プロミステイク ~俺と彼女の中二モード恋愛ゲーム~

阿津沼一成

第1話 サイカイ

窓からの日差しに、俺は瞼に軽い刺激を覚える


枕元の時計を薄ぼんやりとした目で見ると、

針は結構シャレにならない時刻を指していた


ヤバっ!


俺は急いで飛び起きると、慌てて制服に着替える


一度、6時前に目が覚めたのだが、そのまま微睡まどろみを楽しんでいたら寝過ぎてしまった


どうやら、先日思い切って買った抱き枕の寝心地の良さが仇となったようだ


・・・一応誤解の無いように言っておくが、半裸のアニメキャラがプリントされたようなアレではない


低反発素材を使用し人間工学に基づいた形状に作られた、

それなりに値段の張ったものである


睡眠をこよなく愛する俺は、更なる良質な眠りを得るため、

バイト代をコツコツ貯めて買ったのだ


俺の自慢話に友人達の反応は『なんでよ?』といったものだったが、

そんなものは大きなお世話というものである


俺はネクタイを締めつつ机の上の鞄を手に部屋を飛び出す


階段を駆け降りリビングへと入ると、テーブルで姉さんが朝食をもくもくと食べているところだった


「おはよーん、けーくん。まっててね、いま、ごはんよそうから」


姉さんはメガネの位置を直し俺の顔を見ると、いつもの間延びした喋り方でそう言って箸を置き、椅子から腰を浮かせた


「おはよう姉さん。ゴメン、寝過ごしたから朝メシいらない」


俺の言葉に姉さんは腰に手を当てると眉を寄せる


「もお!だめよ朝はちゃんとたべないと・・・。

クルマで送ってあげるから、たべてきなさい」


「マジ?アリガト、助かる」


俺の返事に姉さんは相好を崩す


「したくしておくから顔、洗ってきなさいねぇ」


そう言ってキッチンに歩いていった


・・・・・・


顔を洗ったあと食卓につくと、温め直した味噌汁を姉さんがよそってくれる


おかずは目玉焼きに漬物、煮豆といったごく定番のメニューだ


「いただきます。・・・母さんは?」


「んー?仕事みたい、しばらく前にでかけてったよ。

あたしも今日からしごとだから、向こうに戻るね」


姉さんは家を出て一人暮らしをしているのだが、

月に一回くらいの割合で週末この家に戻ってくる


「ごちそうさま」


食べ終わって空になった食器を持って席を立つ


「もう終わり?おかわりは?」


姉さんが不満げな顔で聞いてくる


「朝からそんなに食べられないって」


背中越しにそう言いながら、食器を流しの中に置く


「えー、そんなんじゃ、おなか出ないぞ」


「出す気ねーよ!・・・あのな、世の女たち皆がみんな姉さんみたいに

『デブ専』なわけじゃないんだからな?」


俺はツッコミつつ溜め息を漏らす


「ひどいわけーくん、あたしは別に『デブ専』なんかじゃないのに。

ただ『ちょっと恰幅のいい男性』が好みなだけなのに」


そう言いながら姉さんは頬を膨らませた


「まあ、とにかくだ。俺はまだこの歳で腹を出すつもりは無いんだよ」


「なによお。・・・あ、もしかして、けーくんの好きな相手が

スリム体型好みだとか?」


不意にそんな事を言ってくる


「そんな子いないよ・・・って、いくらクルマでも

そろそろ出なきゃマズイって」


俺は壁の時計を見ながらそう言う


「あら?・・・じゃあそろそろ行こうか」


姉さんもお椀に残った味噌汁を飲み干すと席を立った


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


「でも、ホント助かったよ。危うく新学期早々遅刻するとこだった」


姉さんの運転する車の助手席で俺はそう礼を言う


「どおいたしまして~。・・・でも、けーくんももう高二かぁ、

せえしゅん真っ只中だねえ。・・・さっきの話の続きだけど、

ホントに好きな女の子とかいないの?」


横目で俺を見つつ、そんな事を聞いてきた


「ん~?別に今のところは・・・特にいないかな」


「ふ~ん・・・じゃあ好きな男の子は?」


「いてたまるか!」


俺は姉の素っ頓狂な質問に瞬時にツッコミを入れた


「つまんないなあ・・・。あっ、あの子とはどうなの?」


姉さんは不満そうな顔をしたあと、思い出したようにそんな質問をしてきた


「あの子って・・・どの子?」


誰の事だろうか?

