親竜族の末裔

「そうだ、その調子だ! だいぶん剣さばきが上手くなってきたな」

 オヤジが嬉しそうに言う。オヤジはアルザス王国の誇る、竜騎兵団の兵士だ。

 僕はアル・ファーラー。ジェネアの町の学校に通う、十六歳の学生だ。 

 オヤジは今、一時の休息のため、家に戻っている。オヤジは家に戻ると、よくこうして前庭で僕に剣や槍術の稽古を付けてくれる。

「地上での戦闘なら、もうオヤジにだって負けないさ」

 僕は言う。勿論本気だ。だけど、それも『地上でなら』だ。

「そうかもしれんな。……アル、そろそろ竜に乗ってみるか?」

 竜騎兵は、竜に乗ってこそ、その真価を発揮する。だが、竜は簡単に人を乗せる生き物ではない。竜騎兵は竜に乗れるようになるまで、大変な努力をするのが常だし、人を乗せる竜も、誰でも乗せてくれる訳ではない。竜は自分の主と認めた者しかその背に乗せはしない。

 いま、オヤジの竜は母屋の隣に建つ竜小屋で翼を休めているが、あの竜に乗れるのはオヤジだけだ。

「いや、まだいい」

 僕はあまり竜に乗りたくない。

「どうしてだ? 俺の竜で練習するなら、誰にも気兼ねは要らんぞ」

 普通、竜騎兵になるには王立竜騎学校へ入り、そこで戦闘の基礎から竜への騎乗までマスターしなければならない。そして、竜騎兵登用試験に合格して初めて国王陛下の竜騎兵になれる。

 勿論、例外はある。お金持ちの子息などは、自前の竜を購入し、家庭教師を付けて登用試験に臨む事もある。また、父親や親戚に竜騎兵がいる者は、僕のようにその兵士に仕込まれて登用試験を受ける事も出来る。

「別に気兼ねしている訳じゃないさ。ただ、まだちょっと早いかな、と」

 僕が竜に乗りたくない理由は、勿論そんな事じゃあない。僕は竜が好きだ。竜の背に乗るのも大好きだ。だけど、僕は竜のような気高い生き物を戦の道具に使いたくはないんだ。

 僕には竜の気持ちが判る。いや、比喩的な意味で言っているのではない。本当に判るんだ。オヤジの竜も、いつも諦めにも似た悲しみを抱いている。竜が言葉を話す訳じゃないし、竜が人のように考えている訳でもない。でも、僕は物心つき始めた頃から竜の気持ちが判っていたし、竜も僕の気持ちが判るみたいだった。僕は大きくなるまで、人と竜が通じ合えるのは普通の事だと思っていた。違うと知ったのは、オヤジが竜の悲しみに気付かず、竜を叱っているのを見た時だった。

 僕が竜と通じ合えるのがなぜなのかは判らないけれど、僕の出生と関係があるのかも知れない。僕はオヤジの実の息子ではない。そもそもオヤジは独身だ。僕は赤ん坊の時に、北の森の外れでオヤジに拾われた。たった一人、裸で泣いていたそうだ。

 オヤジは僕を実の息子のように育ててくれた。だからこそ僕は、竜と心を通じ合える事をオヤジにも言えなかった。僕は普通の子と同じでいたかった。ただオヤジの息子でいたかった。

「まあいい。竜に乗るのは乗りたい時で構わない。だが、剣も槍も弓も、もう俺より上手くなっちまったかな」

 オヤジはちょっと嬉しそうだ。オヤジは僕が竜騎兵になるのを楽しみにしている。勿論、僕が竜と仲良くしているのも知っているから、僕が竜を乗りこなせるだろう事を疑ったりはしていない。

 竜は気位が高いだけではなく、気性も荒い。人が乗れるのは、数種類存在する竜の中でも、最も小型のレッドドラゴンという種類の竜だ。竜の仲間では比較的穏和な方だ。レッドドラゴンを軍用に使っているのはどこの国でも同じだ。つまり、竜騎兵同士の戦闘になれば、アルザス王国の竜は敵国のレッドドラゴンと戦わなければならない。これは竜が悲しむ理由の一つでもある。軍用のレッドドラゴンの殆どは専用に飼育されたものだ。ごくまれに、野生のレッドドラゴンを捕まえて調教する場合もあるけれど、大人になった野生のドラゴンはたとえレッドドラゴンでも人には慣れない。乗用にするためには子供のドラゴンを捕まえねばならないが、そんな機会は殆ど無い。

 例え人を乗せるために飼育されたドラゴンでも、人のために戦い、同じ仲間と争うのは悲しい事なのだろう。僕は、気高い竜たちにそんな思いをさせたくはないんだ。

 けれど、もう地上での鍛錬はオヤジの手を借りなくても出来る。竜騎兵になるために必要なのは、竜に乗る事だけだ。

 翌日、僕は竜に乗る決心をした。まだ竜騎兵になる決心は付いていなかったけれど、竜に乗れるようになっておくのも悪くはないだろう。

「気を付けろよ。気持ちで負けたら竜に食われる事もあるからな」

 童話に出てくる竜のように口から火を噴く事はないけれど、竜の口には立派な牙が並んでいる。

 オヤジの竜、ブリアン号はまだ竜小屋に繋がれている。僕は鞍を持って近付く。これを竜の首輪の後ろ、翼の付け根の前に取り付ける事から始める。

 ブリアン号は僕を認識していた。(今日はお前が乗るのか?)そう問いかけている。(ああ。乗せてくれ)僕は口には出さずに竜に伝える。ブリアン号は静かに首を下げた。

 大人しく僕に鞍を付けさせているブリアン号をオヤジは目を丸くして見ている。

「コイツ、お前が好きらしいな」

「主の息子だって判ってるんじゃないの?」

 心が通じる事は伏せておく。

「ブリアン号がそんなに賢いとは知らなかった」

 勿論、竜は賢い。人間程ではないにしろ、彼らは色々な事を考え、確固たる意志を持っている。いや、もしかすると人間よりも賢いのかも知れない。

 僕は鞍を付け終わった。オヤジは結んであった手綱を解き、ブリアン号を前庭に引き出す。

「早速、騎乗してみるか? 手綱の使い方は判るな?」

 オヤジが竜への指示の出し方をもう一度説明する。一度空へ上がったら、もうオヤジの助けは得られない。

 空へ上がる事への恐怖はない。竜に乗るのもこれが初めてではない。小さい頃は時々オヤジに抱えられて竜に乗せて貰っていた。だが、単独飛行は未経験だ。

「じゃ、借りるよ」

 オヤジから手綱を受け取る。

(乗るよ)

 ブリアン号が心持ち後ろを振り返る。

(ああ、構わんよ)

 僕は鞍に跨り、ブーツでしっかりとアブミを踏みしめる。両の手綱を軽く引く。と、ブリアン号はおもむろに首を上げ、翼を広げる。

 広げた翼を地面に叩き付けるように羽ばたくと同時に、ブリアン号は大地を蹴った。グンッ、と尻を突き上げられるような感覚と共に、僕と竜は空に舞った。

(そのまま上昇!)

 手綱を引くまでもない。ブリアン号は僕の指示を理解する。適当な高度で、僕は竜を旋回させた。今回は剣も槍も、弓矢も持っていないから、ただ飛行訓練だけだ。小一時間程、僕はブリアン号と空中散歩を楽しんで前庭に舞い降りた。

「大したもんだな。さすがは我が息子よ」オヤジは嬉しそうだ。「今すぐにでも登用試験に合格できそうだ」

 実際には、飛行しながら敵の竜騎兵を槍で突いたり、地上の敵に矢を射掛けたり出来るようにならなければ登用試験に合格はしない。もっとも、それも少し練習すれば出来そうだ。

「空戦の練習は次の休暇の時にしよう」

 オヤジが言った。オヤジの休暇ももう終わりだ。明日の朝、また軍へ戻っていく。僕のひとりぼっちの生活がまた始まる。

 その日の夕方、僕は竜小屋でブリアン号のウロコを丁寧に拭いてやり、出陣の用意を調えてやった。

(世話を掛けるな)

 ブリアン号が言う。

(無茶をしないで、生きて帰って来いよ)

 僕は竜の首を抱きしめた。

 我がアルザス王国と東隣のアルプ皇国はリーゼル台地の主権を争い、長らく戦いを続けている。ここ数年は、台地の中程を流れるロア川を挟み、一進一退の攻防を繰り返しているが、どちらの国も膠着した戦況を打開すべく、近々大規模な攻勢に出るらしいというのが、巷でのもっぱらの噂だ。

 リーゼル台地は、美しい草原とうっそうと茂る原生林が入り交じり、所々に湿地が点在するという、ほとんど未開の地だ。特に資源がある訳でもなく、どちらの国にとっても領土に組み入れたところで大して価値がある訳ではない。ではなぜ長らく戦を続けているかというと、アルザス国王とアルプ皇帝の意地の張り合いだと、以前オヤジが教えてくれた。

 かつてリーゼル台地には風流族と呼ばれる放浪の民が暮らしていた。彼らは国籍を持たず、アルザス王国とアルプ皇国の間を自由に行き来する事が許されてきた。だが、その為にリーゼル台地の帰属は古来よりあやふやなままだった。今や風流族もいずれかの国に永住してしまい、リーゼル台地に放浪の民はいなくなった。だが、民の帰属が決しても、土地の帰属はまだだった。それを今の王と皇帝の代になって、はっきりさせようという気運が高まり、結局は武力抗争に発展した訳だ。


「済まんな」オヤジが竜小屋に入ってきた。「また一人暮らしをさせてしまう」

「何言ってんだよ。オヤジこそ、気を付けて。今度は大規模な戦になるんでしょ?」

「そうなるかも知れんな」

 オヤジがブリアン号の鼻面を撫でる。ブリアン号が気持ちよさそうに目を細めた。

 翌朝、オヤジはブリアン号に騎乗して、天空へと飛び去っていった。細い鎖で編まれた胴衣と頭巾を身に纏い、長槍を手にしたオヤジはなかなか凛々しかった。オヤジを見送って、僕はまた、学校まで一時間もかかるようなこの田舎の一軒家で一人暮らしだ。とは云っても、一人暮らしにはもう慣れっこだ。一年のうち五分の四は一人でいるのだから。

 オヤジは、いつ死ぬか判らぬ竜騎兵だから結婚はしないんだと言っているけれど、独身を通しているのは少なからず僕が関係しているんだと思う。コブ付きの男の所に嫁に来たがる娘なんていやしない。だから僕がオヤジのいない家を守るのは当然の事なんだ。

 僕は学校にも行くけど、裏庭の猫の額のような畑を耕したり、家の修理やペンキ塗りなんかもやっている。そして時々、学校の帰りにジェネアの町で食料や日用品を買い込む。一人暮らしは気楽だけれど、忙しい。


 やがて、リーゼル台地では本格的な戦闘が始まった。その日、町の道具屋で農具を選んでいると、客同士の話が聞こえて来た。

「向こうが先手を打って来たらしいな」

「ああ。一時はロア川を越えてアルプ皇国の歩兵がなだれ込んで来たって話じゃないか」

「らしいな。戦線も大分広がっているそうだ。いよいよここら辺りでも兵士の募集が始まりそうだな」

 今までも王都を始め、大きな街では兵士の公募は行われていた。だが、いよいよ全国的に兵士の募集が始まるという噂だ。それでも足りなくなれば、いずれは徴用という事になるんだろう。僕たち学生も駆り出されるんだろうか。王様の腹一つ、だ。

 僕は農具を幾つか買って店を後にした。

 学校でも、戦争の話題が多くなってきた。先生も事ある毎に戦争を口にする。先生が僕たちを戦地に行かせたいのか行かせたくないのか、僕にはよく判らなかった。けれど先生たちは、国王陛下のために尽くす心構えについて、僕たちに話をした。

 僕はと云えば、オヤジが竜騎兵だから他のクラスメイトよりも戦争は身近な存在だった。にもかかわらず、自分が戦地に赴き、国王のつまらぬ意地のために戦う心構えなど、全く持ち合わせていなかった。なまじオヤジから戦争の事を聞かされていたから、例え国王のためでも、命を投げ出す気など湧かないのかも知れない。


 その日の午後、僕は学校で校長室に呼び出された。

 立派な木の扉を開け校長室に入ると、校長先生の他に、教頭と担任の先生が僕を待ち受けていた。イヤな予感がした。

「ファーラー君、座りたまえ」

 校長が僕に椅子を勧める。普通、学生は校長室では立っているのが当たり前だ。僕は黙って座った。

 僕が座ると、校長が話し辛そうに口を開く。

「実は先程、軍本部から連絡が来た。……君の父君は竜と共に戦闘に赴き、戻らなかったそうだ」

 僕は全身の力が抜けていくのを感じた。オヤジが戦死? いや、まだそうと決まった訳じゃない。ブリアンが怪我をして飛べなくなったのかも知れないし、捕虜になったのかも知れない。

 だけど、僕だって知っている。軍が家族に連絡して来るのは、戦死と認定されたからだ。しばらくの間、校長室は静寂に包まれていた。僕はオヤジが生きている可能性について考えを廻らせていた。けれど、考えていたってオヤジは帰らない。

「お知らせ下さってありがとうございます」

 僕は頭を下げ、校長室を後にした。

 しばらくして、国王陛下の名前で、纏まったお金が送られて来た。僕は本当に独りぼっちになってしまった。

 色々考えた末、僕は学校を辞める事にした。オヤジが残してくれた蓄えと国王陛下からの弔慰金で、学校を続けられなくはなかったが、どうせ上の学校には行けない。まあ、僕は官吏になるつもりもなかったし、学校に通い続ける必要はなかった。

 僕は一人の身軽さを生かして、一度オヤジの死んだ場所、リーゼル台地を見ておく事にした。その後は都にでも出て、割の良さそうな仕事を探そう。残念だけど、ジェネアの町に仕事はない。

 ジェネアの町からリーゼル台地の端までは東に四日程の行程だ。前線までは行けないだろうけど、台地の中を歩いて見たかった。

 僕はオヤジから貰った鎖帷子を着込み、腰には剣を下げ弓矢を持って家を出た。再び戻って来られるのか、僕にも判らない。

 町で馬を買おうかとも思ったけど、急ぐ旅でもない。ゆっくり歩いていく事にする。町から東に延びる街道へ出ると、人通りは殆ど無い。まあ、この街道は小さな町々を繋ぐ裏街道だから元々人の行き来は少ないのだけれど、最近はこんな街道にまで追いはぎが出るという噂で、益々寂れてきている。僕はそんな埃っぽい街道を独り歩いて行く。

 時々、馬に跨った剣士や馬車の旅人、荷馬車と行き合う。馬車には護衛の剣士が付いている。

 昼前に、隣町に辿り着いた。この町までは以前にも来た事があった。ここから先は知らぬ道だ。僕は食堂に入り、昼食にする。

「東の町まではどの位掛かりますか?」

 僕は店の女将さんに訊いてみた。

「あら、あなた旅の人? そうねぇ、今からだと、隣町に着くのは夕方かねぇ。馬なら直ぐなんだけど」

 僕は郷土料理を注文した。しばらく食べられないかも知れない。

「坊や、お連れさんは? 暗くなると魔獣が出るから、明るいうちに着かないとダメだよ」

 料理を運んできた女将が言う。

「『坊や』じゃないよ。十六は立派な大人だよ」

「そりゃ失礼。でもねえ、本当に危ないんだよ。近頃じゃあ、護衛を付けても街道を歩けるのは明るいうちだけさね。夜は追いはぎも出て来られないくらい物騒なんだよ」

 女将が言っている『魔獣』っていうのは、大型の獣の事だ。別に妖術を使う訳ではない。肉食の獣は確かに危険だけれど、キャアキャア騒ぐほどの事でもない。それに、『魔獣』が街道筋に現れるのはそれ程珍しい事ではない。僕の家の近くにもたくさんいた。ドラゴンのような強力な魔獣は危険だけれど、さすがにあいつらはこの近くにはいない。しかし、戦が長引くに連れて魔獣や追いはぎが増えてきたのは事実の様だ。

