2.消えた生徒

「つまりラ変であると未然形、連用形、終止形、連体形、已然形、命令形でら、り、り、る、れ、れ……になる訳だな」


 昼休みを終え、古文の授業が淡々と行われている。

 鉄平などは食後に襲って来る睡魔に惨敗を喫して惰眠を貪っているが、普段は鉄平とそう変わらない授業態度の京華は、この日珍しく起きて授業を受けていた。

 とはいえ、ちゃんと聞いてノートを取っているのかと言えば、別にそういう訳でも無い。

 気になる事があったようだ。


「ミコト、ミコト」


 背後からシャープペンのノックボタンでミコトの背中をトントンとつつく。


「ん?」


 ミコトは上体を反らせ、さり気なく耳を傾ける。

 国語の教師は私語に関しては何かと口うるさい為、あからさまにお喋りをしている素ぶりを見せると面倒なのだ。


「瑞木の事だけどさ……遅れて入って来て、何だかソワソワしてない?」

「ん? ああ……」


 この授業が始まってからしばらく、瑞木は教室に不在であった。それが十五分くらい経って後、入室して来たかと思うと、何やら落ち着かない様子で窓の外や、教室のドアをキョロキョロと見ては憂色を浮かべている。


「お腹でも痛いのかと思った」

「そうかしら? でもトイレに行ってた割に、先生にも何も言わずに席に着いたし、先生も何も訊こうとしなかったじゃない?」


 そう言われてみればそうだ。

 国語教師は瑞木が遅れてやって来た理由を訊く必要が無い——つまり訊くまでもなく知っていたという事であろう。


「今回の事と関係あるか分からないけどさ……瑞木が理事長室に呼ばれたなんて話もチラッと聞いたのよねぇ……」

「理事長室? 何で?」

「さあ……そこまでは知らないわよ」


 一般の生徒が理事長室に呼ばれる事など、まず無い事だ。あったとしても、それは生徒会の関係者が稀に呼ばれる事はあるそうだが、それだって年に一度か二度程度の話である。

 生徒会はもちろん、各種委員会などに所属している訳でもない瑞木が呼ばれるなどと、どう考えても普通ではない。


(このところ忙しそうにしてた事と関係あるのか?)


 そんな事を考えていた時である。

 誰かが教室の戸をノックした為に授業は中断され、国語教師は戸口に立って突然の来訪者としばし言葉を交わしていた。

 やがて教室は教卓のところまで戻ると、ひどく深刻そうな顔で「ううむ……」と唸る。

 授業が再開される気配が無い。


「どうしたんだろ?」

「はて?」


 京華なら何となく知っていそうと期待して訊いてみたのだが、まあ当然の反応だろう。

 やがて国語教師は「ふぅ……」とひとつ息をつくと、


「誰か三組の雲辺寺がどこに行ったか知らんか?」


 などと、妙な質問を切り出して来た。


「雲辺寺って、あの雲辺寺花蓮か?」

「風紀委員の?」

「何だ? 風紀の取り締まりが好き過ぎて他校の取り締まりにでも行ったか?」


 教室中で皆一様に好き勝手なことを言い出す。

 花蓮の行き過ぎたやり方はミコトのみならず、他の生徒達にも不評のようで、本人の居ないところでは言いたい放題。ミコトに対しては殊更に厳しい彼女だが、やはり校内でもあまり好かれていないようだ。

 しかし、国語教師は、


「くだらん話をするな! 知ってる者は居ないんだな?」


 少し怒っているようであった。

 何やら事は皆が考えているよりも深刻であるらしい。


「何かあったんですか?」


 女子生徒の一人がそう尋ねると、国語教師は言って良いものかしばらく迷っているような様子で教卓を見つめ黙っている。

 二、三分考えていただろうか? 彼は意を決して口を開くと、


「昼休みに忽然と姿を消して、校内にも居ないし、自宅にも戻っていないそうだ」


 そう告げた。

 俄かに教室中が騒めく。

 他の学生ならば特にここまで騒がれる事も無いだろう。しかし、それが雲辺寺花蓮となれば別であった。

 彼女が理事長の娘だという事もあるが、それ以上に、この学校で誰よりも規則に厳しい彼女の事だ。誰にも告げずに学校を抜け出すというのは不自然極まりない。


「何だかキナ臭いわね……」


 京華が自慢の鼻で事件性ありとでも嗅ぎつけたのか、ミコトの耳元で囁いた。が、ミコトは「ん……あ、ああ……」と生返事をするだけであった。

 京華でなくても、ミコトにもこればかりは何か嫌な予感しかしないでいた。


(もし……伊予や化け狸の事で花蓮まで何かに巻き込まれてるんだとしたら……)


 そんな気がしてならない。

 クズに意見を求められれば一番なのだが、あれから一週間も反応が無い間借り狐を頼る事も出来ない。


(化け狸絡みなら近くに居れば尻尾が反応してくれるんだけどな……)


 とはいえ、その有効範囲は決して広くは無いし、よほど強い妖気——それこそタタリモッケのような多くの人間に悪影響を及ぼすような強大な妖力を持ったあやかしでなければ、学校の敷地内のどこに居ても感知できるものではない。

 それに化け狸の中にはごく少数とはいえ、人の姿に化けられるモノもいる。人の姿に化けた狸からは、尻尾を出していない伊予と同様に妖気は感じられないのだ。


(あいつの事は好きになれないけど、さすがにあやかし絡みで何かあったって事なら放っておくのも寝覚めが悪いしな……)


 だが、確証が持てない以上はどうする事も出来ない。

 そんな時、瑞木が突然立ち上がり、


「先生。具合が悪いので、ちょっと……」


 と、返事も待たずに教室を出て行ってしまった。


「瑞木……?」


 去り際の瑞木の姿にミコトは何か違和感を覚えた。

 確かに青い顔をしていたが、具合が悪そうというのとは、また違う。何か……別の何か……急を要する理由があって出て行ったようにしか見えない。


(この授業終わったら、あたしも抜けるか)


 探ってみる必要がある。

 そうしなければ何か取り返しのつかない事になりそうな嫌な予感がするのだ。

 あの……以前、八雲をめぐるタタリモッケの騒動……。あの時と同様の危険な事態が発生しようとしている……。

 ミコトの勘がそう告げていた。

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