The Old Magic

夢裏徨

A Small Decision - 1

 最初から戦況が不利であったことは分かっていた。

 だが、逃げきれるだけの力も残っていなくて。

(……いや、方法は一つだけ、残ってる)

 普段は決して使うことのない、大魔法。広範囲に影響を及ぼすその魔法は、非常に難易度が高い。

 だから、失敗すれば命はない。

 けれど、使わなければ死は確実。

 ならば――小さくても成功する確率に、賭けようではないか。

 だるい体をどうにかして動かして、地面にうずくまっていた少女は、ふらりと立ち上がる。

 数分前に張った結界は、まだ確かにそこにある。

 だが、数多の攻撃を受けて既にぼろぼろだ。すぐに、その役目を果たさなくなるだろう。

 少女の目には何も映らず、少女の耳には何も響かない。

 彼女はただ、空気中に張り巡らした意識だけで、迫りくるモノを感知していた。――重く湿気た空気は、どんな時でも少女の味方だ。

「水 組成変換 毒式」

 魔法を発動させた途端、少女の視界がぐらりと揺れる。

 少女は、唇の端を釣り上げて笑う。自分が嗤っていることさえも、彼女には分からない。

 自分の声すらも聞こえなかった彼女は、それで自分が正しく魔法を発動させたことを知ったのだ。

 魔法を制御しようと集中すればするほど、意識が霞んでいく。

 それはまるで、他人の意識が自らの中に押し入ってくるようで。

 ――自分の中に二つの意識が存在するような、自分の意識すらも他人から干渉されるような、そんな気持ち悪さにさえ、彼女は気がつかない。

 少女が感じていたことはただ一つ。このままでは魔法を、術者である彼女自身が制御しきれない、ということ。

 一度動いてしまったものを止めることが難しいように、発動してしまった術を止めることもまた、難しい。

 だが、このまま意識を手放して、術を、そして「身体」を、暴走させるわけにもいかない。

 少女は失敗した。

 この大自然の力の前に屈した。

 ――だから。

「水 組成変換 毒式」

 小さく呟きなおし、魔法の構成を少しだけ変える。

 最初、魔法は少女が張った結界の外へと向けられていた。それを、結界の内へと誘い込む。

 霞んだ視界が、一層白濁した。

 少女に平衡感覚はもはや残っておらず、自分が立っているのか倒れているのか、それすらも分からない。

 魔法によって毒へと変えられた水は、吸い込む少女の身体を蝕んでいく。

 息が詰まり、呼吸もできない。

 だが、咳き込むだけの体力も、少女には残されていなかった。

(これでいい。これで……――)


 暫くしてその場に静寂が訪れると、遠くにいるヒトの声を、「少女」は捉えた。

 気だるそうに身を起こすと、彼女は長い髪を邪魔そうに掻き上げる。手に絡んだ髪が数本、まとまって抜けた。それは先ほどの毒のせいでもあるだろう――元々色素の薄かった少女の髪は、今や真っ白になっていた。

 すべて、少女が気にした様子はない。

 立ち上がった彼女は傷口から滴り落ちる血を拭い去ることもせず、聞こえてくるヒトの声だけを頼りに歩き出す。

 殺せ。自然と相対する者を。

 殺せ。自然に牙をむく者を。

 殺せ。魔法を行使する者を。

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