 僕は女将に適当に返事をして店を出た。相変わらず、通りに人影は少ない。

 実は僕はちょっと追いはぎに出会うのを楽しみにしていた。剣の腕を試すのに格好の相手だと思ったからだ。でも結局、追いはぎにも魔獣にも出会わずに、僕は次の町に着いた。僕は町に一軒だけの旅籠に部屋を取った。

 翌朝、旅籠の食堂は空いていた。歩きだと次の町に着くのは日暮れ近くになりそうだ。僕はちょっと寝坊したみたいだ。今も護衛を連れた商人風情の男が僕と入れ替わりに食堂を出て行く。表に停めてある荷馬車の主だろう。直ぐに出立するみたいだ。僕も急いで朝食を取る。

 昨夜のうちに頼んでおいたランチを受け取って、僕も旅籠を後にした。通りを進むと、直ぐに町並みを抜け、石積みの門をくぐる。門の外にも家々が並んでいる。町を囲む石壁は、昔の魔獣除けの名残だ。今では魔獣の数も減り、町は石壁の外にも広がっている。

 やがて家並みも途切れ、道は林の中へ入っていく。木々を吹き渡る朝の空気が気持ちいい。僕は鼻歌交じりで歩いていく。

 そろそろ昼食にしようかと考え出した頃、前方に荷馬車が見えた。旅籠の表に停めてあった、あの馬車だろう。近付いていくと、馬車の周りに十人ほどの人影が見える。状況は直ぐに飲み込めた。追いはぎだ。荷馬車側の護衛は若い男一人だけだ。それに馬車の主とおぼしき商人が一人。こちらは戦力にはなるまい。

 僕は道の端を通り過ぎようとした。けれど、追いはぎ連中が僕の行く手を遮った。

「お前、何者だ?」

 男が一人、僕に剣を向ける。

「旅の者だけど。……おじさん、僕に構わない方がいいと思うよ」

 男の構えは隙だらけの上、腰が引けている。とても剣士には見えない。他の連中も似たり寄ったりだ。こんな連中じゃ修行の相手にもならない。数を頼みの追いはぎ稼業だろうけど、馬車の護衛一人にも手こずるんじゃないかな。その上僕の相手までさせるのでは、追いはぎが可哀想だ。

「無事に通りたければ、路銀を置いていけ!」

 男の声は上ずっている。僕はスラリと腰の剣を抜く。

「僕、人を切るのはこれが初めてなんだ。おじさんが一人目だね」

 男は僕が剣を手にしたのを見ると、いきなり襲いかかってきた。剣技も何もあったもんじゃない。ただ剣を大上段に振りかざして突っ込んできた。僕は懐に飛び込んで男の胴を断つ。男は僕の背後に倒れた。

 人を切る感触が、僕に身震いをさせた。こんな人の命が安いご時世だし、さほどの罪悪感は感じない。けれども、嫌な感触だった。

 残りの追いはぎ連中の半分がばらばらと僕の周りを囲む。残りは荷馬車の護衛とにらみ合っている。

 僕は正面の一人に歩み寄る。躊躇などしていられない。男が剣を振りかぶったところへ飛び込んで、これも胴をなぎ払う。続いて、隣でひるんでいる一人の胸に剣を突き通した。

 男たちが僕の足元に倒れるのを見て、残った二人は物も言わずに逃げ出した。それに釣られたかのように、護衛とにらみ合っていた連中も林の中へと逃げていった。僕は剣をさやに納める。暗い気分になった。

 歩き出そうとした僕に、馬車の陰に隠れていた商人が声を掛けてくる。

「お待ち下さい」

 振り返った僕に、商人はペコペコと頭を下げ、礼を言う。別に僕は彼らを助けた訳じゃない。僕は曖昧な笑みを浮かべながら挨拶をしてその場を離れようとした。

「次の町まで、護衛をお願いできませんか?」

 商人が言った。追いはぎの数に恐れをなしたんだろう。まあ、行き先は一緒だし、小遣い稼ぎには良いかも知れない。

「あの程度の相手なら、護衛は二人も要らないでしょう」

 僕は一応断った。もう一人の護衛のメンツを気にしたんだ。

「ではありますが、もっとたくさんで襲われる事もあるかも知れません」

 そりゃそうだ。僕は護衛を引き受けた。残り半日の護衛にしては、結構な額の代金を提示された。用心棒稼業も悪く無さそうだ。

「私はコンドラと申します。馬具を商っております」

 商人が挨拶をする。次の町で店を開いているそうだ。今は仕入れの帰りらしい。

「僕はアル・ファーラー」

「俺はシャハド・アルガンディだ。よろしくな」

 用心棒が言った。僕よりは年上だけど、まだ若そうだ。浅黒く精悍な顔をした戦士だ。頭には白いターバンを巻き、幅広の青龍刀を担いでいる。

 僕たちは歩き出した。アルガンディが馬のくつわを取り、僕が並んで歩く。コンドラは荷馬車の荷物の上に乗っている。

「お前、強いな」

 歩き出して直ぐにアルガンディが話しかけてきた。

「アルガンディさんも。構えで判りますよ」

「シャハドでいいよ。俺もこの仕事を始めてかれこれ一年以上になるが、お前みたいにガキのくせに強いヤツは初めてだ」

 僕は答えず、歩きながらランチをほおばる。追いはぎ騒動のお陰で、ゆっくり昼食を食べる暇が無くなった。

 それから日暮れまで、時々旅人や兵士とすれ違うが、追いはぎには出会わなかった。何度か魔獣の咆吼を耳にしたけれど、近付いては来なかった。

「日が暮れるな」

 シャハドが呟く。町はまだ見えない。

「大丈夫でしょうか。門まではまだ随分ありますが」

 コンドラが荷馬車の上から顔を覗かせる。

「心配するな。今夜は月がある。それにアルが一緒だ」

 シャハドが馬の顔の向こうでウィンクをする。また遠くで魔獣が吼えた。

「お前、年は幾つだ?」

 シャハドが思い出したように訊いてきた。

「十六です。シャハドさんは?」

「呼び捨てでいいぞ。俺は十九。……十六ならもう大人だな」

 今度はガキ扱いされずに済んだ。

 道に魔獣が出てきた。馬がちょっと騒いだけど、出てきたのは大人しい草食のブロントたちだ。ばかでかい成獣が五、六頭に、幼獣が数頭の群れだ。ブロントは僕たちをチラリと見やってから、おもむろに道を渡り、反対側の森へと消えていく。シャハドもくつろいだ様子で魔獣たちを眺めている。旅慣れているんだろう。

 やがて道の両側に広がっていた森が途絶え、畑が見え始めた。町は近い。道路は家並みの間に入っていき、門をくぐる。コンドラの店は目抜き通りの中程にあった。店の前に荷馬車を止めると、僕たちの護衛は終わりだ。

「では、お約束の手当です」

 僕たちは護衛の代金を貰った。

 僕はシャハドと一緒に宿に入った。

「さあ、メシにしようぜ」

 部屋を取ると、僕たちは食堂へ行き夕食にする。食堂には兵士たちの姿が多い。

「リーゼル台地が近いからな」

 シャハドが教えてくれる。兵士たちは休息のために後退してきた部隊のようだ。ここで英気を養って、また前線へと出て行くのだろう。

「で、お前はこれからどうするんだ?」

「僕はリーゼル台地へ行きます」

「あんな所へなんでまた?」

 シャハドが怪訝そうな顔をする。

「シャハドは行った事があるんだね? 僕は初めてです。……オヤジが戦死した地を見ておこうと思って」

 僕は運ばれてきた料理を口に運びながら、オヤジの事を話した。シャハドは黙って聞いている。

 食事が終わる頃になって、シャハドがまた口を開いた。

「で、その後は?」

「その後は、都にでも行って仕事を探そうかと」

「オヤジの跡は継がないのか? お前ならいい竜騎兵になれると思うが」

 僕は黙っていた。

「まあいい」シャハドが続ける。「俺も小金が貯まったし、お前に付き合って都に行ってみるかな」

 別に僕は連れは欲しくなかったけど、シャハドとなら悪くないかも知れない。僕たちは一緒に行く事にした。


 小金が貯まったはずのシャハドだったけど、馬を買うでもなく、僕と並んで歩き始める。

「リーゼル台地までは後二日ってとこだな」

 シャハドが言う。

「そこからロア川までは?」

「一日ちょっと、かな」

 勿論、そんな前線まで行くつもりはない。

 上空をドラゴンの群れが通り過ぎた。竜騎兵団だ。街道筋は、戦地が近いにもかかわらず人通りが増えてきたようだ。兵士が目に付くが、一般人の姿も多くなった。

「この先、リーゼル台地までの町は景気がいいんだ」シャハドが教えてくれる。「兵隊さんの憩いの場になっているからな。兵士相手の商売が繁盛している。酒場、武器屋、ドラゴン屋、色々ある」

 兵士が個人でドラゴンを買う事があるのか、僕は知らないけれど、死に直面しているからか、兵士は金離れがいいらしい。

 昼少し前に、次の町に入った。町は休暇中の兵士で溢れていた。昼食に入った食堂も賑わっている。若いウェイトレスが忙しそうに立ち働いている。

 昼食はあまり美味くはなかった。質より量、って感じなんだろう。

「お兄さん、仕事あるんだけど?」

 軍の丈の短い上着を着たお姉さんがシャハドに声を掛けてきた。

「兵士に興味はねぇな」

 シャハドは顔も上げずに言う。なるほど、兵士の勧誘か。シャハドも慣れたもんだ。

「そう言わずに。志願すれば徴兵で入隊するよりも階級も待遇も有利なのよ」

 お姉さんは僕と並んで椅子に座る。

「で、戦況はどうなんだい?」

「相変わらずよ。ロア川を挟んで小競り合い。大丈夫、殆ど戦死者も出ていないわよ」

「そうかい? 俺が聞いた話とは随分違うな」

 シャハドがどんな話を聞いているのかは知らないけれど、戦闘が激化しているのは誰でも知っている。

「あら、どんな話? ね、軍で活躍して国王陛下から勲章を授与される、っていうのも悪くないでしょう?」

「プレスギャングはいつから夢物語を語るようになったんだ?」

 プレスギャングって云うのは、徴兵を専門とする人さらいの様な部隊の事だ。

「まあ、人聞きの悪い。わたしはただ仕事のお誘いをしているだけよ」

「余所を当たってくれ」

 シャハドがまるでハエを追うように手を振った。

「好みのタイプじゃなかったしな」

 お姉さんが離れると、シャハドがようやく顔を上げて言った。

「シャハドは声掛けられ慣れてるみたいだね」

 僕が言うと、シャハドはもううんざり、といった表情を浮かべる。

「さっさと食事して出よう」

 それには僕も賛成だ。町は息が詰まる。ましてやここは兵士で一杯だ。

 兵士が行き交う通りを抜け、僕たちは早々に門をくぐる。が、門から先にも兵士が一杯だ。

 家並みが途切れると、そこから先は明るい林になった。街道は前線へ向かう兵士たちと、後退してくる兵士たちでごった返している。

「結構やられているな」

 前線から引き上げてきた兵士の一団を見て、シャハドが言った。徒歩で引き上げてくる連中に混じって、無蓋の馬車に無造作に寝かされてくる傷病兵も多い。

 僕たちは日暮れ近くなって次の村にたどり着いた。ここが前線までの最後の村だ。門をくぐる前から、街道の両脇に軍のテントが立ち並んでいた。案の定、宿屋は軍に接収されていて、僕たち一般人は泊まれない。

「どうする?」

 シャハドが決まり切った事を訊いてくる。

「野宿でしょ」

「だな。で、どこで?」

 野宿をしようにも、街道沿いのめぼしい所にはすでに軍のテントがある。これは街道から離れるしか無さそうだ。

「良い場所がないか、ちょっと村の人に訊いてくるよ」

 僕はぶらぶらと村の中へ入っていく。

「すみません」

 僕は丁度目の前を通りかかった少女に声を掛けた。少女は買い物の帰りらしく、幾つも荷物を抱えている。

 びっくりしたような目で僕を見ている少女に、僕は野宿の出来る場所を訊ねた。少女は、「こちらへ」と、僕を誘って歩き出す。僕はシャハドに目配せして少女の案内に従う。

「荷物、手伝うよ」

 重そうな包みを幾つか持ってやる。少女は何も言わない。が、拒みもしなかった。

 やがて少女は村外れの民家の前で立ち止まった。

「入って」

 僕は荷物を抱えて中へ入る。シャハドは僕たちが荷物を置いて出てくるのを扉の外で待っている。

「あなたも」

 少女はそんなシャハドも中に誘う。

 家の中は閑散としていた。床はなく、土間に直接テーブルと椅子、それにベッドが置かれている。

「今夜はここに泊まって下さい。外はどこも兵士で一杯です」

 僕は少女の思わぬ申し出に驚いた。少し間を置いて、シャハドが口を開く。

「宿賃は幾らだ?」

 たぶん、ぼったくられる事を心配しているのだろう。まあ、この状況では多少の高値も仕方があるまい。が、少女の答えはまたしても僕を驚かせた。

「お代は要りません」きっと何かあるに違いない。「――お二人はこれからどちらへ行かれるのですか?」

 僕たちの目的地とこの親切と、どう関係するのか。まあ、嘘をつく必要もない。僕は正直に答える。

「リーゼル台地を抜けて、それから都へ」

 少女の目に決意が見て取れた。

「わたしを一緒に連れて行って下さい」

 僕たちはこの後、リーゼル台地の森の中を北へ向かい、それから北の森近くの街道を南西に辿って王都へ出るつもりにしている。かなりの遠回りだ。少女はそれでも良いという。

 少女はレイリンと名乗った。僕と同じ十六歳。僕と同じ孤児。この戦争で父親を失っていた。村には兵士が溢れ、彼女にとって生まれ故郷は決して住みやすい所ではなくなっていた。だから村を離れ、都会で仕事を、自分の居場所を探そうと決意したらしい。だが、少女が護衛も無しで一人旅など出来るはずもない。彼女は僕に声を掛けられた事を天啓と受け取ったようだ。

「足手まといだな」

 シャハドはぷいと横を向く。それは確かにそうだ。これから行く場所は戦地であり、どう猛な魔獣がうろつく場所でもある。いや、それよりも都へ向かう街道の方が余程危ない。魔獣に加えて盗賊も出る。

 それに、彼女が一緒じゃ護衛の仕事も出来やしない。

「守って下さいとは言いません。わたしには護衛を雇うお金はありません。ただ、一緒に行かせて欲しいのです」

 そう言われても、もしレイリンが賊に襲われれば見捨てる訳にも行かない。

「お前が決めろ」シャハドが僕に言った。「この旅はお前の旅だ。言ってみれば、俺もお前に勝手に付いて来ている立場だからな」

 レイリンが僕を見つめる。こうしてよく見ると、なかなか可愛い。少し長めの黒髪を後ろで一つにまとめ、リボンで縛っている。見開かれた濃いブルーの瞳が僕の心を揺り動かす。これでは断れない。

「危険な旅だって事は、判っているね?」

 レイリンの表情がパッと晴れる。シャハドはちょっと肩をすくめる。

「決してご迷惑はお掛けしません」

「俺たちが一番危険かも知れないぜ」

 シャハドが小さな声で言った。レイリンは何も答えず、隣の炊事場へと消えていった。

「どうせリーゼル台地を抜ける間は護衛の仕事も取れないし、大丈夫だよ」

 僕が言うと、シャハドはまた肩をすくめて言う。

「彼女、ちょっと可愛いしな」

 別に下心があって承諾した訳ではないが、そりゃ道連れは可愛いに越した事はない。

 その晩は彼女の手料理をご馳走になった。これが最後の炊事という事で、ありったけの材料を使った豪華な食事だった。料理の上手な少女だ。

「これだけ食ったら、しっかり護衛してやらないとな」

 シャハドも美味い食事にご機嫌だ。

 明日はいよいよリーゼル台地に入る。しばらくは野宿の日が続くだろう。僕たちはそれぞれの思いを胸に、床についた。


「準備はいいな?」

 シャハドが声を掛ける。

 朝食は済ませた。乾パンと干し肉は買ったし、野宿の準備も整っている。

「ああ。いいよ」

「わたしも、いいです」

 僕たちは背嚢を背負いなおし、元気に歩き出す。門を出ると、街道沿いのテントから朝げの煙が立ち上っている。人通りはまだ少ない。

 しばらく行くと、前方に森が見え始めた。いよいよ戦地だ。昼少し前に、別れ道に辿り着いた。二股を右へ行けば直ぐに森へ入り、やがてロア川を渡ってアルプ皇国へと通じている。が、ここから先は民間人の立ち入りは禁止されている。別れ道の所には、いかつい投石車が二十台ほども待機している。

