ショートショート作品集

柚月伶菜

第2話 オムライスから

 僕が彼女と同棲して1年。僕は、かすかに結婚という目標ができた。これまでの彼女との生活で特に大きな問題はなかったし、上手くやっていけると思っていた。しかし、大きな問題は、突然やってきた。


 「どうしてケチャップなんてかけたの!」

彼女は、怒っていた。

「しかも、中にもケチャップ入ってるし!」

それは、僕の作ったオムライスのことだ。

「こんなの食べたくない!」

そんなこと言われたのは、これが初めてだ。


 どうやら、彼女はこのオムライスのケチャップライスと、卵の上にケチャップがかかっているのが気に食わないらしい。

「ケチャップ、嫌いなの?」

「ケチャップが嫌いじゃないの。オムライスにケチャップをかけるのが嫌いなの」

「じゃあ、かけたケチャップをとってあげるよ」

僕は、かけたケチャップをフォークできれいにとった。

「中は?」

「ケチャップライスのこと?」

「そう」

ごはんは余ってなく、米についたケチャップをとるというのは厳しい。

「それは、しょうがないから食べてよ。かけたケチャップは取ったんだから、食べられるでしょ?」


 彼女は、何も言わず、自分の分のオムライスを僕のオムライスの上に重ね、自分の皿を洗い出した。そして、黙って部屋に行ったかと思うと、身支度をして家を出て行ったのだ。

 僕は、苛立ちのせいか追いかけることもなく、ひとり、オムライスを口にした。なぜだろう。こんなにおいしくないのは、初めてだ。


 とはいえ、さすがに僕も彼女の行方を追った。電話しても出ないし、『どこに行ったの?』なんてメールしても返ってきやしない。夜の町、僕はひとり佇んでいた。正直、こういうときに彼女がどこへ行ったのか、行くあても知らなかった。たまにデートで行く喫茶店なのか、よく買い物をするスーパーなのか、まったく検討がつかなかった。

 僕は、コンビニに立ち寄った。弁当のコーナーで、オムライスを見つけた。それは、さっき僕が作ったケチャップでできたオムライスではなく、デミグラスソースのオムライスであった。僕はなんとなく罪滅ぼしのような気持ちでそれを買い、家に戻った。やはり、彼女は戻っていない。僕は、彼女にメールした。『デミグラスソースのオムライス用意したから、帰っておいで』と。

 さすがにお弁当のプラスチック容器では申し訳ないと、僕はそのオムライスを皿に移し、テーブルに用意した。しかし、彼女は帰ってこなかった。


 次の日も、オムライスはそのままであった。僕は、彼女を探しに行かない自分を責めるどころか、彼女のことにイライラし始めた。そんな、ケチャップごときで何出て行ってるんだ。わがままだ。せっかく別のオムライスを買ってきたのに、何やってんだ。


 すると、静かに扉が開く音がした。彼女が帰ってきた。足音を立てないようにしているのか、静かに歩いてきた。

「ただいま」

僕は、怒りが込み上げてきたのを抑えきれず、怒鳴ってしまった。

「何やってたんだよ! 今までどれほど心配したのか分かってるか? 大体、あんな小さなことで出ていくとか、ありえないだろ。ふざけんなよ」

 彼女は、怯えた様子で、僕を見つめていた。今まで怒ったことなどなかったから、驚いたのだと思う。さすがに言い過ぎたと、反省した。

「ごめん。僕が悪いんだよ」


 彼女は、黙ったままオムライスを食べていた。

「冷たいでしょ? チンするよ」

彼女は首を横に振る。

「乾燥してない?」

彼女は、首を縦に振る。

「どこに行ってたの?」

彼女は、首を縦に振る。

「友達の家?」

彼女は、首を横に振る。

「マンガ喫茶?」

彼女は、首を横に振る。

「24時間営業のレストランとか?」

彼女は、首を横に振る。

「スパってやつ? 泊まれる温泉あるよね?」

彼女は、首を横に振る。

「じゃあ、コンビニまわってたとか?」

彼女は、首を横に振る。

「教えてくれないの?」

彼女は、答えてくれた。



「ホームレスごっこ」



僕は、予想もしない答えに、なんと返してよいのかわからなかった。



 1年間同棲しても、僕は彼女のことを分かっていなかった気がする。ケチャップのオムライスが嫌いなことも、ホームレスごっこという奇想天外な行動をすることも。

 それでも、僕は彼女が好きだ。こうして家に戻ってきてくれた。たぶん、いっしょに住むって、こういうことなんだと思う。お互い違う人だから、思うことも違うし好き嫌いも違うけど、同じところに戻ってくる。それだけで、いいんだと思う。


 「おいしかった」

オムライスを食べ終えた彼女は、にっこりを微笑んだ。そして、僕も笑った。

「結婚しようか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る