特に心当たりもないが


「ほらぁ、まえに話してたじゃない?なんか放課後の教室に二人っきりでぇ、

何かのお手伝いをしてあげたんでしょ?」


にんまりしながらそんな事を言う


「ああ、委員長の事か。あれはただ、クラスアンケートの集計を

手伝っただけだよ」


去年の十二月頃のことだ


図書室で用事を済ませ教室に鞄を取りに戻ったら、委員長が一人で

アンケートの集計作業をしていた


何となく放っておけなくなった俺は少しだけ手伝いをしたんだ


「んもう、それって絶対フラグ立ってたよぉ」


俺の素っ気ない答えに姉さんは不満の声を上げた


「フラグって・・・、そんなものはただの勘違いだよ。

そんな簡単に恋愛感情は発生しないって・・・

大体また同じクラスになるとも限らないし」


そうだ、勘違いの空回りなんて・・・あんなみっともないものはない


「あー、クラス替えあるんだ」


「ああ、ウチの高校、2年でクラス替えして

そのまま卒業まで同じクラスっていうシステムらしいよ」


3年進級時にクラス替えしないのは、たぶん受験を控えた状況で

あまり環境を変えないようにするってことなんだろう


「うーん、新しいクラスメイト・・・新しい出会い、

これはイベント発生の可能性大ね!」


隣で姉さんは勝手に一人で興奮していた


「イベントって・・・。ゲームじゃないんだからさ」


俺は苦笑しながら言う


「けーくん。人生なんてゲームみたいなモンなのよぉ。

ただし、セーブもリセットもコンティニューもできないけどね」


そう言いながら姉さんは『にゃははは』と笑った


・・・やれやれ


俺は肩をすくめて溜息をつくしかなかった


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


「ここでいいよ、アリガト姉さん」


学校へ続く坂道の下で俺は姉の車から降りた


「ん、またひと月くらいしたら帰るね~。

それとけーくん、イベント発生したら選択肢間違えちゃダメよぉ~

げんじつせかいはリセット不可だからね~」


「へいへい・・・」


姉さんのよく分からない忠告に俺は生返事で答えた


クルマで来たとはいえ既に道を歩く生徒はまばらになっている


少し早足で歩いていくと見知った二人連れの背中が見えた


「よ、おはよ」


後ろから声をかけると振り返った二人が挨拶を返してくる


「おはよう義川」


「よお義川」


親友・・・というよりは悪友と言ったほうが近い


眼鏡をかけた柔和な顔立ちの方が里雨佑一サトウユウイチ


ロン毛でちょっとナンパな雰囲気の奴が棚架徹タナカトオル


サトウとは一年のとき同じクラス


タナカのほうは別のクラスだったが、もともとこの二人は中学からの友人同士で、よくタナカがうちのクラスへと遊びにくるうちに三人で連むようになった


あ、ちなみに義川ってのが俺の名前だ


義川経吾よしかわけいご


姉さんは『けーくん』と呼ぶが、

もうそろそろその呼び方も変えて貰いたいところだ


三人で連れだって校門をくぐると、昇降口前は生徒で一杯だった


新しいクラス分けが貼り出されているからだろう


「どれどれ・・・俺達は何組だろうな」


タナカがそう言いながら貼り紙に歩き出そうとしたとき、

後ろから声をかけられた


「おはよう、義川くん。サトウくん。あと・・・タナカくん、だったよね」


振り返ると眼鏡をかけた女生徒が歩み寄ってきた


「ああ、委員長・・・」


彼女がさっき姉さんとの話題に上った人物だ


俺も『おはよう』と挨拶を返す


「オハヨー委員長。あ、藤森さんもおはよう」


タナカが歩みを止めると、委員長とその後ろからやってきた

もう一人へと声をかけた


「タナカ君、それにサトウ君もおはよう」


5人でそれぞれ挨拶を交わす


「よかったわね、三人とも同じクラスよ。私と美菜もね」


つまりここにいる全員同じクラスってことか


ちなみに美菜っていうのはフジモリさんの下の名前だ


彼女達とは1年でも同じクラスだった


「マジで!?ラッキー」


タナカとサトウがハイタッチで喜びを表す


「三人ともよろしくね。うふふ・・・楽しい二年間になりそうね」


フジモリさんが意味ありげに微笑んだ


まあ、この子が意味ありげな喋り方をするのはいつものことなんだけど


「そ、そうだねフジモリさん」


そんなフジモリさんのセリフにタナカが期待に満ちた反応を見せる


なんて分かり易い奴だ・・・


