ヘイザムの来訪者

「ほう、で、森エルフどもを誰が説得するのだ?まさかお主が行くというのではあるまいな」


 アレイドの視線をはねのけるように、ウィルが再び口を開く。


「最初からそのつもりですが。それとも、私以外に適任の方がいると仰るので?」

「口の減らない小僧め……」

「まあまあ、待ってくださいよアレイドさん。ここはこの兄さんの話を聞こうじゃありませんか」


 また怒りを露わにするアレイドを、カイルはどうにかなだめようとする。

 こちらに目配せしてくるカイルに笑みを向けると、ウィルは言葉を続けた。


「エルフがアスカトラの敗北を招いてしまったと思われてしまっている今こそ、彼らを説得する好機なのです。アレイド殿、貴方がエルフの立場であったなら、汚名をすすぐ機会が欲しいとはお思いになりませんか?」

「奴等は人間とは違う。何を考えているかなどわかったものではない」

「いえ、私の見たところ、彼等はそこまで我々と異なっているわけではありません。少々超然としたところはありますが、心の動きも物の考え方も、それほど人とは違わないのです」

「なぜ、そう言える?」


 アレイドは苛立たしげに革靴の爪先で何度も床を叩いた。


「彼等が人と遠くないからこそ、トゥーラーンのようにアスカトラに忠誠を捧げる者も出てきたのですし、クロタール王もエルフを王妃に娶ることができたのです。そしてお二人の間には二人の子まで生まれております。人とエルフがそれほど隔たっているのなら、子など生まれましょうか」


 クロタール2世はアスカトラの領邦・アストレイアの東方の山岳エルフを味方に引き入れるため、婚姻政策を進めていた。自身は「二粒の宝珠」と謳われた族長の双子の姉パリサを娶り、妹レイラは従兄弟でありエルタンシア領邦を治める鉄槌公アズラムに嫁がせた。

 

 平和的にアストレイアの東方までアスカトラの領域に組み入れたクロタールの手腕は当時は大いに賞賛されたが、パリサの弟であるトゥーラーンがファルギーズの野でカイザンラッドに大敗したため、王の親エルフ政策は失敗だったと非難を浴びるようになってしまった。


「だがそうは言っても、エルフの連中も大概頑固だからな。今はアストレイアの山岳エルフの中では、アスカトラから離脱する動きまで出てるそうじゃないか。ヘイザムの森の連中もこの機運と無関係じゃあないだろう?肌の色こそ違うが、あいつらは同族だからな」


 カイルは麦酒の泡を拭うと、ジョッキをテーブルに置いた。


「何しろ、ファルギーズの悲劇があった後、アスカトラではトゥーラーン将軍の雪辱を果たせとパリサ王妃が強硬に主張してたからな。それを無視してクロタール王が和平条約を結んじまったもんだから、王妃は二人の娘を連れてアストレイアの居城に籠もって反乱まで起こしちまった。結局王妃は焼け落ちる城と運命を共にし、二人の娘はいまだ行方知れずだ。二粒の宝珠の片割れを失った怨みは深いんじゃないかね」


「ここはヘイルラントです。アスカトラではありません」


 ウィルはカイルを真っ直ぐに見据え、一呼吸置いて言葉を継ぐ。


「我々はヘイザムの森エルフの力を借りて、カイザンラッドを撃退しようというのです。エルフの側から見れば、これはカイザンラッドに復讐する良い機会。情理を尽くして説得すれば、きっと我等の味方となってくれましょう」


「ふん、絵空事だな。そんなことは不可能だとわかっているからこそ、カイザンラッドの連中は少数の兵力でこの城を攻めてきたのではないか」

「そう、そして主将は私に額の紋章を斬られました」


 アレイドはぐっと詰まった。ウィルという不確定要素の存在によって、カイザンラッド軍は撃退されたのだ。


「アレイド殿がおっしゃる通り、カイザンラッドではヘイザムの森エルフが我々に味方するなどとは誰も予想しておりません。そこにこそ付け入る隙があるのです。彼等の協力を取り付けることができれば、この地からカイザンラッドの者達を一掃することも叶いましょう」


 ウィルは声音に自信をみなぎらせつつ、そう言い切った。


「ですが……あくまで私達は人間です。ファルギーズの敗戦以来、エルフ達は我々に強い不信感を抱いています。よほどのことがない限り、彼等は私達を信用してくれないと思うのですが」


 コーデリアの瞳が不安げに瞬く。


「そこをどうにかするのが、我々詩人の仕事なのですよ」


 ウィルはコーデリアに向き直ると、悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。



 ヘイルラントの西に広がるヘイザム大森林は、誰もその全貌を把握していない。

 アスカトラの一領邦に匹敵する広さがあるとも言われているが、そもそもこの森の果てにたどり着いたことがある者などいないのだ。

 

