夢と現

(──ウィル、起きてください、ウィル!)


 どれくらいの時が経ったのか、気がつくとウィルは何者かに肩を掴まれ、強く揺さぶられていた。ゆっくりと目を開くと、そこには見慣れた女城主の顔がある。そのつぶらな瞳は、長い睫毛の下で不安げに揺れていた。


「大丈夫ですか、ウィル?」


 ようやく意識がはっきりしてくると、ウィルは地面から身を起こした。

 ほっそりとした手に助け起こされ、まだこの身が現世に繋ぎ止められていることを自覚する。


「ええ、どうやら無事なようです。本来コーデリア様をお守りしなければいけない私が不覚を取ってしまい、申し訳ございません」


 深々と頭を垂れるウィルの前で、コーデリアは慌てて手を振った。


「いえ、そんなことはいいんです。それより、あの者達は一体何者なのか……」

「おそらく、あれこそが昨日相部屋で同席した者が口にした護国隊なのでしょう」

「そういえば、何やら妙な武器を使っていましたね。矢を突き立てられた人達は、皆眠り込んでしまったようですし……」


 コーデリアが馬車の方へ首を回すと、護衛の者達は馬車の周りで倒れたまま、まだ寝息を立てている。馬車の幌は無残に切り裂かれ、幌の中の荷台はすっかり空になっていた。


「護国隊に襲われた者達が襲撃の現場を覚えていないというのは、あれが原因なのでしょうね。恐らくはあの矢も紋章武器なのでしょう。的になった者達を眠りに誘う呪法が、あの矢には込められているのです」


 矢で護衛を全員眠らせてしまえば、襲撃は速やかに終わる。

 金品を奪ったら、あとは護衛が心地よい夢を見ている間に逃げればいいだけだ。

 鮮やかな手口だが、護国隊にはウィルが矢を避けたことは予想外だったに違いない。


「そういえば、なぜコーデリア様は無事だったのです?」

「聖紋の力を最大限に解放し、彼等の耳に大音量の叱声を叩き込んでやりました。おかげで、誰も私には近寄れなくなったようです」


 コーデリアはわずかに口角を持ち上げた。やはりこの女城主は傑物かもしれない、とウィルは密かに思う。


「そういえば、あの人達の身体には矢が刺さっていませんね。確かに命中していたはずなのに」


 コーデリアは地に倒れている護衛を指差した。確かにその身体にはどこにも矢が見当たらない。状況を確認するため、ウィルはまだ気持ち良さそうに眠っている一行に歩み寄る。


「うむ、これは……証拠になりそうなものは一切現場には残さない、ということでしょうかね」


 護衛たちの首や衣服には確かに矢の刺さった穴が穿たれていたが、矢はすでに抜き取られている。不思議なことに、その箇所からは一滴の血すら流れてはいない。


「金品は強奪するのに人は殺さないなんて、妙なところで人道的なんですね」


 だらしなく鼾をかいている護衛達を見下ろしつつ、コーデリアは言った。


「護国隊という名乗りも、案外口先だけではないのかもしれません。ただの賊ではない、ということだけは確かでしょう」

「だからと言って、こんな事が許されていいはずがありません。何とかして彼等を捕縛できないものでしょうか?」


 コーデリアの問いには答えず、ウィルは地面にかがみ込むと護衛の一人の肩を揺すぶった。


「うーん……ナターリア、これ以上は飲めねえよ」


 どんな夢を見ているのか、呑気に寝言など言っている男にウィルは苦笑した。


「この調子では、彼等の口からは何も情報は得られないでしょうね。せいぜいしばらくいい夢を見ていてもらうしかなさそうだ」

「では、護国隊を追う手がかりは何もないということですか?」

「それが、そういうわけでもないのですよ」


 ウィルは外套のポケットから何かを取り出した。その掌には、二つに折れた矢が握られている。


「これは、あの者達の放った矢ですか?」

「いかにも。私の衣服の中までは気が回らなかったようですね」


 ウィルの差し出した掌の中では、やじりが翡翠色に光っている。

 目を凝らせば、そこには古代ハイナム文字が彫り込まれていることがわかる。


「緑色の呪晶石は貴重なものです。手に入るとすればエルタンシア領内のバフシ鉱山くらいのものですが、どういう経路を経て彼の者たちの手に渡ったものやら」


 エルタンシアとはクロンダイトの東方に位置するアスカトラの領邦で、アスカトラ国王クロタール二世の従兄弟である鉄槌公アズラムが治める領地だ。バフシ鉱山が産する呪晶石は紋章武器に用いられるため需要が高く、この鉱山の生み出す収入はエルタンシアをアスカトラ領内では最も豊かな領邦の地位に押し上げている。


「でも、この矢があれば、あの者達を捕らえる有力な手がかりになりそうですね」

「ええ、これで新たな詩の着想も生まれそうです」

「ウィル、私達の旅の目的を忘れないでくださいね?あくまで私達はクロンダイト公に兵を貸してくれるようお願いしに行くのであって、危険な冒険行に身を投じるためにここまで来たのではないのです」

