パラノイド・ミステロイド ~JKは何かと忙しい

空っ手

01 In Limbo

 獅子頭を思わせるいかつい顔を更に険しくしかめると、生籟おうらい警部補は声帯に異変を来したような野太い声で、


「階下での殺人に誰も全く気づかないとは……いやはや、昨晩は皆さん、随分と熟睡なされていたご様子ですな」


 皮肉っぽくそう言い、応接間に集った一同の浮かない顔を無遠慮に眺め渡した。

 黒っぽい木材のテーブルに身を落ち着けた関係者のうち、一番警部補の遠くに座っていた江奈えなとは、最後に眼が合った。警部補は萎縮した面持ちの彼女からすぐに視線を切り、雑多な感情を込めておもむろに鼻息を吐いた。

 レースのカーテン越しに幾つもの採光窓が設置された応接室はなかなかの広さで、手入れの行き届いた調度や床に朝の日光が乱反射している。事情聴取の現場にしては、やけに長閑のどかで陽気な風景だ。しかし実際に室内に居合わせる人々にとっては、周囲の明るい気配もなんの慰めにもならないようだった。


 紗乃さの……。


 肩をすくませて椅子に腰掛けたまま、江奈はリビングへ通じる戸口近くで制服の捜査員と話を始めた生籟警部補の眼を盗み、テーブルを囲んで座るほかの面々を上目遣いにざっと観察してみた。

 向かって右手の席に、玖珠くす那珂なかの二人が仲好く並びしている。江奈に近い側の椅子に座っている那珂は、大きな双眸そうぼうに尚も涙を溜め、固く俯いたきり、先刻から真っ赤に腫らしたまぶたをパチパチぶつけ合わせている。ちゃんとした食事を摂取できるのかと疑うほどに小さく可愛らしいおちょぼ口からは、しばしばすすり泣きの声が洩れ聞こえた。耳の後ろで環を描くようないつもの三つ編みヘアも、この日ばかりは背後にだらりと垂れ下がり、緩く波打った長い髪も幾分生気を欠いている。

 その隣で戸口の方向を眩しそうに見やっている玖珠も、那珂ほどではないにせよ、全身の力が抜けてしまったように背もたれに寄り掛かっていた。小柄な那珂に比べて頭一つ分身長が高く、首筋から肩口にかけてのラインこそ女性的で繊細なものだが、薄手の青い上下を着込んだ体つきはアスリートを思わせる。ボーイッシュな凛々しい顔立ちには悲哀のかげりが佇んで見え、日頃の大らかさは悲しみの果てに吹き飛んでしまったのだろうか。

 一方、脱色したストレートの長髪を胸元に垂らした茅夜ちやは、左手の壁際の座席を独りで陣取り、憤懣ふんまん気味に天井の一点を睨み付けている。彼女だけは就寝用の着替えを持参しておらず、借り物の白Tシャツにショートパンツと、四人の中では最もラフな恰好をしていた。鼻筋の通った容貌は寝不足のためか眼の下の皮膚がたるんで、切れ長の両眼と相俟あいまって険のあるきつい表情となっている。

 中央のテーブルには、玖珠が警察の許可を得て用意した人数分のインスタントコーヒーが置かれていた。が、江奈以外に口を付ける者はおらず、なんとなく後ろめたい思いに捉われた江奈も、やがてカップに手を伸ばさなくなった。

 独特の香ばしい香りが、そんな寝間着姿のままの四人の周辺を甲斐甲斐しく漂い巡る。普段着に着替える精神的ゆとりもないのだろう。玖珠と茅夜が重苦しい溜め息を同時に放った。一人の人間が場に姿を見せなくなっただけで、これほどまでに空気の質は変わってしまうものなのか。


「皆さんのご両親への連絡がつきました。すぐにこちらに向かうそうです」


 四人の許へ引き返してきた警部補が、事務的な口調でそう告げ、


「勿論、永野ながの紗乃さんのご家族もですが……」


 と付け足した。

 那珂が大袈裟にからだを震わせ、顔を覆って嗚咽おえつを始めた。


「……紗乃ちゃん……どおして……」


 何度もしゃくり上げる那珂の背を、玖珠が優しい手つきで撫で擦る。

 リビングのほうで、何人かが小声で話し合っているのが聞き取れた。現場検証に当たっている捜査官たちの声だ。


 そう……この忌まわしい事件は、今では臨時の取調室となっている応接間の、すぐ先の空間で起こったのだ。


 愁嘆場を演じる二人を含め、席に着く四人全員を注意深く見回したのち、警部補は頃合を見計らって口を切った。


「死体発見までの経緯について、もう一度確認させて貰いますよ」


 机に両肘を突いていた茅夜が、器用に手帳を繰る生籟警部補のごつい顔に非難がましい視線を向けたが、警部補は一向意に介さず、


「本日午前六時十五分頃、この永野邸に泊まっていた同じ高校のクラスメイト四名のうちの一人、鴇田ときた玖珠さんが、咽喉の渇きを覚えたので二階の寝室を離れ、階段を下りて一階キッチンへ向かったところ、あちらのリビングのフロアに、同じくクラスメイトで且つこの建物の実質的主人だった永野紗乃さんが、血を流して倒れているのを発見した。……玖珠さん、この証言に間違いはありませんね?」


