百物語実験 ~魔術師の森物語~

ひょーじ

百物語実験

「はーい、それじゃはじめるよー」

 ミルラは甲高い声でそう告げると、小さな体で腕ごと背伸びをするように杖を振った。動き回るのに不自由しない程度の光を放っていた「冷たい炎」が、すうっ、と小さくなって消える。

 一瞬闇に沈んだその銀髪と緑の目が、同時に灯った百の蝋燭に照り映えた。

「ほっほっほーぅ、始めるのですかなぁ? では、あたくしになーんでもお・聞・き(はぁと)」

「あんたは必要な時に喋ってくれればいいよ」

 ミルラは『それ』の言葉に答えながら、カーテンを閉める。

「火のつけ忘れはない?」

「ないと思うぜー?」

 問われて、炎術師のイクスはぐるりと部屋を見渡す。

 小さな炎の群れに照らし出される棚には、髑髏や試薬ビンがずらりと並んでいる。

 微かに光る妖しげな粉の満たされたビンには『○○さんの粉』と、何が素材になったのやらわからないラベル。

 天井からは、だらんと下がったロープが首吊りよろしく人間の全身骨格を支えている。

 ここは、死霊術師ネクロマンサーであるミルラの研究室だ。

「こーいう実験の舞台セットとしては優秀だよなあ、ここはさぁ……」

 蝋燭の微かな熱気と光が、呟くイクスの燃え立つような髪を巻き上げる。床の魔法陣を照らし、その中央に生えた本日の主役を浮かび上がらせる。


 下から。

 下から。

 立派なひげをつやつやリップの上に鎮座させたキュウリを、下から。

 あおりで。


 不気味も怖いも通り越して何やら『珍妙』としか言いようがないそのオブジェは、魔法陣の中央から伸びた幹とそれに繋がる茎に支えられ、濃い緑色に茂った葉の間にただ一つぶらりと下がっている。

「ほっほほほーぅ、火事にならないようにお願いしますわよぉ? あたくし、火は嫌いですの」

 オブジェが、野太い声でそうのたまった。


 魔界生息種植物系魔の一種、パパカンバー。

 その根に知識を蓄える博識の魔。

 通常、召還によって魔法陣の中央にその姿を現す。


「……このどー見ても不気味なオカマキュウリが、本当に博識だってぇの? ちょっと信じられないんだけどさ」

「あーら失礼な。あたくし、こう見えても古代の知識を求めてよく呼ばれましてよ?」

 口さがなく言うイクスの疑問はむべなるかなだが、本人(?)も述べている通りれっきとした事実なのだから仕方がない。ちなみにミルラが呼び出しを依頼した召喚師はさっさと帰ってしまったそうで、多数の蝋燭に火をつける手間を省くためにイクスが呼ばれた時には既に影も形もなかった。

……まぁ、この魔の形状を見てしまうと、何となくその気持ちはわかる気がする。

「さ、知識は蓄えただろうし、元々怪談の百や二百は知ってるんでしょ?」

 ミルラが、パパカンバーの気を引くためにぽんぽん、と小さな手を叩く。その横では「不要な怪談本」の提供をミルラから依頼された文士のフォルが、黒のマントに身を包んだまま所在無げにおろおろしていた。

 本の破損状態には慣れているフォルも、さすがに『おかしなキュウリが真っ赤なクチビルでもごもごと本を食べる』という現象にはついていけていない。そうやって知識を蓄えるのがこの「パパカンバー」だという事なのだが、ちょっとこの物体とはお近づきにはなりたくないしご一緒するのもできればご遠慮願いたい、というのが本音だ。

 フォルは、肩までの黒髪にそわそわと手ぐしを通しながら『では、もう帰ってもいいでしょうか』の一言を切り出すタイミングをはかりかねていた。状況に気をとられると取り落としそうになる帽子を落ち着きなく持ち替え、ずり落ちたメガネを神経質に直す。

「ほほーう、小生、元々怪談というものではないかもしれませんが物語は多数知っておりますよぅ?」

「じゃあ、それを一つずつ。この蝋燭一本につき一つ、話して頂戴。蝋燭が、全部消えるまで」

 そんな思惑はお構いなしに、主宰と主役の間で話が進行していく。


 ミルラがやろうとしているのは「百物語実験」。

 深夜、百の蝋燭を灯し、恐ろしい話を一つ語るごとにそれを一つずつ吹き消していく。

 最後の蝋燭を吹き消した時、その物語によって蓄積された恐怖やエネルギーによって死霊や魔に関わる不可思議な出来事が起こる、という迷信の一種だ。

 今でこそ迷信とされているが、これはかつて森で行われていたれっきとした儀式魔術の一環だったらしい。古い古い時代のもので、効果も不確かだったため現在では一般的な娯楽とされているが、今なお百の物語を語り尽くしたら事故が起こった、といううわさをちらほら聞くいわく付きの実験だ。

 本当は多人数がかわるがわる語るのだが、それでは手が足りない上に物語のストックも足りそうにないので、ミルラが語り手としてのパパカンバーを調達。知識の一環として数冊の怪談本を与え、今に至る。