 僕のオヤジはきっとこの先で竜と共に戦死したのだろう。僕は背嚢を降ろす。東の空に向かって、手を合わせる。気が付くと、レイリンも僕と並んで手を合わせている。背嚢から、オヤジの好きだったワインの小瓶を取りだし、辺りに振りまく。きっとオヤジは空の彼方で竜神と共に平和に暮らしていると思う。僕は背嚢を背負い直した。

「さあ、行こう」

 振り返って二人に声を掛けた。

 二股を左へ行けば、道はしばらくの間、森と草原の境を進み、それから森へと入っていく。その後は森の中を北に進むことになる。僕たちは投石車の脇を抜け、左の道を辿る。

 分岐から先には兵士もまばらだ。それでも時々街道脇に野営地が現れるが、主力部隊は右の道の先、ロア河畔に展開しているはずだ。

 少し行くと、検問所に出た。兵士が僕たちを手招きしている。

「なんで子供がこんな所を歩いてるんだ?」

 そりゃあ僕たち三人は場違いに見えるだろう。年長のシャハドが一歩前に出る。

「俺とコイツは用心棒だ。この娘さんの護衛を務めている」

 なるほど、そう云う設定にするのか。

「用心棒? お前たちがか?」

 兵士は露骨にバカにした表情だ。だが、シャハドは動じない。

「ああ。それを生業にしている」

「そっちの小僧もか?」

「心配はご無用だ。コイツは俺より強い」

 そう言うと、シャハドは僕にウィンクをした。

 兵士は肩をすくめる。

「まあ、お前たちは敵の間諜には見えんな。行って良し。だが、何かあっても軍に泣きつくなよ。俺たちは忙しいんだからな」

 僕たちはゲートをくぐり、歩き出す。ここから先は魔獣だけじゃない、敵兵も出没するらしい。気を引き締めていく。と、言っても、シャハドは鼻歌交じりだし、僕も少し気分が晴れて足取りは軽い。レイリン一人、不安そうな面持ちをしている。

 やがて道は草原を離れ、森へと入っていく。昼間だというのに、時々魔獣の咆吼が聞こえてくる。

「レイリンのお父さんは何をしていたの?」

 僕は後ろを歩くレイリンに声を掛ける。彼女は農家の娘には見えない。

 レイリンが僕に並び掛けてくる。

「父は竜の仲買人でした。昔はリーゼル台地で捕らえた野生の竜を繁殖用に竜牧場に売っていたのですが、近頃は竜牧場から買い付けた竜を軍に売っていました」

 なるほど。魔獣の咆吼が聞こえても彼女が動揺しないのは、竜が身近にいたからか。

「で、なんで孤児になった?」

 前を歩くシャハドがぶしつけに質問する。

「母はわたしが小さい頃に病死しました。父は、あの日、竜を前線の兵舎に運んでいって、……そのまま戻りませんでした。聞いた話では、敵の襲撃があったそうです」

 だからさっきは僕と並んで手を合わせていたのか。

「で、レイリンは都に出てどうするの?」

「はい。王都でメイドの仕事でも探そうかと」

 僕と同じ、職探しか。

「随分遠回りをさせちゃうね」

 僕たちは真っ直ぐに都へは向かわない。女の子には、遠く危険な道のりだ。

「急ぐ旅ではありませんから」

 レイリンはそう言うと、おしとやかに微笑む。

 日暮れまで、僕たちはアルプ兵にも魔獣にも出会う事はなかった。

「そろそろ今夜のねぐらを決めようぜ」

 シャハドが振り返る。

 僕たちは道から少し外れた大きな木の根元に場所を定める。下草を踏んで平らにならして腰を下ろした。なかなか快適な場所だ。

 突然、頭上を竜騎兵の一団がロア川の方へ飛び過ぎて行った。夕日に一段と赤く染まったレッドドラゴンが木々の間にちらりと見えた次の瞬間、ギェーッというドラゴンの悲鳴が辺りに響き渡った。

 僕は剣を掴んで立ち上がる。

「シャハドはレイリンとここにいて!」

 言い置いて、僕は竜が飛び去った方向へ走り出す。前方からは竜たちの争う喧噪が聞こえている。直ぐ近くだ。

 突然、目の前に赤い巨体が現れた。地上に落ちたレッドドラゴンは、ぴくりとも動かない。もう息絶えているようだ。その向こうは小さな草地になっていた。今、その草地に三頭のレッドドラゴンが降り立っている。うち一頭はかなり深手の様で、右の翼をだらりと垂らしている。レッドドラゴンと対峙していたのは二頭の野生のシルバードラゴンだった。

 驚いた事に、レッドドラゴンに騎乗していたのはアルザスではなくアルプの竜騎兵たちだった。敵軍が前線を突破して侵攻していたという事か。だが、その敵兵たちも今やシルバードラゴンの餌食になろうとしている。

 僕にはシルバードラゴンの怒りが感じられた。

(俺たちのテリトリーを荒らすな!)

 そう言っている。恐らく、竜騎兵たちはシルバードラゴンの森を低空飛行しすぎたのだろう。すでにレッドドラゴンたちに戦意はなく、身をかがめてギャーギャー鳴き立てるだけだ。数では勝っていても、レッドドラゴンは、より大きく強靱なシルバードラゴンには歯が立たない。

 その時、僕は手前に落ちた竜の翼の下に人が倒れているのに気が付いた。近付いて翼を持ち上げてみると、若い女だ。意識はないが、一見した所大きな外傷はない。女を翼の下から引きずり出し、抱き起こす。息はあるようだ。

 シルバードラゴンの一頭が、僕に気付いた。倒れたレッドドラゴン越しに首を伸ばし、僕を睨み付ける。その時、僕の腕の中で女が身じろぎをした。

「気が付いた?」

 僕の呼び掛けに、女が目を開いた。次の瞬間、女は僕をはねのけて逃げようと上体を捻る。その結果、女は僕を睨み付けているシルバードラゴンと僅かな距離を置いて正対する羽目になった。女は、今度は僕にしがみついてきた。僕はなるべく優しく女を抱き留めた。

(立派なドラゴンよ。僕は君たちの敵ではない。この森を騒がせるつもりはない)

 僕は心を落ち着かせ、シルバードラゴンに話しかける。女が僕と竜とを交互に見やる。

(我々高貴なる竜と言葉を通じさせる、お前は何者だ?)

(僕が何者かは僕にも判らない。でも、敵ではない)

(何が望みだ?)

(僕にこの女を助けさせて欲しい)

 竜はフフンと鼻を鳴らした。笑っているのだ。

(お前にくれてやる。不味そうだからな)

 僕も思わず笑ってしまった。竜の目に、この女は不味そうに映るのか。

「一体、どうなってるの?」

 女が口を開いた。

「君は不味そうだから僕にくれるって」

 正直に伝える。

「嘘ばっかり。竜がそんな事言う訳無いでしょ。だいいち、あたしのどこが不味そうなのよ!」

 悪態をつきながらも、女は僕の腕の中で震えている。

 竜騎兵たちに目をやると、すでに戦えそうなレッドドラゴンは一頭だけになっている。その一頭も、逃げだそうと必死だ。だが、シルバードラゴンたちに彼を許すつもりは無い様だ。

「立てる?」

 そろそろ引き上げた方が良さそうだ。辺りは大分暗くなってきた。

「おぶって歩きなさい」

 女が高慢に言う。貴族の令嬢みたいな口利きだ。ここで口論しても仕方がない。僕は女を背負って歩き出す。シルバードラゴンは黙って僕たちを行かせてくれた。

 僕は女を背負ってシャハドたちが待つ野営地へ戻った。すでに背後の喧噪は途絶えている。戦いに決着が付いた様だ。

「お前、また女を拾ってきたのか」

 シャハドがあきれ顔で言う。僕は二人に顛末を話して聞かせた。

「じゃあ、アルプの女か?」

 シャハドの問いかけに女は顔を上げる。

「あたしが誰だか知らないの?」

 僕たちは顔を見合わせる。シャハドが三人を代表して答える。

「知らないな」

 女はちょっとがっかりした様子だ。

「……まあいいわ。あたしはファビス・クルゾーラ。ファビス様って呼んで良いわ」

 ファビスと名乗った女は、王都近くの湖からあのアルプ兵たちに拉致されたらしい。湖畔で優雅にピクニックを楽しんでいたとは、いいご身分のようだ。

「おい、ちょっと待てよ!」女の話を聞いた後で、突然シャハドが叫んだ。「クルゾーラって、国王陛下の名前じゃないかよ」

 そう言われれば、そうだ。僕たち平民は得てして貴族社会には疎いが、国王の名前位は知っている。今の国王はアリステア・クルゾーラ二世だ。と、云う事は、この小生意気な娘は王族?

「国王様にはとてもしとやかで美しい王女様がおいでとか」

 レイリンが口を挟む。

「しとやかで美しい王女様? じゃ違うな」

 僕は言った途端にファビスに殴られた。彼女は目を三角にして怒っている。

「あたし以外に考えられんでしょうが!」

「お前がお姫様?」シャハドもあきれ顔だ。「レイリンの聞いた噂とはだいぶん違うんじゃないの?」

 僕もそう思う。美しい方は、まあいいとしても、しとやかとはほど遠い。噂なんてそんな物だ。だが、取り敢えず僕たちはファビスをお姫様として受け入れた。

「アル。で、どうするんだよ?」お姫様の処遇の事だ。「身代金でもゆすってみるか?」

 もちろんシャハドの冗談だ。

「そんな事して、国王陛下に『びた一文出さん』とか言われたらどうするんだよ。シャハドが一生面倒見る?」

「それもそうだな。じゃ、そこらに捨てていくか」

 ファビスはそんな僕たちのやりとりを黙って聞いている。レイリンは心配そうな面持ちだ。

「冗談はさておいて、明日、最初に出会った兵士に預けよう」

「まあ、妥当な線だな。謝礼は期待できそうにないけどな」

 ファビスが口を挟んできた。

「ちょっと待って。兵士は信用できないわ。さらわれた時だって兵士が護衛に付いていたけど、何の役にも立たなかったわ」

「おいおい。精鋭の近衛兵だろ?」

「だからあなたたち、あたしを王宮まで護衛しなさい」

 僕はシャハドと顔を見合わせる。僕は気乗りがしなかったけど、シャハドの頭に謝礼金が浮かんでいるのは確かだ。彼の口元は緩んでいた。

「仕方がないね。でも、無事に王宮まで帰れる保証はないよ」

 僕が言っても姫様は動じない。

「あなた、魔法が使えるんじゃないの? さっきだって凶暴なドラゴンを大人しくさせてたじゃないの」

 まったく、何を考えているんだか。確かにこの世界にはドラゴンと剣はあるけど、そのドラゴンは火を吐かないし、魔法使いもいない。それとも王宮には本物の魔法使いでもいるんだろうか。

「ドラゴンは賢い生き物だからね。対処を誤らなければ別に怖くはないさ。王族の娘ほどにも扱いにくくはないんだ」

 また殴られた。


 翌朝、僕たちは連れだって歩き出した。ファビスにはレイリンの持っていた着替えを着せて、町娘風な出で立ちをさせてある。明るい所で見ると、ファビスは確かに美しかった。短めの波打つ髪は濃い茶色に輝き、深い緑の瞳はエメラルドの様だ。少し赤みを帯びた肌はすべすべで、育ちの良さが窺える。ただ、おしとやかと云うよりは活発な娘といった感じだ。レイリンの方が余程おしとやかだ。

 今日もシャハドが先にたって歩く。レイリンがその隣に並ぶ。僕はファビスと並び、後に続く。

「お前、年は幾つだ?」

「あたしは十五。あなたは、アル?」

「僕は十六だ」

 結局、僕たちのパーティーにまた一人子供が増えた訳だ。端から見たら一段と怪しいグループになった事だろう。

 辺りに警戒しながら進んでいくと、程なく検問所に行き当たった。

「止まれ!」

 槍を構えた兵士が僕たちを制止する。

 詰め所から数名の兵士が出てきた。

「リーダーは?」

 兵士の一人が訊いてくる。

「コイツです」

 前にいたシャハドが僕を指差す。いつから僕がリーダーになったんだ? それにリーダーをコイツ呼ばわりだ。

「お前か。お前たち、ここで何をしている?」

 嘘やごまかしは通用しそうにない。王女が誘拐されたせいで警戒も厳重になった様だ。

「僕は戦死した竜騎兵、ファーラー伍長の息子です」

 戦地を見ておきたかった事、その後は都へ向かう事などを説明する。

「ついでに用心棒のシャハドと組んで、この娘たちを都に送り届ける仕事を請け負ったんです」

 最後に辻褄を合わせる。兵士は半信半疑の様子だが、僕たちを通してくれた。

「行って良し。だが、アルプ兵の動きが活発化している。十分気を付けて行け」

 僕たちはゲートを越えた。それからしばらくは人にも魔獣にも出会わない。

「ねえアル」ファビスが話しかけてくる。「どうしてドラゴンに乗らないの? 竜騎兵の息子なんでしょう? なんなら、王立竜騎兵学校の推薦状、書いてあげようか?」

 小生意気なお姫様にしては親切な申し出だ。が、僕には必要ない。

「竜騎兵にはならないよ」

「どうして?」

「竜が可哀想だから」

「どうして?」

「兵士には敵味方があるけど、竜にはないんだ。同じレッドドラゴン同士で戦うのは竜にとって悲しい事なんだ」

「どうしてそんな事が判るの? シルバードラゴンはレッドドラゴンを襲ったじゃない」

「種族が違うから」

「だから、どうしてそんな事が判るのよ?」

「それは――」なぜか僕は素直に話す気になっていた。「――僕が竜と話が出来るから」

 ファビスはチャチャを入れる事もなく、しばらく黙っていた。やがて静かに口を開く。

「親竜族」

「なに、それ?」

「王宮の賢者に聞いた話。昔、北の森の奥に竜を操る一族がいたんだって。でも随分前に滅びたって聞いたわ」

「なぜ滅びたの?」

 僕の心臓は高鳴っていた。もしかすると、僕の出生に関係があるのかも知れない。

「知らないわ。王宮に帰ったら、一緒に賢者に聞いてみましょう」


「おい!」

 前を行くシャハドが立ち止まった。僕たちは急いで道を外れ、茂みに身を隠す。

 やがて現れたのはアルプの歩兵部隊だった。数は十名余りだが、それでもここまで進入してきたのには驚いた。戦況はいよいよ分が悪そうだ。

 一団が見えなくなってから、僕たちは道に戻る。

「かなりやばいな」

 シャハドが呟く。

「そうだね。追い剥ぎならチョロいけど、軍隊相手はちょっとキツいな」

 それでも僕たちは周りに一層注意しながら進んでいった。戻った所で敵に遭遇しないという保証はない。僕はもう十分リーゼル台地を経験したから、この地に長く留まる理由はない。けれど、この森を抜けるには、戻るか進むかしか道はない。脇道はないんだ。

 突然、僕たちは敵兵の襲来を受けた。敵は空からやって来た。アルプの竜騎兵は僕たちの目の前に単騎で舞い降りる。

「ファビス・クルゾーラ王女か?」

 僕たちを子供と見て油断している。僕は素早く弓を引き、兵士の甲冑の継ぎ目を狙って矢を射る。兵士が竜の背中から滑り落ちた。

「こいつら、王女捜しをしてやがるのか」

 シャハドが兵士の絶命を確認しながら言う。僕は竜の背から鞍を降ろし、首輪を外してやる。

(済まぬ)

 竜が頭を下げた。

(北の森なら仲間がいると思うよ)

