八溝、動乱 其ノ四


 やがて二人は山の中の一軒家に辿たどり着く。童女がかごを降ろし、戸を開けると中から独特な匂いがしてきた。


(ぐ……)


 嗅覚に長けているイロハは、思わぬ強烈な臭いに顔をそむける。


「あたしの家だ、入れ」


 中には様々な物が所狭ところせましと置かれていた。囲炉裏いろりには既に火が掛けられていて、鍋はグツグツと煮え立っている。


『そこに座れ』


 言われて中に入り、囲炉裏の前に腰を下ろすイロハ。

 しかしイロハは童女の顔を見るなり飛び上るほどに驚いた。


 目の前に座っていた白髪の童女は、恐ろし気な老婆の顔に変わっていたのだ!


「え、あ…う!?」


「ふんふん……」


 辺りの匂いを嗅ぎ始める老婆。突然何を思ったのか、イロハを掴んでその身体中をまさぐり出したではないか!


「や、やめろっ! なにすっだ!?」


「…なんじゃい、刀なんぞ持ってるから男っ子かと思っていれば娘か! 一物も無い癖に、そんなもん持ち歩いてるで無ぇ! 全く何たることじゃ!」


「そ、そうだごとオラの勝手だ!」


 がっかりしながら老婆は掛けてあった手拭いをとり、手招きする。


「こっちさこ」

「……」

「来いっちのっ!!」


 凄い力で強引に掴まれ、大きな手拭いでイロハの頭をワシャワシャと拭き始める。その痛い事、必死で抵抗するもがっちり捉えられ身動きできない。そうこうしているうちに、服を脱がされ始めた。


「や、やめてくろっ!」

「何がやめろか! そのまんまさ風邪ひいっちまーべ、このデレスケッ!」


 身包みを全て脱がされ大きな手拭いにくるまれると、老婆は箪笥たんすを開け始めた。やがて白とだいだいの浴衣を取り出し瞬く間にイロハへと着せてしまった。うんざりしているイロハを老婆は舐める様に見定める。


「……うむ、次は目と口閉じてじっとしてろ」


 顔中に粉を付けられ咳き込むイロハ。最後に紅を塗られると……。


「よし出来た! こっちさ来て見ろ!」


 そう言って台に掛かっていた布をとる。それは大きな鏡で覗くと化粧され、浴衣を着せられた自分の姿が映し出されていたのだ。


「……ぁ…」


 おのれの姿など水面に映った道着姿しか知らず、今までに見たことの無かった自分に思わず溜め息が漏れるばかりのイロハ。


「どうだ、ん? 年頃の女子おなごなら、たまにはべべ着てお洒落するもんだ!」


…………


 囲炉裏に当り、鍋汁を馳走して貰うイロハ。煮てあったのは蛇や蛙……。見た瞬間げんなりしたが、食べたことが無い訳でもなく、口にすると出し汁は旨かった。

 濡れた服は干して乾かしてくれている。いい人なのかもしれないと思ったイロハは、思い切って聞いてみることにした。


「婆ちゃんは誰なんだ? さっきは女っ子に見えてたのに……」


「見ての通りだ。緒原おはらから来たんなら聞いたことねぇか? 武茂たけもの川の向こうに山姥やまんばが住んでっから行っちゃなんねぇってよ」


「オラは那須山から来たんだ」


ゴト……。


 突然隅から物音がした。振り向くと一角が布で覆われており、音はその中から聞こえたようだ。


「…あぁ、ほっとけ気にしんな。ほっか、物ノ怪だらけの那須山から来たんか。ほんなら娘っ子でも肝がわってる筈だなや。おめぇの親も物ノ怪だんべ」


「ほだよ、オラのおとうは狛狗こまいぬだ。この前死んじまったきと……」


「おめぇのおとうは水倉みなくら蒼牙そうがっちゅう名だろう?」

「…え…?」


 山姥は後ろを向き、置いてあったなたに手を掛けた。


いやしい水倉畜生のかしらは、蒼牙ちゅう名なんだろうっ!!」


 そう言って振り返る山姥の顔に、イロハは肝を冷やした。口から長い牙を生やし、爛々らんらんと金色に光る眼は、今にも飛び出そうな位に丸く大きく開かれていた!


「お、おとうをそんな風に言うなっ!」


ダンッ!!


