潜入
「ん?仲間ってのはもしかして俺のことなのかい?」
オルバスが浅黒い顔を指差しつつ言う。
「そうとも。他に誰がいるんだ」
「しかしなあウィル、いかにあんたが強くたって、こりゃあ相当に困難な任務だぜ。仮に首尾よく護国隊の首領を討ち取ることができたとしても、生きて帰れるかどうかは……」
「おや、君は見かけに似合わず意外と臆病なのだな」
「な、なんだって?」
オルバスは怒りを露わにしつつ、ウィルをにらみつけた。
「君はアスカトラ正規軍に入りたいのだと言っていたじゃないか。もし護国隊を討伐する手柄を上げることができれば、軍も諸手を挙げて君を迎え入れてくれるだろう。うまくすれば最初から百騎将くらいの地位にはつけるかもしれない。眼の前に転がっている機会を、なぜその手でつかもうとしない」
「そ、そりゃあまあ、そうだが……」
「それにオルバス、君はずっとこの国の行く末を憂いていただろう?この国を中から食い荒らす賊を、このまま放置しておいていいのか」
「確かにあいつらは困った連中ではあるが、俺だって平和税なんぞに賛成した覚えはないからなあ」
オルバスは顎に手を当てて考え込む素振りをみせた。ここはもうひと押しだ。
「平和税に反対するのなら、陛下にそう伝えればいいのだ。なんのために各領邦に護民官が設置されている?庶民の意見を王宮に届けるためではないか」
「しかし、あいつらに何か言ったところで、陛下が俺たちの意見なんぞ聞いてくれるとは思えんぞ」
「だからといって、王国の税を盗んでいいということにはなるまい。護国隊は盗んだ金銭を庶民に分け与えているわけではないのだから、この国には害になるだけだ。平和税を盗んだところで、民の負担が減るわけではないのだからね」
「そいつはまあ、そうだな」
ようやくオルバスはウィルの言葉を受け入れ始めた。太い眉の下の瞳がまっすぐにウィルに向けられる。
「今ここでただこの国の未来を嘆いていたところで、どうにもならない。だがもし護国隊を壊滅させることができれば、君にも軍に士官する道が開けるかもしれないんだ。ダインベルト様やアズラム様のような方の下で戦いたいとは思わないか?傭兵ではなく正規兵として、だ」
「うむ……そいつはいいな。こりゃ確かに、俺にも運が向いてきたのかもしれん」
オルバスは丸太のような太い腕を組むと、感慨深げに何度もうなづいた。
やはりこういう男には、尊敬する英雄の名を持ち出すのがいいようだ。
「よし!善は急げ、だ。さっそくこの俺と戦場詩人が、護国隊をぶちのめしてやろうじゃないか」
「ウィル、本当に行くのですか?ヘイルラントのためとはいえ、貴方にそこまでさせるわけには──」
「いえ、これは私自身のためです、コーデリア様。武勲詩の題材が眼の前に転がっているのに、これを見逃すすべなどないではありませんか」
「ですが、貴方が護国隊の討伐に出かけてしまったら、そのあいだ、私はどうしていればいいんです?」
「そのことならご心配いりません。この桜花神殿の宿坊を使っていただければいいですから。ウィルさんが私を買うために支払ってくれたお金は、この神殿への献金とみなしますので」
フロリーがすました顔で言うと、コーデリアはあっけに取られたような表情になった。
「そ、そういえばミネアさんは奴隷でもないのに奴隷だと言っていたんですよね」
「そなたらを謀ったことはすまぬとは思っている。だが、この神殿への献金は神に対し徳を積むことになるのだ。そなたらの浄財は貧しいものへの施しや老病者の治療にも使われるのでな」
抗議するような口調で言うコーデリアを、神官長が静かな威厳で抑えつけた。
コーデリアはぐっと唇を引き結んだまま、何も言い返そうとはしない。
「多額の献金をしてくれた礼として、この神殿には好きなだけ逗留することを許そう。もしヘイルラントに帰りたいというのであれば、手練の神官兵を護衛につけてもよい。そなたの身が不自由になるようなことはせぬ」
「お気を使っていただきありがとうございます。──ウィル、貴方はどうしても行くのですね?」
半ば諦めたような口調で、コーデリアは言う。
この詩人は結局好きなように生きるのだと、今までの振る舞いから十分に理解していた。
「ええ、これが結局ヘイルラントのためでもあるのです。ヘイルラントを守ることが、結局アスカトラを守ることにもつながる──そうであるなら、やはり私は行かなくてはなりません」
「もう引き止めても無駄なことはわかっています。ですが、オルバスさんは一体何ができるんです?本当にウィルの仲間として、この方はふさわしいんでしょうか」
「おいおい、そりゃあないだろうお嬢さん。俺はこれでも傭兵をやってた頃は旋風のオルバスって言われててだね」
オルバスは自慢げに背中の大剣の柄を親指で指した。
この大剣を自在に振り回せるなら、確かに彼は戦場に死の暴風を巻き起こす戦士となるだろう。
「心配はないでしょう。腕に覚えのあるものは、見ればわかります」
「おお、やっぱり勇者の目はごまかせんか。大北方戦争の折にはこの俺もダインベルト将軍の下で、オングートの騎馬兵を斬って斬って斬りまくり、修羅となって戦い続け──」