 僕が言うと、竜はもう一度頷いてから北へと飛び去っていった。

 ファビスが僕の事を見ていた。彼女の言いたい事は判る。竜に乗っていけば王宮まで一日とは掛からないだろう。僕にはそれが出来る。

 竜に乗るのは楽しい。病みつきになるほどに。だから僕はなるべく竜に乗らない様にしていた。竜を悲しませることがないように。

「街道筋は歩けないな」

 シャハドが言った。アルプ皇国がなぜこんなじゃじゃ馬姫にこだわるのかは知らなかったけど、僕たちが彼女を守らなければいけない事は理解できた。街道は空からは丸見えだ。

 森へ入ると僕たちの歩みは極端に遅くなった。その上、方向が定まらない。僕たちは街道の西に広がる森を一列になって進んでいった。先頭をシャハドが進み、レイリンが続く。その後がお姫様で僕が最後尾だ。街道から十分に離れたところで、北へ向かう。

 ファビスは僕が竜を逃がしてしまった事に、何も言わなかった。やれ虫に食われただの、木の葉にかぶれただの、ヒルがくっついただのと文句は多いが、それでも頑張って歩いていく。

 敵兵は突然現れた。僕たちの右手の藪の中から、十名足らずの小隊がいきなり飛び出してきた。敵も僕たちの存在を予測していた訳ではないらしく、一瞬驚いた表情で立ち止まる。それからレイリンとファビスに気付くと、腰の剣を抜いて僕たちを取り囲む様に近付いてきた。

 僕は躊躇しなかった。まだ敵兵の心構えが出来ないうちに、連中の真ん中に切り込んでいく。あっという間に二名を切り捨てる。ちらりと見やると、シャハドも手近な敵を切り倒している。僕は敵兵が彼女たちに近付けない様に位置取りしながら、次々に敵兵を倒していく。気が付くと、敵兵は居なくなっていた。

「終わったな」

 シャハドが肩で息をしながら寄ってきた。

「弱い連中で良かった」

 僕も一息つく。

 レイリンは震えている様だった。無理もない。目の前で敵とはいえ人が切られ、血しぶきを上げながら死んでいくのだ。僕は剣を拭って鞘に納める。と、ファビスが抱きついてきた。

「アル、強いね。あたしの目に狂いはなかった」

 ファビスの肩越しに、シャハドがレイリンの肩を抱いているのが目に入った。

 また殴られた。

「何とか言いなさいよ、褒めてるんだから」

 わがままなお姫様だ。

「早く行こう。日暮れまでになるべくここから遠ざかった方がいい」

 今度は僕とファビスが前になって歩き出す。シャハドがレイリンに手を貸しながら付いてきていた。気丈なレイリンも大分参っているみたいだ。しかし、お姫様は元気だ。

「アルプ兵は何でお前みたいな跳ねっ返りにご執心なんだ?」

 僕は隣を進むファビスに訊いてみた。

「それはね――」ファビスが片目をつぶってみせる。「あたしが可愛いから!」

 この娘にどれ程の価値があるのか知らないが、アルプ皇国も人質を取る様なあくどい真似などせずとも十分に勝機がありそうに思える。

「本当はね――」ファビスが真顔になる。「あたしを無理矢理アルプ皇太子の妃にするつもりなんだ」

 彼女の顔が曇る。

「へぇ。貰ってくれるって言うなら、行っちまえばいいのに」

 ファビスが僕をキッと睨んだ。その目には泪が溜まっている。

「アルプ皇太子って、もう三十をとうに過ぎたおじさんよ。しかもデブ。……ううん、そういう事じゃないの。あたしはアルザス国王の一人娘、つまり世継ぎね。そのあたしを妃に迎えれば、アルプ皇国はアルザス王国を併合したのと同じでしょう? リーゼル台地どころか、この国全てが手に入るって訳」

 なるほど。本当に併合されるかどうかはともかく、そうなったらアルプ皇国はアルザス奪取の格好の大義名分を手に入れられる。

「大変なんだな」

「そうよ、大変なのよ」

 ファビスが僕の手を握ってきた。僕はその手をそっと握り返した。


 日暮れ前に僕たちは今夜のねぐらを定め、早めに食事を終えた。食事といっても、火は使えない。乾パンと干し肉、それに水筒の水だけだ。

 陽が落ちると、辺りは漆黒の闇に包まれる。僕は大木の根方に寄りかかり、姿勢を楽にした。レイリンはシャハドと一緒に少し離れた倒木の陰にいるはずだ。遠くで魔獣の咆吼が聞こえた。

「結構怖いね」

 ファビスが僕に寄りかかってくる。

「ドラゴンよりも人間の方がよっぽど怖いよ」

「あたしも?」

「女の子が一番怖い。王族ならばなおさらのこと」

 僕はファビスの髪に触る。彼女は僕の膝に手を置いた。

「アルの弱虫」

 やがて彼女は静かな寝息をたて始めた。

 翌日も僕たちは森の中を進んでいった。僕が先頭でファビスが続く。その後ろをレイリンとシャハドが付いて来る。並んで歩けそうな場所では、ファビスが僕に並び掛け、シャハドがレイリンと並んで歩く。時々魔獣の姿が見え隠れするが、危険なほど近付く事もなく、一日が過ぎていった。アルザス兵にもアルプ兵にも出会わなかった。


「明日にはリーゼル台地を抜けられそうだな」

 寂しい夕食の場で、シャハドが言った。

「街道に戻らないと」

 この先、森は川に遮られる。ロア川の支流だ。川を渡るには街道の橋を通らなければならない。

「さて、どちらが橋を占拠しているかな」

 シャハドが他人事の様に言う。もしアルプ兵が占拠していたら先へは進めない。

「気にしても仕方がないわね。早く寝ましょう」

 当事者のファビスが寝支度を始めた。その通りだ。行ってみれば判る事だ。僕も彼女の隣で横になった。


 明け方、冷たい雨で目を覚ました。ポツリポツリと降り出した雨は瞬く間に土砂降りになった。僕たちは大あわてで背嚢からポンチョを引っ張り出す。僕は所在なさげに佇んでいるファビスにポンチョを着せてやる。突然竜と共に空から降ってきたお姫様は何の旅支度も出来ていない。彼女はさも当然といった風で僕のポンチョを被った。

 僕たちは朝食もそこそこに出発した。

「たぶん、このまま行けば川に出るだろう」

 シャハドが言う。川に突き当たったら東に進み、街道の橋を探そう。

 雨のせいで行程ははかどらなかった。昼になっても雨は上がらず、川にも出ない。

「川を越えたらどこに出るの?」

 ファビスが並び掛けてきた。

「川を越えたら別れ道だ。西の道を行けば都に出られる」

「もうすぐ?」

「いや。道は北の森に沿って進んでから南に下って都だ。それでもちゃんと街道を歩ければ二、三日で王宮に帰れるよ」

「二、三日かぁ。王宮のベッドが恋しいなぁ」

「その割にはお前、野宿でも熟睡してるよな」

「アルのお陰だよ。安心して寝られるから」

 やけにしおらしい事を言う。もう帰った気にでもなっているのだろうか。

 突然、視界が開け、川に出た。

「結構な大河だな」

 僕の想像よりは大きな川だ。

「それにこの雨で水かさも増してる」

 この水量と川幅では渡河は不可能だ。

「橋を探そう」

 僕は気を取り直して歩き出す。ここからは敵兵に気を付けて慎重に進む。まあ、それでなくても進みは遅い。

 ようやく日暮れも近くなって、僕たちは街道に出た。

「ちょっと様子を見てくる」

 シャハドが背嚢を降ろして橋の方へ走っていった。

 しばらくして戻ってきたシャハドは、両手で×印をしている。

「橋のこっちはアルプ兵だ。川向こうにはアルザス兵がいるらしい」

 どうやら橋は戦場になっている様だ。

「人数は?」

「ざっと三十人ってとこだ」

 やるしか無さそうだ。

「夜襲を掛けよう。先に弓で倒せるだけ倒すから、後は力業で何とか」

「無茶を言うな。三十対二だぞ」

 僕は答えずに歩き出す。橋の手前で道を外れ、三人に隠れている様に言い置いて、僕はなおも前進する。弓の射程まで近付いていく。

 敵兵の背後に十分に近付いた所で僕は矢をつがえる。躊躇はない。放たれた矢が敵兵の一人を倒した。素早く二の矢三の矢と放っていく。まさに矢継ぎ早というヤツだ。直ぐに敵陣が騒がしくなった。射手、つまり僕の位置が判らないので慌てている。森の陰に場所を構えるこちらは暗がりになっている。それに辺りはどんどん暗さを増している。僕は手持ちの矢全てを放った。これで敵の兵力は半減した。

 腰の剣を抜いて飛び出そうとする僕に後ろからシャハドが声を掛けてきた。

「大分減ったな。あれなら何とかなりそうだ」

 すでにその手には青龍刀が握られている。僕たちは混乱している敵兵のただ中に飛び出した。

 敵もこちらに気付いた。松明を手に駆け寄ってくる。僕たちは手当たり次第に斬りつけていった。

「アル!」

 大勢は決したと見え始めた頃、シャハドに呼ばれた。南から敵の援軍が近付いていた。人数は判らないが、結構な数の様だ。

「シャハド! 二人を連れて先に行ってくれ!」

 この機会を逃したらもう次は無いかも知れない。何としてでもレイリンとファビスを逃がしてやりたい。

 シャハドが藪の陰に隠れていた二人を呼び出す。

「お前も後から来いよ」

 シャハドはレイリンの手を取り、橋の方へ走り出した。僕は橋を背に、新たな敵兵を迎え撃つ。

 援軍は二十名程だ。敵兵は僕を取り囲む様に位置を取る。これでは戦いながら橋の方へ後退するのは難しい。

 僕はやられるのを待ってなどいなかった。こちらから攻撃に出る。左側の一人を切り倒し、ひるんだ正面の一人も切り捨てる。後はまた乱戦になった。ちらりと橋に目をやると、もうシャハドたちの姿は見えなかった。

 僕は大分疲れてきた。そろそろ駄目かと思い始めたその時、道の脇にしゃがみ込んだファビスの姿が目に入った。何てことだ! 僕はファビスの所まで徐々に後退する。

「なぜ行かなかった?」

 振り向かずに訊いた。

「だって」

 ファビスが口ごもった。

 彼女の姿に気付いた敵兵は、俄然勢い付いてきた。自分たちが探している王女だと気付いたのだろうか。切り込んでくる敵兵を僕はかろうじて押し返していた。が、敵の数はまだ多い。いよいよヤバそうになったその時、上空を漆黒の影が通り過ぎた。

 上空を旋回して、僕と対峙するアルプ兵たちの背後に降り立ったのは、一頭のシルバードラゴンだった。雨に濡れたウロコの一枚一枚が、アルプ兵の持つ松明を映し美しい。

(苦労している様だな)

 ドラゴンがその大きな目で僕を見る。あの日、ファビスを空から降らせたドラゴンだった。

(また会ったね)

 突然現れたドラゴンにアルプ兵は逃げ惑っている。

(運んでやろうか?)

 ドラゴンが目の前のアルプ兵を噛み砕き、ペッと吐き捨てる。

 振り返ると、ファビスが怯えた目でドラゴンを見ている。

「乗せてくれるって。どうする?」

 ファビスは小さく頷いた。

(頼むよ)

 僕はファビスの手を引き、ドラゴンの背に跨る。鞍も手綱もない上に、ウロコが雨で滑りやすい。彼女を僕の前に座らせる。身を固くしているファビスを後ろから抱きかかえる様にして、ドラゴンのたてがみを握る。

 ドラゴンが飛び立った。雨粒が顔に当たる。

(どこへ行きたい?)

(王宮へ)

 そんな遠くでは断られるかと思ったが、竜は南西へ、王都の方角へ向きを変える。

(また人と話が出来るとは思わなかった)

 竜が穏やかに話しかけてきた。この竜は以前にも誰かと話をした事があるのだろうか。

 竜が続ける。

(お前は親竜族の者か? あの一族に出会うのも久しぶりだ。もう残っていないのかと思っていた)

 竜はゲランと名乗った。竜にも仲間同士で呼び合う名前があるらしい。

(君も僕が親竜族だと思う?)

(親竜族以外に我らと話の出来る者はいない)

 それから僕は親竜族についてゲランに訊ねてみたが、竜も詳しい事は知らない様だった。ただ、彼は幼い頃、生まれ故郷の北の森で人間を乗せて遊んでいたらしい。それが親竜族だった。ゲランも今ではリーゼル台地に移り住んで、北の森には長く帰っていないそうだ。だから、親竜族の生き残りが他にいるのかどうかは知らないという。けれど、僕が親竜族に違いない、そう断言した。

 雨が上がった。濡れた身体に竜の切り裂く風が冷たい。僕は震えるファビスを抱きしめる。親竜族滅亡の理由は王宮の賢者とやらに訊いてみよう。

 さすがにシルバードラゴンは速かった。夜明け前に、前方に都が見えてきた。王都の中央に、幾つもの高くそびえる塔を持った宮殿が見える。王宮だ。

 ドラゴンが王宮の上空を旋回する。下から警戒に当たっていた竜騎士団が上がって来た。

(中庭へ)

 ゲランは僕の命令に素直に従い、中空に造られた中庭に舞い降りる。

(なかなか楽しい旅だった。親竜族と戯れていた子供の頃を思い出した)

 竜は満足気だ。

(ありがとう。お陰で無事に着けた)

 ファビスをそっと地面に立たせ、僕も竜の背を降りる。

 建物から兵士がばらばらと駆け寄ってくる。シルバードラゴンが王宮に侵入するなど、前代未聞の事だろう。彼らにしてみれば新手の強敵の登場だ。が、ファビスが彼らを制す。

「下がりなさい!」

 兵士たちが立ち止まる。竜騎士たちも次々に中庭の隅に着地する。

(威勢の良い娘だ。あの時食わなくて良かった)

 ゲランがちょっと首を傾げる。

(威勢が良いのは不味いのかい?)

(そうではないが、消化に悪そうだ)

 笑ってしまった。なかなか面白いドラゴンだ。

「何を笑ってるのよ?」

 ファビスが僕と竜を交互に見やる。

「威勢のいい娘は食べても消化に悪いんだって」

 ファビスは僕を殴りそれからゲランを睨み付ける。竜が鼻を鳴らした。

「姫様!」

 兵士たちを掻き分けて、女官がやってきた。直ぐにファビスは侍従たちに囲まれ、僕と竜から引き離された。


 そろそろ辺りが明るくなり出した頃、塔の上からラッパの音が鳴り響いた。起床の合図かと思ったが、そうではない様だ。中庭にいた者たちが一瞬凍り付く。次の瞬間、竜騎士たちが空に舞い上がった。

「敵襲! 敵襲!」

 塔の上から見張りの叫ぶ声がする。直ぐに敵の姿が見え始めた。北東の空に、竜の群れが現れた。昨夜の雨に紛れてロア川の防衛線を突破したのだろう、百頭近いレッドドラゴンの大群だ。アルプ皇国は一気に決着を付ける気らしい。アルザスの竜騎士、竜騎兵が次々に迎撃に上がっていくが、数は少ない。中庭にファビスの姿はもう無かった。

(どうするね?)

 シルバードラゴンが訊ねてきた。

(君を巻き込みたくない)

(竜は本質的に争いが好きなんだ。気にする事はない)

 どうやらゲランはレッドドラゴンと一戦交えるつもりの様だ。しかし数が違いすぎる。

(僕と一緒に戦ってくれるのか?)

(望むところだ)

 僕は兵士じゃないけど、この状態で逃げてしまうのはイヤだ。僕は竜の背に跨る。

(下の竜騎兵詰め所へ)

 ゲランはひと羽ばたきで詰め所に降り立つ。僕は急いで手近にある長槍を掴み、竜の背に戻る。

(行こう!)

 僕にとっては初めての空中戦だ。

 戦闘は思っていたよりも楽だった。シルバードラゴンはレッドドラゴンより大きく、強い。敵の竜に近付くと、レッドドラゴンはパニックに陥り、騎乗した兵の言う事を聞かなくなる。僕は飛び違いざまに長槍を突き出し、敵兵を下に落とす。時々シルバードラゴンは敵の竜に噛み付いたり、鋭い爪で掴みかかったりもする。そうなれば僕が槍を突き出すまでもない。レッドドラゴンは兵士を振り落とし、あるいは自分自身が地上に落下する。

 それでも敵の数は多かった。すでに空中にアルザス兵の姿は見えない。対するアルプの竜騎兵はまだ十数騎が残っている。

(楽しいじゃないか!)

