予期せぬ邂逅 其ノ士


 志乃は目を背けず、自分へと覆いかぶさる影を睨んで動かない!

 身動きの取れなくなった獲物の命を奪うべく、鈴音は刃を突き立て降り掛かった!


 取った!


 突き刺した感触に確信するも、獲物は声一つ上げずに抵抗もしない。

 やがて志乃の体はきりのように消えてなくなる。


「………?」


 すぐ横に人の気配を感じ、鈴音は苦無くないを向けた。


「っ!?」


 立っていたのは鈴音の義妹、佐夜香だった。

 錫杖を持ち、黙ってこちらを見ている。


──騙されるな、まやかしだ。


 鈴音の頭に声が響く……。そうだ、佐夜香がここに居る訳が無い! これは巫女の作り出した幻だ!

 目の前に立つ佐夜香に苦無を構える鈴音。


シャンッ!


『姉さん、もうやめて』


「佐……!?」


 今度は声が聞こえた! 目の前の幻が喋ったのか、幻聴だったのかはわからない。だがはっきりと、確かに妹の声が響いて来た!


──惑わされるな。


『姉さん…』


 鈴音の中で交錯する二つの声が、幾重いくえにもなり頭に響く。


 やめろ、やめてくれ!

 遂に鈴音は苦無を落とし、頭を抱えて震え出した。


「……いや……い…いやぁぁぁぁぁぁあ────っ!!!!」


 絶叫にかき消されるように崩れていく佐夜香の幻影。その向こうに現れたのは、木の根元で横たわり、手を伸ばす志乃だった。

 志乃は倒れた場所から動いていなかったのだ。丁度役目を終え帰って来たさくらに自分の身代わりとなって貰い、佐夜香となって貰ったのである。

 幻影の術の媒体となったのは、以前佐夜香とふみを交わす際、お互い交換し合った髪の毛だった。誰かに読まれたり書き換えられたりしないよう、二人は文に術をかけて文通し合っていたのだ。


(おかえり、さくら)


 宙に浮いた錫杖が志乃の手に戻り、崩れた幻影が志乃の体へと戻る。

 力を取り戻した志乃は、さくらから町で起きた出来事を知る。


(そう、町が火の海に……。トラは無事だったのね。よかった)


 錫杖を構え、さくらの力をもって狐面の向こうを知る。やはり佐夜香ではない。

 だが志乃の目を引いたのは面の下の顔ではなく、その額に付いていた物だった。


(あの石! 黒い鏡の破片!?)


 慌てて駆け寄り、鈴音の面を引き剥がす。そこに現れたのは苦痛に歪む女の顔と、額に埋め込まれた赤黒い石。


「あぁ……うあぁぁ……!」

(まさかこの石で操られていたというの!?)


 心が空となった肉体に、破片を埋め込まれることで操られていた鈴音であったが、唯一心を許した佐夜香の名を聞くと不安定になるという欠点があった。洗脳が完全でないと知った七宝業者しっぽうぎょうじゃは更なる力を石に込め、誰の声にも反応しない殺人人形へと変えてしまっていた。

 始めは志乃の言葉に反応しなかった鈴音だが、やはり最後に彼女を救ったのは直接心へ語り掛けてきた佐夜香の声だったのである。


「今とってあげる!」


 苦しむ鈴音を抱きかかえ、額の石へと手を伸ばす!

 途端に石から何かが勢いよく飛び出してきた!


「あぁっ!?」


 鉄砲水の様に吹き出す黒い大量の霧。その正体は人間の病、怪我、苦しみ、そして憎しみや恐れ、不安といった感情の塊だった。

 芳賀家の資金源となっていた不治ふじの病を治すと評判の『シッポウサマ』。その本当の目的は、人間の病や怪我、陰の感情を効率よく集めて石に込め『黒い鏡の破片』を作り出すことにあったのだ。


(ぐっ……なにこれ……!)


 志乃の体を完全に覆った思念体は、今度は心をむしばもうとする。誰かの黒い様々な記憶が頭の中をよぎり、次から次へと溢れ出す。


(……だめ……このままじゃ……)


──志乃ちゃん……諦めては駄目……自分の力を信じて……


(さくら……?)


 心が押しつぶされそうになったその時、同じく苦しそうなさくらの声が聞こえた。そうだ、自分の心がやられれば、さくらまで闇に飲まれてしまう!


「全て……消えてなくなれっ!!」


 黒い石に触れていた手が白色に光り出す! 体を覆っていた思念体は光に照らされると散り散りとなって消えた。

 鈴音に付いていた黒石も、思念体を吐き出すのを止めると灰色となり、額からこぼれ落ちる。苦痛に満ちていた顔も、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。


 志乃は力の抜け落ちた鈴音を寝かせ、光っていた己の手を見る。


(……これが、私の力なの……?)


 今は何ともなく、熱だけが残る志乃の右手。

 あさぎは始めから見抜いていた。志乃が邪気を払い、みそぐ力を秘めている事実を。だから黒い鏡を割る者として選んだのだろう。気の遠くなるような長い年月をかけ、それこそ日ノ本中を虱潰しらみつぶしするかのように探し求めながら……。


 まだ鈴音に息のあることを確認し、立ち上がると斜面を駆け上がり出す。


(イロハ、待ってて! 今向かうわ!)


…………


ガチンッ!

キンッ!


