第三話
一度も止まることなく駅前にある楽器店に飛び込むように入店する。
「いらっしゃ、おう。鈴葉の彼氏」
「店長! 俺にギターを売ってくれ!」
無精ひげを生やしてけだるそうに煙草を吹かす店長に頭突きする勢いで迫る。
「おいおい。彼氏じゃないです。のツッコミは?」
「そんな事はどうでも良いから! 早くギターを」
「早くって、その腕じゃ弾けねーだろ」
店長はバンドで固定された俺の腕を痛々しそうに見る。走った衝撃で多少痛んでもおかしくはなかったが、今の俺にそんな事は気にならない。
「店長。音楽って楽しくないと駄目ですよね」
「ん? まあ、そうだな。それがどうした?」
「辛そうに拷問でも受けてるみたいにトランペットを吹く奴がいるんだ。普段は口が悪くて、強がりで、だけど優しいところもあって常に自分を貫いてる。だぶん俺なんかにはわからない事情があるのかもしれない。あいつの音、本当にすごいし、魅了されるてるような感覚になる。だけど、あれじゃ台無しだ」
いったん呼吸を置いて、遠い過去の光景を思い出す。この世には楽しい事しか存在しないと本気で思っているよな人。
「どんなことがあっても音を嫌々響かせていい理由なんてあるわけがない」
澱を吐き出すように思ったことをぶちまける。
俺の声に共鳴するように店内のギターの弦が揺れた。
こんなこと本人に言わなきゃ意味ないことはわかってる。だけど楽器を弾いたことがない奴がそれを言っても響くわけがない。
だから俺は決めたんだ。一緒のステージに立ってカノンの隣で音楽を楽しもうと。最高の音楽を奏でて。カノンに音楽がどんなものか教えてやろうと。
探していた変わるきっかけ。それが今、目の前にある。これを逃すわけにはいかない。
「女か?」
いつもは死んだ魚のような目の店長が、不敵な笑みを浮かべながら鋭い眼光で俺の目を見る。
「一応、女ですけど……今は関係なくて」
「それ以上は良い。わかってる……そうか。女か」
勘違いされていないか気になるが、口を挿めないまま、目を閉じて熟考する店長の返事を待つ。
「持って行け!」
「はい! え? 持って行け?」
「ああ、持って行け。ここに掛かってる中から好きなのを選びな」
腕を組んで客のいない楽器屋で男前に言ってのける。
お店の経営状況を気にしながらも壁一面に掛けられたエレキギターを見回す。
鈴葉はフルアコースティックっていう、ボディが大きいひょうたんみたいなやつを使っている。俺もそれにしようとしたが、タダで貰うには少々値が張った。
「ヒロ良い事を教えてやる」
「なんですか?」
なかなか選べずに悩んでいる俺に、店長が声を掛ける。
「考えるな。感じろ」
決まった。的な顔をして何言ってんだろう、この人。
でも、鈴葉からある程度の知識を得ているとは言っても、素人の俺が考えたところで意味なんてないし、店長の言うとおりなのだろう。
目を閉じて冷静になる。
ふと店の隅から視線を感じた。
一本のギターが俺を呼んでいる。
「店長これで!」
「ク、クルーズのアンクル・ファット……」
男らしく決めていた店長が声を裏返して慌てる。
弦を押さえるネックと呼ばれる部分に、他のギターで見られる横線が引かれていない。すらっと伸びたネックが見とれてしまうほどに美しい。
それにボディの片方に小文字のfのような穴が開いているのも気に入った。
さらに言えば弦の数が鈴葉のよりも2本少なく、初心者の俺に向いている。はず。
「やっぱり駄目ですよね。見たところ値札ついてないですし」
「いやそうじゃなくて……」
あごをさすりながら店長は悩むでもなく、困るでもなく、妙な含み笑いを浮かべる。
「よし! 良いぞ」
「良いんですか!?」
「趣味で入荷したのは良いけど買い手がつかなくて困ってたからさ。こいつだってここにいるより誰かに弾かれたいだろうさ」
「あ、ありがとうございます!」
「ちょっと待ってな。用意してやる」
女性を抱え上げるような丁寧な手つきでギターを店の奥の方へ持っていく。
今更ながら本当にタダで良いのだろうか。
「お待たせ。とりあえず、弾くのは怪我が治ってからだな」
「そうですね」
鈴葉がいつも入れているようなケースより高さがあるケースを受け取る。ずっしりとした重さが伝わってきた。
「途中で投げ出すなんてことするなよ」
「こいつの為にもそんなことは絶対にしません」
それにあいつの為にも。
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