 シルバードラゴンはご機嫌だ。引き下がる気など毛頭無いらしい。一騎、また一騎と敵を撃破していく。

 突然、敵兵が撤退を始めた。見ると、朝焼けに赤く染まる空に新たな竜の一団が見える。どうやらリーゼル台地に布陣していたアルザスの竜騎兵が駆け付けてきたみたいだ。アルプ兵たちは北の空へと去っていった。

 僕はゲランをもう一度中庭に降ろした。

(疲れてないかい?)

 地面に降り立ち、竜の首をさすりながら訊ねる。

(いささか。だが楽しかったぞ!)

 本当に竜は戦闘好きだ。いや、レッドドラゴンはこれ程ではない。シルバードラゴンだからだろう。

「アル! アル!」

 ファビスが駆け寄ってきた。姫様然とした服に着替えている。

 僕はドラゴンを振り返る。

 竜が面白そうに鼻を鳴らす。

(本当にありがとう)

 僕が言うと、ゲランはウィンクをし、それから首を真っ直ぐに上げ、飛び去った。

 ファビスの後ろから立派なローブ姿の男が付いてくる。国王陛下だ。僕は剣を鞘ごと抜いて、長槍と共に地面に置く。続いて片膝を付き、剣士の礼をとる。

 ファビスが正面にしゃがみ込んで僕の顔を覗き込む。

「おやおや。礼儀正しいじゃない」

 こんな時に、このじゃじゃ馬は。

「ファビス!」

 国王陛下が彼女をたしなめる。そらみろ、叱られた。陛下が僕の前に立った。

「立ちなさい」

 僕はちょっとだけ顔を上げる。いきなりファビスが僕の腕を掴んで引っ張った。

「ファビス!」

 また国王にたしなめられている。僕はファビスに腕を取られたまま立ち上がった。

「だって、お父様」

 ファビスがすねてみせる。

「名は何という?」

 陛下のお尋ねだ。

「アル・ファーラーと申します」

「ご苦労だった、アル。話は後にしよう。まずはゆっくりと休みなさい」

 ありがたい事だ。一晩中ドラゴンの背で雨に打たれていたお陰で、疲れているし、眠い。

「こっち」

 侍従を制してファビスが僕の手を引っ張る。陛下の前で僕は恐縮するばかりだ。

 僕は広くて明るい部屋に通された。

「まずはお風呂ね。あなた、臭うもの」

 ファビスが僕を風呂に案内する。

「お前だって臭うぞ」

 彼女にも竜の臭いが染みついている。

 ファビスが出て行くと、僕は脇に控える侍従たちも追い出して風呂に入った。今頃シャハドとレイリンはどうしているだろう。

 風呂から上がり、僕はそのままベッドに潜り込む。柔らかすぎて寝付けないかと思ったのも一瞬の事だった。僕は直ぐに眠り込んでしまった。

 目を覚ましたのはもう夕方近くだろうか。少し部屋が薄暗い。

「起きた?」

 びっくりした。ファビスがいた。僕は慌てて起き上がる。

 ファビスが後ろを向く。

「早く服を着なさい」

 そうだった。僕は風呂から上がり、そのまま寝てしまったのだ。用意された新しい服を着る。騎士の服だ。

「もういいぞ、お姫様」

 ファビスがこちらを向く。

「なかなか似合っているよ、アル」

 彼女は腰に手を当て、僕を品定めする。そんな彼女も風呂に入ってまた綺麗になっている。足首と腰を絞り込んだ緩いズボン、薄絹を何枚も重ねて作られたブラウス、髪には繊細で美しい髪飾りが踊っている。傾いた陽射しに、彼女の赤い肌が映える。

「お前もそうしていると本当のお姫様みたいだな」

「それ、褒めてるのよね?」

 僕たちはテラスに置かれた籐製の長椅子に並んで腰掛ける。

 ファビスが僕に寄りかかってきた。

「お前と旅が出来て良かった」

 お陰でレイリンはシャハドに取られたっぽいけど、まあ、仕方がない。

「あたしもよ、アル。それに、感謝もしている」

「謝礼の話はシャハドが来てからだ」

 ファビスに殴られた。

「ったく、もう。ひとが真面目に話してるのに」

 シャハドたちにはすでに王宮から迎えの馬車が向かっているらしい。彼らも明日には着くだろう。

「明日の夜はパーティーだから」

 ファビスの帰還を祝して、盛大にパーティーが開かれるそうだ。僕たちは賓客として招かれる。やれやれ。何だか気が重い。

「今夜はゆっくり休んで。お父様との接見も明日よ」

 侍従が近付いてきた。

「ファビス様」

 ファビスが立ち上がる。

「行きましょう」

 僕は言われるままに付いていく。案内されたのは廊下を少し行った先の部屋だ。中央に大きなテーブル、その上には見たこともないようなご馳走が山の様に用意されている。

「パーティーは明日じゃないの?」

 僕は騙されたと思った。だが、違う様だ。

「やぁねぇ。今夜はあたしと二人で食事よ」

 僕は勧められるままに席に着く。ファビスと向かい合わせだ。給仕が皿を運んでくる。

 侍従に囲まれての食事は落ち着かない。が、僕の胃袋は遠慮しなかった。見たこともないような料理を次々に平らげていく。気が付くと、ファビスが向かいで微笑んでいる。

「お前、食べないのか?」

 彼女は黙ってこちらを見つめている。ヘンな女だ。

 ようやく僕の胃袋も落ち着いた。

「後で賢者に紹介してあげる」

 ファビスが言った。そうだ、僕は賢者とやらに訊くことがあった。

「賢者って、何者だ?」

 食後のお茶が運ばれてきた。とても良い香りがする。

「賢者は賢者よ。賢いの。それで、あたしの家庭教師」

「お前の先生か。教師の腕は確かなのか?」

 生徒がこれじゃあ、今ひとつ信用できない。

 ファビスがテーブルの向こうから僕を殴るそぶりをする。テーブルが大きくて良かった。彼女の手もこちらまでは届かない。

「ふん、賢者は勉強の先生よ」

「つまり、躾係が別にいるのか?」

「もちろんよ。他にも色々な係や侍従がいるのよ」

 なるほど。ここには僕の知らない仕事がいっぱいありそうだ。

「レイリンに仕事、世話してやれるか?」

 美しくしとやかな彼女は王宮にお似合いだと思う。

「レイリンにはあたしの侍女をお願いしようかな。そうすればいつも一緒にいられるし」

「そうしてやってくれ」

 良かった。ファビスを助けた甲斐があった。

「アルは何がいい? 竜騎士団長?」

 竜騎士は貴族にしかなれない。平民がなれるのは竜騎兵だ。いずれにしても、登用試験に合格しなければ竜騎にはなれない。

「僕はいいよ」

「そう」

 ファビスもそれ以上は言わない。彼女は僕が竜を戦わせたくないことを知っている。もっとも、僕もシルバードラゴンが戦い好きとは知らなかったけど。

 食事の後、僕は別室で賢者に紹介された。

 僕は早速親竜族滅亡のいきさつを尋ねた。賢者は知っていた。

 賢者は、淡々と話し始めた。

 ファビスも僕の横でくつろぎながら賢者の話に聞き入る。

 親竜族はかつて北の森の中でひっそりと暮らす一族だった。森の南に点在する幾つかの町や村とは交流があったが、一般の人々は彼ら一族とあまり親しくは接しなかった様だ。なぜなら、親竜族が竜を操る神秘の一族だったからだ。

 親竜族は時々竜騎兵として王に仕えることもあった。そうして収入を得ていたのだ。そんな時、親竜族はレッドドラゴンではなくシルバードラゴンに乗って来たという。今朝の僕みたいに。

「親竜族は無敵でした」

 賢者は話を続ける。

 王は隣国と争いが起こるたびに親竜族から竜騎兵を召し抱え、戦に勝利していた。やがて隣国とのいさかいが終わり平和な時代が来た。

「先王の治世でした」

 話は続く。

 現国王の父、つまりファビスの祖父の時代に、北の森に近い幾つかの村が魔獣の被害に遭い死者も出た。それが、親竜族の仕業ではないかという根拠のない噂が流れた。親竜族がドラゴンをけしかけたと云うのだ。王宮もそんな噂を信じはしなかった。だが、先王は陸兵の大部隊を北の森に送った。先王は平和の時代に、強すぎる竜騎兵の存在を恐れたのだ。

 北の森の奥にひっそりと存在した親竜族の村はアルザス兵によって焼かれ、一族の者は女子供に至るまで殺された。

「その後、先王は病に倒れ、逝去されました。その時は親竜族の祟りだという者もおったそうです」

 賢者の話は終わった。いつの間にか、ファビスの姿は見えなくなっていた。


 翌朝、シャハドとレイリンを乗せて王宮の馬車が戻ってきた。

「シャハド!」

 シャハドがレイリンの手を取って馬車から降ろしてやる。なんだか親密な雰囲気だ。二人がこちらに歩み寄る。

「アル! 聞いたぞ。大活躍だったらしいな」

 ちょっと照れくさい。大活躍だったのはシルバードラゴンのゲランで、僕じゃない。

「そっちはどうだったの?」

「平穏無事さ。直ぐに馬車が迎えに来たしな。それに、敵の竜騎兵団が壊滅したお陰で戦況も明るいらしい。お前の手柄だ」

「で、お二人さんの関係は?」

 ちょっと悔しいけれど、今もレイリンはシャハドの手をしっかり握って離さない。

「あー、まあ、その、そう云うことだ」

 シャハドが視線を逸らす。

「お二人とも、ご苦労様でした」

 ファビスがやってきた。今朝もきらびやかなお姫様装束だ。シャハドとレイリンがひざまずく。

「どうぞ楽にして下さい」

 ファビスが二人を立たせる。

 僕たちはそのまま朝食の席に案内された。

「お前、貴族に取り立てられたのか?」

 食事の席でシャハドが訊いてきた。僕が竜騎士の服を着ているからだろう。

「いや、まさか。たまたま貸して貰った服がこれだっただけだよ」

「よく似合っているわよ」

 レイリンがシャハドと頷き合いながら言った。

 ファビスは僕の隣で言葉少なだ。

「あの、ファビス様はお加減が優れないのですか?」

 シャハドが使い慣れない敬語で話しかける。

 代わって僕が答える。

「コイツは少々の事で加減が悪くなったりはしないよ。王宮に入っても、じゃじゃ馬は直りゃしない」

 僕はワザとぞんざいに言う。ファビスは顔を上げ、ニッコリと微笑みながら僕を殴った。

「気にすんなよ」

 僕はファビスにそれだけ言った。彼女が昨日の賢者の話を気にしているのは明らかだった。


 その日の午後は、ファビスの帰還祝賀の式典が待っていた。そこで僕は勲章を貰える事になっている。何人もの侍女が僕を取り囲んで式典用の窮屈な礼装を着せる。腰には儀礼用の剣を吊り、なめし革の薄い手袋を、はめずに手に持たされる。

「時間でございます。ファーラー様、こちらへおいで下さい」

 前後を儀仗兵に守られ、僕は式典が行われる広間へ進む。きっと他の連中もゴテゴテと着せられているんだろう。

 僕の隊列は広間へ通じる扉の前で止まる。

「こちらでお待ち下さい」

 横から侍従が声を掛けた。扉の向こうの様子は判らない。ちょっと不安になる。

 突然、扉が向こう側から左右に大きく開かれた。ファンファーレが鳴り響く。扉の向こうには着飾ったたくさんの男女が見える。

「では、お願いいたします」

 儀仗兵がしずしずと進み出す。僕も背筋を伸ばして後に続く。僕が待機していたのは広間左手半ばの扉だった。扉から真っ直ぐに進み、広間中央の通路に出る。通路を左に曲がると、正面の一段高い段の上に国王陛下とファビスが並んで立っていた。その横に佇んでいるのは王妃だろう。病弱であまり人前には姿を現さないらしいが、今日は特別みたいだ。緋色のカーペットが敷かれた通路の左右には、貴族とおぼしき男女が立ち並んでいる。前を行く儀仗兵が台の下で左右に避ける。僕はそのまま段を上がった。

 広間が静かになる。僕は陛下の前に進み出た。侍従が盆を捧げて陛下の横に立つ。

 陛下が盆から勲章を取り、僕の首に掛けた。広間が歓声に包まれる。

 叙勲は終わりだ。礼をして下がろうとする僕をファビスが呼び止めた。

「あわてない、あわてない」

 ちらっと彼女に目をやる。着飾った彼女は本当に綺麗だ。

 侍従がローブを手に陛下に歩み寄る。ファビスの瞳のような、深い緑のローブ、貴族の印だ。

 陛下が僕の肩にローブを掛けた。

「そなたは今より、ファーラー伯爵だ」

 僕は片膝を床につき、騎士の礼をとる。

 王妃が僕に声を掛ける。

「これからもファビスを守ってやって下さい」

 僕は複雑な気持ちで王妃の言葉を賜った。

 僕は段を下り、待機していた儀仗兵に導かれて通路正面の扉から退出する。広間の貴族たちが拍手と共に僕に祝いの言葉を掛ける。僕はこわばった面持ちで挨拶を返していた。

 広間を出ると、僕はまた侍従の案内で部屋に戻った。

「ファーラー卿、後程、慶賀の会の前にお迎えにあがります」

 侍従が下がっていった。今夜はパーティーだ。


 パーティーは立食形式だった。僕は侍従の案内で会場の大広間に入る。広い部屋にはすでにたくさんの紳士淑女たちが入っていた。皆貴族だろう。僕は見知らぬ者たちに握手を求められたり、お祝いを言われたりで、シャハドたちを探す事も出来ない。やがて、ファンファーレが鳴り、国王陛下がファビスと連れだって現れた。会場の人々が礼をする。

 今夜の主賓、ファビス王女の無事の帰還を祝して乾杯が行われ、パーティーが始まった。

 僕は料理を口に運びながらもシャハドとレイリンの姿を探していた。

 先にレイリンを見つけた。

「レイリン!」

 危うく見間違うところだった。パーティードレスに身を包んだ彼女は見事な淑女ぶりだ。

「アル!」

 レイリンも僕に気が付いた。

「綺麗だねぇ」

 本当にそう思う。

「もう、アルったら。馬子にも衣装っていうところね」

 それは僕の貴族姿だ。

「レイリン、ご褒美は貰った?」

 僕が尋ねるとレイリンが嬉しそうに答える。

「うん。王女様がアルに頼まれたって。わたしを侍女にして下さるの。王宮で働けるなんて、夢みたい!」

「そうか。良かったな。でも、あのじゃじゃ馬の面倒を見るんだから、大変かも」

 レイリンが僕を睨んだ。

「アルったら。王女様の事を恐れ多いわ。お美しい方だし、身に余る光栄よ」

「お美しくても、跳ねっ返りだ。それはそうと、シャハドもたんまり貰えたのか?」

「シャハドさんは報奨金と、近衛兵の地位を頂いたの」

 なるほど、ファビスのヤツ、粋な事をする。近衛兵なら王宮勤務だ。レイリンと会う機会も多いだろう。

 話しているところにシャハドが現れた。近衛兵の正装に、胸には略章が付けられている。どうやらシャハドも勲章を授かったようだ。

「やっと見つけた」

 シャハドは少し疲れた表情だが、パーティーを嫌っている様でもない。

「今、君の話を聞いてたんだ。近衛兵だって?」

「ああ。それにたんまり貰った。お前のお陰だ」シャハドが親指を立てて見せる。「で、お前、貴族だってな。領地はどこだ?」

 貴族になると領地を賜る事になる。有力な貴族は肥沃な土地を与えられ、そうでない者でもそれなりの広さの土地と城が与えられる。

「そういえば、領地は貰ってないや。別に欲しくもないけど」

「お前、欲が無さ過ぎだぞ」

 僕は本当は貴族の肩書きも欲しくはなかった。貴族は王に仕える。僕には王に仕える気がない。現王の責任ではなくても、王は一族の敵には違いない。別に王家に復讐するつもりなんか全く無いけれど、積極的に仕えたくもなかった。

