第4話 魔術師の森の風見鶏

 夜明け前から、穏やかな風が吹いている。

 ここは、森にあっておそらく有数の高さを誇る建造物「風見の塔」。

……とはいっても、実際の高さは平屋を三つか四つ積み上げたくらい、森の木々の上に頭を出す程度。鉄骨と板で作られた、骨と皮ばかりのひょろ長い塔だ。

 見てくれからもわかる通り、この塔には居住や研究のためのスペースはない。

 基本的に魔法による空中浮遊等が使えない、高い場所から森を見渡す術を持たない「技術師」が多く住むストリートならではの建造物、と言える。

 なお、自治会の「管理塔」を除けば、森で塔を立てる魔術師というのは相当に大掛かりな何かをやっているか、恰好をつけたい変わり者だけだそうである。



 塔のてっぺんには、呼び名の由来でもある大きな風見鶏がある。そこで、風を見つめる一人の青年がいた。

 風と太陽に染められ、擦り切れて色あせたマントが風にはためく。油染みた皮手袋、短めの黒髪。視界を確保するためのゴーグルをかけ、彼は夜明けの少し前から真っ直ぐな眼差しで風を見つめている。


 風見鶏に、しっかとしがみついて。


 ここまでの雰囲気、台無し。


 彼はロゥタ(通称)。元企業の勤め人だ。寝坊・居眠りの常習犯だった彼は、職を辞してこの森に単身住み着いて以来大層早起きになった。

 毎日毎朝、夜明け前から飽きもせずに風を見る。これは研究の準備の一端だそうだ。


 塔の足元にへばりつくように伸びている平屋は、彼の住居と格納庫。

 出入り口は大きく開け放たれ、その中には世間でもあまり馴染みのないからくり機械が──飛行機械が──鎮座している。

 箒を三、四本並べた程の幅だろうか。

 薄明かりに鈍く浮かび上がる、滑らかなフォルム。

 人工の……異形の、翼。

 魔法で飛ぶ術を持たないロゥタの「翼」……に、なるはずの、もの。



 ロゥタは元々、社内でも一目以上置かれるアイディアマンにしてヒットメーカー、手についた技術だけで食べていける「職人」でもある、稀有な会社員だった。

 それも、既に過去の話。


 仕事に追われる事がなくなった今、彼は無心に夢を追いかけている。


 自身の見てくれへの気遣いとシリアス加減は、既に横に置いて久しい。



 いい方角から、いい風が吹いて来る。

「うん……これなら」

 試験飛行ができそうだ。今日こそ飛べる。


 少なくとも、ロゥタは毎回「必ず飛ぶ」と思っている。近所の通りの魔術師達は、絶対飛ばないと思っている。そして近隣には毎回避難勧告が出され、最終的には治療術師が現場にすっ飛んでくる。


 密集した森の木々の向こうにまばゆいばかりの光点が現れ、みるみるうちに膨らんで行く。

 夜明けだ。

 次々と色を変え、表情を変えていく空。森の木々を照らして行く光。風になびく雲。

 朝食の時間まで、ロゥタはしばしこの光景に見とれる。


 そんな時だった。


「……まーってー……」


 声が、聞こえた。


「んー?」

 風見鶏の上から首を伸ばし、声の方向を見る。

 今の声は、ご近所のエリカさんだと思うのだが。

「まーっーてーっ……あたしのー……」


 きぃこ。


 風見鶏が尻尾を振り、視界に入りかけたエリカの姿がひょいと消える。

 きぃこきぃこと音は鳴るが、そこはロゥタの気合入りの手入れが行き届いた風見鶏。大人一人をぶら下げたままでも、僅かな風で向きを変える。


 きぃこ。


 風見鶏の向きが元に戻ったので、ロゥタはまた首を伸ばす。

「あたしのー、あーさー」


 きぃこ。


 走って行くエリカが視界に入ったところで、またも視界が回る。きしる音で、何を叫んでいるのかよく聞こえない。

「くぉのっ、こっち向けっ!」

 ロゥタは体で反動をつけ、強引に風見鶏を回した。この風見鶏、かなり大型なのでしがみついていると足が屋根に届かないのだ。うまく反動がつけられないので、風見鶏に手首をくくりつけていた革紐を外した。この時点で、ロゥタの頭は「風見鶏から素直に降りる」という選択肢を忘れている。

 再度、何とか首を伸ばした。

「……まーってーぇ……」

 走るエリカの前の方を、何か銀色の点が移動して行く。


 きぃこ。


 再三向きを変える風見鶏に逆らうように、ロゥタは腕と体をぎりぎりまで伸ばして視界を確保する。が。


 手が。

 滑った。


「うっ、わ────っ!!」


 落ちた。



 落ちた先は自宅の庭先。見慣れたクッションの山が、走馬灯を回しながらこの日もロゥタを抱き止めた。



 庭に常時積み上げられているクッションは、防水・防火・耐久性、衝撃吸収性能抜群。開発者はここ(錬金術通)のマスター、きっかけは毎朝のこの風景である。さすがに毎回重傷で倒れられてはたまらなかったのだろう。

 これのおかげで、手を滑らせても軽傷で済むようになった。

 いつも通り、ほうほうの体でクッションの中から抜け出す。


「……あれ」


 違和感を感じて首に手をやる。

 回らない。

 借金した覚えはないんだがなあ、としょうもない冗談が頭に浮かぶ。

「っ、とと……」

 治療術師とマスターに連絡を入れるべく、ロゥタは出来損ないのからくり人形のようにぎくしゃくと立ち上がり、よっこらよっこらと家に入った。

 治療が早く終わって、テスト飛行ができるといいなあと思いながら。



 エリカの不審な行動は、落ちた拍子に頭から吹っ飛んでしまったらしい。

 まあ、いつも通りの朝では、あった。

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