桜花神殿
「ではウィル、貴方はすべて芝居だとわかっていてあえて乗ったというのですか?」
コーデリアの口調にはどこか咎めるような響きが感じられた。
「ええ、一体何を目的としてこのような芝居を打っているのかと思いましてね。わざわざ薄幸そうな奴隷娘を全面に出してくるからには、彼女を助け出そうとする人物が出てくるのを待っているのではないか、と思ったのです」
「そのためにわざわざナディールの剣士と戦ったんですか!もう、私がどれだけ心配したと思って……」
「お心を煩わせてしまい申し訳ありません。ただ、役者がいつまでも舞台の袖に控えていては、物語というものは前には進まないものでして」
ウィルが悪戯っぽく微笑むと、神官長もまたころころと笑う。
「ふふ、おもしろき主従よ。コーデリアとやら、そなたもこのような者を部下に持っては苦労が絶えぬであろうな」
「ええ、まったくです。ですが、これでも私にとってはかけがえのない者なのです。ウィルはヘイルラントの自由騎士ですから」
「自由騎士、か」
神官長は表情を引き締めると、コーデリアに真剣な眼差しを向ける。
「自由騎士というからには、そこの詩人はそなたに仕えておるのだな?」
「いえ、そういうわけではございません。自由騎士とはあくまで私の与えた称号であって、ウィルが私に仕えているというわけではないのです。詩人とは己の意志でどこにでも流れていくもの。今回は私の護衛も兼ねて同行してもらっていますが、本来ならば私のそばに引き止めておくことはできないのです」
「ほう、そういうことか……して、そなたらはこのクロノイアにはどういう用向きで参ったのだ?」
その問いには答えず、コーデリアはウィルに何か問いたげに目を向けてきた。旅の目的を神官長に話していいのか、と訊きたいようだ。
「お話しても構わないでしょう。クロンダイト公にお会いすれば、どの道神官長様のお耳にも入るでしょうから」
ウィルの言葉にコーデリアが無言で頷くと、ウィルはさらに言葉を継ぐ。
「我々はヘイルラント辺境領からこの地へ参ったのですが、実は彼の地がカイザンラッド軍に襲撃されたのです。その折はどうにか撃退しましたが、カイザンラッド軍が再び襲い来る可能性もあります。今度はヘイルラントの兵だけでは防ぎきれないと判断したため、クロンダイト公の助力を仰ごうかと」
淀みなく話すウィルを眺めつつ、神官長は渋面を作った。
「ふむ……カイザンラッドの襲撃のことならば私も知っておる。しかしクロンダイト公がその頼みに応じてくれるとは思えぬな」
「なぜ、そう思われるのです?」
「正直に言って、クロンダイト公の目は民の方を向いているとは言えぬのだ。あのお方は陛下の機嫌をうかがうことばかり考えている方なのでな。平和税の支払いのためにこのクロノイアの兵すら削減する有様だから、ヘイルラントに兵など割くとはとても思えないのだ」
神官長の声音に憂いが交じる。
「そんな、それでは私達がここまで来たのは無駄だったということですか?」
コーデリアは奮然と問い返した。神官長はなだめるように語りかける。
「まあ、落ち着くがいい。まだ無駄だったとは決まってはおらん。そこの詩人のように武勇に長けた者がおるのなら、まだ打つ手はあるぞ」
「私に何ができるのでしょう?」
「そうだな、詩人よ、そなたは誰かに仕えているわけではないそうだな」
「いかにも」
「それならば、ひとつ私に頼まれてはくれぬか?この国に巣食う病を取り除きたいのだ」
「この国の病、とは何でしょう」
ウィルが真顔で問いかけると、神官長が
「護国隊という賊の名を聞いたことがあろう」
ウィルの隣でコーデリアが息を呑む音が聴こえた。
「もちろん知っておりますが、彼等がどうかしたのでしょうか」
「実は、あの者達は平和税を運ぶ荷駄を襲撃し、金銭を奪い取っていると私の『目』を分け与えた者から報告を受けているのだ。もしそなたがあの賊の首魁を討つことができれば、この国に大いに貢献することとなる。その功績を手土産にすれば、あるいは陛下もヘイルラントに兵を割いてくれるのではないか?」
「陛下に直接お願いせよ、とおっしゃるのですか」
「ああ、クロンダイト公はこの件では頼りにならぬのでな」
神官長が軽く溜息をつくと、その翠玉の瞳が憂いに曇る。
「しかし、このクロンダイト領内でも護国隊の被害が出ているのですから、彼等の討伐ならばまずはこの領邦の兵が行わなくてはならないのではありませんか」
ウィルはワタリの宿を出てすぐ、護国隊の襲撃を受けたことを思い出した。
あのような自体が起きているのに、なぜクロンダイト公は討伐隊を差し向けないのか。
「本来ならばそうするべきなのだが、なぜかクロンダイト公は頑なに兵を出そうとはしないのだ。どうも護国隊に怯えている節があるのだ」
「たかが野盗ごときに、公爵が怯える理由とは何なのでしょう?」
「それは私にもわからぬ。だが、護国隊がただの賊ではないと思っている可能性はあるかもしれぬな」
神官長はわずかに首をかしげた。
「そのことなのですが、実は私にも少々気がかりなことがあるのです」
「ほう、なんだ?」
「こちらをご覧ください。これは護国隊の使っていた矢です」
ウィルは外套のポケットから二つに折った矢を取り出し、神官長に手渡した。
