篭め 篭め 下章

篭め 篭め 下章 其ノ一


──葦鹿あしかの里、芳賀はがの屋敷の離れ


 母屋から伸びた渡り廊下の先にあるこの部屋は、元々は佐夜香の母が使っていた。しかし主亡くした今は『シッポウサマ』を拝む堂になっていたのである。

 廊下はうぐいす張り(踏むと音が鳴るしかけ)が敷かれ、誰かが通ればすぐにわかる。表から見えにくい場所にあり、密談をするには持って来いであった。


 そして今日、その部屋へ一人の客が来ていた。


「──織原おはらの一件で北方への足掛かりが見え始めた。だがこれ以上は機会無くして事は運べぬ」


 葦鹿のみに留まらず、ケノ国全ての掌握しょうあくを狙う佐夜香の義母、佳枝。

 しかしここに来て避けては通れぬ一枚岩がある。


 ケノ国寺社総本山、『二原にはら』だ。


 話はさかのぼるが、佐夜香と志乃が烏頭目宮うずめのみやで勝負を行った後日、佳枝は再三に渡り二原藩の二原山神社へ文を送っていた。

 内容は挨拶から始まり、共同演習、術具の共同研究等の誘いと内容様々。送る度、必ず双方にとって有益なものであり、ケノ国発展に欠かせぬものと付け加えた。


 ところが二原山からの返事はつれぬものばかりで、遂に返事すら来なくなった。

 関係強化する魂胆こんたんを見抜かれてしまったのである。


「烏頭目宮守は寺社奉行のでと憶え聞く。二原藩、烏頭目宮藩の両社へは相当肩入れをしておるだろう」


 『烏頭目宮守』とは烏頭目宮城城主、ケノ国を幕府から任された大藩主のことである。


 佳枝の前に鎮座する侍は口元をニヤリとさせ、湯呑を置いた。


「振られてしまってはさぞかし憎さも増しましょうな」


 皮肉を言われ、眉間にしわを寄せる佳枝。


「粕谷殿、貴殿の様な多忙な身が、態々軽口を言う為に来たとは思えぬが」


粕谷かすや宗次郎そうじろう』それがこの客人の名だ。烏頭目宮城主の剣術指南役を務めているが、この通り佳枝と裏で手を結んでいる。両者利害が一致し合い、城の内情を提供していた。


「如何にも。それがしは吉報を伝えに参ったのだ。二原山と手を組まずとも済むやもしれぬ」


「と、申されると?」


「近いうち、我が城は二原へ有能者を集結させ、妖怪相手に大規模な山狩りを行うらしい。無論、寺社だけでなくこちら方にも呼びがかかろう」


「二原で何が?」


 聞き返す佳枝に、宗次郎は真剣な目で答える。


「御忍びで江戸から八木はちき様(現徳川将軍 吉宗公)が参られるそうだ! 目的は途絶えていた将軍家の東照宮参拝……!」


「ほう」


 驚かせるつもりで話した筈が大した反応を示さない佳枝。幕府を目の敵としている佳枝が興味を持たない訳が無いのだが……。


「元は紀州きしゅう藩主であったか。大御所(初代幕府将軍 徳川家康公)を心酔し自ら動く人間と聞く。ふふ……先代といい近頃の幕府将軍は死に急ぐ性格たちのようじゃな」


「まさか、八木様の首を取るおつもりか!?」


 妖が蔓延まんえんするケノ国に態々わざわざ足を運ぶ、という意味で佳枝は言ったのだが、宗次郎は意味を取り違えた。

 六代、七代共に地位について間もなく死去していった徳川家の将軍たち。ケノ国に至ってはここ十数年の間に、各藩藩主が陰謀による謎の死、理由不明の移封が頻繁に起こっている。


 これら全てに芳賀家……正確には佳枝が何か絡んでいるのではないか?


「ほほほ、まさか! そんな真似をして何の得があろう。将軍の首一つ取ったところで何が変わる?」


 意外に冷静な佳枝の返答に、やはり驚く宗次郎。

 宗次郎は佳枝が、かつて栄えた忍一族の出だと知っている。今や幕府から見切りをつけられ一族は消滅……将軍家への恨みが吹っ切れているとは思えない。


 ……それとも?