そんなタナカに俺とサトウは目を合わせて苦笑した


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


教室に入るとみんなそれぞれ何人かで固まって雑談をしていた


委員長とフジモリさんは女子のひとかたまりに歩いていく


俺達3人は適当に空いている椅子へと座り、取り留めのない会話を始めた


「なあ、このクラスって結構女子のレベル高くね」


一通り教室の中を見回したタナカが声を潜めてそんな事を言ってくる


「そうだな。・・・でもお前はフジモリさんがいれば

他は別にいいんじゃないの?」


「う・・・義川、でかい声出すなよ」


タナカがフジモリさんの方を横目で窺いつつ慌てた声を上げる


「いつになったら告るつもりなのさ」


そんなタナカの反応にサトウがさらに追い打ちをかける


ホント、からかい甲斐のあるやつだ


教室内を見回すと、一年の時とあまり変わりの無い光景が広がっている


有り触れた日常の風景


うん、悪くない


多少退屈でも平凡で平穏が一番だ



そんなことを思いながら教室の前の入り口へと視線を向けた時だった


一人の小柄な女生徒が入ってくるのが見えた


俺はその姿に、つい目を奪われる


それは他の生徒も同様だったようで、

一瞬教室内の時間が止まったような錯覚を覚えた


小柄な体のその女生徒が『美少女』と言って差し支えない容姿をしていたからだ


それも、とびきりの


艶やかなセミロングの黒髪


その前髪が顔にかからないよう、銀色の十字架に似た髪留めで纏めている


端正な美しさを持った顔は、整いすぎてまるで作り物の人形のようだった


一切の感情を取り払ったような無表情が

その『作り物感』をさらに倍加させている


そして、その瞳は暗く濁り・・・まるで死んだ魚を連想させた


「おぉ」


「げ・・・」


そしてそんな彼女に対して両隣の友人達はまったく正反対の反応をする


サトウは感嘆の声を漏らすが、タナカはあからさまに顔をしかめた


彼女は感情の読み取れない眼差しで教室の中をゆっくり見回すと静かに歩き出す


俺たちの脇を通り過ぎる時、チラリと一瞬目が合うが、

それは道端の石ころでも見るような・・・


特に興味もないものが視界に入ってきたような反応だった


「・・・またあの女と同じクラスかよ」


通り過ぎた彼女の背中を見ながら、タナカがそんな呟きを漏らす


「すごい美少女じゃん・・・知ってる子?」


サトウが目を丸めてタナカに尋ねる


「前に話したことあるだろ?ウチのクラスの中二病女」


タナカが声を潜めて答える


「へぇ、あの子がそうなんだ・・・」


「なんか・・・自分はアニメだかマンガだかのキャラクターの、

生まれ変わりなんだとさ」


げんなりした顔で言うタナカに

サトウは頭に『?マーク』を浮かべたような表情をする


「え、なにそれ?・・・アニメやマンガって・・・それってフィクション・・・実在しないものだよね?それの生まれ変わり?」


「なんでもあの女の言うことにゃ、そのマンガの作者も

自分と同じ異世界からの生まれ変わりで、

前世で実際にあったことをマンガに描いてるってことらしいぜ」


「それは・・・斬新な考えだね・・・・・・・」


サトウが複雑な笑い顔を浮かべる


「あの通りの見てくれだからな。

1年の最初の頃は俺も含めてクラスの男どもはみんな色目使ってたし、

他のクラスや2,3年の男子からも言い寄られてたらしいが・・・

あまりにも痛すぎる中二っぷりに2学期の中頃には

もう、誰も近寄らなくなってたな」


「へえ、それは・・・美人なのに勿体ないなあ」


サトウが歩いていく彼女の背中に視線を向けながらそう言う


「お前、口説いてみるか?」


タナカが意地の悪い笑みで言う


「え?!・・・うーん、それはちょっとハードル高いかなあ。いろんな意味で」


苦笑いで曖昧に答えるサトウ


件の彼女は教室の後方、窓際の一番後ろの席へと向かう


しかしそこにはもう既に別の生徒が座っており、

友人と見られる他の生徒たちと談笑していた


少し軽く髪を染めた女子生徒で、ちょっと不良っぽく見える


そこに彼女は無言で歩み寄ると、その席をじっと見下ろした


彼女の気配に気付いた女子生徒は怪訝そうな表情で顔を上げるが・・・


相手の顔を確認した途端、ギョッとした顔で固まる


そして慌てて席を立ち鞄を手にすると、

そそくさと彼女の脇をすりぬけ空いている別の席へと移動していった