「僕はパーティーが終わったら王宮を出るつもりなんだ」

 シャハドに打ち明ける。

「何で? もう少しここで楽しんでいけばいいのに」

「都を出る。……北の森へ行ってみたいんだ」

 レイリンも怪訝そうな表情だ。

「でも、都で仕事を探すのが目的だったのに」

「行ってみたい所がある。知っておきたい事がある。それが北の森なんだ」

 広大な北の森は魔獣の土地で、人は住まない。その南の縁で僕はオヤジに拾われた。僕がいるという事は、僕の一族がまだどこかにいるという事かも知れない。僕はそれを確かめたかった。

「ファビス様は何て言った?」

「アイツには言っていない」

 シャハドが肩をすくめる。

 彼女に言ってもきっと引き留めはしないと思う。でも僕は黙って行くつもりだ。少し彼女には嫌われた方がいい、僕はそう思う。それは彼女のためでもあるはずだ。先王が滅ぼした親竜族の末裔が王家に近い所にいるのが知れたら、彼女の立場も悪くなる。僕の素性を知れば、誰だって僕が復讐のためにファビスに近付いたと思うだろう。

「さて。そろそろ出立の準備をするよ」

「そうか。行くか」

「ファビスを頼んだよ」

 僕はシャハドと握手する。

「レイリン。ファビスと、それにシャハドの面倒も見てやってくれ」

 レイリンが涙ぐんでいる。僕は彼女の肩をそっと抱き、そしてパーティー会場を後にした。


 部屋に戻り貴族の服を脱ぐ。仕舞ってあった元の汚い服を着込み、旅支度を調える。最後に剣を持ち、部屋を出た。

 広く長い廊下をいくつも通り、階段を下り、小門をくぐり、迷子になりそうになりながらようやく城門に辿り着いた。開け放たれた門の外は濠を渡る跳ね橋になっている。今はその橋も下ろされ、衛兵が守備に当たっている。

 僕は門のところで立ち止まり、王宮を振り返る。さようなら、ファビス。僕は小さくつぶやいた。

 門をくぐり、衛兵に挨拶をする。少し怪訝な顔をされたが、止められる事はなかった。跳ね橋を渡り、僕は夜の街へ入っていった。

 人々でにぎわう通りを歩く。北へ、北の森へ。僕の知らない僕の生まれ故郷へ。遠くから竜の咆吼が聞こえた気がした。


 ザクセルの町は北の森の直ぐ南にある。ここはアルザス王国北部の要衝だ。僕は町のバザールで情報収集がてら、買い物をしていた。これから北の森へ入ってしまえば、町も村もない。

「兄ちゃん、そりゃ無茶って云うもんだ」

 店主が首を振る。店主に訊かれて、僕が北の森へ行くと答えたからだ。僕は店主の言葉は気にせずに、干し肉の塊を買って店を出た。

 結局、この町でも親竜族の情報は得られなかった。村のあった正確な位置も、生き残った者がいたのかも判らない。

 僕は旅の準備を整え、町を出た。目指すは北の森だ。

 町から北東へ延びる街道を進む。道はしばらく草原の中を進み、やがて北側に深い森が迫ってくる。

 道が森に沿う様になった辺りで、僕は街道を外れる。ここの森の木はリーゼル台地のそれよりも立派だ。この森は遙か北の、ゲルム海に面した切り立った海岸線まで続いている。もっとも、強い偏西風でいつも荒れているゲルム海は、航行する船もなく、切り立った崖を自分の目で見た事のある人間は殆どいない。僕もこの辺りの地理については、学校で習った以上の事は知らない。

 僕はここから森の中心部を目指して進む事にした。

 夕方までに、草食でおとなしいブロントやブラキオスの群れを見かけたが、幸いどう猛なヤツらには出会わなかった。だが、魔獣が多いという話は本当の様だ。

 僕は立派な木の根方を今夜のねぐらに定める。やがて陽が落ち、夜のとばりが降りた。

 今頃、ファビスはどうしているだろうか。レイリンとお喋りでもしているだろうか。シャハドは他の兵士とうまくやっているだろうか。独りぼっちの夜は、都で別れた彼らの事を思い出す。遠くで魔獣が啼く。

 いつの間にか、僕は寝入ったらしい。まだ明け方までは間がありそうだ。僕は、僕の目を覚まさせた存在を感じた。直ぐ近くに魔獣がいる。目の前の小山の様な塊に目を凝らすが、種類までは判らない。どう猛なスピノスだろうか。鼻息が荒い。僕はそっと剣を抜く。

 魔獣が僕に飛びかかろうと身構えた。僕は静かに立ち上がり、いつでも大木の後ろへ回り込める様に身構える。次の瞬間、魔獣がクワッと口を開け、飛び出してきた。僕はギリギリのところで魔獣にひと太刀浴びせてから身をかわす。鼻面を切られた魔獣は木に激突した後、ひるんで二、三歩後ろへ下がる。スピノスではなく、メガロスだろうか。どちらにしても手強い相手だ。剣で倒せる相手ではない。魔獣は僕の方を睨みながら盛んに首を振っている。傷を負った鼻先が痛むのだろう。やがて魔獣は後ろを向き、離れていった。僕を危険な相手と認識した様だ。

 この森は思っていた以上に危険かも知れない。だが逃げるつもりはない。僕は再び木の下で横になり、眠りについた。

 それからの数日間を僕は森の中を彷徨して過ごした。行く当てもなく、ただ、親竜族の痕跡を求めて歩いた。何度か肉食の魔獣とやり合ったりもしたが、まだ食われずに済んでいる。

 その日、ちょうど北の森の真ん中辺りを歩いている時だった。僕は突然開けた場所に出た。そこだけ丸く森に穴が開いた様に、かなり広い草原が広がっている。その中心に、デビルドラゴンの群れがいた。

 デビルドラゴンを見るのは初めてだった。ドラゴン族の中でも最大、最強を誇る、凶暴なヤツらだ。青黒い鱗が磨き上げられた金属の様に輝いている。

 僕はドラゴンたちに向かって歩き出した。

 ドラゴンたちは僕が近付いて行くのをくつろいだ様子で眺めている。とりわけ警戒する風でもないし、いきなり僕を食おうとも思っていない様だ。

(こんにちは)

 僕が挨拶すると、大人のドラゴンたちの表情が変わった。

(何者だ?)

 中の一頭が首をもたげる。

(僕は親竜族の末裔だ、たぶん)

(親竜族? だろうな。でなければ俺たちと話など出来ようはずもない)

 ドラゴンはしたり顔だ。

(何をしに来た?)

 別の一頭が訊く。

 僕は竜たちに親竜族の事を尋ねてみた。どんな情報でもいい、知っている事があったら教えて欲しいと。

(ここにはもういない)奥にいたひときわ大きな竜が答える。(ここが彼らの村があった場所だ)

 僕は呆然と立ちつくした。この草原が、焼かれた村のあった場所! そして、今は何もない。

 森を知り尽くしたドラゴンたちがもういないと言う以上、北の森に僕の一族はいないのだろう。僕はその場に座り込んだ。

(どうした、具合でも悪いのか?)

 始めに話しかけてきた竜が僕の顔をのぞき込む。

 僕は一族を捜してこの森にやってきた事を話した。

(そうか)大きな竜が言う。(が、お前がいる以上、親竜族はどこかにいるのだろう)

 厳ついが、なかなか心優しい竜たちだ。僕を慰めてくれる。

(俺たちは親竜族が好きだった。彼らはいつもシルバードラゴンに乗っていたが、中には俺たちデビルドラゴンを乗りこなせる者もいた)

 それは初耳だった。こんな大きな竜と飛べたらさぞ気持ちのいい事だろう。

 始めに話しかけてきた竜が言う。

(俺は仲間からアルマーダと呼ばれている。北の森のアルマーダだ。見たところお前は竜騎兵の様だ。竜が必要なら俺を訪ねて来い。いつでも暴れてやる)

 驚いた。この竜は僕を乗せて戦いに出てやろうと言っているのだ。僕は思わずアルマーダの鼻先を撫でた。

(ありがとう、アルマーダ。そんな時が来たら、君に頼むよ)

 竜が満足そうに頷く。デビルドラゴンも戦い好きの様だ。

 僕はその日の残りを竜たちと共に過ごした。気持ちのいい連中だ。夜は草地の端で眠る事にする。アルマーダが群れから少し離れて僕の側に来た。

(俺がまだ小さかった頃、ここには親竜族がいた)

 竜は長命な生き物だ。アルマーダは竜の中ではまだ若そうだが、それでも百年以上は生きているのだろう。アルマーダが続ける。

(その頃、親竜族と戦に赴くシルバードラゴンが羨ましかったものだ)

(君たちデビルドラゴンに乗れる親竜族と乗れない親竜族とはどこが違うんだい?)

 僕は訊いてみる。竜はちょっと意外そうな顔をする。

(そうか。お前は他の親竜族を知らないのだったな)竜が一人頷く。(俺たちに乗れない連中は俺たちと話が通じない)

 ちょっと意外だった。親竜族といえども、すべての竜と話が出来るわけではないらしい。僕はアルマーダと話が出来る。だから彼は僕を乗せられるんだ。

(僕の名前はアル・ファーラー。よろしく)

 竜に自己紹介というのもヘンなものだ。

(アル。明日、森の外れまで俺が乗せて行ってやる)

 竜は満足そうな顔で群れの仲間の方へ戻っていった。

 さて、僕はこれからどうしよう。色々と思い悩んでいるうちに、眠りに落ちる。その夜は竜に守られて、ゆっくりと寝られた。

 翌朝、僕はアルマーダの鼻息に起こされた。

(もう陽が高いぞ)

 やれやれ。竜は早起きだ。僕はアルマーダをなだめながら乾パンをかじり、朝食にする。

(君たち、食事は?)

 僕が尋ねるとアルマーダがニヤリと笑う。

(夕べはごちそうだった)

 なるほど。夜中に狩りに出て、いい獲物を仕留めた様だ。さて、こちらも準備は整った。

(じゃあ、頼むよ)

 アルマーダの鼻を撫でる。

(鞍なしで大丈夫か?)

 アルマーダが首を下げながら言う。

(ああ、大丈夫だ)

 いずれにしろ、ここに鞍はない。僕は竜の背に乗り、トゲの様なたてがみに掴まる。

(飛ぶぞ)

 竜が大地を蹴る。さすがにデビルドラゴンだ。その力強い羽ばたきで一気に上昇する。

(少し散歩をしてみないか?)

 竜が僕にお伺いを立ててくる。

(いいね。僕は北の海が見たい)

 竜が旋回し、北へ進路を取る。眼下には見渡す限り、原生林が続いている。所々に小さな山や川が見える。

 やがて、遠くに海のきらめきが見え始めた。初めて見る海だ。

(ゲルム海だ)

 竜は高度を落とし、海岸線の崖に沿って飛ぶ。所々にドラゴンの姿が見える。海岸線をねぐらにしているのだろう。荒々しい崖にドラゴンの姿はよく似合っている。

(ドラゴンの聖地だね)

(ここにはシルバーとレッドが多いんだ。俺たちデビルは森の中の小さな草地を根城にしている)

 ちゃんと棲み分けが出来ているらしい。

 アルマーダが飛ぶと、下のドラゴンたちが一斉に飛び立つ。敵襲だと思っているみたいだ。

(そろそろ行こう)

 僕が即すと、竜は再び高度を上げる。

 昼過ぎに、僕たちは森に隣接する街道に出た。

(あそこに下ろしてくれ)

(何ならザクセルの町まで送って行こうか?)

 竜が面白そうに言う。町にデビルドラゴンが現れたら大変な事になる。それを判って言っているのだ。お茶目なドラゴンだ。

 竜は僕を誰もいない街道に下ろした。

(戦争に行く時は声を掛けてくれ)

 竜は僕に向かって片目をつぶってみせる。

(ああ。その時は君に頼むよ)

 竜は満足そうな表情で、飛び去っていった。


 数日見なかっただけなのに、ザクセルの町は雰囲気が変わっていた。

「何かあったのですか?」

 通りすがりの人に訊いてみる。

「知らないのか? アルプ皇国の兵がロア川を越えて進入してきたんだ」

 僕は驚いた。竜騎兵団はあれだけ叩いたのに。町にはやたらと兵士の姿が目に付く。恐らく出撃の準備をしているのだろう。

「ファーラー卿! ファーラー卿!」

 いきなり呼び止められた。最初は誰の事か判らなかったが、勿論僕の事だ。振り返ると、近衛兵の制服を着た男が立っていた。

「ファーラー卿。ようやく見つけました。アルガンディ小隊長から手紙を預かっています」

 シャハドの事だ。彼は近衛小隊の隊長さんか。うまくやっているのだろうか。

 僕は男から手紙を受け取った。その場で封を切る。

 手紙には、アルプ皇国が攻勢に出つつある事、それを受けて出撃する事などが書いてあった。リーゼル台地中央には、国王自らが率いる精鋭部隊が布陣し、シャハドたちは台地の南部に展開する事、そして、その部隊を率いるのがファビス王女だと云う事が書いてある。手紙は、僕に王女の側にいて欲しいと結んでいた。

「戦況は?」

 僕は近衛兵に訊く。

「それが」兵は言いにくそうにする。「敵にはシルバードラゴンの竜騎兵が居るらしいのです」

 どういう事だろう? 親竜族以外にもシルバードラゴンを操れる者が居るのだろうか?

 兵士が続ける。

「敵は我が方の、リーゼル台地南部に展開した部隊に集中攻撃を仕掛けてきています」

 それはファビスの部隊だ。

「判りました。……ドラゴンを貸して下さい」

 先ずはシルバードラゴンの竜騎兵を確かめたい。僕は軍のレッドドラゴンを借りて戦場へ行く事にした。

 ザクセル駐屯部隊のレッドドラゴンを借りて、僕は飛び立った。

 初対面の竜に無造作に跨る僕を周りの兵士が驚いた顔で見ていたが、説明している暇はない。今回は戦闘をするつもりはない。だから長槍も持たない。

 夜半にはリーゼル台地の南部に達したが、闇の中では部隊も探せないし敵味方の区別も付かない。僕は竜と共に林の中で夜明けを待った。

 やがて、東の空が明るくなってきた。僕は竜に跨る。鞍付きの竜は姿勢が楽でいい。

 空へ上がって直ぐに、僕は連中を見つけた。朝日を背に、ドラゴンの群れがやって来る。近付くと、先頭の数頭が後続のドラゴンよりも一回り大きい事が見て取れる。シルバードラゴンだ。数えてみると、五頭いる。右下から別の一軍が上がってきた。アルザスの部隊が迎撃に出た様だ。

 僕はアルザスの部隊より先に敵に接触した。すれ違いざまに、先頭を行く竜たちに呼びかける。

(お前たちは何者だ?)

 竜が怯むのが感じられた。いきなり話しかけられて驚いている様だ。続いて、僕は竜騎兵たちにも呼びかける。

「お前たちは何者だ?」

 シルバードラゴンの兵士が並び掛けてきた。

「我らは親竜族!」

 僕は全身が震えるのを感じた。やはり同胞だった!