 鉈がイロハの膝元へ振り下ろされた! 山姥はすかさず詰め寄りイロハの顔へ鋭い爪のついた指を差す。


「おめぇのおとうは憎らしいいぬ畜生だ!! 育って帰って来た娘をたぶらかし、那須に連れ去り隠しちまいやがった!! 跡継ぎに見込みありと目付けとったのに、くたばりやがって様ぁ見やがれ、清々したわっ!!」


「お、おとうはそうだことしねぇ! それに、それに……!」


 恐ろしい顔でまくし立てる山姥に、イロハは泣きたいのをぐっとこらえる。


「まだ何だ!? ん!? あぁそうだ、よし。おめぇはあの莉緒りおっつう女の娘だ! ならおめぇがあたしの跡継ぎやれ」


「え? 何言ってんだ?」


「鈍い娘だね! あたしに代わって那珂なかの山姥になるか三途さんずの川で脱衣だつえ婆やるか決めろって言ってんだよ! ……ほれ、これ見てみろ!」


 面食らうイロハを他所に、山姥は箪笥や戸棚を開け、立派な着物や見たことの無い品々、金銀細工に赤珊瑚あかさんごの置物まで見せつけたのだ。


「どうだえ! こんなもん見たこともねがんべ? 三途の川で脱衣だつえの番すれば、皆からこうだもの貰えんだど! それにな……」


 先程の恐ろしい顔とはうって変わり、にやけながらイロハの肩を掴んだ。


「あっちの世界には色んな所の人間が集まってくんだ、中にはいい男前もいる。気性は荒かったきと莉緒はあれで中々器量が良かった。おめぇ娘なんだからそのうち別嬪べっぴんになって、男なんざり取り見取りだど! いつかはそれがわかる時も来る!」


 そう言って笑いながら、イロハの尻をパーンと引っ叩いた。


「てて……そ、そだいいなら何でオラに継がせようとすんだ! オラしねぇ!」


「もうあたしゃ、よっぱら飽き飽きたんだっ!! 脱衣の番が嫌ならこの辺りの山をおめぇがおさめろ!」

「それもしねぇ! オラは那須山、水倉家の長だ!」

「那須山なんざ天狗にみんなくれてやれ! 狗も置いてこっちさこ! ここは元々莉緒の生まれ住んだ里、娘のおめぇもここで暮らすのが道理だろ!」


「そだごど言われても……」


 すると山姥はイロハの手を取り、懇願こんがんするように顔を近づけた。


「莉緒を見つけた時、あたしゃ心底嬉しかったんだよ。数百年に一度那珂の里に生まれるかどうかの娘、それがいなくなってどれだけがっかりしたかわかるだろ? ……どうか後生だからあたしの跡を継いどくれ、頼む……」


 こう言われイロハはすっかり弱ってしまった。山姥の言いたいこともわからんでもない。しかし自分は水倉の当主で使命もある、さてどうしたものか……。


ポトッ カリカリ……


 山姥の後ろで小さな音がした。それを聞くや否や、パッと飛び上がって離れる。

 見るとそれは鉢植えの小さな木で、白くて丸い実を幾つもつけていたのだ。


 山姥は落ちたと思われる実を拾い上げ、先程と同じくどっかり腰を下ろした。


「…こいつはね、『くだん(件の化け物のこと 人面を持つ獣が生まれると言葉を話し、予言を残すという)の卵』さ。広い山の中で今起こってる事、虫があたしに教えてくれる。おめぇが天狗と別れてこっちさ来てるのも、知ってたっつうわけだな」


 心当たりのあったイロハは驚く。まさか山の中にいた雀蜂すずめばちは……。


 山姥のてのひらで動いていた件の卵、割れると中から奇妙な虫が出て来た。芋虫の様な形だが、頭に人間の顔の様な物が付いている。

 そっと指を口へ持っていき、イロハに喋らないよううながす。そしてもう片方の手で虫を掴んだまま自分の耳へ近づけた。


「……」


 じっとしていた山姥は件を潰すと立ち上がり、壁に掛かっていた太刀を掴む。


「暫くここさいろ! 戻ってくるまでにどっちにすっか考えどけ!」


 乱暴に戸を開け出て行ってしまった。


 一人小屋に残されたイロハ。

 三途の川の番か、那珂の里で山姥か。

 どっちか決めねば喰われてしまうのかと、頭を抱えて悩むのだった。

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