Side story
Jami
そこに貴方がいる
「今日もいいかね?」
若い女性が言うには少し古めかしく、虚ろな目で彼女は言う。それは、つまり、今日も彼女は僕の家に泊まると言うことだ。
彼女は上司であって、彼女ではない。そして、更に問題なのは、彼女は結婚している。つまり、人妻なのだ。
では、なぜ、僕の家に泊まるのか。
それは、純粋な甘さではない、蜜の味と言うヤツである男女のナニソレではなく、ただ単純に職場と彼女の家の間に僕のアパートがあるからで。いつもパソコンとにらめっこしている彼女の仕事(もちろん僕の仕事でもある)が、激務で、日付を越しそうになるほど忙しい日は、決まって力尽きたように僕の家に途中下車する。
つまり、虚ろな目であって、潤んだ瞳でもなく、艶のある肌ではなく、疲れきった荒んだ顔で僕の家に来る。
彼女と僕はそんなに歳は離れていない。しかし、中途採用でこの会社に入ってきた僕は、ずっとこの会社で勤めている彼女の部下となった。ただそれだけだ。歳が近いから話も弾むし、男女と言うよりはお互い兄弟のように接していた。きっと、途中下車もその延長線上にあって、彼女にとっては何て事はない、ちょっと友だちの家に泊まる程度の感覚である。
しかし。
しかし、と言うことは、僕は少し困っていた。
何度も言うが、彼女は人妻である。
そして、どんなに荒んでいようとも、彼女は彼女で、とても魅力が、あってしまうのだ。仕事に一生懸命で、周りには愛想よくしても、僕に見せる顔は、お世辞にも可愛いや、綺麗と言い難い顔になっていても。(普段はちゃんと一般的に普通の顔立ちをしていると僕は思う)
そして、自分の家が遠いからと言って僕の家に途中下車するくらいスボラなので、家に着いた途端に床に寝るし、メイクも落とさないし、何を思ったのか必要最低限の置き服までする始末。僕の家には開けてはいけない彼女の小さな衣装ケースがある。
本当は結婚なんてしてないんじゃないかと思ってみるが、彼女の左薬指には立派なピカピカの指環がはまっているし、自分からは話さないが、聞けばちゃんと旦那の話もしてくれる。とても楽しそうに。
言っておくが、別に僕は、彼女のことをどうにか自分のものにしたいわけでも、ない。無理やりしても、怒られないだけ、彼女のだって悪いことをしているけど、僕は何もしない。
今日だって、ディスプレイの数字にあてられ、ぐだぐだと疲れはてて床に寝そべる彼女に触れることなく、ただ、声だけかける。
「…ほらーまた寝てー!女の風上にも置けない!早く起きて顔くらい洗ってください!」
彼女はうーんとか、もう少ししたらーとか完全に半分夢の中で応える。
無理やり起こして引っ張って連れていきたい衝動はあるが、触れてはいけない領域だと僕はそこにだけ、彼女との隔たりを作る。
触れては、いけない。
僕が彼女に抱く感情に当てはまる言葉はない。あってはいけない。
でも、ただ、今日もまた、貴方がそこにいる。
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