周りの友人達も顔色を変えてそれに続く


「あらら・・・一睨みでどかしちゃったよ」


彼女らのやり取りにサトウが驚いた呟きを漏らす


「・・・あいつら1年の時、あの女のこと生意気だって言って

シメようとしたらしいんだけど、逆にヒデエ目にあわされたらしいんだ」


「ヒデエ目ってどんな?」


「詳しくは知らん。だけどそれ以来あの女には他の女子も

みんな関わらないようにしてるみたいだ」


タナカの解説を聞きつつ当の彼女を窺う


奪い取った席に座った彼女は教室の中には全く興味無いようで、

頬杖をついて視線を窓の外へと向けていた


その姿は、周りの全てを拒絶している・・・というより、

単に全く関心が無いだけなんだろう


「どした?義川、一目惚れでもしたか?」


タナカのからかうような声に意識を現実に引き戻す


「・・・まさか」


俺は短い言葉で否定する


ただ・・・ちょっと見とれていただけだ


彼女の佇まいに軽いデジャブのような錯覚を感じたから


ああ、そうか


ふっとその理由を理解する


『窓際の一番後ろ』ってマンガやアニメとかの主人公が座る定番中の定番席だ


そして、あの『頬杖のポーズ』も


今の彼女は『自分で設定したキャラクター』になりきっているのだろう


そう考えると確かにちょっと『痛い』かもな


思わず苦笑が漏れる


ふと、彼女と視線が合った


ヤバイ


慌てて視線を逸らす


逸らした視界に委員長がいた


いつの間にか、近くで俺たちのやり取りを聞いていたらしい


「さっきの、なんかイジメっぽい感じじゃなかった?

まわりに誰も座らないし・・・ちょっと嫌な感じ」


眉間に少し皺を寄せながら、そんな呟きを漏らす


「いやぁ、当の本人はまったく気にしてねーみてーだけど」


タナカが委員長の呟きにそう返すが・・・


「でも!せっかく同じクラスになったんだし、

みんな仲良くしたほうがいいと思うわ」


委員長は相変わらず正義の人だった


「さすが委員長。ご立派だねえ。

それじゃ委員長がトモダチになってあげれば?」


タナカが意地悪く笑った


「そう・・ね」


委員長はそう呟くと果敢にも彼女の方へと歩いていった


「あらら・・・ホントに行っちゃったよ委員長。どうすんのタナカ?」


サトウがタナカに非難の目を向ける


「え、俺のせい?」


「まあ、明らかにお前が挑発したせいだな」


俺も軽くタナカを責めつつ成り行きを見守った


「こんにちは」


委員長がにこやかに挨拶の言葉をかける


しかし、彼女は物憂げに外を眺めたままで、委員長に関心を示すことはなかった


「まあ、ああなるよな」


タナカが二人のやり取りを見て苦笑する


「ここ、空いてるよね。いいかな?」


しかし委員長はめげずにさらに声をかける


返答がないのを肯定と受け止めたのか、

空席となっていた彼女の隣へと座ってしまった


「・・・もう、しょうがないなあ」


その様子を眺めていたフジモリさんが、

さして困ったような風でも無い顔で溜め息を漏らす


そして彼女達の方へと向かい、委員長の前席へと座った


「さすがフジモリさん、美しい女同士の友情だなあ」


タナカが惚れ惚れとした顔でそういった


「いや、あれは絶対『なんか面白そう』って理由だと思う」


「ああ、あの人はそうゆう人だ」


一年の時、フジモリさんと同じクラスだった俺とサトウはそう頷きあった


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


やがて担任が教室にやってきてHRが始まった


担任の教師は女性教諭の穂積ホヅミ先生だった


美人だがいつも飄々としてつかみ所のない雰囲気を纏っている、

けっこう個性的な先生だ


いつも黒のスーツにパンツルックという出で立ちで、

一年の時はA組の担任だった


元A組のタナカは、げんなりとした顔になり、


「先生とも一緒かよ・・・」


と、呟きを漏らす


「タナカ、聞こえてるぞ・・・」


先生はタナカへと鋭い視線を送ってきた


「申し訳ありませんでした!教官!!」


タナカは立ち上がって直立不動の姿勢で謝罪した


・・・なんだコイツ!?


俺はタナカの過剰な反応に面食らう


だが、タナカはふざけている訳ではなく至って真剣だった


周りを窺うと何人かタナカと同じように緊張に顔を強ばらせている


・・・こいつら、もしかして元A組?