「う、む。早とちりでござったわ。ここはうまく立ち回り烏頭目宮に恩を売る手はずを考えるのが筋。貴殿の養女、佐夜香か。うまく策に乗せるよう…」

「佐夜香? あれならもう要らぬ。あの阿呆が、織原で式を失い術すらままならぬようになったわ」


「なんと?!」


 義娘をあれ呼ばわりし、淡々とそう答える佳枝に宗次郎は声を上げた。


「心配は無用、代わりなら何とでもなろう」

「……」


 人は親子の情も血縁も無ければ、こういった態度をとるものなのだろうか。それにしても佳枝にとって佐夜香は貴重な手駒だったことは確かだと言うのに、一体他の誰を代役に立てると言うのか。


 畳の上に置いた湯呑を再び口に運ぶ宗次郎。

 いささかか茶が苦く感じた。


「しかしこれは参った。吉報を伝えに来た筈が悪報のみとなってしまった」

「悪報?」

「九尾の狐騒ぎをご存知か?」


 珠妃が復活した時のことである。人間の間では都から来た陰陽師が妖によって気を狂わされ、殺生石の傍で騒ぎを起こして死んだ、ということになっていた。

 里に実害があったわけではなかったので大した問題にもされず、そのまま風化されようとしていた。表向きは、だが。


「娘の方は行方が知れぬということであったが、妖にでも食われてしまったのだろう。当家の来客でもあったが出掛け先での出来事、当家には何の責務も無い」


 宗次郎は懐に手を入れ、布に包まれた何かを丁寧に広げる。


「この符に見覚えは?」


 言われてよく見ると、それは確かに呪術に用いられる符。

 符は寺社や宗派によって異なり、術者を特定する手がかりとなる。


「これは確か、八潮やしおの巫女の術符じゃ」

「数日前、殺生石からそう遠くない場所に落ちていたそうだ!」


 妖が力をつけているケノ国、烏頭目宮城では大きな事変が起きる度、調査組を派遣させ、事の次第を把握し、寺社事変奉行とは別に秘密裏で情報を収集していた。

 特に殺生石に至っては『九尾の狐伝説ゆかりの場所』ということもあり、簡単な調査だけで放っておく訳にもいかなかったのだろう。


「幸いにもこれを知っているのは城内でも数名のみ、近隣へこの話は伝わってはいない。だが近いうち寺社関係奉行、もしくは烏頭目宮で巫女を直接あらためることとなろう。そうなれば巫女が烏頭目宮守直々に目を掛けられることになりかねん!」


「……」


「星ノ宮巫女の評判はケノ国中に及んでおる。しかも巫女の身内に城内の者と親しい者がおる! 先日八潮からそれらしき坊主が一人城に来た!」


「そのようじゃな」


 先程から佳枝の様子がおかしい。

 宗次郎の話に驚きもせず、退屈そうに聞いているのだ。


「……まさか、貴殿は既に知っておられたのか!?」



『ふふふっ』



 不意に、隣の部屋から女の笑い声!


「何奴!?」


ガタッ!


 思い切りふすまを開けると、そこには一人の女が横を向き座っていた。

 小柄な体に白い装束と奇妙な出で立ちである。


『聞けば余りにも後手後手、不覚にも笑ってしまいました』


「黙れ! 貴様っ!」

「待たれよ、宗次郎殿」


 長物に手を掛ける宗次郎を、佳枝はいさめた。


「紹介致そう。こちらは『七宝業者しっぽうぎょうじゃ』殿、私の雇った我らの心強い味方だ」


「七宝業者と申します。お見知り置きを」


 茶碗についた口紅を拭くと正面を向き、丁寧に頭を下げる。

 そして頭が上がり、顔を見た宗次郎は思わずギョッとした。


 まるで骨の様に白い髪に白い肌。大きな目に小さな紅の付いた口。部屋が薄暗いせいか、瞳が金色に反射して見えた。


(こやつ、人か!?)


 怒りを忘れ、ただ茫然とする。


「して、七宝業者殿はこの件、どうお考えか?」


「お話は伺っておりますが、随分と邪魔が多いようで…。恩を着せることができないなら失脚させ、手中に収められないのなら消してしまえば良いだけの事」


「そう簡単に事が運べるなら苦労はせぬ!」


 これだから新参の言う事は…。

 宗次郎がそう思った次に、この七宝業者は妙なことを言い出した。


「八潮には少々私が細工を致しました。近いうち巫女は一人神社から離れることとなりましょう」

「勝手なことを! 一体何をした!?」


「この七宝業者殿はその名の通り、底知れぬ法力を備えておられる。更には人業離れした者たちを多数揃えておるのじゃ」


 佳枝は不敵な笑みを浮かべ、宗次郎に説明した。


「し、しかし、如何にして巫女を? 八潮の里を戦場いくさばにでもするおつもりか!?」


「いえいえ。では本題をお話ししましょう。如何に障害を除き、如何にこの国を進んでいくかを……」


 七宝業者は再び小さな笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る