「ウィル、どれだけ距離が離れていても、貴方と私とはこの聖紋でつながっています」
オルバスの自慢話に割り込みつつ、コーデリアは額を指差した。
コーデリアから自由騎士に任命される時に分紋を受けたウィルは、紋章の力でどこにいてもコーデリアと連絡を取ることができる。
「心得ております。近いうちに、必ずや吉報をお届けしましょう」
「くれぐれも無理はしないでくださいね。武勲を立てたいと望むのは当然ですが、それも生きていてこそ。私は大事な自由騎士を死なせたくはありません。必ず、生きて戻ってきてください」
「お約束いたしましょう。この
少し目を潤ませるコーデリアに、ウィルは静かに言い渡した。
「さあ、そうと決まれば今宵は宴だ。この国に仇なす賊を討たんとする壮士のために、盛大な宴を張ろうではないか」
神官長がぱんぱんと手を叩くと、オルバスが急に顔をほころばせた。
「おっ、ここの神さんは意外と話がわかるねえ!アガトクレス様やカルラ様あたりの神殿はどうも堅苦しくっていけない。でもどうやらここの神官様はさばけた方みたいだな」
「さっきあんなに食べたのに、まだ食べる気なんですか?」
コーデリアが呆れたように半眼をオルバスに向ける。
「食い物と銭はあればあるだけいいのさ。護国隊の連中が満足な飯を食わしてくれるかどうかなんてわからないから、今のうちにたくさん味わっておくに限る。食が細いやつは大物にはなれんぞ」
「貴方はそれ以上大きくならなくたっていいでしょう」
コーデリアが棘を含んだ言い方をすると、ウィルは軽く肩をすくめた。
「──しかしまあ、君も本当によく食べたものだ。食べたものが異空間に消える胃袋でも持っているのか?」
ウィルはミネアに手渡された紙片を眺めながら、半ば呆れたように言う。
夕闇の迫るクロノイアの街を、ウィルはオルバスを伴って歩いていた。
「そう言うな。天下の素浪人はなかなかご馳走にはありつけなくてな。それにしても、神殿であんなに豪勢な飯が出てくるとは思わなかったぜ。牛のテール肉だの極楽鳥の蜂蜜焼きだの、なんだか一生分の贅沢を味わった気分だ。俺もこの際、フロリー様に宗旨変えするってのもいいかもしれんな」
「酒と食事で宗旨変えするなど、断食に打ち込む修道士が聞いたら目を回しそうだね」
「そう言うな。なんだかんだと言って、人は飯を食わせてくれるやつのところに集まるんだ。護国隊とやらも、結局はそこの頭領がたらふく食わせてくれるから人を集められるんだろうさ。あいつらは平和税でさぞかしうまい酒を飲んでるに違いない」
オルバスの話を聞き流しつつ、ウィルは狭い路地を歩いて行く。
道の両側には傾きかけた高層住宅がひしめき合っており、建物と建物の間には紐が掛けてあり洗濯物が吊るされている。中央通りをだいぶ離れたこの区画は衛兵の巡回もなく治安も悪そうで、時おり目つきの悪そうな男やぼろをまとった老婆ともすれ違った。
「地図のとおりなら、このあたりに例の居酒屋があるはずなのだが」
住宅街をしばらく歩いて次の辻を左に折れ、右側に立ち並ぶ飲食店をウィルは眺めた。紙片に書き記してある「ワイヴァーン亭」という文字を街並みの中に探す。すると剥げかけた赤い塗料で前足のない竜の絵が描いてある看板が目に留まった。
「お前さん達、なんの用だい」
その店の入口には、頭を剃り上げた雄大な体躯の男が立っていた。どうやら用心棒らしい。
「我々は、この国の行く末を憂えるものだ」
「国を憂える、だと?ふん、どうだかな」
男の値踏みするような視線がウィルのうえを上下した。まだこちらを信用してはいないらしい。
「私は平和税などという重い負担が国民に課せられていること、由々しき事態だと思っている。ましてやこの税がカイザンラッドに貢がれるなど言語道断。虎狼の国のために血税が使われるなどあってはならないことだ」
「ほう、あんたらも平和税が気に食わんか……だが、口ではなんとでも言えるな」
男はいぶかしげにこちらを眺めている。こちらが間諜である可能性でも疑っているのか、まだこの店に入れるつもりはないようだ。
「あんたら、紹介者はいるのか?」
「いや、そのような者はいないが、我々もまたカイザンラッドを憎むものだ。貴方がたの仲間に加えていただきたい」
「ふむ、どうしたものかな」
男は腕組みをしつつ、靴の先で何度か地面を叩いた。
「あんたら、どうやってここを知った?」
「ある人物から、ここにはアスカトラを憂う者が集っていると聞いたのだ」
「ほう、そりゃいったい誰なんだ」
男が微笑むと、ただでさえ強面の顔がいっそう凶悪になった。
「答えられんか。ならやっぱりそういうことだな。痛い目に遭わんうちにとっとと帰りな。さもなくば──」
「いや、その必要はない」
突如割り込んできた声に驚いて振り向くと、そこに立っていたのはたくましい裸の上半身に紅い入れ墨を彫り込んだ戦士だった。
「この者たちの強さと志は俺が保証する。さあ、入れ」
ナディール族特有の細い目をウィルに向けそう促したのは、先日闘技場で刃を交えたばかりの戦士、クムランだった。
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