第1節 ルビンの壺

「わざわざすまなかった」

 私は椅子いすに腰かけながら、門田に謝罪の言葉を述べる。

 私たちは2年2組の教室にいる。門田はそそくさと自分の席に座った。

「ねえねえ、式は何人くらい呼ぶ? ウェディングドレスはちゃんと選びたいな」

「いつまでその冗談を続けるつもりだ」

「ええー、せんせってば私の乙女心をもてあそんだだけだったのね」

 門田は椅子にひょこんと乗って両足をばたばたと遊ばせている。余裕だ。

「月島の噂話のことで、今日は呼んだんだ」

 すぐに足の動きを止めた門田は、ひとみの色を濃くする。

「まず事実関係を確認させてくれ。月島の援助交際の話を聞いて、本人に確認をとった」

「うん」

「でも月島は否定しなかった。だから心配になって私に持ちかけた、そうだったな?」

「そうだよ」

 太ももと椅子の間に、手のひらを挟む門田。私の言わんとしていることが読めないらしい。わずかに前後に揺れる身体が、彼女の気持ちを代弁する。

「単刀直入に言う。援助交際の話は門田と月島のでっち上げだな?」

 彼女の身体は動きを止めた。

「理由は2つある。1つは、他のクラスの連中が何も知らなかったことだ。噂話という割には、どこでも噂されていない。事実、月島を揶揄やゆするような生徒もいなかった」

「……そんなん、うちに言われても困るし」

 門田は、再び身体を揺らし始める。

「もう1つは、佐々岡から聞いたからだ」

「えっ、なんであいつが――」

 そこまで言って、門田は言葉を呑み込んだ。続きを待ってみたが口は閉じられたまま。私は説明を再開する。

「屋上で月島に会ったと言っていた。月島は別の人物を待っているから、佐々岡に来られると困る、せっかくの苦労を無駄にしたくないから帰ってくれ、と言われたそうだ」

「…………」

「で、私は追い返されなかった。つまり月島が待っていたのは私だということになる」

「……でもせんせ」

 門田は重たい口を開ける。

「佐々岡が適当なこと言ってるだけかもしれんよ? それに月ちゃんだって、いきなり先生が来てびっくりして、人を待ってたって言えんかっただけかもしれんし」

「かもな。人間の口は、真実を語らないようにできている。だが」

 私は身を乗り出して、門田の瞳を見つめた。

「月島本人が認めているんだ。私に買われるために屋上で待っていたと」

 みるみるうちに門田の瞳孔が広がっていく。私の視線を切って、自分の太ももに落とした。

「だとすれば私は誰を信じればいいのだろうか? 佐々岡を信じれば、門田や月島を嘘つきにしてしまう。門田を信じれば佐々岡が嘘つきだ。月島が正しいとすると、門田だけが嘘を言っていることになる」

「月ちゃん、援交してるって自分で言ったの……?」

「ああ。しかも私にはサービスしてくれるそうだ」

 門田は背中を丸め、視線を太ももに落としたまま。

 もう彼女には言い訳を並べられないようだ。

「よく聞いてくれ。私はお前たちをどうこうするつもりはない。この話は結局何だったのか。それを知りたいだけだ。真相が判明すれば、それで終わりにする。だから、先生に本当のことを教えてはくれないか?」