神官長はほっそりとした指先で矢をつかみ、しげしげと眺め回すと、
「これは……翠晶石ではないか」
緑色の光沢を放つ呪晶石を手に、神官長は目を丸くする。
「いかにも。実はクロノイアに赴く道中、我々も護国隊の襲撃を受けました。そこでたまたま彼等の使っていた矢を拾ったのです」
「なんと、護国隊と戦ったと申すのか?」
「ええ、ふがいなくも紋章武器で眠らされてしまいましたが。彼等は使った武器はすべて回収しているようですが、どうにかこの矢だけは持ち帰ることができました」
「ふむ……この呪晶石が採れる場所はかなり限られるな。アスカトラ領内ならば、エルタンシアのバフシ鉱山くらいしか考えられないが……」
何度も角度を変えて手の中の矢を見つめながら、神官長は眉根を寄せた。
鉄槌公アズラムの治める領邦エルタンシアの鉱石がなぜ護国隊の武器に使われているのか、訝しんでいる様子だ。
「……まあ、この場でいくら考えをめぐらしたところで、わからぬものはわからぬ。ところで詩人よ、そなたは先ほど護国隊の紋章武器で眠らされた、と申したな」
「はい、賊の一人と剣を交えておりましたが、途中で賊が剣の紋章を発動させたのです。この矢で射られた者達も、全員が眠り込んでおりました」
「やはりそうか。実はこの翠晶石には、触れるものに心の奥底に隠された願望をみせて幻惑する力があるのだ。これは神代の精霊の涙が結晶化したものゆえの力だとも言われている。鉱石だけならば効果は薄いが、呪紋を刻むことでその効力を何十倍にも高めることができる」
神官長は手の中の
「平和税の護衛にも我の紋章を授けていたのだが、今まではなぜ護衛が知らぬうちに襲撃が終わっていたのかがつかめなかった。だがこれを見て、ようやくその理由が明らかになった。この矢で気持ち良い夢を見せている間に、まんまと金銭をかすめ取っていったのだろう」
「護国隊は、なぜ平和税を狙うのでしょう?」
「それは私にもわからぬ。だが、白銀協定に不満を持つものの仕業であることは間違いないだろうな」
「平和税を皇国に支払うことが気に食わないと?」
「おそらくはそうであろう。あるいは彼等にもこの国を思う気持ちはあるやもしれぬ。だがいかんせん、視野が狭い」
神官長は
「わざわざこんな武器を使うからには、護国隊も我が国の兵を殺めたくはないのだろう。だが、彼等が平和税を奪い続ければどうなる?カイザンラッドに収める税が足りなければ、結局それが開戦の口実になりかねないのだ。私とて、あの虎狼の国に金銭などくれてやりたくはない。しかし護国隊のしていることは、結局この国の平和を脅かしているだけなのだ」
「なるほど。それでこの私にあの賊を討ってほしいと」
「そういうことだ。クロンダイト公が兵を出してくれぬ以上、こうして旅の者にでも頼むしかないのが実情なのだ」
「しかし、護国隊を討つといっても、現状では何も手がかりがありません。襲ってきたところを返り討ちにするくらいしかありませんが、彼等が手練のものばかりで紋章武器を持っている以上、それも難しいと思うのですが」
「うむ、そのことなのだが」
神官長は脇に立つミネアに首を回した。
「実は、このクロノイアには平和税に反対する人達の集会場になっている酒場があるんです。私達の調査では、そこに時々護国隊の隊士を勧誘する人が来ているみたいなんです。まだ勧誘の現場は見たことがないんですけど、ウィルさんがナディールの剣士さんをやっつけたことはもう噂になってるでしょうし、護国隊からすれば喉から手が出るほど欲しい人材だと思います」
「それはつまり、護国隊に潜入せよ、ということなのですね?」
「そういうことだ。困難な任務となるゆえ簡単には薦められないが、もし見事首領を討ち取ることができればそなたらの懐もかなり豊かになろう。なにしろ護国隊の首領には多額の賞金がかけられておるからな」
「なるほど、その賞金でヘイルラントを守る兵を雇うこともできる、と……」
「それでもよいし、陛下に謁見を願い出てアスカトラ兵をヘイルラントに常駐させるよう頼んでもよかろう。何しろ護国隊は陛下の頭痛の種であるから、これを一掃できれば陛下もそれくらいの希望は叶えてくれるのではないか」
「ふむ、確かにこれは危険な賭けですが、竜の巣に入らなければ竜の卵は抱けない、とも申します」
ウィルはどこか楽しげに、東方の格言を口にした。
「ウィル、何を言っているんです?そんな危険な任務を引き受けるなんて、私は認めませんよ」
険しい表情で言うコーデリアに、神官長が微笑を向ける。
「おや、この詩人はそなたに仕えているわけではないと申したばかりではないか。この者のすることを妨げる権限は、そなたにはあるまい」
「そうはいっても危険すぎます!たった一人で、どうやって賊の首領を討ち取れというのですか」
ウィルは抗議の声を上げるコーデリアに涼やかな瞳を向けた。
「一人では危険だというのなら、仲間を連れて行ったらどうでしょう」
「仲間を……?」
ぽかんとした表情でこちらを見つめるコーデリアのから視線を外すと、ウィルは脇で退屈そうに立ち尽くしているオルバスに顔を向けた。
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