 森エルフとは違い、精霊の加護を受けているわけでもないただの人間がうっかりこの鬱蒼たる森に迷い込もうものなら、魔獣の餌食となるか、良くて行き倒れているところを少妖精に見咎められ森の外まで連れ出されるのが関の山だ──とは、ヘイルラントの母親が子に枕元で聞かせる話である。

 それがどこまで真実か定かではないが、そのような伝承が生まれる程度には、この森は人間を拒んできたのだろう。

 

 その森を貫く小道を、ウィルは二人の男女を先導して歩いている。

 ウィルの後ろに従うのは、コーデリアとカイルだ。

 アレイドは連れてくると面倒なことになると思ったのか、コーデリアにナヴァル城の留主を頼まれていた。


「見たところ、それ程ナヴァルの近辺の森と変わらないようですが……」


 コーデリアは慎重に周囲を見渡しながら声を潜める。

 木々の間から突然大狼ダイアウルフでも飛び出してくるのではないかと警戒しているようだ。

 しかしウィルの見たところ、辺りに危険な気配は感じられない。聞こえるのは小鳥のさえずる音くらいで、むしろ拍子抜けするくらいにこの森を包む空気は穏やかだ。


「それにしても、エルフってのは一体どの辺に住んでるんだろうな?来てみたはいいものの、どこまで歩けば奴等に会えるのだか」


 カイルは森の奥深くまで続く小道の先に目を凝らす。


「そのことならば心配は要りません。何しろ我々は彼等にとり、目障りな存在でしょうからね」

「だったら、余計に会うことなどできないのではありませんか?」


 コーデリアの心配をなだめるように、ウィルは振り返って微笑んで見せる。


「目障りだからこそ、我々をこの森から追い出すために何か仕掛けてくるでしょう」


 ウィルの口調には迷いがない。その自信に引きずられるように、コーデリアも安堵の吐息を漏らした。


「おや、あれは……」


 カイルが指差した先から、小さな影がこちらに向かって近づいてくる。

 ウィルの前に現れたのは、剣の鞘を杖代わりにして歩き、足を引きずっている少年だった。衣服のあちこちが裂け、激しい戦闘から逃げてきたことを伺わせる。

 少年は太腿に深手を負っており、流れ出る血が点々と小道に散っている。


「トルタじゃありませんか。一体どうしたというのです?」


 コーデリアの声が焦りを含んでいた。この少年はどうやらコーデリアの知り合いらしい。


「コーデリア様、大変です。カイザンラッド軍がまた城下の家々を攻めに来たのです。僕の両親はすでに殺され、家には火がかけられました」

「なんですって?」

「カイザンラッド軍は城下で略奪を働いた後、ナヴァル城へと向かいました。コーデリア様、早く城へとお戻りください。奴等はコーデリア様の留主を狙ってきたのです!」


 コーデリアの顔面が蒼白になった。カイルもきつく唇を噛み、小刻みに肩を震わせる。


「ウィル、エルフの説得は後回しです。今はナヴァルへと戻らなければいけません」


 カイルは無言で頷くが、ウィルはゆっくりと頭を振った。


「コーデリア様、それでは彼等の思う壺ですよ」

「思う壺って、どういうことです?」

「そのトルタという少年は、城下からここまで逃げてきたのですよね?なぜ、我々はここまで彼の血痕を見なかったのでしょう?」


 コーデリアは何かに気付いたように、はっと目を見開いた。

 トルタの歩いてきた森の小道は、確かに彼の脚から滴る血で紅く染められていたと言うのに。

 

「そもそも、彼はなぜ森の奥からここに現れたのでしょう。このヘイザムは人を受け入れない場所だったはずではないのですか?どうもこの少年の行動には、不審な点が多すぎます」

「うむ、そう言われりゃそうだな……なあトルタ坊、お前、どうやってここまで来た?」


 カイルは訝しげに眉を歪めつつ、トルタに問いかける。


「カイルさん、そんなこと言ってる場合じゃないよ。早くナヴァル城のみんなを助けてあげないと!」


 トルタは取りすがるように叫ぶが、ウィルは少年に近寄り、身を屈めて囁きかける。


「よほど我々にこの森から立ち去って欲しいようですね。ですが、我々もここで黙って引き下がるわけにはいきません。さあ、そろそろ本当の姿を見せてくれてもよいのではありませんか、殿?」

「──ほう、見抜いていたか。人にしては少しは頭が回るらしい」


 トルタの声が急に大人びたものに変わった。いやに落ち着き払ったその声はずいぶん若いようにも、年老いているようにも聞こえる。その厳かな響きが森の木々を揺らすと、少年の背が急に伸び、耳が鋭く尖り、ゆったりとした長衣トーガを纏う長身の男へと姿を変えた。


「我等の領域に人を立ち入らせるのは何年ぶりだろうか」


 ウィルを見据える男の瞳は、どこか超然とした光を宿している。

 そして秀でた額には鏡のような形の聖紋が浮き、眩い光を放っていた。

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