この先生、どんだけ恐れられてんだ


「あー、席順だが・・・面倒だな。そのままでいいぞ」


全員が着席しているのを見ると気怠げにそう言った


テキトー過ぎる!


男女の偏りバラバラだぞ


みんな心の中でツッコミを入れていたが、誰一人として口に出す者はいなかった


・・・・・


・・・


HRは簡単な報告事項の後、自己紹介の時間になった


おどけたアピールをする奴、無難に纏める奴、

それぞれ自分自身を他のクラスメイトに紹介していく


やがて、例の彼女の順番になった


先生に促され、気怠げに立ち上がる


生気の無い目で教室を見回すと、雑談が止み水を打ったように静かになった


ただ一人、担任だけが一言、


「『前世』の話はいいから『今』の話をしなさい。それから・・・

『某ライトノベルのヒロインのセリフ』みたいなのも無しだ」


と、抑揚のない静かな声で言った


その言葉に、彼女は僅かに表情を歪めると、


「チッ」


と舌を鳴らして不機嫌を表した


「・・・園崎柚葉そのさきゆずは・・・・」


そう短く名前だけ言うと、椅子に座り再び頬杖を突き窓の外を向いた


みんな一様にほっと息を吐き、張り詰めていた空気が元に戻る


・・・・・・


そのあとは特に何事もなく順番が進み、とうとう俺の番となった


あまり最初から飛ばしすぎるのもどうかと思うので無難に行こう


もっとも、俺にはアピールするような個性も無いんだけどな


例の彼女とはまるきり正反対


平凡で無個性、その他大勢の中の一人


それがこの俺、義川経吾という人間だ


「・・・えーと、元F組の義川経吾です。部活は特にやってません。

趣味は・・・」


そこまで喋ったところで




《ガタン!!》



と、背後で突然大きな音がした


驚いて振り返ると、例の彼女が椅子から立ち上がりこちらを見ている


突然の彼女の行動に、俺も含めクラス中が言葉を失い動きを止めた


あれほど無表情を貫いていた彼女が驚愕に目を見開き、


・・・口を▲みたいな形にして、こちらを見つめている


やがてその口がゆっくりと呟くように


「・・・クロ・・ウ?・・・クロウ・・・なのか?」


と言った


クラス中のみんなが意味が解らず、ポカンとした表情を浮かべる


だが、一瞬遅れてその言葉の意味に思い至った俺は、

思わずハッとなって目を逸らした


そして、逸らしてから・・・それが失敗だったことに気付く


これでは彼女の疑問を肯定しているも同じだ


ここは他の連中と同じく『ポカンとした表情』が正解だった


だが、今更遅い


俺のその反応を見た彼女は、信じられないような物を見た顔になり、

ふらふらとした足取りで近づいてきた


「クロウ・・・クロウなんだな?・・・お前も・・・・







この世界に転生していたんだな!!」




熱に浮かされたような顔で滅茶苦茶な事を口走った


「ちょ、ちょっと待ってくれ。お、俺は・・・」


俺は慌てて言葉を紡ごうとするが、彼女は興奮気味に詰め寄ってくる


「クロウ。クロウ。・・・・僕は、・・・・・ぐえ!?」


目の前に迫ってきた彼女の動きが、押し潰されたような声と共に急に止まった


何事かと見ると、担任の女教師が彼女の首根っこを掴んで動きを止めていた


「園崎・・・今はホームルーム中だ。『ごっこ遊び』は後にしなさい」


静かにそう言うと、そのまま彼女の襟首を掴んだまま元の席へと引き摺っていく


席に座らされた彼女は


「チッ」


と、舌を鳴らすと憮然とした表情でまた頬杖をつく


しかし、今度はその顔を窓の外へと向けることはなかった


生気の無かった先程までとは、まるで別人のような顔でこちらを見ている


その射るような視線に背中が痛いくらいだ


クラスの他の連中は、あっけにとられた表情で俺と彼女を交互に見ていた


とりあえずその場はそれで収まり、教室ではさっきのことに戸惑いながらも

それぞれの自己紹介が続く


だが俺はもうそんなのを聞いている余裕はなくなり、

ほとんど耳には入っていなかった


彼女が俺に向かって呼び掛けた『クロウ』という名・・・


俺は忘れていた『昔のこと』を思い出していた


それは遠い前世での記憶・・・




なんかではもちろん無くて・・・


今から約3年前・・・中2の夏休みのことだ


俺はある創作漫画作品に関わったことがあった


『ダークネスサーガ』と言うベタなタイトルのマンガで、

いわゆる同人誌というやつだ


美麗な作画で知られるこの作品は

同人誌イベントで結構な人気を誇っていた・・・らしい


作者は当時、ある女子大の漫研サークルに所属していた二人


作画担当のカスガユーコさん


そして脚本・・・と言うかネタ出し担当の義川ミネ


そう、俺の姉さんだ


一部でかなりの人気が出てきたのと卒業を控えた最終学年と言うこともあり、

記念にその作品のドラマCDを自主制作しようという話が持ち上がった


メインの登場人物は男性


だが、女子大のサークルと言うことで女しかいない


男役は彼女たちの知り合い・・・というか男兄弟に声が掛けられる事となった


(彼氏とかは?などという無体な質問はしないでやってほしい)


俺は姉さんに頼み込まれ、その企画に参加することとなった


他に何人かの男が集まったが、俺の声が一番イメージ通りだったらしく

主人公クロウ=ダークネス役をすることとなった


(彼女たち曰く、俺は顔は平凡なのに声はけっこうイケボ、とのこと)


かなり恥ずかしいセリフを喋らされる羽目になったが、

バイト代として提示された金額は中学生が貰う金額としては破格で、

俺は羞恥心を押し殺して演技した


サークルのメンバー (言うまでもなく全員女)は何日か徹夜していたらしく

異様なくらいハイテンションで、しまいには物語とは関係無いような

恥ずかしいセリフを沢山言わされるという、


『中学生男子に恥ずかしいセリフを喋らせよう大会』


と化した


俺はそのとき『腐女子』と呼ばれる生き物の底知れぬ欲望に恐怖することとなり、一生消えないほどの羞恥を心の奥に傷として刻みつけられた・・・


クソッ・・・忘れかけてたのに思い出してしまった


俺の過去最大級の黒歴史だ


まさか彼女のハマっていたのが『ダークネスサーガ』だったとは・・・


しかも声を少し聞いただけであのドラマCDのクロウ役が俺だと気付くなんて

どれだけマニアックなんだよ!?