「僕も、親竜族だ!」

 声を振り絞って言った。

 兵士の顔が険しくなる。

「ふざけるな! 我らを愚弄する気か!」

「嘘ではない! お前の乗っている竜に訊いてみろ」

 兵士が口を閉ざす。恐らく竜に尋ねているのだろう。兵士の表情が驚きに変わった。

「付いて来い!」

 兵士は竜の向きを変え、アルプ皇国の方へと飛んでいく。僕もそれに続く。いよいよ同胞とのご対面だ。心臓が高鳴る。

 シルバードラゴンに畏怖するレッドドラゴンをなだめすかしながら、僕はアルプ兵に続く。やがてロア川を越え、リーゼル台地を抜ける。前を行く竜が降下を始めた。前方に村が見えてきた。

 僕たちは村の中心にある広場に降り立った。上空から、村はずれの牧場にシルバードラゴンたちの姿が見えていたから、ここが目的の場所に違いない。

「こっちだ」

 僕は広場に面した建物に案内された。集会所の様なところだ。テーブルを囲んで椅子が置かれ、数名の老人が座っている。

 兵士が声を掛ける。

「長老!」

 正面に座った老人が顔を上げる。

「ほう? アルザスの竜騎兵か? だが、正規軍の軍服ではないな」

 僕はオヤジから貰った竜騎兵の鎖帷子を着ているが、それ以外は軍装ではない。

「コイツ、自分を親竜族だと言っています」

 竜騎兵が言った。怒った様な表情だ。まだ信用していないらしい。

 長老が改めて僕を見る。

「証拠は?」

 僕が口を開くより早く、また兵士が説明する。

「竜と話が出来るようです」

 その場の男たちは驚きの表情を隠せないでいる。僕は進み出て、身の上を話し始めた。

 と、云っても、話す事などわずかしかない。赤ん坊の頃に北の森の外れで養父に拾われた事だけだ。

 だが、長老にはそれで十分だったらしい。

「グラウス。クリスマン夫妻を呼んで来なさい」

 竜騎兵が建物を出て行った。あの男、グラウスと云うらしい。

 僕は勧められるままに椅子に座り、黙って待っていた。暫くして、グラウスが壮年の男女を連れて戻ってきた。呼ばれて来たのは、見たところ農夫の様だ。

「ああ、来たね」

 長老が二人を座らせ、話を始める。

「今から十六年ほど前、一頭のドラゴンが我々に造反をした」

 そのドラゴンは生まれ故郷の森へ帰りたいと言い出したらしい。この村はリーゼル台地の森からも少し離れていて、ドラゴンにとってはあまり良い環境とは言えない。

「その頃、我々には使役させるシルバードラゴンが足りなかった」

 老人がため息をつく。普通なら、そのままドラゴンを行かせてやるところだが、一頭のドラゴンも惜しんだ村人たちはドラゴンを脅迫したらしい。

「お前が去れば、お前の仲間に危害が及ぶと詰め寄ったのだ」

 その場に座っていた他の年寄りたちも下を向いている。その時の事を思い出しているのだろう。

「その夜、ドラゴンはいなくなった。クリスマン夫妻の生まれたばかりの赤子を連れてな」

 ドラゴンは脅迫された事に腹を立て、逆に親竜族に危害を及ぼしたわけだ。

「その子は死んだものと思っていた」

 そういう事か。その時にさらわれた赤子が僕だったんだ。ドラゴンは僕を食べたりせず、森の外れに置いて行ったのだ。高貴な竜らしいやり方だ。

 農婦は泣いていた。この人が僕の本当のお母さんなのか。

「クレイグ、ああ生きていたなんて!」

 僕はクレイグと云うらしい。クレイグ・クリスマン。お母さんが歩み寄り、僕を抱きしめた。お父さんも涙ぐんでいる。

「クレイグ君、今日はご両親と一緒に過ごしなさい。近いうちに村を挙げて歓迎会を開かんとな」

 僕はクリスマン夫妻に連れられて集会所を後にした。

「私たちの家は村の外れにあるんだ」お父さんが嬉しそうに言う。「広い畑もあるぞ」

 僕には実感が湧かない。僕はまだアル・ファーラーだ。

 やがて、その家が見えてきた。赤煉瓦の、綺麗な家だ。

「ただいま」

 お母さんがドアを開ける。

 部屋には女の子がいた。

「クラリス、とっても嬉しい知らせよ。あなたのお兄さんが戻ったの!」

 クラリスというその娘は僕の妹らしい。今、その顔には恐怖と嫌悪が浮かんでいる。彼女は何も言わず、部屋を飛び出していった。

「ごめんなさい、クレイグ。あの子、戸惑っているのよ」

「なにしろ、兄がいる事すら知らせてなかったからな」

 お父さんが肩をすくめる。一人っ子だと思っていたのに、突然兄弟がいると言われれば、そりゃ驚くだろう。

「大丈夫、あの子も賢い子だから」

 お母さんは僕を家に入れ、椅子に座らせた。

 僕は少し気まずい思いをしていたけれど、お母さんは嬉しそうに料理を勧めてくれる。

「今は残り物だけど、夜はちゃんと作るからね」

 母親って、こういうものなのだろうか。


 いつまでもこうしているわけにも行かない。答えは見当が付くが、それでも僕は気になっている事を訊いてみる。

「お父さん、お母さん。親竜族はアルザス王家に敵対しているのですか?」

 お母さんは顔を曇らせる。お父さんは少しうつむき加減にしながら口を開く。

「クレイグ、お前も私たち一族がアルザスのクルゾーラ国王から受けた仕打ちの事は知っているのだろう?」

 僕は頷く。

 お父さんが話を続ける。

「あれはまだ私たちが子供の頃だったが、それは恐ろしい経験だった。村は焼かれ、人々は殺された。かろうじて森へ逃げ込んだ者は竜に乗ってアルプ皇国領へ逃れたんだ」

 アルプ皇帝は竜を操れる親竜族を受け入れてくれた。そして、この地に永住を許された。

「それ以来、私たちは復讐を誓って生きてきた。今、その機会が訪れたと云う事だ」

 一族の者がアルザス王家を恨み、自分たちを受け入れたアルプ皇帝に味方するのは当たり前の事だろう。だが、僕はどうすればいいのだろう。

「クレイグ」お母さんが話し掛けてくる。「あなただって、もしアルザス王家に素性が知れればきっと殺されてしまうわ。でも、ここならちゃんと生きていけるのよ」

 僕は顔を上げる。

「お母さん、そんな事はないよ。クルゾーラ国王は僕の素性を知っているよ。王宮をシルバードラゴンに乗って守ったからね」

「その噂は聞いているわ。でも、一族の者は誰も信じなかった」

「それがお前だったのか」お父さんも少し驚いた様子だ。「立派な竜騎兵になったんだな」

「でも」お母さんは心配顔だ。「きっとクルゾーラ国王は復讐を恐れてあなたを殺すわ」

 復讐する気なら、僕にはいくらでも機会はあった。今からでも、機会はいくらでもあるだろう。でも、勿論僕にそんな気はない。

「僕は貴族に取り立てられたんだ」

 両親は信じられないといった顔だ。

「じゃあ、あなたは国王の臣下なの?」

 普通、貴族は国王の臣下と云う事になるが、僕はそれがイヤで王宮を抜け出してきた。僕の立場は何だろう?

「僕は――」説明しがたい。「僕は国王に忠誠を誓ってはいないんだ。それがイヤで領地を拝領する前に王宮を抜け出してきた。でも」

 ファビスの姿が脳裏に浮かぶ。

「でも?」

 お母さんが先を即す。

「でも、僕はファビスを守ってやりたい」

「ファビスって、ファビス王女の事か?」お父さんが確認する。「今、アルプはファビス王女を皇太子の妃にと願っている」

「そうすればアルザス王家は世継ぎもいなくなるし、自然消滅するわ。アルザスとアルプは一緒になって、平和が来るでしょう?」

 本当にそう思っている様だ。

「アルザスの人間は誰もそんな事を望んじゃいない。僕もだ」

 僕の心は決まった。

「でも、どうにもならないでしょう?」

 勿論そんな事はない。戦の趨勢はまだ判らない。

「僕はアルザスに戻ります。もし、ファビスに危害を加えようと云うのなら、たとえ親竜族でも僕は戦います」

「あなたは王女と親しいのね?」お母さんが言った。「ならば、しっかりやりなさい」

 お父さんが驚いた顔でお母さんを見やる。

「今のアルザス国王と王女が私たち一族の敵ではないというのなら、あなたがしっかり守りなさい」

 お母さんが僕を抱きしめる。

「村を抜けるのは夜まで待った方がいい」

 お父さんがあきらめ顔で言った。

「済みません」

 僕は本当に済まないと思う。結局、僕は一族に敵対する事になるんだ。

「お父さんはね」お母さんが口を開く。「あなたがさらわれる前は竜騎兵だったのよ」

 そうか。僕は養父と実父、二人の竜騎兵の子なのか。お父さんは僕が竜にさらわれてから、竜に乗らなくなったそうだ。

 夕闇が迫る頃、僕は両親に別れを告げる。

「また来ます」

「きっとだぞ」

「必ず生きて帰ってきてね」

 両親と抱き合い、僕は家を出る。

 扉の外にクラリスが佇んでいた。

「お兄ちゃん、こっち」

 クラリスが僕の手を取る。

 村はずれの竜牧場に、レッドドラゴンが繋がれていた。

「クラリス。僕の妹。僕は行くよ」

「うん」

「お父さんとお母さんを頼む」

「うん」

 クラリスの目に涙が光っていた。僕は彼女を抱きしめ、額にキスをする。

 ドラゴンの手綱を解き、鞍に跨る。

「元気でね」

「お兄ちゃんも」

 僕は竜を離陸させる。

(西へ)

 まだわずかに明るさの残る西の空、アルザスの方へと竜を飛ばした。

 僕は闇の中を西北へ進んでいた。戦闘になれば、このレッドドラゴンでは太刀打ちできない。けれど、僕には切り札がある。

 明け方になって、僕はようやくあの草地を見つけた。怯え騒ぐレッドドラゴンをなだめて、何とか草地の端に着地させる。

(アルマーダ!)

 竜が嬉しそうに寄って来る。

(出陣か?)

(そうだ)

 僕はレッドドラゴンにザクセルの駐屯地まで戻る様に言い含める。竜は一目散に飛び去っていった。

 デビルドラゴンはレッドドラゴンの事など気にする様子もなく、首を下げる。

(早く行こう!)

 僕と飛ぶのが楽しみでしょうがないらしい。僕は竜の背に乗る。

(上昇!)

 命令すると、竜は勢いよく飛び立つ。僕は竜を南東に向かわせる。リーゼル台地の南部、ファビスの部隊のいる所だ。

 昼前にはリーゼル台地にさしかかっていた。僕は下の様子を伺いながらアルマーダをゆっくりと飛ばせる。やがて、地上部隊が見えて来た。中央に、王家の幟に囲まれたテントが見える。

 下から竜騎兵隊が登ってきたが、僕の事を遠巻きにして近付かない。味方だと認識したわけではなく、レッドドラゴンたちがデビルドラゴンに近づけないのだ。

(意気地のない連中だ)

 アルマーダが鼻を鳴らす。

 僕は竜を本陣の直ぐ脇へ降ろした。

「アル!」

 戦装束のお姫様が、侍従の止めるのも聞かずに駆け寄ってきた。僕はお姫様を抱きとめる。

「まだ無事だったか」

「そう簡単にはやられないわ」

 さすが、じゃじゃ馬娘だ。ファビスが僕の竜を見やる。

「立派なドラゴン」

「コイツはデビルドラゴンのアルマーダ。僕の相棒だ」

 ファビスは珍しそうにアルマーダに近付き、その鼻面を撫でた。

(勇敢な娘だな。アルの友達か?)

 アルマーダは別に嫌がるそぶりはない。

(僕の大切な人だ。……食うなよ)

(覚えておこう)

 竜は頭を地面に下ろし、目を閉じる。休息のポーズだ。

 僕はファビスを誘って大きなテントの中へ入る。

「あなた達は外してちょうだい」

 ファビスが人払いをする。

「急にいなくなっちゃうんだもの」

 あの日、パーティーの晩の事だろう。

 僕は少し真顔になる。

「王家と親竜族の確執を知っている者には、僕の存在は凄く危険に見えるだろうから」

 あの時は、王家に恨みを抱く一族の者が、王女の側にいるのはまずいと思った。勿論、今でもそれは変わらないが、今は僕が守らなければアルプのシルバードラゴン竜騎兵から王女を守れる者はいないだろう。

 僕はあれから後の事を包み隠さず話した。

 ファビスはとても喜んでくれた。

「アル! 実の家族に会えたのね! 妹がいたなんてね」

 でも、その家族も今は敵だ。

「ファビス、この戦争をどうするつもりなんだい?」

 ファビスがちょっと首をひねる。

「お父様はアルプ皇帝に一泡吹かせたいらしいけど。でも、あたしはロア川を国境に定められれば、それでいいと思う」

 まあ、それでいいなら何とかなるだろう。怖いのはシルバードラゴンだけだ。それならば、今度アルプの竜騎兵が攻め込んできた時に僕が連中を蹴散らし、その勢いで地上軍を進軍させる。アルプの領土をある程度確保した時点で、きっと先方から和平の話が来るだろう。

「来なかったら?」

 ファビスがお茶目な目つきで訊いてくる。

「その時はアルプの帝都まで攻め込んで、皇太子を人質にでもするか」

「いらなーい」

 まあ、アルプの策略の様に、皇太子を婿養子に迎えてアルプ皇国を乗っ取るって云うのも、政略的にはあり得る手だけど、勿論ファビスにそんな気持ちは微塵もない。

 ファビスが急いで手紙を書き、伝令の竜騎兵に託す。

「お父様の元へ」

 こちらの戦略を伝える手紙だ。

 伝令が出て行くと、ファビスは僕にベタベタしてくる。

「ねえ、親竜族がアルザス王家に出来る最高の復讐があるんだけど」

 いったい何を言い出すんだろう。

「でも、内緒。そのうち教えてあげる」

 やれやれ。勝手なお姫様だ。

「姫」テントの外から声が掛かる。「昼食の用意が調いました」

「久しぶりだね、一緒の食事」

 僕はファビスに誘われて木陰に設けられたテーブルに付く。

「ファーラー卿はこちらの席へ」

 侍従が椅子を引く。

「僕は早々に貴族から除籍になっていると思ってたのに」

「なぜ?」

 向かいに座りながらファビスは怪訝そうだ。

「勝手に王宮を出ちゃったからね」

「そうそう、勝手よね」ファビスがちょっと睨む。「領地も訊かずにいなくなっちゃうんだもん」

 食事が運ばれてきた。戦地とは思えないほど豪華な食事だ。

「こりゃ凄い」

 僕たちはお喋りをしながら楽しく食事をした。

「……それでね、レイリンったらシャハドの話ばっかり!」

 ファビスが明るく笑う。可愛い娘だ。

 だが、食事は途中で邪魔をされた。

「敵襲!」

 見張りの叫ぶ声がする。

「ファビス王女、ファーラー卿、アルプの竜騎兵です!」

 近衛兵が報告に来る。

「シルバードラゴンか?」

「はい、その様です」

 いよいよだ。同族対決は心が重いが、デビルドラゴンで上がれば勝負にはなるまい。

「アル」

 ファビスが心配そうに僕に寄って来る。

「大丈夫。それより、陸兵を頼む。一気に川まで進軍しよう」

 僕はアルマーダの元へ急ぐ。侍従から長槍を受け取り、竜に跨る。

(いよいよだ。蹴散らそう)

 僕が言うと、竜は嬉しそうに鼻を鳴らす。

 上空に竜の群れが見えた。先頭には五頭のシルバードラゴンだ。

(上昇!)

