アイ・ガット・リズム

第一話


 翌日の放課後、新フェスの件をカノンに報告するためいつも籠っている防音室に向かう。昼休みの間に考えた口説き文句は、我ながら会心の出来である。お涙頂戴の口説き文句にあの強情なカノンだって落ちるに違いない。

 防音室にしては薄い扉をノックしてからドアノブをひねる。


「失礼します」


 上半身を90度にまげて礼をする。これからプロの奏者にお願いをするのだ。礼は尽くさなければなるまい。


「うん。わかってる。ねえ、迷惑じゃなかったら私もパパと一緒に行っても良い?」


 頭を下げたままでちらりと様子を伺うと、カノンはこちらにまったく気付かず、背を向けて通話を続けている。


「ありがとう。わがままに付き合ってくれて」


 こんなに大人しく微笑んでいるカノンは見たことがない。思わず本人か疑ってしまう。


「無理なんてしてないよ。ママに色々報告したいの。それにパパにもこっちであったこと話したいし。うん。大丈夫。最近は楽しいから」


 ここは仕切り直しということでそっと外に出ることにしよう。その方がカノンの為にもなる。

 普段はつんけんしているが、父親の前ではこんなにも甘えているなんて誰にも知られたくないだろうし。

 相手の予期せぬ甘えぶりに一時撤退を決めたその時だった。偶然にも、こちらを振り向いたカノンとばっちり視線が合ってしまう。間が悪いとはこのことを言うのだな。

 カノンは耳に当てていたスマホをゆっくりと下げると、みるみる顔を赤く染めて、金魚のように口をパクパクとさせる。


「い、いつから。そこに」

「数秒くらい前……かな。大丈夫。父親に甘えるのは恥ずかしい事じゃっ! おい、スマホ投げるのはなしだろう」


 たまたまキャッチ出来たから良かったものの、壊れたらお父さんと電話できなくなるぞ。


「別に甘えてたわけじゃないわよ! ああやって言うとパパが喜ぶから言っただけだし!」


 それを聞いていたら父親はさぞ傷つくことだろうな。


『え!? カノンあれは嘘なのか?』


 キャッチしたスマホから驚愕の声が、おいおい通話中じゃねえか!


『それより、いま男の声が聞こえたけど誰だ? 校長に連絡して退学処分に』


 切った。怖いので電源もオフにする。お互いに冷静になる時間が必要だ。


「どうして切るのよ!」

「あの状況で切るなと言う方が無理だろ」


 半分泣き顔のカノンにスマホを返す。反撃されるかと思ったが、そんな気力もない様子で頭を抱えて蹲ってしまう。


「なんで勝手に入ってきてるの」

「ノックはしたし」

「返事してないし」

「それは、確かに……でもここは三軽の防音室だし、俺が入っても問題はない」

「だから何? 今は私が使ってるんだから入ってこないで」


 折りたたまれた譜面台で突かれる。

 さっきまでの甘えん坊さんはどこに行ったんだか。お父さん。お宅の娘さんはこんなに性格悪いんですよ。


「カノンに昨日のことで報告があって来たんだ」


 そういうと、俺に乱れ突きを繰り出していたカノンの手が止まった。


「なに? どうせ廃部なんでしょ。私はヒロみたいに暇じゃないの。さっさと帰って」

「俺だって暇じゃない。何故なら、これに出るからな」


 新フェスの参加許可書を紋所のように見せつけてやる。ひれ伏すが良い。これのおかげで三軽は首の皮一枚つながったのだから。


「新フェスで賞を取れば廃部にはしないってことだから」

「そう。それだけ?」

「それだけって、カノンも一緒に」

「でない」


 カノンの頑な気持ちが伝わってくる。怒るでもなく、動揺するでもなく、凍えるほどに冷たい拒否。


「なんで?」

「出たくないから、出ないの」


 理由になってない。カノンにしては珍しく逃げている。


「他の人さがして。私が出ても意味なし」

「俺はカノンと出たいんだ。音楽が嫌いなわけじゃないんだろう」

「……理由がない」


 透き通る琥珀色の瞳をこちら向けて、涙を零すように口から言葉を漏らす。


「辞める理由がないから続けてるだけ」


 思わぬ切り返しに言葉を詰まらせる。

 そんなふうに思っていたら、本当に音楽が嫌いになってしまう。

 俺がそうだった。水泳を辞める理由を見つようとして、見つからなくて、妥協で続けて、ついに水泳を嫌いになった。そんな思いをカノンに味わってほしくない。


「私にかまわないで」


 防音室から出て行こうとするカノンの腕を掴む。


「辞める理由よりも、やりたい理由を見つけるべきなんじゃないか?」


 折れてしまうほどに細い腕に僅かに力が入る。


「ヒロのは自分が出来なかったことを他人に押し付けてるだけじゃない」


 心臓に杭を打ちつけられたように全身の力が抜けていく。

 カノンは掴んだ腕を振りほどいて、防音室から出て行った。

 こちらを見透かしたような琥珀色の瞳が脳裏から離れようとしない。後を追うこともできず、ただ茫然とその場に佇んでしまう。

 この日を境にカノンは防音室はおろか、学校にすら来なくなった。



 殺伐とした男臭い部屋に艶やかで優雅なトランペットの音が響く。これで何度目の再生になるだろう。カノンの事を知りたくて、衝動買いしたCDを飽きもせずに何度も何度も聞いている。それだけでは飽き足らず、偉大なトランぺッターの自叙伝にまで手を出し、即日読破してしまった。


 防音室でのやり取りがあってから一週間が経過している。ただでさえ本番までの期間が短いというのに、あまりの進展のなさに焦りを覚える。

 ベッドに横たわりCDジャケットを眺める。

 こちらを虚ろな目をして微笑みかける女の子。


『幼少の頃よりトランペットをはじめ、十五歳でデビュー。多彩な演奏で聴く者を魅了し、ある時はジャズの帝王を想起させ、ある時はポップで親密に、ある時はロックで力強く、ある時はクラシックで優雅に、彗星の如く音楽シーンに現れた天使の天才トランぺッター』


 そういう風に銘打たれて近所のCDショップではコーナーが設けられていた。

 天才トランぺッターの女の子。そんな子がどうしてうちの学校にいて、部活なんてしているか。


 オフィシャルサイトには謝辞と共に、学業専念の為に活動休止を告げる文が掲載されていた。


 だったら学校に来てちゃんと授業受けろと思う。


 他のサイトも見たが、100年に一人の逸材と称賛する記事もあれば、人のまねばかりして面白みがないだの、実はトランペットが吹けないだの、カノンを好き勝手書いた記事もあった。こんなところでカノンを調べても意味がないことくらいわかっていたが、収穫のなさに辟易する。


 もう一度CDジャケットの中のカノンを見つめると、色んな感情と一緒に溜息がもれた。


 本当のカノンがどこにも見当たらない。追いかければ追いかけるほど遠くに感じ、近づきつつあったカノンの背中が煙に巻かれて消えてしまう。


 まさかこのまま消えてしまうなんてことないよな。


 スピーカーで流していたCDをヘッドホンに切り替える。

 カノンの本音を探すべく音の世界に身をゆだねてみるが、入ってくるのは感情の見えない音ばかり。

 ふとそこである事に気付く。


 どうして俺はカノンを追いかけているのか……

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