 那珂の背後に手を掛けたまま、玖珠は反感を露に警部補を見上げたが、何かに疲れたように項垂うなだれると、はい、と小さく答えた。


「それから……君は慌てて二階に戻ってそれぞれ部屋で眠っていたこちらの三人を起こし、紗乃さんの異状を報せ、そして警察に通報した。その間、彼女の倒れていた現場には一切手を付けていないという話ですが」

「……はい」

「本当に?  彼女の死体……いや倒れている彼女を動かしたりはしなかったんですか」


 テーブルを叩くドン、という強い音に、面を伏せた那珂がビクッと痙攣けいれんし、警部補はいぶかるような冷たい眼差しで茅夜を見据えた。


「ええと……君は、三浦みうら茅夜さんでしたな。どうしました。何か不満でも?」

「当然よ」


 きつく握った拳をテーブル表面から離すと、茅夜は再び腕を組んで居丈高いたけだかに反り返った。


「紗乃を……紗乃を殺したのは、あたしたちじゃないわ。あたしたち、こうやってあのコの家に泊まりに来るくらい、お互い仲が好かったのよ。なのに、なんであたしたちだけ疑われなきゃなんないの」


 吐き出すように茅夜は言ったが、警部補は僅かばかりの感興を催すこともなかった。岩のような顔面に一片の同情すら浮かべず、冷厳な口調になって、


「我々はこの邸宅の状況を入念に調査し、その結果を綜合的に解釈したに過ぎないんですよ。外部犯による犯行の可能性は極めて低い。ま、ゼロとは言いませんがね。とにかく、侵入者が邸内に踏み入った跡が何処にもないとなると、我々としても……」

「わたしたちを疑わざるを得ない、ということですか」


 諦めたように玖珠がこぼした。

 カップから立ち昇るコーヒーの匂いに、吹き出物の浮き出た団子鼻をひくつかせながら、警部補は肩をすくめた。


「形式的な質問だと思って下さい。ものの十分で終わりますよ。もしかしたら、署のほうで詳しく聞かせて貰うことになるかも知れませんが」


 そう宣う警部補のはらの内は、江奈にもなんとなく判った。ここにいる四人の中に、紗乃を殺害した犯人がいるのは間違いない。ならば、犯人など労せずともじきに見つかるだろう。こうして一箇所に拘束していれば、そのうち犯人のほうから尻尾を出すに決まっている……どうせそんなふうに考えているのだ。


「と、その前に……被害者、もとい永野紗乃さんの死亡原因その他について判明した事実を、皆さんにも伝えておきましょう」


 はなを啜り、那珂が聞きたくないというふうに弱々しく首を振った。両手で握り締めたら砕け散ってしまいそうなくらい、頼りなく細い首だ。隣席の玖珠が那珂のなだめ役に徹したのは、自分の代わりに茅夜が軽蔑の眼光を警部補に注いでくれたからだろう。


「そんな話聞きたくないわ」

「そうですか。なら聞かなくて結構。こちらで勝手に喋らせてもらいます。聞きたくない方は、まあ耳でも塞いでて下さい」


 関係者らの良からぬ感情を鼻であしらい、警部補は煙たげに手帳に顔を寄せた。


「死因は左頚動脈切断による失血死。外傷はその一箇所のみ。凶器の出刃包丁は台所下の戸棚にあったもので、キッチンに出入りした者なら、誰でも簡単に持ち出すことが出来たでしょうな。死亡推定時刻は今から約四時間前の、深夜三時。格闘の形跡はないようですが、全く無抵抗だったわけでもない。彼女の死に顔を見た方がいるなら、その点納得して頂けると思いますが」


 那珂の嗚咽が強くなった。


「大丈夫よ」


 言いながら玖珠は、顔を覆い伏した那珂の背筋をいたわるように幾度も撫でた。玖珠の顔に浮かんだ戸惑いの色は、自分でも何が大丈夫なのか判らないでいることを如実に物語っていた。

 清潔そうな、それでいて暖かみのある乳白色の絨毯を血色に染め、横向きに倒れていた紗乃の姿は、江奈もはっきりとその眼中に収めた。そしてその光景は、今や瞼の裏側に完璧なまでに灼き付いてしまっている。


 ……紗乃……。


 見えない糸を手繰たぐり寄せるように、江奈は数刻前の、寝覚めの際の記憶を、意識の表舞台へと引き戻した……。


 ――――

 ――――――

 ――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る