ファルギーズの悲劇

「こ、これは……意外と難しいものなのですね」


 楽団の演奏が一巡する間に、コーデリアは何度もウィルのブーツを踏んづけてしまっていた。そのたびにウィルは微笑しつつ、丁寧にステップの踏み方を教えた。


「最初は誰でもそんなものです。しかしコーデリア様は筋が良い。修練を重ねれば、いずれヘイルラント一の踊り手ともなれましょう」

「まあ、お上手ですこと。そんなことを言っても褒美は増えませんよ?」

「こうしてコーデリア様の手を取って踊れること以上の褒美など、この世にありましょうか」


 それが詩人のお追従とは知りつつも、自然と目尻が下がってくる。コーデリアはこの祝宴が楽しくてたまらない様子だ。


「──ところで、あのカイザンラッドの者達なのですが」


 ウィルは声を低めて語りかけた。コーデリアは思わず眉をひそめる。


「このような時に無粋なことを申し上げることをお許し下さい。しかし、まだこの地から脅威が去ったというわけではないのです。あの者達は遠くない将来、体勢を立て直してまたこの城へと攻め来るかもしれません」

「……そうですね、実は私のそのことを案じていました」


 コーデリアは二歩、ウィルに向けて踏み込んだ。今度は足は踏まなかった。


「アレイド様が奮闘したとはいえ、今度の戦で討ち取ったカイザンラッド兵はわずかに二名。つまり、ほとんどの戦力はいまだ健在なのです。私の見たところ、彼らは西のフォルカーク砦を本拠地としているでしょう」


 ウィルの手の下でくるりと身体を回転させると、コーデリアはウィルの手に背中を預けた。ウィルはコーデリアの体重をしっかりと受け止める。


「そうですね、連中が拠点にできるような場所はあそこしかありません。しかし、一体どうやってあの地に現れたのか……」


 ヘイルラントの西の外れにあり、ヘイザム大森林にほど近いフォルカーク砦は古代ハイナム時代の遺跡だが、平和なヘイルラントでは古代の砦など誰も省みることもなく打ち捨てられていた。

 どうやって、誰にも気取られることなくあの砦をカイザンラッド兵が占拠できたのか。少数の軍隊であれ、ヘイルラントに入り込む者があれば自由騎士の目に留まらないはずがないのだ。


「今はそのことを論じる時ではありません。問題は、どうやってカイザンラッド兵をこの地から追い払うかです」


 コーデリアは軽快にステップを踏みつつうなづいた。確かに今は眼の前の敵とどう戦うか、それを考えなくてはいけない。


「ウィル、貴方には何か考えがあるのですか?」

「なくはありません。ですが、私の策を披露することがコーデリア様に対して無礼を働くことになるのではないか、と密かに気を揉んでおります」

「ウィル、何を遠慮しているのです?私が詩人の意見だからと聞く耳を持たない様な度量に欠ける当主だと思っているの?」


 コーデリアの真剣な眼差しがウィルに注がれる。ウィルは軽く微笑むと、


「ならば、忌憚のない意見を申し上げましょう。ヘイルラントが詩人の住めない土地になっては困りますから」


 そう言ったところで、楽団の音楽が止まった。コーデリアはウィルと手を繋いだままタイミング良くぴたりとその場に静止した。俄仕込みにしては見事なダンスを披露したたコーデリアに、惜しみない拍手が注がれる。


「な、な、何をなされておいでなのですか、お嬢様!」


 鳴り止まない拍手の奥から、雷のような大喝が降り注いだ。


「これは、一体どういうことなのです?どこの馬の骨ともわからぬ男にお体を触れさせてはならないと、あれ程申し上げたではありませんか?」


 血相を変えて大広間に駆け込んできたのは老騎士アレイドだった。アレイドは足早にウィルに歩み寄ると、額に青筋を浮かべながら食ってかかった。


「おい貴様、昼の戦いの折りは止む終えぬことと我慢しておったが、今度は言い逃れできぬぞ。お前は祝宴の陽気にかこつけてお嬢様に近づき、あわよくば我が物にしようとたくらんでおったのだろう?」

「アレイド、よしなさい。この人はそんな人ではありません」


 コーデリアは慌てて止めに入ったが、アレイドはもう彼女の言葉など耳に入らない。


「この詩人がコーデリア様に近づこうとこの城にやってきたことはもはや明らか。さあ、正直に白状せい。お嬢様に対し邪なる心を抱いたことを素直に反省すれば、命だけは助けてやる」

「ええ、確かに私はコーデリア様を口説き落とそうとしておりました。そのことは認めましょう」

「ほう、開き直ったか。だがそれで許されると思うな。お前のような不逞の輩はこの場にはふさわしくない。今すぐここを立ち去れ」


 こわい白鬚を震わせつつ叫ぶアレイドの叱声を、ウィルは涼しい顔で聞き流している。


「ここを立ち去るには吝かではありません。しかしその前に、私がどうコーデリア様を口説こうとしていたのか、お知りになりたくはありませんか?」

「そんなことを知ってどうなるというのだ。ヘボ詩人の口説き文句など聞きたくもない」

「いえ、聞いていただきます。このナヴァル城の戦力だけでは、カイザンラッドの来襲を防ぐことはできません。願わくはこの私をヘイザムに派遣し、森エルフの協力を取り付けることをお許し下さい──と、申し上げようとしていたのです」

