだ、本当にちゃんと言えるのね」


 知佳の意識が徐々に遠のいて行く。


「なんだい、今度はその顔かい?」


 さっきのお婆さんが戻ってきていた。


「そんなつもりは無かったんだけれど。好奇心って本当に猫を殺すのね」


「よく言うよ、殺したのは好奇心じゃなくてお前じゃないか」


「今回は本当にそんなつもりじゃなかったんだって。さっきまでの顔の方が気に入ってたんだけどなぁ、怖がりな性格も含めて」


「顔と一緒に性格も変わってしまうのが玉に瑕だ。まあいい、次に戻ってくるときは前もって知らせてからにするんだよ」


「判っているわ、お母さん」


「やめな、そんな若い娘を持った覚えはないよ」


 そういうとお婆さんは倒れている身体を引き摺って行ってしまった。俯せになっているので顔が確認できないが砂利道でずるずると引き摺るのだ、損傷が酷いのは仕方ない。結局どっちにしても引き摺られるのだ。


「さて、最終バスまで時間がない、帰ろ」


 そう言うとは一人でバス停へと向かうのだった。

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