八溝、動乱 其ノ八


 同じ小天狗だが性格は正反対、生真面目で何事にも真剣に取り組む五郎天狗だが、人一倍不器用で融通ゆうずうの利かない一面があった。自分より早く弟子入りしていた五郎をいつもからかっていたのは、種族も年も違う者たちばかりで寂しかったせいなのかもしれない。そういった意味では茜にとっての五郎天狗は良き兄弟子だった。



 岩嶽丸いわたけまるはさみに捕えられ風前のともしびとなっている五郎をの当たりにし、茜は全く動けずにいた。身に染みついていた経験が「もう間に合わない」と思わせてしまっていたからだ。


 天狗には人間の頃に戒律かいりつを破り天狗となったそうが多い。だが師である光丸坊天元斎からこうも聞いたことがある。仏の道を究めんとする者も天狗も、行き付く所は最終的に同じで常に隣り合わせなのだと…。


 茜は刹那せつなに願った。神でも仏でもなんでもいい、不甲斐ない自分に変わって五郎を助けてくれるなら一生恩にむくいると。その為ならどんな苦行だって受け入れていい。


だから、目の前の五郎だけは……!!


「やめて──っ!!!」


ビチャッ!!


「……」


「……ぐ…」


 捕えられていた五郎天狗の体が鋏から離れ地に落ちる。

 そして、その鋏は瞬時にバラバラとなったのだ!


「……」


「イ…イロハ…」

「……ほぉ」


 イロハだ! イロハが斬った!

 この様子を、茜と山姥は別々の場所から見ていた。


 岩嶽丸は目玉の槍を二本ともイロハの方へ向け、再び自分の腕を斬り落とした者の姿を焼き付ける。口から泡を吹き出し、憎き相手目掛けて大鋏の鉄槌を降ろした。

 土埃が巻き上がり地に大穴を開ける、そこには誰も居なかった。離れた場所で茜に抱きかかえられた五郎天狗がいた。ではイロハは……?


ズズズ──ッ!!!


 岩嶽丸は大きく体勢を崩し、斜面を擦り落ちていく、今度は踏ん張りがきかない。目をもたげると、自分の左小足が全て無くなっているではないか!


「あはっ! イロハ強すぎぃー!」

「…流石、光丸坊様が一目置くだけのことはある…!」


『うおぉぉ──っ!!』


 一斉に岩嶽丸の右小足へ群がる者たち。

 今まで隠れていた新米天狗だ!


『せーのっ!!!』


ズズズ……


 術もままならぬ未熟者たちだが、個々の力は決して侮れない。徐々に大蟹の巨体が動き始め、やがては宙を浮き回転し始めた。周囲の木々が薙ぎ倒れていく!


「あ、あいつら…!」


『いーち! にーのっ! それ──っ!!!』


 天高く舞い上がる岩嶽丸、そしてその巨体が八溝岳の麓へ叩きつけられた!

 辺りに巻き起こる凄まじい音と地響き!


「うわっ!!」

「……ぐっ!」


 やがて沸き起こる歓声、見ると岩嶽丸が仰向けとなり泡を吹いているではないか!


「す、すげぇ……う、うわっ!?」


 突然立っていたイロハは何者かにさらわれ、宙へと舞い上がる。


「もー、イロハッ! うい奴めっ! このっこのっ!」

「あ、あかねぇ!?」


 茜がイロハを抱きかかえ、天高く舞い上がった二人は岩嶽丸を眼下にとらえる。


「いくよ、イロハ!」

「勿論! いつでも来いっ!」


 イロハは脇差を抜き、頭上にかかげる。茜はイロハを抱きかかえたまま勢いを付け、岩嶽丸目掛け急降下し始めた!


『うおおおおぉぉ──!!』


 これに気が付いた岩嶽丸、水を噴こうと口を開けた。

 しかし時既に遅しっ!


ドォォォ────ンッ!!!


