予期せぬ邂逅 其ノ九


 あちこちから火の手の上がる町へと向かったトラは、声を聞きつけ柱の下敷きとなっていた柿右衛門を見つけた。

 意識はある。が、放っておけば火に巻き込まれて焼け死んでしまうだろう。


「ぐぁぁっ……」

「ぐぅううぅっ!!」


 必死に柱を持ち上げようとするも、猫の力だけではどうにもならない。トラは夜を待たねば巨体化できないのだ。

 他の猫たちはさっさと逃げてしまった。この時、柿右衛門は初めて己が親分として慕われていなかったことを痛感したようだ。


「ぐそうっ! こんな柱なんぞっ!」


(トラ殿……)


 邪魔な余所者とあしらいおとしいれようとした相手。それが自分のため、血眼になって助けようとしてくれている。そんなトラを柿右衛門は直視できず、目を瞑り歯を食い縛った。


『おんやぁ誰かと思えば。猫の手も借りたいところですかにゃぁ?』


「この声、句瑠璃かっ!」

「ぐ! き、貴様ぁっ!!」


 燃え盛る隣家の屋根の上、赤黒い炎に包まれた句瑠璃を見た。もはや猫の姿をしておらず、黒い着物を着て二本の尻尾を生やした妖怪の姿となっている。

 屋根から宙返りをして飛び降り、二匹の目の前に降り立つ!


「句瑠璃、手を貸せ! 柿右衛門殿を助けろっ!」


 トラの言葉に大袈裟に驚き、両手をあげて呆れた仕草をとる句瑠璃。


「トラの旦那ぁ、火に当てられとうとう頭が溶けちまったんですかにゃ? この火事を起こしたあたしが、どうしてこの猫を助けると?」


「柿右衛門殿には世話になった筈! 立場はどうあれ助けるのが道理だろう!」


 確かにトラは八溝やみぞふもとで句瑠璃に騙され殺されかけた。しかし、今はそれに目を瞑り、窮地きゅうちおちいっている柿右衛門を助けさせようとしたのだ。


 この甘ったるい考えに、遂に句瑠璃は吹き出した。


「こいつにあれだけコケにされたというのに。邪々虎じゃじゃとら、お前のおめでたさにはほとほと呆れるにゃ! ついでに教えてやるにゃ!このあたしにお前を殺させようとしたのは、そこにいる柿右衛門だにゃあ!」


(ぐっっ……!)

「な、何を馬鹿なっ!?」


「……」


 柿右衛門は何も言い返さない。始めは殺そうとまで考えていなかったものの、つい句瑠璃の口車に乗ってしまい、トラの死を望んでしまっていたのは事実なのだ。

 それをここで弁明したところで何になろう。柱を持ち上げようとしながら顔を伺うトラの視線が突き刺さり、今にでも柱に押し潰されそうな気がした。


 困惑しているトラに句瑠璃は近づき、かがむと耳元で囁く。


「ねぇ邪々虎、こんな最低な奴なんか見捨てちまおうよ。助けたってなーんの得にもなりゃしないよぉ? 逃げたって誰も悪くは言わないさぁ」


「──っ!!」


 トラの本能が叫んだ!

 決して耳を傾けてはいけないと!


 妖怪の言霊ことだま。何気ない一言が、時としてとんでもない事態を招くことがある。火車である句瑠璃の誘いに乗ったら最後。猫又としてかなりの修羅場をくぐってきたトラは、立ち待ちのうちに火車の仲間となってしまうだろう。


「……トラ殿、こいつの言う通りだ。俺など置いて逃げてくれ……!」

「ほぉら、本人もこう言ってるにゃぁ?」


「何を弱気なっ! それこそ火車の思う壺!俺は誰かを見捨てて逃げなどせぬっ!」


 柱を掴んだまま、腹の底からそう叫んだ!

 句瑠璃の術を打ち破ったのである!


「……ほーん、そっかぁ。なら二匹仲良く地獄行きだにゃぁ」


 ただ焼き殺すだけでは面白くない。裂けた口で笑みをつくると指を鳴らす。


ガラガラッ!


 傍で燃えていた瓦礫がれきが音を立て、真っ黒い何かがむくりと起き上がった。

 それは焼け焦げた人間の死体、火車は死人を自在に動かせる力を持つ。


「ややっ!?」


 ふわりと浮かぶ黒焦げの死人は、宙がえりをして柱に覆いかぶさった!


ドサリ!


「ぐぁぁぁ──っ!!」


「よせっ! それが恩ある者への報いか貴様っ!!」

「そいつに恩あるなんて思ってる奴がどこにいるのにゃ? 今まで散々威張り散らしてきた報いを受けるがいいにゃ! そぉれ、もうひとつ!」


 トラの言葉に聞く耳を貸さず、更に死人を乗せようとする句瑠璃。今が夜ならば、せめて柿右衛門を逃がすくらいは造作も無い事だったろうに……。


ガラガラガラッ!!


 柱が崩れる! トラさえも、もう駄目かと思ったその時、不可解な事が起きた。


「……う?」

「な……」

「にゃ、にゃんとぉー!?」


 死体は柱に乗らず、押し潰されている柿右衛門の前に降り立ったのだ!

 そして柱を持ち上げ、柿右衛門を引っ張り出してしまった!


「な、なにしてるにゃ!? 勝手なことすんにゃっ!?」


 慌てていうことを利かそうとするが、意に反して今度は句瑠璃へと覆いかぶさる!