「さ、始めましょ。見届け人も二人いる事だし」

「うへぇ、俺も聞くのかよ!?」

「読むのは平気ですけど聞くのは苦手なんですよー!?」

「あれは、もう百年ばかり前の事ですなぁ、ほっほっほ……」

……強制参加者の悲鳴をBGMに、物語は始まった。


 ひとつ。蝋燭が消える。


「……その角から長くてしろーい手がひゅるーーっと……」


 ひとつ。蝋燭が消える。


「結構死霊にまつわる話が多いわねえ」


 ひとつ。部屋の明度が、ゆっくりと落ちて行く。暗闇に向かって。


「これでこの話はおしまいです。……おっほっほーぅ」

「話の最後にいちいち笑わなくていいわよ……」


 ひとつ。


「ううう、本置いて帰ればよかったああ……」

「まあ、ちょっとくらいお付き合い下さいな、おっほっほ」

「(……とっても『嫌です』って言いたいんですが……)」


 ひとつ。


「最後にコレ、また火ぃつけてもいいんかな……」

「実験終わり、ってあたしが言ったらね?」


 ひとつ。



 ひとつ。

 ひとつ。

 ひとつ……。



 そして。

 明け方寸前の、最も暗い時間。

 最後の炎が、消えた。



 じっと待つ気配。

 誰かが、息を呑む音。



 唐突に、静寂を破って声が響いた。

「ほーほほほほほほほほ」

「うわあぁっ、変なところで笑わないで下さいいぃっ!!」

 突然のパパカンバーの笑い声にフォルが悲鳴を上げる。

 と。


「『ほーほほほほほほ』」


 増えている。


「ほーほほ『ほほほほほ」ほほほ』


 笑い声が。


「ほほ『ほーほほほほほほほほほ』ほほっほっほ」


 右から左から。正面から。


『「ほほーほほほほほほ』」


 不気味に響き渡る。


「『おっほっほっほっほーぅ』」


 野太い二重唱が迫る。


「だあっ、もう何事だっつーのっ!」

 ば、と暗闇でイクスの手が閃いた。一斉に蝋燭に火が灯る。

「あー、まだ終わりって言ってないのに!」

 ミルラの抗議と同時にイクスの目に飛び込んできたのは。


「ほっほっほー」


……真っ赤なクチビルだった。

 イクスの鼻に食いつかんばかりの。


「おーほほほほほほー」


 つやつやぷるぷるの肉厚な唇が、目の前に迫る。

 そしてそれと全く同じ唇が、フォルの目の前にもあった。


「『おほーほほほほほほ』」


 新鮮ぴっちぴちのパパカンバーの実が二つ、一つの幹からそれぞれ同時にその場の男性に迫るの図。


「あら、増殖した?」

 けろりと呟くミルラの横で、口をぱくぱくさせていたフォルがあわあわと後ずさって背後の棚に張り付く。その勢いで髑髏が棚から落ち、フォルの黒ずくめの膝の上にすぽりと収まった。

「うわあああああああああぁっ」

 髑髏と目が合い、反射的に悲鳴が飛び出す。

「ああ、ダメよガスパーさん、お客さんの膝に乗っちゃー」

「がすぱーさんって誰ですかあぁーーっ!」

 大パニックのフォルをよそに、

「犯人はお前かーっ!!」

 イクスは怒りに任せて目の前の実を引きちぎった。そのままの勢いで真っ赤な唇めがけて発火魔法を発動しようとした瞬間、

「いやあああぁん」

 そこから飛び出た大変野太い悲鳴が脳髄に突き刺さり、イクスの中で何かがぷちんと音を立てた。

「でえええい、お前なんぞ潰れて土に埋まってしまえええええ!」

 げしげしと実を足で踏みつけ、誰が止める間もなくカーテンを開け放ち窓を開け放ち、

「でりゃあああああ!」

……投げ捨てた。

 あーれぇー、と奇妙な悲鳴が尾を引いて、実験の副産物(?)は暗闇に呑まれて消えていく。

「あーあ。……もうちょっとしたら面白い事も起こったかもしれないのに」

 あまり残念そうな顔もせずに、ミルラは残った実を眺める。

「ほーっほっほ。めーずらしいですわねえ、二つになりましたわよぅ?」

 くねくねと揺れながら、真っ赤な唇が他人事のようにのたまう。

「……何でそうなったのか、聞いても無駄っぽいわねえ」

 ミルラはフォルの膝からひょいっと髑髏を取り上げて棚に戻し、ため息をついた。つられて、他の二人からもため息が漏れる。

 そのため息の意味合いはそれぞれ違ったと思うが、ともあれ奇妙な一夜の実験はこうして終わったのだった。


「ほーほほほほ、して、あーたくしはこれからどうすればよろしいのかしらん?」

「……気が済んだら帰ってくれていいわ」

 すっかり外が明るくなった頃。

 少女特有の高い声で淡々と告げ、ミルラは残った実をもぎとった。

 おひょーーーーぉう、とかいう奇妙な悲鳴が朝っぱらから響いたと同時に、他の家の窓から何故か踏み潰された野菜が一斉に投げ捨てられたとか何とか。


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