自主制作だったあのCDはネタみたいなもので、関係者に配ったのも入れて

100枚くらいしか作ってなかったはずだ


・・・そうだよ、収録が終わった後パソコンを使って複製を作ったんだが、

それもやらされたんだった


一台のパソコンでただひたすらCD焼いて・・100枚焼くのは大変だった


徹夜でやってなんとかイベントに間に合ったんだよな・・・


そのあと会場への搬入も手伝ったあと、何故かビジュアル系バンドみたいな

変な服着させられて売り子の手伝いまでさせられたんだよなあ・・・

暑かったなあ


俺は思わず遠い目になった


「ではホームルームを終わりにする。今日はこれで下校だが

明日からは通常の授業だ・・・みんな遅刻などしないように」


担任のそんなセリフに俺は現実に引き戻される


ヤバイ、いつの間にかだいぶ時間が経っていたようだ


「・・・ああ、それから園崎、お前の『ごっこ遊び』に

あまり他人を巻き込むなよ・・・」


担任がそう例の彼女に向けて言うと、彼女はまた


「チッ」


と、舌打ちで返した


担任が教室前側の扉から出て行くと同時に、彼女が席を立った


歩いてくる彼女に対して俺は座ったまま思わず身構える


だが彼女は予想に反し俺に視線を合わせないまま、

俺の机脇まで歩いてくると顔を正面の黒板に向けたまま、


「旧棟の屋上で待っている・・・必ず・・・来い」


そう言い残すと、そのまま教室の前の扉から出て行った


・・・思い切り芝居がかったその動きがとても痛々しい


顔は無表情だったが、なんか見るからにノリノリだった


「なになに?どゆこと」


「俺が聞きたいよ・・・」


興味津々という感じで聞いてくるサトウに俺は溜め息混じりに答える


「すげえな、あの女が自分から話しかけてくるなんて・・・

しかも会話が成立してるとこ初めて見たぜ」


「・・・あれが会話か?」


驚き顔のタナカにげんなりした顔で答える


俺は「はあ・・・」と溜め息を一つ付くと椅子から腰を上げた


新学期早々変な女に目を付けられてしまった・・・


ひとつの漫画作品にのめり込むあまり

自分がその登場人物の生まれ変わりだと妄想するようになった少女・・・


彼女はあのCDを何回聞き込んだのだろう


俺の声を一回聞いただけで気付くくらいに何度も聞きこんで、

作品世界に思いを馳せては登場人物達が動く様を夢想していたのだろうか


目の前で同じ声が発せられた時、

彼女の受けた衝撃はいかほどの物だったのか・・・


自分がその物語世界からの生まれ変わりと妄信している彼女にとって、

それは自分と同じく『生まれ変わったキャラクター』だと信じ込んでも

おかしくはないのだろう


だが、俺は当然そんなものの生まれ変わりだなんてことは決してない


ごく平凡な一般的男子高校生だ


・・・仕方ない


話が通じるかどうか解らないが、とにかく変な誤解を解いておこう


そうしないと明日からの平穏な学校生活が思いやられる


「義川くん」


教室から出ようとすると後ろから声が掛けられた


振り向くと委員長が立っていた


「委員長・・・」


意志の強そうな視線がレンズ越しに俺を見上げている


「さっきのどういう事?義川くんあの子と知り合いだったの?」


責めるような口調でそう言ってくる


「いや・・・初対面の、はず・・・だけど」


多少気圧されながらそう答える


・・・なんか少し怒ってないか?


委員長は俺の反応に不審の目を向けてくるが、説明のしようがない