「ええ、わかっておりますとも」


 ウィルは帽子を脱ぐと、大袈裟に一礼してみせた。コーデリアは仕方がない、といった風に肩をすくめると、ようやく顔を綻ばせた。


「それにしても、あの賊は一体何が狙いなのでしょうね。わざわざ紋章武器を用いてまで護衛を傷つけることを避け、しかし奪うものはしっかり奪うというのは……」

「実は、そのことなのですが」


 表情を引き締め、ウィルは言葉を継ぐ。


「この護衛達は、昨日我々と差し向かいに座っていた老人が平和税を非難した時に怒りの形相を向けてきました。彼等はアスカトラ政府と関わりのある者かもしれません」

「ただの傭兵ではないということですか?」

「ええ。身なりは傭兵らしく統一感が全くないのですが、傭兵にしては下卑たところもなく、妙に折り目正しい雰囲気も感じられました。あるいは、彼等はアスカトラの正規兵かもしれませんね」

「でも、正規兵なら、もっといい宿に泊まるのではありませんか?」

「賊の目を欺くためでしょう。敢えて宿の格を落としているのですよ」

「ということは、護国隊は正規兵を傷つけないためにあの矢を用いているんでしょうか?護国隊などと名乗るからには、アスカトラの兵と正面から戦うわけにはいかないと」

「まだそうと確定したわけではありませんがね。ただ単に速やかに金品を強奪するために紋章武器で眠らせている可能性もありますが、それならば護国隊などという大層な名称も必要はないででしょうし」

「アスカトラに何らかの不満を抱いている者たちの犯行──ということでしょうか」


 コーデリアが表情を翳らせた。宿で言葉をかわした老人のように、カイザンラッドに支払う平和税の重圧に苦しんでいる民は多いに違いない。


「ここで首をひねっていても何もわからないでしょう。まずはこの矢をクロノイアの警備兵に届けるとしましょうか」


 ウィルの言葉に、コーデリアは力強くうなづいた。

 だらしなく眠りこける護衛たちを尻目に、二人は西国街道を一路東へ進むことにした。


 それから三日の間は、賊の襲撃に遭うこともなく、道中は平穏無事だった。

 クロノイアに近づき、行き交う人並みも多くなるにつれ、二人の旅行者の足元も次第に姿を変えていった。

 都市の中へと続く路面は呪晶石に覆われて乳白色に輝き、その表面には旅行者の姿が写り込んでいる。この近辺には太古の文明の力がいまだに息づいているのだ。


「これは、なかなか結構なものですね。まあ、呪晶石ならフォルカーク砦にだってありますけれど」


 あえてあまり地面を見ないようにしつつ、コーデリアは言った。あまり田舎者に見られたくはないらしい。


「もっとじっくりと見てもいいんですよ。この古都には観光目的で来る者も多いんですから」

「私は物見遊山などに来たのではありません。大事な目的があるんです」


 ウィルに顔を向けようともせず、コーデリアは早足で歩く。


「やあ、城門が見えてきましたね。さすがに領邦の都ともなれば大きい。この中にどれほどの人が住んでいることやら」


 都城の外にはすでに露天商が多くの店を構えているのが見えたが、その脇を通り抜けつつウィルは城門の上に立つ二つの彫像に目を留めた。人の身体に鷲の頭と羽をつけた生き物が、こちらを睥睨している。太古の神の使いであるらしい。

 鈍い光沢を放つ城壁の輝きは、かつて古代ハイナム時代に呪法をはね返していた呪晶石のものだ。古代都市の有様を偲ばせるその姿は、見るものを思わず立ち止まらせる威容を誇っている。


 門番に通行証をみせ、場内へと二人は歩みを進める。

 人並みの多さは、さすがにワタリの宿場町などとは比べ物にならない。

 あちらが小川のせせらぎなら、こちらは人の洪水だ。すれ違う者とも時に袖が触れ合い、息遣いもすぐそばに感じる。

 呪晶石を敷いた大通りを歩くのは旅装の者から上等な絹の衣服をまとった貴婦人、托鉢の巡礼者に人相の悪い傭兵、駱駝の引くキャラバン──と、この世の喧騒をひと所に集めたような有様だ。


「まだ夕方には間がありますから、少し市内を見て回りましょうか」


 空を見上げると、まだ日は中天にかかったばかりだ。

 ウィルの言葉に従い、コーデリアはしばらく大通りを歩き、やがてクロノイアの中央区画にまで出た。広場の中央には水竜の彫像の口から湧き出る噴水があり、周囲にはベンチが並べられ、市民の憩いの場となっている。

 しかしウィルがコーデリアと二人でベンチに腰を下ろそうとしたその時、いかにもこの場にはふさわしくない濁声だみごえが響いた。


「さてそこな紳士淑女の皆様、気立てがよく働き者の奴隷は入用ではありませんか?」


 驚いて声の主の方を振り向いたコーデリアの視線の先に、派手な衣服をまとった恰幅の良い禿頭の男の姿があった。

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