大いなる災い 星乃御子の章 ─The last episode─  

大いなる災い 星乃御子 其ノ一

 

 あれから暫く経ち、八潮の里は今年も春爛漫の時期を迎えることができた。

 花見で人が行き交う中、里は妙な客を招いていた。


トントコトントン ピーピーヒャラピー


「お、なんだなんだ? 花祭りけ?」


 奇妙な面をかぶり法被はっぴを着た子供たちが、笛や太鼓を叩きながら道行く里人の目を引いていた。娯楽の少ない田舎里、誰もが面白そうに足を止めては子供たちを眺め、気さくな大人は音に合わせて一緒に踊り出した。


「どこの童子らだんべな?」

「はて、隣村でねぇか?」


 普段なら異常さに気付くところ、春の陽気さもあり誰もさほど気に留めなかった。その晩、この場にいた者たちは昼間の笛や太鼓の音が耳から離れず、一睡もできぬ者まであったという。



 その一方で、同じ里人でも百姓ひゃくしょうらは田植えの用意を迫られる。


 百姓家の息子、八作もその一人だった。昼間は苗代なわしろ(稲の苗を育てる泥田)に種をく作業に追われ、午後になると足を悪くした祖父に代わり名主の家へと足を運ぶ。今年は祖父が田植えを手伝えそうにない。大変な年となりそうだ。

 町中まで歩いて行き、名主に会って用が済むと日は大分傾いていた。帰ろうとした八作に声を掛ける者がいる。名主の三男坊である惣兵衛そうべえだ。一日遊んで帰ってきたところなのだろう。嫌な相手だが知らん振りすることもできず、仕方なく相手をする。


「おう八作、おつうの奴見ねがったけ?」

「おつう? いや、見ねがったきと」

「ほっか……。いやよ、俺の代わりに隣里へ使いに行かせたんだきとよ、まだ帰ってこねぇんだよ」


 おつうというのは名主の家に引き取られた娘だ、まだ十にもなっていない。


「おかげで親父に大目玉食らうしよ、あん畜生見つけたら只じゃおかねぇ」


 大目玉を食らうのはお前の日頃の行いが悪いからだ、と言ってやりかったが黙っていた。帰りがけに見つけたら戻るよう伝えると言い、八作は惣兵衛と別れた。


 家路をたどりながら、八作は先程惣兵衛に言われたことを振り返る。


(そうか……おつうの奴、また居なくなったんか……)


 おつうはおととしまで八作の家の傍に住んでいた。両親もいたが流行病はやりやまいで早くから亡くしてしまい、祖母と二人で百姓をしながら暮らしていたのである。小さな畑を名主から借り受け、近所の助けを借りながらおつうも必至に祖母の助けをしていたのを憶えている。

 だが、八作はおつうをあまり良くは考えていなかった。いや、八作だけではない。近所の誰もが厄介者と考えていたのである。野良仕事を手伝うと言ってもまだ十にも満たない娘、出来ることは限られている。そして何よりおつうは耳がよく聞こえず、ろくに話もできなかったのである。度々泣きわめいては祖母と周囲の手を焼かせていた。

 しかし、その祖母も遂にこの世を去り、身寄りの無くなったおつうは名主の家へと引き取られていった。畑を貸したという僅かな縁ある名主が周りの目を気にして引き受けたのだ。

 名主の家に行って暫く経ったある日、おつうは突然行方をくらませ騒ぎとなった。その時はたまたま橋の下を通りかかった者が寝ていたところを見つけ事なきを得た。意地の悪い惣兵衛のいる家だ、居たくない気持ちはわからんでもない。だがその後もおつうの噂はしばらく続いた。これは聞いた話だが、家の前を通りかかるとおつうに怒鳴り散らす名主の声がよく聞こえてきたという。顔にはあざが絶えなかったそうだ。


(ほだきと、これはどうすることもできねがったことだ。しゃあねぇ……)


 幼い娘が知らない人間に囲まれ地獄のような日々を過ごす。普通なら気がおかしくなり身を投げてしまっても不思議ではない。

 実は名主の家に引き取られていく以前、おつうを八作の家で引き取る話があった。八作の祖父が「かわいそうだがらうちで引き取るべか…」と話したのが切っ掛けだ。この時両親は勿論、八作自身も猛反対した。働きに出ている間は一体誰が面倒を見るのか。何か起きれば周囲から村八分にされかねないと騒いだところ、それ以後祖父は何も言わなくなった。


(しゃあねぇんだ……しゃあねぇ……)


 祖父に反対せず引き取れば、おつうはいくらかマシな日々を過ごせたかもしれない。罪悪感に襲われつつも、八作は自分に「しゃあねぇ」と言い聞かせ続けた。



(ん、日が陰って来たな……)


 山を右手に歩き続け、気付けば夕暮れ間近となっていた。去年の夏に遭った出来事を思い出し、八作はまた臆病風おくびょうかぜに吹かれ始める。そう言えば最近妖怪が出たという話を聞かなくなった。今年の冬はどこそこで蓄えを持っていかれたという噂もない。


(ダイジだ……ダイジ……)


 心の中で念仏を唱えながら歩く。

 と、山の方から太鼓を叩くような音が聞こえてきた!


トントントントン…… トントントントン……


 八作は耳を疑い、そして体を硬直させた。


 前に祖父から聞いたことがある。山から太鼓の音が聞こえたら、それは「鬼囃子おにばやし」であり、化け物たちが宴を開いているのだと。その時決して山に入ってはいけない。入って化け物に見つかったら最後、酒のさかなに取って喰われてしまうのだと……。


 八作は耳をふさぎ身をかがめて走り出していた。

 何も聞こえない! 何も知らない! 自分とは無縁だ!