「たぶん、なんか勘違いしてるんだと思うけど」


「勘違い?」


「ああ、昔の知り合いに似てた・・・とか?」


俺は曖昧な表現で誤魔化した


そう答えると、委員長は


「はあ・・・」


とひとつため息をつく


「だったら、そうはっきり言わなきゃダメよ義川くん。

あなた、人がいいっていうか・・・流されやすいから」


「はは・・・」


俺は苦笑を返しながら肩を竦めた


「気を付けるよ・・・心配掛けてすまないな、委員長」


そう言うと俺は委員長から逃れるように慌てて教室を後にした


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


指定された場所へ向かう道すがら、彼女の演じている・・・

と言うか成りきっているキャラについて考えてみた


ダークネスサーガには何人かの女性キャラが出てきていたはずだ


主人公クロウを演じる上で、俺も一通り作品を読まされたが、

さすがに2,3年前のことだから結構うろ覚えだ


ヒントとしては、彼女は自分のことを『僕』と言っていた


だが、覚えている限りあの作品に『ボクっ娘』はいなかったはずだ


俺の読んだ話の後に出てきた新キャラなのだろうか?


などと考えているうちに旧棟の3階まで来てしまった


うまく話を合わせて誤魔化そうと思っていたんだが、

肝心の彼女が演じてるキャラが誰なのか分からないんじゃどうしようもない


こうなったら、いきあたりばったりか・・・


・・・・・・


・・・


階段を上りきると屋上へと出るための古びた金属製の扉があった


確か旧棟の屋上は立ち入り禁止で、この扉にはいつも鍵がかかっていたはずだ


本当にここでいいのだろうか?


てっきり彼女はこのドアの前にいるものと思ってたが・・・


俺は一瞬躊躇したあと、錆の浮いたドアノブに手を掛けた


それを回し力を込めて押すと、軋んだ音を立てながらドアは外側に開いた


薄暗い校舎内に慣れた目に、日の光が眩しく映り思わず細める


段々と明るさに慣れた目をゆっくりと開いた俺は、その目に飛び込んできた光景に思わず息を呑んだ


抜けるような青空を背景に、彼女がこちらに背を向けて立っていた


微かに流れる風が彼女の髪とスカートの裾を揺らしている


「来たな・・・クロウ。待っていたぞ」


そして芝居がかったセリフと仕草とでゆっくりとこちらへと振り返る


彼女の艶やかな黒髪がその動きに合わせてたなびき、光を受けて輝いた


・・・綺麗だ


まるで映画のワンシーンのような印象的な光景に俺は思わず見入ってしまった


青春映画のヒロインと見紛うほどの美少女が、その可憐な唇を開くと、


「くくく・・・前世で果たすことの出来なかった僕の願い・・・僕の想い・・・よもや転生したこの世界で成就されようとはな・・・。なかなかどうして、

この世界の神は粋な計らいをするものだ」


恐ろしく残念なセリフを吐いた


アテレコ間違ったんじゃねえの、と言いたくなるくらい

画面とセリフのギャップが激しい


俺のげんなりする心情などお構いなしに、彼女の『小芝居』は続く


「クロウ・・・・久しぶりだな。僕のこと、覚えているか?」


右手を胸元に置いて一言ずつ噛みしめるようにそう問いかけてくる


いや、さっきが初対面なんですけど・・・


俺の止まっていた思考が動き出す


古い記憶を掘り起こし、彼女の言動とダークネスサーガの登場人物を当てはめる


彼女の前髪を纏めた銀色の髪留め・・・


十字架に似た・・・いや、あれは逆十字か?