 二人は一方的な戦いをしていた。


 休み無くイロハへと短剣を繰り出す紗実シャミィ。しかしイロハは余裕でこれらをいなし、隙を伺う。


日ノ本ハポンの人間がそんな服着てるんじゃねぇぜ!」

「はぽ……? オラは鳩でも人間でもねぇ! 水倉イロハだっ!」


 自分と似た格好をする者へ挑発する紗実と、それに素っ頓狂な返事をするイロハ。


 紗実の剣技はお世辞にもうまいとはいえない。しかしイロハが一太刀浴びせようとすると、素早く間合いを取って離れてしまうのだ。


(なんだこいつ? やる気あんのけ?)


 不思議がっていると、突如聞こえてくる女の絶叫!


「!?」


「ひゃっはっはっはっ! 聞いたか今の声をよ!? 巫女の断末魔だ! お前は俺に誘い出されてたんだよ! バーカッ!」


「……多分ほうだ事だと思ってたさ」

「なんだと?」


 驚いてイロハの表情を伺うと、顔色一つ変えず落ち着いている。


「志乃は本当に強えぇ、絶対にやられたりなんかしねぇ。今のは他の人間の声だ。オラに志乃の声を聞き間違える耳はついてねぇ」


 そう言って太刀を仕舞うと背中を向けて歩き出す。


「どこ行きやがるっ!?」

「志乃のとこ。おめぇ弱えぇし、相手すんの飽きた」


「っ!!!」


 イロハは志乃を一人残しても大丈夫だと確信した上で紗実を追って来た。その理由は馬鹿みたいな話だが、異人の戦い方を見たいというのが本音だ。

 しかしその結果は期待外れなもので、途中から手加減を止め短剣ごとぶった斬ってやろうとしていたのだが、相手が女という事もあり刀を収めるに至る。斬ることには長けている自分だが、捕えるとなると難しく、志乃を呼んで来ようとしたのだ。


「……」


 今まですべて見透かされ、手加減までされていた。この上ない屈辱を浴びせられ、手から短剣がこぼれると握った拳がわなわなと震えだす。


「………けるな」

「?」


「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


「うわっ!」


ガチンッ!


 立ち去ろうとしていたイロハ、振り向き抜刀することを余儀なくされる!

 一瞬で間合いを詰めてきた紗実を太刀で弾くも、衝撃で体ごと持っていかれた!


『グゥゥゥ……』

(なんだこいつ!? さっきとまるで別モンじゃねぇか!)


 改めて紗実を見ると、金色だった髪が獅子のたてがみのようになびき、燃えるような赤い色に染まっている。顔は布で覆われ見えないが、狂気と怒りに満ちた目でイロハを睨んでいた。


(殺るしかねぇのか……!)


 例え女でも半妖人、妖の血を引いている。かつて自分が殺生石の前で理性を保てなくなった時の事を思い出し、太刀を構える。

 こうなってしまっては自分で衝動を抑えることが出来ないと正気を取り戻せない。元よりこちらへ殺意がある相手、斬る他に道は無いだろう……。


 鉄の爪を振りかざし、イロハに突進する紗実!

 それと同時にイロハも紗実へ間合いを詰めた!


ガシュッ!


「……」

「…………許せ」


──水倉流秘技・辻疾風つじはやて


 突進してくる相手を見極め、すり抜けるように一閃! 一歩間違えればこちらも只では済まない技であり、蒼牙からも極力控えるように言われていた技だ。

 しかしその威力は絶大で、相手を一撃で仕留めることが出来る。この剣技を極めた先祖が過去におり、すり抜ける際に二太刀以上浴びせることが出来たらしい。


 鉄の義肢ぎしを斬り落とされ、肩口から血を噴かせながら紗実は倒れた。


 イロハは天を仰ぎ大きく息を吐く。見上げれば木の隙間から日が差し込んでいた。妖の雲は句瑠璃が去ったことにより消え、茜色の空が顔を覗かせている。


(これで、終わったんか……)


『イロハー!』


「志乃……?」


 声のする方へ駆け寄り、斜面を覗くと志乃が上がって来るのが見えた。


「勝手にいかないでよ! こっちは大変だったんだから!」

「済まねえ! ダイジだったけ!?」



 駆け寄ろうとした時! イロハの頭上を飛び越える影がっ!!


 紗実だ! まだ生きていた!

 あっという間に志乃へ覆いかぶさり、片腕で首をへし折らんばかりに掴む!


「きゃっ!!」

「し、志乃っ!?」


──オマエダケ……オマエダケハ……!


 凄まじい力で掴まれ、流石の志乃も何もできない。紗実の理性は完全に飛んでおり、巫女を殺す執念の獣と化していた。徐々に意識が遠のいていく志乃。


「や……め……」


 

 …………運命の悪戯だろうか、木陰から西日が差し、二人を照らす。


 この時、紗実は初めて志乃の顔を間近で見た。


「……ぁ……ひ……」


 志乃の首から手を放し、何かに怯えるように後ずさり出したではないか!


「志乃から離れろっ!」


 後ろからイロハの太刀に突き刺され、紗実は動かなくなった。


「……… ma … m … a …」


 異国の言葉を呟きながら、太刀を抜かれるとそのまま倒れ、動かなくなった。


「なんて奴だ……」

「……う……げほっごほっ!」


 太刀に付いた血を払うと志乃へ駆け寄る。


 明るさを取り戻そうとしている山林に、遠くからお千夏の呼ぶ声が聞こえてきた。

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