9.化け狸の血脈
大気が震える程の怒号にその場に居た誰もがピタリと固まってしまった。
固まってしまったとは言っても、ミコトたちは単に驚いて一瞬、その場に固まったという程度のものであったのだが、化け狸たちは文字通り凍りついたかのように、全身を硬直させ、微動だにしなかった。強硬派を率いていた素甘も、伊予の傍らにいた善哉やキンツバも……関八州八百八狸に属する狸という狸全てがである。
声の主は境内の入り口——丁度、石階段を上がり切ったところに立っていた。
「「瑞木⁉︎」」
ミコトと八雲は揃って頓狂な声をあげた。
いつもおっとりしていて、一年の殆どが笑顔なのではないかという穏やかな瑞木が険しい顔をして立っていたのだ。
その瑞木の姿がどこか本来の彼女と違う事に違和感を抱き、やがてミコトはハッと息を飲む。
「瑞木……それ……」
ミコトは震える手で瑞木の下半身を指差す。
瑞木のお尻の辺りからは大きくフサフサとした尻尾が生えていた。
それは以前、ミコトも見た事がある伊予のお尻から生えていた尻尾と同じもの。
「ミコトちゃん……八雲くん……。黙ってて堪忍な……。ウチも本当は純粋な人間じゃないんよ」
「こ……これは……かつての三名狸が持つ絶対命令権……?」
素甘が喘ぐように言った。その瑞木を見る目は畏怖に満ちている。
「そうや……。ウチは四国八百八狸の長、隠神刑部の血を引いてる……。せやから、あんた達はウチの言葉に逆らう事はでけへん。もっとも……ウチは四分の一だけ化け狸の血を引くクォーターやけどな」
隠神刑部……。
伊予は太三郎狸の子孫ではあるが、化け狸としての力は弱く、それに加えて三名狸の一つとはいえ太三郎狸は八百八狸とは無関係。それ故に彼ら関八州八百八狸に対しても絶対命令権を持っていない。
しかし、地域は異なるとはいえ、八百八狸を名乗っている彼らは、かつての四国八百八狸の長であった隠神刑部の絶対命令権であれば、その効果は絶大である。
瑞木に化け狸としての力がどれほど有るのかは分からないが、隠神刑部の血をもってする絶対命令権は関八州八百八狸の全てを抑える程の力を持っていたようだ。
「ウチもこのお寺の事、ご本尊の事は知っててん。せやから理事長に直談判してたんや」
「そ、そうでしたか……。しかし、その理事長とやらは、このお寺を取り壊す決定を下した筈……。ならば我らのやり場の無い怒りはどこへぶつけろと⁉︎」
「確かに……このお寺の取り壊しは決定した……。けど、ご本尊は学校裏にあるお寺で丁重に祀ってくれるゆうて話が纏まったんや」
「えっ……あのお寺⁉︎」
ミコトは目を丸くする。
学校裏のお寺と言えば、以前、その寺の墓地で八雲に憑いたタタリモッケを祓った場所であり、八雲の母親の墓がある場所でもある。
歴史的に見ても室町時代に創建された由緒あるお寺で、本堂などは重要文化財に指定されているほど立派なものだ。
「ウチのお父さんがあそこのお寺さんの住職と馴染みなんだよぉ。それで理事長さんと住職さんとで話し合って決まった事なんだ〜」
興奮すると大阪弁の出てしまう瑞木ではあったが、ミコトに事の顛末を語る彼女の口調は、いつものおっとりしたものに戻っていた。
「これで皆んなも文句は無いでしょう? ご本尊はちゃんと守ってくれるって住職さんが約束してくれたんだもの」
ようやく体の自由が戻ってきた化け狸たちは顔を見合わせる。
誰も文句は無かった。それどころか、今にも潰れそうな廃寺から、由緒ある立派なお寺に移される。何よりご本尊を大切にしている彼らにとっては、これ以上無い話であった。
「は……はは……はぁぁぁ……」
化け狸たちが次々に武器を捨てるのを認めると、ミコトは緊張の糸がぷっつりと切れたのか、その場にへたり込む。
頬に一ヶ所。両腕、肩、背中や胸、膝など……あちらこちら切り傷を負い、セーラー服もボロボロ。胸やスカートの切られた部分からはブラシャーやパンツが見えてしまっている程だ。
「ミコト!」
「ミコト先輩!」
八雲や伊予、そして遅れて花蓮もミコトのもとに駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか⁉︎ こんなに怪我して……」
「ん? あはは……へ〜きへ〜き! でも、さすがにちょっと疲れた……」
屈託無い笑みを見せるが、とても「ちょっと」どころとは思えなかった。
服がボロボロであるから、八雲がそっと後ろから自分の着ていた学ランを羽織らせてやる。
その学ランをミコトは軽く両手で押さえると、八雲に背を向けたまま、ひと言……。
「ありがと……」
僅かに顔を上気させていた。
瑞木はミコト達からは少し離れた場所で、悲しげな瞳でこちらを見ている。
「瑞木もありがとな」
ミコトは笑顔で礼を述べるのだが、瑞木は辛そうに下唇を噛み、
「ウチ……ミコトちゃん達にずっと隠してた……。本当はもっと早く伝えようって思ってたのに……。ミコトちゃんの事だって知ってたのに……」
恐らくクズの事を指しているのだろう。
瑞木はあやかしの力も持っているのだから、ずっと前からミコトの中に白狐が宿っている事を知っていた筈だ。それでも今日まで何も知らないふりをしていたのだ。
「分かってやれ……ミコト。瑞木はきっと、自分が化け狸の血を引いていると知られてしまえば、おぬしらとの関係が壊れてしまうやもしれぬと怖かったのじゃろうて……」
クズの慈悲に満ちた声が頭の中に響く。
言われるまでもなかった。
「瑞木……。おまえが何者だろうとあたし達は親友だろ? それに今回の騒動を解決する為に散々骨を折ってくれたんじゃないか。だったら何も気に病む事なんて無いじゃんか! おかげであたしだって命拾いしたんだぞ?」
「それは……でも……」
俯いてしまう瑞木にミコトは立ち上がると、ギュッと抱きしめた。
「これまでだって……これからだって、あたし達はずっと親友だ。そうじゃないなんて言い出したら、いくら瑞木でもあたしがブン殴るぞ」
「うん……うん……」
瑞木は目に涙を浮かべ、ミコトの体に手を回した。
その後ろでバツが悪そうにしている者が一人。
「筑波ミコト……」
雲辺寺花蓮が何かを言おうとした。が、ミコトはそっと手のひらを向けて止める。
「言っとくが、今のおまえは嫌いだからな。これからもだ。助けてやったからって、その辺は勘違いするなよ?」
「なっ……⁉︎ ふ、ふんっ! 当然よ! あなたこそ何を勘違いしてるのかしら! こんな事くらいで私があなたに対してペコペコするとでも思った⁉︎ まったく……昔は可愛げがあったのに、何を間違ったらこんなふうになるのかしら?」
とまあ、この二人は相変わらずだ。
それでもミコトは、
「ははは……。それでいい」
満足げに笑う。
こうして化け狸と廃寺を巡る一連の騒動は幕を下ろしたのだった。
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