蛇の剣

 ウルァアアアア──と野獣のような声で叫び、クムランは湾曲した剣を横薙ぎに一閃させた。ウィルが素早く身をかがめると、頭上すれすれのところを剣風が掠める。

 大振りな攻撃だったにもかかわらず、クムランはそのまま間髪入れず逆手で剣の峰を叩き込んできた。ウィルはどうにかその一撃を受け止めるが、あまりの衝撃に一瞬身体がぐらつく。


(なんという力だ。剣を振り切ってすぐに次の一撃に移れるとは)


 ウィルの知っている通り、蛇咬剣はやはり術者の力を大幅に増幅させるようだ。

 対策を考える暇も与えず、クムランはウィルの頭上に剣を振り下ろす。

 わずかに体を捻ってかわすと、あまりの勢いに、剣が舞台の木板へと食い込んだ。

 隙ができた──と思ったのも束の間、なんとクムランは剣を捨ててウィルに打ちかかってきた。


 クムランは猛牛のようにウィルに頭から突進してきたが、ウィルはすんでのところでその突進を避けた。クムランの背後に回ったウィルはその背に剣を振り下ろそうとするが、クムランは素早く振り返り、両手でその一撃を止めた。


(これは……本当に人間なのか)


 クムランの左の平手と右の拳がウィルの剣を挟んでいた。

 よほどの衝撃を受けたのか、剣身に亀裂が走り、その上半分が折れて地面に転がる。

 ウィルは折れてしまった剣を投げ捨てると、仕方なく両手の拳を胸の前で構えた。


(まさか、ここで拳闘士ボクサーの真似事などする羽目になるとは)


 クムランは獰猛な唸り声を上げつつ、打ちかかってくる。

 恐るべき速さで突き出される来る拳を何度かかわし、瞬速の蹴りを腕で受け止める。強烈な蹴りはウィルをよろめかせたが、どうにか場外へは落ちずに踏みとどまった。

 ウィルは闘技場の周辺すれすれを、少しづつ移動する。

 クムランが突進してきたら身を捻って場外へ落とそうとする肚だが、クムランもその狙いを察していて、容易には近づいてこない。

 互いに手を出せないまま、じりじりと時が過ぎていく。


(──あと少しだ。そろそろ時間が切れる)


 まで、もうそれ程の間はないはずだった。

 クムランは不気味な笑みを浮かべると、拳を開いて左手の爪を伸ばし、首元へ突きこんでくる。

 ウィルが身体を傾けると、毒爪の一撃が首の皮を切り裂いた。

 たちまちその箇所の皮膚が毒々しい青色に染まり、周辺へその青が侵食していく。

 たまらずにその場に膝をつくと、クムランが爛々らんらんと光る眼でこちらを睨みつけてきた。


「お前、これで最期だ」


 片言で勝利宣言すると、クムランは小刻みに肩を震わせているウィルに突進してきた。逞しい腕がその喉首を捕まえようと伸びてきたその刹那、ウィルは地を蹴って天高く飛び上がった。


「────!」


 突如目の前から消えたウィルの姿を捉えきれずにいるうち、ウィルはすでにクムランの背後に着地していた。驚異的な跳躍力だった。

 ウィルがすかさずがら空きになったクムランの背に強烈な蹴りを叩き込むと、クムランの身体は舞台の外にまで吹き飛び、悲鳴を上げる観客の中へと落下した。


(──並の人間ならば、あの爪の毒を喰らえば死に至る、だが、私は……)


 ウィルは上衣を下から強力に押し上げる筋肉の隆起を感じていた。

 クムランの毒は、耐性をつけるよう訓練している者にはクムラン同様、身体能力を強化する特効薬ともなる。


「勝負あり!勝者、ウィル・アルバトロス!」


 審判がウィルの手を取って叫んだ。場外に突き落とされた時点でクムランは敗北したのだ。歓声と怒号が沸き起こり、闘技場は異様な熱気に包まれる。


「よくやった!アスカトラ三人目の勇者の誕生だ!」


 観客の中でひときわ目立つ雲を突くような大男が、野太い声で叫んだ。

 蓬髪ほうはつの下の黒い瞳を輝かせつつ、近くの者と肩を組んではしきりに喜び合っている。どうやらこの男はウィルの勝利に賭けていたらしい。


(──さて、そろそろ頃合いのはずだ)


