A Small Decision - 3
防壁の上に立てば、風が吹き荒れた。
見下ろせば、幾人もの魔導士が倒れ、残された数人が辛うじて、「魔物」の進行を食い止めている。
破られるのは時間の問題だろう。
「魔物」と魔導士たちとの力の差は、歴然としていた。
そんな事実よりもユリとエベルの二人を驚かせたのは、攻撃によって起こる砂埃の合間に見えた、白く長い髪だった。
「待て待て待てっ。魔物じゃねぇのかよっ。こら、アロイス、説明しろっ」
「エベル。あれは確かに『魔物』です。どれだけ人と似たような姿をしていようと、あれは人ではない」
「ほう。ユリ君。君が言い切る、その理由を聞かせてもらおうか」
戸惑いを隠せないユリと、白い髪の「魔物」の姿を、エベルは交互に見やる。
ユリもしばらく「魔物」をじっと見つめていたが、やがて静かな口調で話し始めた。
「魔法の気配が……薄すぎるんですよ。さっきまで僕は、魔導士側が不利だということを疑っていました。なぜなら、魔導士側が使っている魔法の量は半端ではないし、それぞれが強い。だけれども『魔物』が行使している魔法の力はほとんど感じられない。エベル。これだけの魔法を一人で行使していたのなら、もっと……『歪み』とでもいいましょうか、があっておかしくないんですよ。だから少なくともあれは……人ではない」
魔法を行使することは、自然を歪めること。自然を歪めようとする魔法と、同じ状態を保とうとする自然は、どうしても対立する。
自分の意思力を以って、自然の状態を意のままに操ることが魔法なのだ。
だから――魔法は強力になればなるほど、他の魔法使いにその行使を察知されやすくなる。
アロイスが否定してくれないものかと、縋るようにユリは彼を見るが、彼は重々しく頷いただけだった。
――それは、明らかな肯定で。
「君が魔法を使うのを拒むというのなら、せめて魔法学者とかはどうかね。君のその才能、このまま埋めておくのはもったいなさすぎる」
こんなところに来て、まだユリを勧誘しようとするアロイスに、彼は顔をしかめた。にやりと口元だけを歪めるアロイスが実際に何を考えているかなど、ユリには思い描くことすらできない。
「アロイス。ユリを勧誘するのは後にしろよ。結局、アレは何なんだ」
「エベル君。君は、君の幼なじみの言うことが信じられないのかね?」
指摘されて、エベルはぐっと言葉につまる。
ユリの言うことは正しいのだろう。それは彼にも分かっている。だがエベルは、言った本人であるユリ同様に、正しくないであろう可能性を信じていたかった。
「あれは彼が言う通り、魔物だ。いや、我々が魔物と呼んでいるものだ。見ての通り、元は人間さ。魔法の行使に失敗した者の、なれの果て……」
「分かった、分かったから最後まで言うなっ」
不機嫌そうにエベルはアロイスを睨みつつ、唇を噛み締める。まだ魔法の構築も始めていないというのに、彼の手はかいた汗でじっとりと濡れていた。
「……それで、どうすんだよ、アレ。殺すのか?」
「あぁ」
魔導士の簡潔な言葉を受けて、エベルは視線をユリに向ける。
ユリは無表情で、頷いた。
「仕方ありません。僕らも、まだ生きていたい。それに、守りたいモノがたくさんあります。『魔物』が何を思って街を襲うのか、僕は知りませんが――ここは、通せません」
「……そう、だな」
エベルはすっと目を細め、「魔物」の姿をその目に焼き付けるかのように見つめた。
まだ幼さの残る、少女にすぎないその姿。
自分にアレはヒトじゃない、と言い聞かせながら、彼は魔法の構築を始める。
「ユリ、援護を頼む」
「あの防御を崩せばいいですか?」
「そんなこと、できるのか?」
「え、できないものなんですか?」
問いに問いで返し、ユリは首を傾げる。
「できないもんって……だってあの防御、なんでもかんでも溶かしてるぜ?」
「そうですけど……え?」
何を言われているのかよく分からずに、ユリは困惑した表情でアロイスを見る。だがアロイスは――助けを求められていることも、なぜ助けが必要なのかも分かっているだろうに――やりなさい、と二人を促すばかりだった。
「……? いいですか、エベル。そちらの準備は」
「あぁ、いいぞ」
考えるのは後にしよう、とユリは魔法に集中する。
「水 組成変換 解除 毒式」
「風 形式固定 真空刃」
やってください、とユリが弱々しくも微笑みかける。
「風 高速移動 真空刃」
空中に浮かぶ見えない刃は、エベルの呪文と共に滑り出す。
先ほどまでどんな攻撃も受け付けなかった「魔物」の防御壁をいとも簡単に通り抜け――
「……ごめん、な」
――助けてやれなくて。
エベルが小さく呟くと同時に、白い髪が紅に染まった。
「おや、今日は一人なのかね。珍しい」
「……えぇ」
振り返らずに、ユリは自嘲気味に笑った。
「エベルは、この間のことを気に病んで……熱なんて出していますよ。似合わない」
「あれは君たちが気に病むような話ではないだろう。アレを殺れ、と言ったのは私だ。君たちは私の指示に従っただけ。……それで、ユリ君。勧誘しておいた話は考えてくれたのかな? 私は、かなり本気だったんだが」
「指示されたから仕方がないだなんて、そんなこと……言えるほどに僕らは大人じゃないです。勧誘の話も、僕なりに考えてみましたけど……」
ふふ、と笑って、ユリはアロイスと向き直った。視線はまだ定まらず、宙を彷徨っている。
――まだ、彼の中で完全な答は出ていないらしかった。
「僕は……傷つけなくない。人であれ、魔物であれ……血を見るのは、ご免です。ですが僕は、誰にも傷ついてほしくない。笑いたければ笑ってください。――でもこれが、僕の本心なんですから。だから……」
言葉を探すように、ユリは一度口を閉ざし、また開いた。
「……だから、僕は誰も傷つかない道を探したいと思います。いつか誰もが、『魔法』を使えるようになればいい。失敗を恐れずに、『魔法』を行使できるような、そんな、道――」
「やってみればいい。街の防御の方に、君みたいな優秀な人材が来ないのは残念だがね」
アロイスは軽い口調で告げる。
「未来は、君たちのためにあるのだから。君たちが欲しい未来に向かう道を、君たちが選べばいい」
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