・・・あ


やがて唐突に、あるキャラクターを思い出した


彼女が女の子だったから、俺は女性キャラを想定していたが・・・


それは思い込みだった


・・・クロウに敵対する『狂団』という組織があった


彼らは彼らの信仰する神の名の下にいかなる犠牲も厭わず、目的を遂げるためには無関係な罪無き者達すら、平然と殺戮する『狂信者の集団』


その『狂団』からの刺客として主人公クロウを付け狙う『少年』がいた


クロウを何度も窮地に陥れ、死闘を繰り広げるその少年の名は確か、


「・・・クオ・・ン・・・・」


呟くように言ったその声に彼女が大きく目を見開く


「・・・ふはは、覚えて、いるんだな。僕のこと?・・・いや、思い出した・・・かな?」


片方の口の端を上げ嬉しそうな声を上げる彼女を前に、

俺は思わず漏れ出た声に慌てて両手で口を押さえる


だがもう手遅れだった


俺はまた失敗を犯した


「クロウ。まさかこの世界で再び相見えられようとは・・・思わなかったぞ」


にんまりとした笑みを貼り付かせたまま近づいてくる彼女


熱の籠もった眼差しに見竦められ背筋が凍る


「ひっ」


俺は言い様のない恐怖に一歩後ずさった


覚えている限り最悪のキャラだ


『狂気の殺戮者』


『狂団の殺人人形』


暗殺のプロフェッショナル・・・『クオン=エターナルダーク』


彼女がクオンに成りきっているとしたら

『前世での恨み』とか言われて刺されても不思議じゃない


それくらいヤバイキャラだ


「し、知らない!俺には何のことだかまったく解らん」


俺はもつれる足で後ずさりながら言う言葉に彼女は眉をひそめる


「クロウ?記憶が混乱しているのか?・・・・・」


「し、知らない、覚えてない。クロウとか前世とか俺には関係ないから」


背中が屋上のドアに当たった


「そうか前世の記憶、完全に持っているわけでは、無いんだな?」


彼女は一人納得すると薄い笑みを浮かべながら近づいてくる


「だったら・・・僕が教えてやろう・・・くくっ」


俺は慌てて踵を返すとドアノブに手を掛けた


「待て!逃がさないぞ、クロウ。やっと・・・出会うことが出来たんだ!」


彼女の手が俺の肘のあたりを掴むが、それを強引に振り解きドアを開けた


振り解いた弾みで彼女がよろけて数歩後ろに下がる


その隙にドアをくぐり、俺は一目散に逃げ出した


「僕は諦めないからな!クロウ」


ドアの向こうで彼女が叫ぶのが聞こえた。


◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆


「はあ、疲れた」


その日の夜


俺は自室に入ると深い溜息をついた


新学期早々、あんなヤバい女に絡まれてしまうとは・・・


これじゃ明日からの学校生活が心底思いやられる


なんでこんな事に・・・


思わず逃げ帰って来たけど・・・ホントに命を狙ってきたりするだろうか?


そこまではしなくとも設定上クロウはクオンの仇敵だ


何されるかわかったもんじゃないし、

何より俺が昔『痛い小芝居で中二的キャラを演じた』

なんてことがバレたら・・・クラスの笑い者になるのは確実だ


当然、女子からも笑われ、

『カノジョ』なんて出来るのは夢のまた夢となるだろう


どうしたもんか・・・


そう呟いた時、ケータイがメールの着信を知らせた


開いて確認すると姉さんからだった


本文を読んだ俺は脱力感に襲われる


『イベント発生した?運命の出会いはあったかにゃ?』


ああ、ありましたとも、飛び切りトンデモない出会いイベントが!


しかも、そのイベント発生フラグを立てたのが誰あろう姉さんだ!


溜息つきつつメールの返信を打ち込む


『別に何も。至って普通』


送信してケータイを閉じる


今日あったことは姉さんには言わないほうがいいだろう


あの人が知れば絶対食いついてきて、めんどくさい事になるのは目に見えている


今日は思わず逃げ出したけど、まさか本当に命を狙ってくるような事はないだろう


そう思いたい・・・


まあ、相手にしないでいれば、そのうち飽きてくるんじゃないだろうか?


それにしても今日は疲れた・・・精神的に


疲れた時は睡眠に限る


俺は愛用の抱きまくらを抱えて目を閉じた


(つづく)

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