(──あっ!!)


 突然立ち止まり、次には慌てて草むらへと飛び込む八作。

 なんてことはない、正面からこちらに向かって誰か歩いて来たのだ。これだけならむしろ安心するのだが、たった一人で歩いて来る小柄な人影が奇妙に思え、戦慄せんりつさえ走った。


 高鳴る鼓動を抑え、恐る恐る首を出して様子を伺う。


(……何だ子供か……誰だ? ん……?)


 八作は向かって来る子供を見て二度驚いた。


 おつうだ!


 背が低く細い体に粗末で汚れた着物、間違いない。暗がりで顔はよく見えなかったが、八作が最後に見たままの姿となりをしており、見間違えようが無かった。

 草むらから出て声を掛けようとすると、おつうは小道を曲がって山へと入ってしまった。


(どこさ行くんだべか?)


 怪訝けげんに思った八作は鬼囃子のことなど忘れ、こっそりおつうの後を追った。

 山道へ入ると一瞬おつうの姿を見失う。見上げると大分先まで歩いていた。あの娘はこんなに足が速かっただろうか? 小走りに近づいていくとまたあの音!


トントントントン……


 八作はまた足が止まってしまった。しかしおつうはどんどん奥へと行ってしまう。どうしよう、町へ戻りだれか大人を連れてこようか? いやいや、そんなことしたら「お前は娘一人連れて来れない臆病者だ」と馬鹿にされてしまう。意を決した八作は山道を駆け上がり、おつうの傍まで近づくと小声で話し掛けた。


(おつう、どこさいく!? 戻れっ!)


 だがおつうは八作に気付かず振り向きもしない。そうだ、おつうは耳が悪いのだ。仕方なく八作はおつうの肩を掴んでこちらを向かせようとした、その時だった。


「お……!」


 八作の目の前を、大勢の歩く影が横切っていたのである。よく見るとそれは人ではなく、様々な道具に手足や目玉の生えた妖怪たちの群れだったのだ。

 恐怖のあまり八作は尻もちをつき動けなくなってしまった。一方のおつうは何事も無かったようにそのまま妖怪の群れへと歩いて行く。


(駄目だ! 戻れおつう!!)


 声に出そうとしたがうまく言葉にならない。恐怖からなのか妖怪たちの妖術なのかわからないが、八作はその場で黙って見ているしかなかった。やがておつうは妖怪の群れに加わりそのまま歩いて行ってしまう。


トントントントン! トントントントン!


 今度ははっきり大きく、近くで太鼓の音が聞こえた。八作はこの間、まるで生きた心地がしなかった。様々な妖怪たちが横切っていく中で、ひと際大きな化け物が群れに交じってやって来る。顔に付いたいくつもの目玉の一つと目が合った気がした!


「ひっ! ひあぁぁぁぁぁ──!!」


 ようやく八作は悲鳴を上げ、一目散に山を駆け下りた。

 目指すは町中。どこでもいい、とにかく大勢人がいるところを目指す。


 そしてようやく名主の家に戻ってきた八作は、事の始終を名主に話して聞かせた。尋常ではないと察した名主はすぐさま汐鎌しおかま神社へと使いを送る。

 怯え震えていると、今日はここへ泊っていくように名主から言われる。一体何事かと顔を出した惣兵衛が「今晩は絶対に外へ出るな!」と怒鳴られた。その晩、八作は碌に眠ることが出来なかった。


 明け方となり何やら騒々しいので外に出てみると、名主が汐鎌の社人らしき者たちと話をしている。八作の顔を見るなり社人たちに説明するよう言われた。

 ぼーっとしながらも、八作は再び昨日あった出来事をおぼろげながらに話す。黙って聞いていた社人たちは八作に対し、簡単におはらいを済ませると帰って行った。


「おつうはもう見つからんだろう。おかぁが心配してるだろうから帰れ」


 八作を一人残し、名主は家の中へと入っていった。


…………


 自分は夢でも見ていたのだろうか。だがおつうは何処いづこかに消えた、これは事実だ。日が顔を出した田舎道を歩き、集落が近づいてくると一人誰かがやって来る。

 一瞬おつうかと思ったが、それは心配して出てきた八作の祖父であった。


 何を言われるまでも無く、八作は祖父を負ぶると無言で家に歩き出す。


「名主様んとこにいたんか?」


 黙っていた祖父がようやく口を開いた。


「……昨日、おつうがいねぐなった」


 身内の声にようやく安心したのか、八作はぽつりぽつりと話し始めた。八作の話に祖父は驚きもせず、ただ黙って聞いていた。


「……名主様が、おつうはもう帰ってこねぇって」


不憫ふびんに思った山の神さんがおつうを連れて行ったんだ。誰のせいでもねぇ」


「……」


 祖父の言葉を聞いて、八作は目頭が熱くなり涙がこぼれた。

 あれは山の神などでは無かった、明らかに妖怪であり化け物の群れだった。


 八作は憤りの余り声を上げて泣いた。おつうを助けることの出来なかった臆病者の自分が情けなかった。日頃からおつうに辛く当たり追い込んだ名主に怒りを感じた。誰のせいでもなくはない、皆が皆で幼い娘を一人里から消したのだ!


「……星ノ宮様があんなことにならねば……おつうは助かったかも知れねぇ」


「他所でそうだごど絶対に言うんじゃねぇぞ、ええな」


 後日、八作はおつうの他にも八潮の里から人間が消えていたことを知った。 

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