 アルマーダが舞い上がる。

 突然現れたデビルドラゴンに、敵はパニックに陥った。レッドドラゴンたちは言うに及ばず、シルバードラゴンたちも乗り手の言う事など聞かずに逃げまどう。僕は同族たちを後回しにし、レッドドラゴンの竜騎兵から片付けていく。

 戦の趨勢は直ぐに決した。敵のレッドドラゴンたちはアルマーダが接近するだけで騎兵を振り落とし逃げまどう。やがて、残りはシルバードラゴンだけとなった。彼らが引かないのなら、僕に迷いはない。

 最初の一頭はアルマーダの爪に掛けられ、落下していった。次の一頭もデビルドラゴンの尻尾の強烈な一撃にはじき飛ばされた。次は、僕が長槍で決着を付けた。残り二頭になった所で、敵は撤退していった。今は深追いはしない。僕は一旦地上に降りる。

 すでに本陣は撤収され、陸兵は騎馬隊を先頭に進撃を開始している。ファビスの姿は見えないが、たぶんシャハドたち近衛兵に守られて進んでいるはずだ。

 アルザス軍は殆ど抵抗を受けずにロア川に架かる橋を渡った。アルプ側に入った所で、今夜の野営地設営に掛かる。

 僕は街道を少し進んだ先に降り立ち、前方を窺う。どこの部隊にも属さぬ僕は、ちょっと手持ちぶさただ。

「ファーラー卿!」

 背後から声が聞こえた。兵士が呼んでいるが、デビルドラゴンが怖いらしく、あまり近付いてこない。

 兵士は僕を本陣に連れてくる様、言いつかった様だ。

(ちょっと行ってくる)

(では俺も食事をしてくるよ)

(アルザス兵は食うなよ)

 竜は鼻を鳴らして飛び去った。


 本陣の入り口でシャハドに出会った。

「シャハド!」

 シャハドは立派な近衛兵姿だ。ただし、ターバンは外していない。

「よおアル。まさかあんな化け物に乗って来るとはな」

「手紙をありがとう」

「いや、お姫様の側にはお前が必要だと思って」

「僕が出ている時はあのじゃじゃ馬の面倒を頼むよ」

「任せておけ」

 僕は侍従に案内されて本陣に入る。

 ファビスは武将たちとテーブルを囲んでいた。

「アル!」

 僕はファビスの隣に立つ。どうやら戦議の真っ最中らしい。

「明日も上空をお願い」ファビスが甘えた口調で言う。「明日中にリーゼル台地の東端まで進軍するから」

 敵の陸上部隊の主力は恐らく国王の率いるアルザスの主力と対峙しているだろうから、もっと北に布陣しているはずだ。こちらに回せる兵力は竜騎のみだが、それとて幾らも残っていないだろう。強行軍だけど、行けると思う。

「上空は大丈夫だよ」

 僕が言うと、一同に安堵の表情が浮かぶ。

「ファーラー卿が上空を抑えて下されば、陸上は我らが支配してご覧に入れる」

 武将の一人が胸を張る。その後、陸兵の配置や進軍順序を決めて戦議は終了した。

 二人だけになると、ファビスが話し掛けてきた。

「アルプの親竜族、一人は戦死、残りの二人は捕虜にしてあるの」

 そうか。二人は助かったのか。

「この戦いが終わるまで、捕虜にしといてくれないか」

「そうだね」

 戦いが終わっても、僕の一族の恨みが晴れる訳では無い。親竜族の虐殺で、一族はその三分の二以上を失った。その事実は消えはしない。捕虜二人を帰しても、その恨みが減ずる事は無いだろう。


 翌朝、日の出と共にファビス王女の部隊は前進を開始した。僕はアルマーダと共に上空を哨戒する。アルプ軍の竜騎は現れない。

 前方にアルプの歩兵が展開しているのが見えた。アルザスの騎兵隊が街道上で隊列を整えているのが見える。やがて、騎兵が突撃に移る。敵の第1列を突破、第二列を突破、そして第三列辺りで混戦になる。後続の歩兵が迫るが、狭い街道上では接敵出来ない。アルザス軍は渋滞している。少し道路上を開けてやらないと進軍できそうもない。

(ひと暴れしよう)

 僕はアルマーダを敵兵の頭上に降下させる。アルプの歩兵たちが一斉に道路を外れ、森へ逃げ込んでいく。矢を射掛けてくる者すらいない。兵士とて、魔獣に食われる恐怖には勝てないのだ。そのまま僕はアルマーダを地上に降ろす。アルマーダは楽しげに鼻を鳴らしながら敵の兵士を噛み砕いては吐き捨てている。僕は剣を抜き、アルザス軍の方へ、敵兵の背後から斬り掛かって行った。直ぐにアルプ軍は総崩れになる。僕は急いでアルマーダを上空に上がらせる。道路に居座っていては、味方の馬も竜を恐れて通れない。

 それから先は殆ど抵抗らしい抵抗もなく、進軍して行く。一度、遠くに竜騎の部隊が見えたが、アルマーダの姿を確認すると北東方向に引き上げていった。

 夕方までに、部隊は森林地帯を抜け、草原に出た。

「お疲れ様」

 地上へ戻るとファビスが出迎えてくれた。彼女はアルマーダの鼻面を撫でる。竜は目を細め、鼻を鳴らす。

「お前こそ、疲れてないか?」

 部隊を率いる責任は十五の小娘には辛いことだろう。が、彼女にへこたれた様子はない。

「ううん、全然。楽なもんよ。あなたが道を切り開いてくれてるし、あたしは馬車でのんびりしていればいいんだもん」

 元気そうでほっとする。このところずっと、彼女自身が敵の攻撃目標だったから、気の休まる間も無いだろうに。

 夜までに部隊は森林の際に展開し、敵の攻撃に備える。これでひと息つけるはずだ。

「さっき、お父様から手紙が来たの」ファビスがにこやかに言う。「本隊も川を越えて前進を始めたって」

「そうか。きっと終戦も近いな」

「だねっ」

 暗くなる頃には本陣の巨大テントも調い、いつもの様に夕食が用意された。

 夕食の席は今夜も二人だけだ。僕が来てからはそれが当たり前になっている。侍従たちも武将たちも、それで納得しているみたいだ。

「ねえアル」ファビスが甘えた声で尋ねてくる。「夕べはどこで寝たの?」

「お前のテントの外だよ」

「守ってくれていたの?」

「別に」

「ありがとう」

「だから、別に、って」

 まあ、守っていたのは確かだ。僕はそのためにここにいるのだから。

 その夜も、僕はファビスのテントの前に座る。アルマーダは散歩と称して、どこかへ飛んでいった。朝までリーゼル台地の森で魔獣狩りでもして過ごすのだろう。

 草原の野営は空が見えて気持ちがいい。ぼんやりと星を見上げていると、テントの出入り口からファビスがひょっこり顔を出した。

「アル?」

「ここにいるよ」

 お姫様はテントを出て僕の隣に座る。

「ファーラー卿の領地の話、してなかったよね」

 ファビスが僕の肩に頭を乗せてきた。僕はファビスの腰にそっと手を回す。

「国王陛下も僕の血統の事はご存じだよね?」

 王家を仇と狙う一族の者を貴族に取り立て、領地を与えるのは他の家臣の手前、まずいと思う。

「知っているよ。お父様が直接手を下したわけではないけれど、責任も感じていると思うし、悔やんでもいるわ」

「陛下に責任はないし、悔やむ事もないさ」

 それは事実だ。でも、僕の一族の恨みが消えないのもまた事実だ。

「別にお父様はアルに償いのつもりで爵位を与えた訳じゃないのよ」

 償い? そんな事は考えてもみなかった。王が一平民に償いをするなんて、聞いた事がない。

 ファビスが続ける。

「アルを貴族に取り立てたのは、あたしを助けた事と、王宮での活躍に対する報償ね」

「家臣も僕の素性を知っているんだろう?」

「たぶんね。でも、みんな心配していないみたい」

 僕にはそれが理解できない。こうして今も王家を仇と狙う一族の者が、王女の腰に手を回しているのに。

 僕は仰向けに寝転がる。ファビスも僕の横に寝そべりながら、話を続ける。

「お父様はね」ファビスが星空を見上げて言う。「ファーラー卿にはザクセルと北の森すべてを領地として与えたいって仰っていたわ」

 僕は驚いて身を起こした。

「怒ったの?」

 ファビスも上体を起こして僕の顔をのぞき込む。

「広大な地域だぞ」

「でも、税収があるのはザクセル周辺だけで、後は魔獣の住む場所。名目だけの領地だわ」

 たぶん陛下は僕の一族縁の地だから、僕の領地にと考えたのだろう。光栄な事だけど、受けていいものかどうか、僕には判断が付かない。いや、受けるも断るも無い。王の命は絶対だ。

「やっぱり怒った?」

 ファビスが僕の腕を抱えた。

「怒らないって。……僕は、アル・ファーラーは竜騎兵の息子、一平民だったんだ。それが貴族だ、領地だって、夢みたいな話だよ」

 僕はまた草の上に寝転がる。ファビスも隣に仰向けになる。

「ねえアル、どうせあたしを護衛するなら、テントの中でしてよ。その方があたしも安心だし」

「何言ってんだよ、お前一国の王女なんだぞ」

「それで?」

「ヘンな噂でも立ったらどうするんだよ」

「アルは噂が立ったら困るの?」

「僕は別に構わないけど、お前は王女だろうが!」

 ヘンな王女様だ。

「アルが構わないならあたしは構わないよ」

「絶対に駄目だ!」

「つまんないの」

 冷や汗が出てきた。

 僕はファビスをテントの中に押し込む。

「さっさと寝ろよ」

「はーい」


 色々な思いが浮かんでは消え、その夜、僕はなかなか寝付けなかった。ようやく寝入ったところで、僕は気配を感じて目を覚ました。辺りはまだ暗い。左手で剣を探る。

 テントの向こう側で大きな羽音がした。僕は飛び起き、テントの裏に回り込む。星空に二つの大きな黒い影が遠ざかっていった。

 テントの裏に大きな裂け目が出来ている。側に護衛の兵士の死骸が転がっていた。

 侍従たちが起き出してきた。近衛兵も駆け付ける。テントの中にファビスの姿はなかった。

 アルマーダはまだ食事から戻らない。アルザス軍の竜騎も飛び立ったが、レッドドラゴンではシルバードラゴンの追跡は無理だろう。

 僕は後悔の念に駆られながら立ち尽くしていた。一緒にテントで寝れば良かった。

 夜明け少し前、アルマーダが戻ってきた。ここからアルプの帝都まで、アルマーダなら半日強と云ったところか。急いだ方がいいだろう。帝都でシルバードラゴンが見つけられれば、ファビスの居場所も絞れるだろう。

(アルマーダ、例のシルバードラゴンを探してくれ)

(この前、落とし損ねたヤツらか?)

(そうだ)

 僕は急いで竜に跨り、上昇させる。

 僕は竜を東へ向かわせる。帝都の方角だ。

 少し飛んだところで、アルマーダが話し掛けてきた。

(見つけたぞ)

 僕は竜が勘違いをしたのかと思った。だが、そうでは無い様だ。

(あの時のシルバードラゴンだ)

 竜は目も鼻も利く。それにしても、シルバードラゴンたちが飛び去ってもうかなり経っている。

(どこだ?)

(左の方だ。村外れに降りている)

 左前方、遠くに村が見えた。僕は直ぐに気付いた。あれは親竜族の村だ。そうか、連中は帝都ではなく、自分たちの村にファビスを連れ帰ったのか。無事だといいが。

 僕には何の作戦も浮かばない。恐らくファビスが捕らえられているのはあの集会所の中だろう。

 僕はアルマーダを急降下させ、村の中心、集会所の前に着陸する。早朝の村は直ぐに大騒ぎになった。

 僕は竜を降り、腰の剣を抜く。村人たちはデビルドラゴンを遠巻きにして騒いでいるが、こちらには近付けないでいる。僕は集会所の扉を押し開けた。幸い、中に護衛はいない。代わりに、長老と数名の女たちがいた。

 ファビスは奥の椅子に優雅に腰掛けていた。危害を加えられた様子はない。

「ファビス、帰るぞ」

 僕が声を掛けると、彼女は嬉しそうに飛んできた。

「早かったね」

 僕に飛びつく。元気そうだ。僕は左手で彼女を抱きしめた。

「クレイグ」

 長老が僕を呼び止める。僕は振り返り、長老を睨んだ。これ以上、何か言ったら切り捨てるつもりでいた。そんな僕の気持ちを察したのか、ファビスが剣を握る僕の右手をそっと押さえる。

「アル」

 彼女が首を横に振る。

 僕は彼女を後ろに庇う様にしながら集会所を出た。アルマーダはシッポで付近の建物を幾つか破壊していたが、まだ村人を食べてはいない様だ。

 上空を二頭のドラゴンが通過した。シルバードラゴンだ。竜騎兵たちは上空を旋回している。アルマーダが僕の顔色を窺う。早く行きたくて仕方がないらしい。

(行ってこいよ)

 僕は竜を行かせてやる。大して時間は掛からないだろう。それまで、僕はここで村人と対峙していよう。

 デビルドラゴンはその巨体に似合わぬ素早さで飛び上がると、あっという間にシルバードラゴンの一頭の首に噛み付いた。可哀想なシルバードラゴンの骨が砕ける音が聞こえた。その隙にもう一頭がアルマーダの後ろに回り込もうとしている。が、人を乗せていないアルマーダは動きに制約がない。まるで巨大なコウモリの様にヒラリと身をかわし、太いシッポで敵を叩き落とした。

 村人たちはファビスと僕を遠巻きにしたまま、上空の戦いを見上げていた。その隙に僕を倒そうという者もいない。

 アルマーダが戻ってきた。また村人の輪が後退する。

 僕は一歩進み出る。

「ファビス王女に危害を加える者は誰であれ許さない」僕は村人たちに警告する。「それがアルプ皇帝でも、一族の者でも、僕は決して許さない!」

 村人のクルゾーラ王家に対する恨みの深さは判っている。今もみんな彼女を憎悪の目で見ている。

 村人の中から一人、こちらに近付いて来る。アルマーダが僕を見る。

(駄目だ)

 僕は竜を制する。デビルドラゴンを恐る恐る避けながら、近付いて来たのはクラリスだった。

「お兄ちゃん……」

 僕は剣を鞘に戻す。

 クラリスは王女の前にひざまずく。

「クラリス・クリスマン、クレイグの妹でございます」

 ファビスが前へ出る。

「アルの妹さんね? どうぞお立ちなさい」

 妹はひざまずいたまま、続ける。

「村人の数々の非礼をどうかお許し下さい。王女様に対する非道は村人の総意ではありません。ただ、アルプ皇帝の命に逆らえず……」

 ファビスが遮る。

「ふぅん。アルと違って礼儀正しい妹さんね」

 ファビスはクラリスの手を取って立たせる。

「礼儀知らずで悪かったね」

 僕はちょっとむくれてみせる。

「あのぅ。兄はアルザスではアルと呼ばれているのですね?」

 クラリスがファビスと僕を交互に見やる。

「そうよ、クラリス。アル・ファーラー卿。爵位は伯爵。北の森の領主にして、あたしの大切な人」

 ファビスは僕に寄り掛かる様にしながら続ける。

「そして、いずれアルザスの国王になる人」

 クラリスが息を呑む。

「お前、何言ってるんだよ!」

 僕はあわててお姫様を制する。ファビスはそんな僕を可笑しそうに見る。

「アル、親竜族の復讐の話、覚えてる?」

 ファビスが僕に向き直る。

「ああ。もったいぶって教えてくれなかった、お前の悪巧みだろう?」

「まぁね。でも、今ここで教えてあげる。その代わり――」ファビスが真剣な顔になる。「――この話を聞いてしまったら、後戻りは出来ないの」

「じゃあ聞かない」

 僕は横を向く。

 ファビスが僕を殴った。殴られたのは久しぶりだ。クラリスはただ呆然としている。

「だーめ。あなたは聞かなければならないの。それに、村の人たちも」

「判ったよ、さっさと話せよ」

 ファビスが村人の方を向く。

「お父様はね」彼女がゆっくりした口調で話し出す。「アル・ファーラー卿をあたしの婿に迎えて、皇太子になさるおつもりなの」

「嘘だろ? 僕は親竜族だぞ?」

「だから言ったでしょ、親竜族にとって最高の復讐だって」

 僕にはよく判らない。

「ね? 王位が親竜族に渡って、ここのみんなも納得するでしょう? お父様も満足、お母様も満足。……そしてあたしも……」

 僕にもようやく話が飲み込めてきた。村人たちに動揺が走る。

「お兄ちゃん……」

 クラリスが僕に抱きついてきた。涙ぐんでいる。

 色々な思いが僕の頭の中を駆けめぐっていた。けれど、隣で微笑むファビスの顔を見たら迷いも吹き飛んだ。僕はファビスが好きだ。他の誰にも渡したくはない。

 気が付くと、村人たちはみなひざまずいていた。その中から長老がゆっくりとやって来る。

「ファビス王女。今の話が事実なら、我らの恨みも晴れましょう」

 長老もファビスの前にひざまずいた。

 ファビスは僕を引き寄せ、上向き加減に目を閉じる。僕は彼女の背中に手を回し、そっと唇を重ね合わせた。

 村人たちから、「皇太子バンザイ」の声が湧き起こる。背後でデビルドラゴンがまるで面白い物を見たとでも云う様に、大きく鼻を鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る