「……ほんとに? うちらおとがめなし?」

「ああ」

 少し間があって、門田は大きく息を吐き出した。丸まっていた背中がまっすぐになる。まるで背負っていた重荷を降ろしたかのようだった。

「月ちゃんから頼まれたが。国立先生と2人だけになりたいから協力してって」

「やっぱりそうか」

 月島の待ち人は、私で間違いなかったらしい。

 無言でうなづき、続きの言葉を待つ。

「今さらかもしれんけど、うちはちゃんと説得したんよ。そんなんせんでも、せんせは話し相手になってくれるって。でも月ちゃん、そんなん納得できんって。退屈じゃからて」

「で、あの嘘を思いついた」

「うん、そうそう」

 私の口から盛大なため息がこぼれる。その様子に苦笑いの門田。

「せんせを誘う話がいる言うて。2人で真剣に考えたんじゃが、簡単にばれちゃったね」

「当たり前だ。そもそもここで援助交際という設定に無理があるだろう」

「そうよねぇ」

 門田は、大きく伸びをしながら両足の踵を突きだした。

「悪気はなかったんよ。でも、せんせが怒るんだったら、それはそれで面白いって、月ちゃんが」

 ――いい加減にしろ。怒るぞ。

 ――嬉しいです。私、いつか先生に怒られてみたいと思っていました。

 屋上での会話が思い出される。最初から織り込み済み。てのひらで転がされているような居心地の悪さを覚えていた。

「そんな怖い顔せんといてえよ……」

「ん、先生か?」

 門田の不安そうな顔が、視界に飛び込んできた。

 眉間に手を伸ばすと、凝り固まったしわができていた。私はひだを指先でほぐす。

「ごめんね、せんせ。月ちゃんとは昔からこうじゃったがん。それで逆らえんくて」

「昔から?」

 すると門田は、中学時代からの関係について語り始めた。

 2人は苫田高校に進学するまで、同じ中学校に通っていたという。そこには素行の悪い生徒が多く、いじめ・学業不振・校内暴力は日常茶飯事だった。そういった問題行動は、生徒たちにとってスクールカーストの上位にいることを威示いじするものであり、真面目な生徒は肩身の狭い思いをしていたという。

「月ちゃんだけは特別だったんよ」

 そんななかでも月島は、勉強ができるのにカーストの上位にいたらしい。誰にも影響されず、付和雷同しない姿が一目置かれていたのだとか。どの生徒グループにも属さない一匹狼。かっこいい身だしなみやトークもできるし、見た目だっていい。しかも知的でクールに振る舞える。

「月ちゃんに助けてもろうたから、逆らえんというか、手伝いたいというか」

 対照的に門田は、オタク的な趣味を持っていたため、下位カーストで細々と過ごしていたという。ごく小さなサークルで趣味について語る日々。あるときに上位の人間に因縁をつけられたところを月島に助けられ、一緒に行動するようになり、上位カーストからのいじめを避けられるようになった。

 月島と門田との関係は、私の想定と真逆だったらしい。活発な門田が、物静かな月島を引っ張っているのではなく、目立たないかたちで月島が、言動の目立つ門田をコントロールしていた、ということのようだ。

「最近の月ちゃんは、ほんまに楽しそうにしとったんよ。悪いことしたけど、それでもせんせとお話したかったいうんは嘘と違うがん」

「お前たちが楽しいのは結構だが、嘘が嘘であることに変わりはない」

「ほんまごめんね」

 門田は両目をぎゅっと閉じ、両手を合わせた。

 月島はただのおおかみ少年だ。

 私に相手をして欲しくて嘘をつく。嘘がばれてもばれなくても、かまってもらえた満足感が残る。子どもの悪戯いたずらにすぎない。まったくの拍子抜けだ。もっと面白い展開はないのか。

「でもうちね、月ちゃんの気持ちも分かるんよ?」

 門田は両手を合わせたまま、片目だけゆっくりと開く。

「なんだ、門田も先生にサービスしてくれるのか?」

「ややわあ。そんなん違うし」

 そんなことしたら月ちゃんに殺されるけん、と本気とも冗談ともつかない言葉を返す。

「国立せんせは、杓子定規しゃくしじょうぎでまともなことしかしゃべらん先生のかがみみたいな感じじゃけど、本当は違ういうかっていうか、からかいたくなるっていうか、うちらに演技して――」

「先生はいつでも本音で向き合っているつもりだ」

 私は、門田の言葉を遮った。

「そんな風に演技をしていてはお前たちを教育することなんてできない。たしかに若いうちは正論を聞いてもかっこ悪いと思うだろうし、決まりごとを破ることに憧れもするだろう。だが結局は、そういう正論が人を支えるんだ。人間はきれいごとを夢見なければ生きていけない」

 私は間を置くことなくしゃべり続けた。

 ふと気づくと、門田はまるで奇異な生物を見るように見ていた。明らかに怯えている。

「と、とにかく、お前たちが困るようなことはないから安心しろ……」

「……うん、ごめんなさい」

 私はとっさに立ちあがっていた。そして重たい足を引きずりながら2組の教室を出ていった。

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