「あ、茜……イロハ殿っ!!」


「…やりおるわっ」


 衝撃で大蟹の破片が飛び散り、腹に大穴を開け岩嶽丸は動かなくなった。


…………


「う……ぐぐ……」

「……おーい、生きてるかー、イロハー?」


 ひょいと茜は蟹の腹から飛び出し、埋まっているイロハを引き上げる。


「うげぇ……体液でベトベト…。こいつの蟹味噌って毒じゃないよね?」


「ぺっぺっ! ひっでぇ、あかねぇ!! 途中でオラの事放したんべ!?」


「あ、いや……えと…ほら! 結界張って衝撃和らげたんだし仕方無いじゃん?」


 大蟹の腹の上で言い争う二人、その傍らに近づく影が二つ。


「……おい待てよ。他人に散々迷惑かけて、一体お前ら何のつもりだ?」


 茜が静かに怒りの声を上げると、影は動きを止めた。


『おっと、見つかったか』


 離れた場所で大きな人影はそうつぶやく。まるで鬼の様な風貌ふうぼうの男、八溝岳の寺に現れた鬼怒丸だ。その隣には狐面の者も立っている。


「何だお前ら!?」

「あいつだ、あいつが封印を解きやがったんだ!」


 二人は岩嶽丸から飛び降り、逃すまいと得物を構える。

 反応し、狐の面も苦無くないを取り出した。


「……まぁ待て。お前たちと事を構えるつもりは無い。欲しかった物はこの通り手に入った事だしなぁ」


 鬼怒丸の持っていた物は、岩嶽丸の体の一部だった。


「……それだけの為に…あたしらをこんな目に合わせて只で帰れると思うか!?」


「お互いの為だと思うがな……む?」


 辺りが殺気で囲まれ、その場にいた四人は思わず見回す。気が付けば、四方大勢の妖怪たちが集まっていたのだ。赤い目を光らせた妖怪たちは怒りに満ちていた。それもその筈、人里に突っ込ませ混乱に乗じようとしていたところ、肝心の岩嶽丸が倒されてしまったのだから。


「お互いに只では帰れぬようだな」

「只で帰れないのはあんたらだけだろ」


 茜は大声を張り上げた!


八溝やみぞの封印を解いたのはあいつだ! 岩嶽丸の財宝を独り占めする気だぞー!」


「なっ!? 馬鹿なっ!?」


 妖怪たちの視線が一斉に鬼のような男、鬼怒丸きぬまるへと集まる。 

 

『財宝だと!? どこだ!?』

『捕まえろっ!』

『やっちまえー!!』


「ぐむぅ! 欲にまみれた化け物共めがっ! 」


ブゥゥ──ッ!!


 飛び掛かって来た妖怪たちに向け、鬼怒丸は口から霧を吹いた。付近にいた妖怪は毒霧を浴びてもだえ苦しむ。その隙に狐面が煙玉を投げた。煙幕の中から叫びと鉄同士がぶつかる音が聞こえ、次第に遠ざかってゆく。


「逃がすかっ!」


『茜──!』


 声に見上げると、天狗たちがこちらへ飛んでくる。


「ゴローちゃん! もう平気なの!?」

「あぁ、この方が手当てしてくれたのだ」


 そう言って負ぶっていた者を降ろす、山姥だった。


「ふん、こんくらい天狗にとっちゃぁかすり傷みてぇなもんだ」


(…うげぇ)


「イロハッ!」

「ガネシャ! もう帰って来たんけ!?」

「天狗岩にいた天狗に声を掛け、無事に返事を預かってきたようだ」


 茜は書を受け取り、目を通す。内容は事態を重く受け止め、人里へ危険を知らせた後に仲間を集めてこちらへ向かうとのことだった。書の最後には常陸ひたちノ国の大天狗「利休坊」の印が押してある。


「すげぇ! よくやったなガネシャ!」

「ヘヘッ!」


「うーんでも大体終わっちゃったんだよねぇ……あっそうだ。封印を解いたあいつ、この先に逃げてったよ。 今こいつらだまして追わせてる」 


「なんだと!? おのれよくも…! ふん縛ってやるっ!」


 我先へと駆け出している妖怪たちに続き、五郎天狗は飛んで行った。更に続こうとする茜とイロハの前に、何を思ったのかまたしても山姥が立ち塞がったのだ。


「一人行けば十分だ! なして行ぐ! 手出したなら最後まで面倒見ろっ!」


「なしてって、封印解いた奴を追い掛けるに決まってるべ!」

「お婆ちゃーん、聞いてませんでしたかぁ? それに蟹さんは倒しましたよー?」


 山姥はすらりと太刀を抜く。突きつけられた二人は何事かと驚くが、その切っ先が後ろを指しているのに気付いた。


「この浮かれトンチキ共! 岩嶽丸があの程度で大人しくなっかっ!」

 

 振り返ると大蟹の死骸がおぞましい気を放ちながらうごめくのが見えた。

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