3.懸念は尽きず
「続いてのニュースです。神奈川県藤野町の土地買収を巡る問題で……」
ミコトが朝食の為に居間へやって来ると、何やらテレビで地元に関するニュースが報じられていた。
祖父の平造は時折そのニュースに目をやりながら、黙々と味噌汁を啜っている。
「おはよ、おじいちゃん」
「ん? うん……」
この寡黙でぶっきらぼうな祖父はいつだってこんな感じだ。別に人は悪くないのだが、口数が少なく挨拶すらただ反応するという程度。
学校の教師であるミコトの母、静江からは時々、「挨拶くらいはちゃんとして下さいね」と言われる事もある。
昔はここまでではなかったそうなのだが、自身の妻——要するにミコトの祖母——そしてミコトの父が亡くなってから徐々に気難しくなっていったらしい。
まあ、ミコトは生まれて間もない頃に他界した祖母の記憶は全く無いし、父親に関しても事故以前の記憶は朧げだから、この気難しい祖父が以前どんなだったかなど、ほぼ覚えていない。
それでもミコトにとっては良き祖父だと思っている。
「藤野町の土地買収問題って……何かあったの?」
「ああ……そんな大きな問題じゃねえよ。何十年も前に廃寺になっちまった寺の所有地を地元の有力者が買収しようとして、寺を保存したいっていう一部の連中と揉めてるって話さ」
「そんなお寺あったっけ?」
ミコトだって、生まれてからずっと藤野町で暮らしているから、この土地の事はそれなりに知っているつもりだったが、そんなお寺があるなんて話は聞いた事が無かった。
もっとも、単に神社仏閣に関心が無いだけだったとも言えるが……。
「無理もねぇさ。山梨県との県境の山奥にある小さい寺だしな。檀家も少ないし、廃寺になっちまったのだって静江さんが生まれた頃の話だ。寧ろ、今までよく放ったらかしになってたもんだ」
「そうねぇ……。私もつい最近知ったくらいよ」
静江も居間にやって来るなり、そう言った。
牧野学園の教師である彼女はミコトやリュウトよりも早めに出なきゃならないから、今朝も慌しい。
「あ、お義父さん。出掛ける用があれば、戸締りよろしくお願いしますね。ミコトもリュウトも遅刻しないように」
話に参加しておいて、それだけ言うと、さっさと家を出て行ってしまった。
テレビには件の廃寺が映し出されている。
確かに壁のあちこちに穴が開き、苔生した屋根は今にも崩れてしまいそうな程。本堂そのものが非常に小さくて、ここまでボロボロになっていると、これがお寺だったとは信じられないくらいだ。
「何だか妖怪でも棲んでそうだね」
「ふふん……」
ミコトの言葉に、滅多に笑う事のない平造が僅かに鼻を鳴らした。
「そうだな……。
民俗学研究家の平造らしい冗談であった。
ミコトも静江から遅れる事二十分ほどで家を出た。リュウトはさらにもたついていた様だが、いつまでも遅刻常習犯の弟の面倒を見ている訳にはゆかない。
静江からは「ちゃんとリュウトの面倒を見てやりなさい」と言付けられていたが、それも入学から一ヶ月以上過ぎれば過保護になってやる必要も無いのだ。
「どうした? 今朝は随分と浮かぬ顔じゃのう」
クズはミコトの微妙な表情の変化を見逃さなかったようだ。確かにミコトには気掛かりな事があって、家を出てから物思いにふけていた。
まあ、クズだってミコトの体に居座って魂と波長を合わせているのだから、ミコトの様子に変化があれば他の誰よりも一番に気づいて当然なのだが。
「今朝、ニュースでやってたお寺の事。なぁんか嫌な予感がするっていうか……フラグっぽいっていうか……」
「ああ……あの廃寺の事じゃな?」
クズだって昨晩から起きているから、平造の話はミコトと一緒に聞いていた。
クズからは、人に迷惑をかけているあやかしを見つけ次第、祓うように課題を与えられている。
例外としてミコトの間に余るような厄介な存在であれば関わるなと言われる事もあるが、それほどのあやかしは滅多に無い。
仮にあの廃寺にあやかしが巣食っているとすれば、どうなるか……。
「野寺坊って
「ほほう。よく勉強しておる様じゃな」
クズは感心して声を弾ませた。
ミコトも不本意とはいえ、様々な場面であやかしと関わる事が多くなった。ならばそれなりに知識は必要になるだろうと、時々平造の部屋にある資料を借りて読んでいるのだ。
とはいえ、一〇八体のあやかしを祓うという課題そのものは一向に進んで無いし、クズもそんな課題自体忘れてるような節があるのだが。
「まあ、確かに朽ち果てて酷い有り様の寺じゃったが、野寺坊が巣食うにはもう百年くらい必要じゃろ。まだまだあやかしが暮らしやすい程の環境には育ってないよ」
「育ってないて……」
思わずミコトは苦笑い。
しかし、それを聞いて少しは安心した。とりあえず、あの廃寺に関して自分が関わるような厄介事は無さそうである。
「それよりも当面はおぬしに弟子入り志願をしている娘の事じゃな。そちらの方がおぬしにとっては懸念材料なのではないか?」
「う……嫌なこと思い出させるな!」
嫌なこと……というと語弊があるかもしれないが、困惑している事は確かだ。
断りはしたものの「諦めた」と言っていない以上、またどこかでアクションを起こして来るかもしれない。
「どう断ったら良いんだろう?」
「それはワシも直接会って見ぬ事には何とも言えんのう」
そう言われてみればそうかもしれない。
伊予に会って弟子入り志願をされたのは昨日が初めて。その際、クズはまだ眠っていて伊予には会ってないのだ。
「気が重いなぁ……」
川に架かる橋に差し掛かったところで、ミコトはため息混じりに項垂れる。
「気が重いって、昨日の子のこと?」
「うん、そう……って、うひゃっ‼︎」
突然、背後から声をかけられたものだから、ミコトは驚きのあまり飛び上がって、危うく橋の欄干に体をぶつけるところだった。
「や、八雲! お、おお、脅かすな!」
「ご、ごめん。まさかそんなにビックリするなんて……」
八雲は申し訳無さそうにポリポリと人差し指で頬を掻く。
ミコトは昨日と同じように八雲から視線を逸らし、僅かに頬を染めてブツブツと文句を言っていた。
「やれやれ……いつまで経ってもウブなままじゃのう。狂犬が聞いて呆れるわい」
「うっさい……」
八雲に聞こえないような小声でミコトはクズに悪態をついた。
クズの存在は知っていても声は聞こえない八雲が隣りにいる以上、クズに揶揄われている事を八雲に悟られたくは無いのだ。
しばらくはミコトと八雲、二人のぎこちない会話が続いたが、学校に到着する前に後から自転車でやって来た瑞木が合流した事で、ミコトは急に水を得た魚のようになったのだった。
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