「なっ……」


 アレイドは絶句した。目を剥いたまま、肩をわなわなと震わせている。

 

「この無礼者め、言うに事欠いて我等だけの力ではカイザンラッドに立ち向かえないと申すのか!しかもあの気位の高い森エルフどもの力を借りろだと?世迷い言も大概にせい」

「まあアレイドさん、ちったあ落ち着いてくれ。この兄さんの言うことにも一理あるかもしれませんぜ」


 口の周りに麦酒の泡をたっぷりと付けたカイルが見かねて、老騎士をなだめにかかった。


「そりゃあ俺達だって、このヘイルラントを守る気概なら誰にも負けないつもりさ。だが、あいつらの兵力は俺たちを大幅に上回ってる。俺達が城下の火事を消し止めに行った時、あちこちに散らばっていたカイザンラッド兵はざっと五十人程度はいたようだ。ナヴァルを襲った本隊は十数名くらいだったから、奴等は合わせて六十人はいる。フォルカーク砦に残してきた連中もいるだろうし、合わせれば百人は下らんかもしれませんぜ」

「うむ……」

「対して俺達自由騎士は、アレイドさんを入れても三十一人だ。しかも俺たちゃみんな素人だ。おそらくカイザンラッド兵は全員が専業の兵士だろう。こいつらに俺たちだけの力で立ち向かおうってのは、ちょいと分が悪い賭けでしょう」

「それがどうした。三倍程度の兵力ならば、ナヴァルに籠れば撃退できよう」

「でも、奴等は紋章武器を持ってるんですよ?そんじょそこらの兵士とは違う。奴等は一人で五人分の戦力はあると考えなくちゃいけませんぜ」


 ウィルは昼のナヴァル城の中庭でカイザンラッド兵が暴風を巻き起こしたことを思い出した。本来は聖紋の持ち主しか使えない能力を武器に封じ込めた紋章武器は、高度な呪晶技術を必要とするためごく少数しか出回っていない。

 そのような物を手にしている事自体、ハリドの率いる部隊がカイザンラッドを代表する精鋭部隊であることを示していた。


「何が目的かは知らんが、カイザンラッドの連中は必勝の構えだ。今日はたまたまこの詩人の兄さんが加勢してくれたから勝てたが、今度もこううまく行くとは限らんでしょう」


 淀みなく話し続けるカイルを前に、アレイドは腕組みして黙り込んだ。


(これは助かる。彼が私の言いたいことをすべて代弁してくれた)


 ウィルはカイルに心の中で感謝を捧げた。

 ヘイルラントの自由騎士は、普段は鋤鍬をその手に握っている農夫の集まりだ。

 勇猛ではあり、この辺境の地を守りたいという気持ちは誰よりも強いとはいえ、その志だけでこの肥沃な大地をカイザンラッドの精鋭から守りきれるものではない。


「しかし、だからといって森エルフなどが我等に力を貸すと思うか?よもやファルギーズの悲劇を忘れたわけではあるまい?エルフが今ほど人間を信用していない時代もないのだぞ」


 アレイドはようやく怒りを収め、声の調子を落とした。

 中原諸国に住まう者で、「ファルギーズの悲劇」を知らない者はいない。

 今を去ること七年前、アスカトラ合邦王国の山岳エルフの期待を一身に背負い出陣した若き武将・トゥーラーンの率いる三万の兵がカイザンラッドの巧妙な誘引戦術の罠にかかり、ファルギーズの野に壊滅したのだ。

 降伏した一万の兵は全員が見せしめのために穴埋めにされ、アスカトラの国民は恐怖のどん底に突き落とされた。時の国王クロタール2世は完全に戦意を喪失し、和平条約に調印せざるを得なかった。


 大敗を喫したアスカトラは和平を結ぶために十年間の「平和税」の貢納という屈辱的な条件を飲まされ、この時以来アスカトラ合邦王国とカイザンラッド皇国の国力の天秤は、完全にカイザンラッド側に傾いた。

 敗戦の原因を作ったのがエルフだったため、それまで比較的良好だった人間とエルフの間に決定的な亀裂が走った。

 エルフ側では人間界に関わるからこの様なことになるのだという世論が盛り上がり、人間は人間でエルフの力を侮るようになってしまった。両者の間に生じた間隙は、七年の時を経てなお埋められてはいない。


「だからこそ、です。今こそ我々とエルフとの絆を取り戻すため、力を尽くすべきなのではありませんか」


 ウィルは声に力を込めた。皆の視線がウィルに集まる。

 射すくめるようなアレイドの眼光をものともせず、ウィルは口元に不敵な笑みを浮かべた。

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