 死体に抱き付かれるようにして句瑠璃は叩きつけられた。


「柿右衛門殿、無事か!?」

「う、うむ……し、しかし何が一体……」

「わからぬ。だが今のうちに!」


ガラガラッ!


「逃がさないにゃ!」


 すぐ起き上がった句瑠璃は死人の腕をくわえ、狂気の目で二匹の猫を睨みつける。

 己の得意としていた術を返されたのだ、こんな屈辱なことは無い。だが柿右衛門もトラも一介の猫又に過ぎない。死人を操る術を更に返すなど、余程強力な妖怪にでもならないと使えない筈なのだ。

 腕を食い破り首を斬り落として改めると、ふわりと白いかすみのようなものが浮かび上がる。これが術者の正体なのか?


 御魂みたまをも切り裂く爪が空を切ると、霞はふっと消えた!


(何奴!? まさかこいつらの仲間!? あっ!)


 霞に気を取られている隙を見逃さず、トラは突進を掛けていた!

 飛び掛かられると思った句瑠璃はかわそうと試みるも、それこそトラの思う壺!


 すかさず向きを変え、二本に裂けた尾へと噛みついた!

 相手の裏をかき尾を狙う、トラの十八番だ!

 

「いででででっ! 折角くっついたばっかりなのにっ!!」


 振り落とそうと試みるも、重たいトラは全く離れずに痛みだけが襲う。捕まえようとすればひらりとかわし、千切らんばかりに引っ張るのだ。

 そしてようやく自ら火をまとえば離れる事に気が付く。火だるまになったトラは地を転げまわり、素早く体制を整え低く身構えた。


「殺す殺す殺す殺すっ!!」


 噛みつかれた尻尾を押さえ、涙目になりながら炎を吹き上げる句瑠璃。


「グルゥゥゥー……」


 自分を奮い立たせるためにも、低く唸り声を上げ威嚇するトラ。


 先程噛みついた時、トラは句瑠璃の尻尾の先がに曲がっていたことに気が付いてしまっていた。鍵尻尾は飼い猫だった者の証。昔、人間の主人がいたという話は本当だったのか……?

 いや、今はそんなことはどうでもいい。相手を知らねば戦えないかもしれないが、知り過ぎても戦えない。


 雑念を振り払い、火の玉を飛ばそうとする句瑠璃目掛け、飛び掛った!


「──馬鹿めっ!!」

「!?」


 真横から飛んできた黒焦げの死体がトラを襲う。かわし切れず、トラは土手っ腹に体当たりを喰らう形となった。句瑠璃は抱えた火の玉を更に大きくすると、突き飛ばされたトラに狙いを定める。


「ぎにゃっ!」


 しかし止めの機会を失ってしまう。突然転がっていた木の棒が宙に浮かび、上から句瑠璃の頭を勢いよく引っ叩いたのだ。目から星が出て朦朧もうろうとしていたところ、千載一遇せんざいいちぐうと見たトラが飛び掛かり首に牙を立てた!

 爪を立て、トラを引き裂こうと鷲掴みにするが、どういう訳か体に力が入らない。抵抗していた句瑠璃だったが、喉笛を噛みちぎられるとそのまま動かなくなった。



「柿右衛門殿! 無事か!」

「ひっ!」


 口から妖の血を滴らせるトラを見て、柿右衛門は肝を潰す。しかしそれがトラだとわかると、うな垂れて涙をこぼした。


「トラ殿、俺は……とても貴殿に顔向けができない」

「話は後だ。今はここから離れよう」

「……!? う、後ろっ!」

「なにっ!?」


 信じられないことに、喉元を食い千切られた句瑠璃がこちらを向いて立っていた。傷口には手当てのつもりか死人の炭が塗られ、そこから黒い血をとめどなく落としている。火車の恐るべき生命力だ。

 口からは声が出ず、ヒューヒューと息が漏れるばかり。しかし爛々と黄色く光る目と長く伸びた鋭い爪が、明らかにこちらへの殺意を見せつけていた。


 まだ戦おうというのか。

 トラが低く構えて威嚇するも、それを邪魔するようにかすみがかかり出す。


(なんだこれは?)


 やがて霞は人の形を作り上げると、手を広げトラたちを守るように立ちはだかる。

 構わず句瑠璃は体を引きずりながら、残った力で再びトラへ襲い掛かろうとした。


『いたぞー!!! 火を付けた化け物だ──っ!!』


 遠くから町の見回り組の気配、そして飛んで来る弓と鉄砲の玉。

 分が悪いと踏んだ句瑠璃は空高く飛び上がり、何処いずこかへと立ち去った。


「お主は、一体……」


 死人を操りトラたちを助けた人型の霞、トラに向かって笑いかけると形を崩す。

 まるで風に吹き消されるように飛んで行ってしまった。


 見た事の無い姿だった。何故かトラは、この時ふと志乃たちの事を思い出す。


(そうだ! こうしては居れん!)


 すぐさま志乃とイロハの加勢に行かねば! だが今の自分だけでは心許こころもとない。

 以前のように猫たちの力を借りて助けに行ければよいが、この町の猫は既に方々へと逃げ去り、今は傷を負った柿右衛門が一匹いるだけだ。例え時間をかけて集めたとしても、果たして人間を助けるために協力して貰えるだろうか……。


(……止むを得ん。気は進まぬが……)


 火車を追ってこちらへやって来た人間の目をはばかるように、トラはお千夏屋敷へと急ぐのだった。

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