 手を振りつつ観衆の歓呼の声に答えていたウィルだったが、しだいに目の前が霞み、身体から力が抜けてきた。


「おい、どうしたんだ?勇者がこんなところで倒れちゃいかん」


 大男の声をかすかに聞きつつ、ウィルは前のめりに舞台に倒れた。

 誰かが舞台に駆け上がってくる音が聞こえたが、それももはやどこか遠い世界の出来事のように思えてくる。

 蛇咬剣の毒の力を使った反動で、ウィルの身体から力が抜けていったのだ。

 遠のく意識の中で、ウィルはあの薄幸そうな奴隷の娘の顔を思い出し、静かに微笑んだ。



「ウィル、しっかりしてください、ウィル!」


 強力に肩を揺さぶられるのを感じ、ようやくウィルは目を覚ました。

 気がつくと、ウィルの身体は噴水のそばのベンチの上に横たえられている。


「──ご心配をかけて申し訳ありません。そう言えばつい最近も、こんな場面があったような気がしますね」

「もう、冗談を言っている場合じゃありません!どれだけ心配したことか」


 コーデリアが目を潤ませつつ拳を握った。ウィルがベンチから立ち上がると、コーデリアの隣にはあの薄幸そうな奴隷娘の姿がある。


「おや、こちらの方は?」

「ウィルがこの方を買おうとしていたので、きっちり150ギルダスで買い取らせていただきましたよ。剣闘賭博というのはずいぶんと儲かるものなんですね」


 コーデリアは唇を尖らせつつも、ウィルが倒れている間に奴隷主から娘を買い取っていたらしい。ウィルには何か考えがあると思ったのだろう。


「で、ウィル、この方をどうするつもりなんです?まさか本当に奴隷にして連れ歩こうとしているわけじゃありませんよね?」


 コーデリアの隣で、奴隷の娘はそわそわと落ち着かない素振りをしている。


「もちろん、そんなつもりはございません。ただし、彼女を買ったのは私なのですから、彼女には一度だけ、主人としての私の命に従ってもらいます」

「命令って、何をする気なんですか?」

「その前に、そちらのお嬢さんの名を伺おうか」


 ウィルが問いを向けると、娘はおずおずと口を開いた。


「ミ、ミネア・アストリルです」


 娘の声は見た目に反して、活気に満ちていた。ウィルは一言頷くと、


「それではミネア・アストリル、天神アガトクレスの名において汝を奴隷の身分より開放する」


 そう簡潔に宣言した。アスカトラ合邦王国では、奴隷の生殺与奪はすべて所有者の手に委ねられている。奴隷を開放するのも所有者の胸先ひとつで可能だ。


「え、えっ、私、本当に開放してもらえるんですか?」

「ええ、貴方は晴れて自由民になれるのですよ。開放税の支払いは今日明日中にも済ませましょう。まだ懐には余裕がたっぷりありますからね」


 頬を上気させ、満面に笑みをたたえるミネアの横で、コーデリアも満足げに顔をほころばせた。


「全く、そういうことなら最初からそう言ってくれればよかったではありませんか」

「意外性のない芝居ほどつまらないものはありませんからね。詩人というものは、客にサーガのその先を予測されるようでは──」

「いやあ、あんたは実に愉快な男だ!」


 突然、よく響く声で会話に割り込んでくる者がいた。

 後ろを振り向くと、立っていたのは先程しきりにウィルの勝利を讃えていた男だ。

 浅黒い顔に満面の笑みをたたえ、革の胴衣の下の半袖のシャツから伸びる腕は丸太のように太い。

 荒れ放題の癖毛の乗った頭はウィルを見下ろす位置にあり、背中に吊った大剣のものものしさもあって居るだけで威圧されそうな風貌だが、無精髭の下で白い歯を見せつつ豪快に開けられた大口にはどこか愛嬌がある。


「あの、どちら様ですか?」


 困惑した様子で訪ねるコーデリアに、男は顔を向ける。


「おっと、こいつは失礼した。俺の名はオルバス。今は天下の素浪人だ」


 自慢するようなことでもないことをひけらかしつつ、男は胸を張った。


「ウィル、貴方とこの人とはどういう関係が?」

「試合に勝った時、ずいぶんとこの方は私のことを褒めてくれていたのです」

「おいおい、堅苦しいのはなしでいこうぜ。俺のことはオルバスでいい。ところであんた方、もう昼飯は済ませたかい?」

「いや、まだだが」


 ウィルが帽子の位置を直しつつ言うと、オルバスはいかにも嬉しげに何度もうなづいた。


「おお、それならば渡りに船だ。ここは俺に奢らせてくれないか?何しろ有り金を全部あんたに賭けたもんだから、思わぬところで大儲けしちまってね。今、この素浪人はちょっとしたお大尽であるというわけさ」


 オルバスは親指で得意げに自分の胸を指した。全額をウィルに賭けるとはよほど賭博の才能があるか、あるいは向こう見ずなのか。ウィルにはどうも後者であるように思われた。


「お言葉はありがたいが、幸い懐ならばこちらも余裕があるのでね」

「そう言わんでくれ。四海のうちは皆兄弟、と言うだろう?奴隷娘を買い取るために一命を賭して戦い、買い取ったその場で開放するなど、あんたは近年稀に見る好漢だ。これほどの人物に貸しを作れたなら、俺も生涯自慢話の種が尽きることはないってもんだ」

「そうだな、ならば喜んでご馳走になるとするか」

「ぜひ、そうさせてくれ。俺ならいい店に案内できる。見たところ、あんた達はクロノイアは初めてだろう?そっちのお嬢さんはきょろきょろとあっちこっちに目を向けてたからな。まあ気持ちはわかる。ここはやっぱり大都会だからねえ」


 腕組みをしてしきりに頷いているオルバスを前に、コーデリアは憮然とした表情になった。お上りであることを見抜かれて腹を立てたらしい。


「ええ、じゃあとびっきり美味しいお店を紹介してください。私みたいな田舎者でも味わえる料理の出るところにね!」

「あ、ああ、もちろんだ。──なあ、このお嬢さんは何を怒ってるんだ?」


 ウィルはオルバスの問いに曖昧な笑顔で応じた。この男は悪い男ではなさそうだが、人の気持ちにはあまり敏感ではなさそうだ。


「じゃあ、そっちの元奴隷の娘さんも入れて四人だな。任せてくれ、この界隈じゃとびっきりの店に連れて行ってやるから」


 そう言うと、オルバスは目抜き通りの方に向けて歩き出した。

 ウィルもさんざん汗を流した疲れから、空腹を抱えている。今はこの大男の目利きに期待するしかない。

 オルバスの広い背中を追いかけつつ、ウィルはこの先どんな美食に巡り会えるのかと期待を募らせる一方だった。

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