阿呆鳥の狂詩曲

左安倍虎

一章 ヘイルラント辺境編

プロローグ

 蒼穹に翼を広げるたびに、かつて戦で愛する妻を失った王子が世をはかなみ、夜鷹に魂を乗せて天空の彼方へと飛び去った──という詩句が胸を去来する。

 詩人が狩られる今の世では、この有名な詩も心中で密かに思い浮かべるのみだ。

 

 しかし、そんな感傷的な者を受け入れるほど鷹とは甘い生き物だろうか。

 この鳥は負け犬の乗り物などではない。

 鷹を乗りこなすなら、より強い力で捻じ伏せなくてはならない。そう、彼女は思っていた。 

 そして、この猛禽を服従させるだけの力が、彼女にはあった。


 今こうして空を舞う鷹に、この私の魂が宿っているなど誰が想像するだろう。

 そう思いながら、彼女ははるか上空から下界を見渡した。

 初夏の風に吹かれ、眼下には麦の穂が黄金の大海のように波打っている。

 麦畑のそばの小道では、子供たちが木の枝を振り回して剣闘の真似事をしていた。


(呑気なものだ。あの子らも、いずれ本物の剣に斬り倒されることになるだろうに)


 鷹の目で無邪気に戯れる子供たちを一瞥すると、彼女は心中で呟いた。

 この実り豊かな地も、いずれは全て皇国のものとなるはずだ。

 この地の住民が枕を高くして眠れる日も、そう長くは続かない。

 この世界は皇国に、いやあの方にこそ捧げられるべきなのだ。


 彼女は麦畑を横切ると、遠目にみえてきた粗末な砦へと向かって羽ばたいた。

 中庭で開かれている市を歩く人並みの中に、ひときわ目立つブロンドの髪の少女の姿がある。

 服装こそ華美ではないが、その佇まいには侵し難い気品が溢れ出している。

 やはり血は争えない──と、彼女は思う。

 

 少女は甲冑をまとう老騎士を背後に従えつつ、屋台を構える者達と親しげに言葉を交わしていた。

 その様子を上空から眺めていると、胸の奥から黒い怒りが吹き出してくる。


(あれは、この年まで何も苦労を知らずに育った顔だ。戦がどんなものかも知るまい)


 目を閉じると、燃え盛る炎に頬をなぶられつつ、宦者に手を引かれ居城を連れ出された幼い日の想い出が鮮明に蘇る。

 悲鳴と怒号と剣戟の響きとが、今でもこの胸を抉る。

 故国すら追われた自分とあの娘とに、どれほどの差があるというのか。

 血筋ならば、この私だって決して彼女に劣るものではない。

 しかし、今は斥候として皇軍にこの身を捧げる立場だ。この地の領主であるあの娘との境遇の差は歴然としている。

 できることならば、この鋭い爪とくちばしであの呑気な顔を切り裂いてやりたい──そんな欲望に心を掴まれそうになる。だが、それは彼女に与えられた命令ではなかった。


(でも、そうしていられるのも今のうちだ。この地も遠くない将来、我が皇国の兵が蹂躙してくれる。その時あの娘がどんな醜態を晒すか、見ものだ)


 この地から始め、私を拒んだあの国を攻め滅ぼしてやる。そう心に念じた。

 人の姿であったなら、哄笑が外に漏れていたことだろう。

 しかし、鷹の姿では鋭い鳴き声が空に響いただけだった。

 少女がその声に応じ、空を見上げたのを視界の隅に収めると、彼女は幾度か空を旋回し、やがて西方に広がる森林へと向けて飛び去った。

 

 エルフの住まう鬱蒼たる大森林を抜けると、その先に彼女の仕えるカイザンラッド皇国がある。

 鷹の姿の斥候が太平の眠りについている人々の有様を伝えれば、やがてこの西方の覇者もあの肥沃な大地へと爪牙を伸ばしてくることだろう。

 後にアスカトラ年代記が「紋章戦役」と記す戦いがこの地から始まることを、この時点では王宮の占術師すら予測していなかった。

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