篭め 篭め 上章 其ノ三


 雪に覆われた那須連山は、冬特有の静けさに支配されていた。その山奥の一角から鈴の音が聞こえる。寂しさを誘うような音色に合わせ、雪道を歩く葬儀の列……。


 無論、これは人間の葬儀ではない。

 水倉一族、先代長にして最後の那須狛狗、水倉蒼牙が死んだのである。


 数十名の大行列。野狗、天狗、近隣の山主、その他様々な妖たち……。

 黄昏時に見るその眺めは、まさに百鬼夜行そのものであった。


 チリン チリン……


 森を抜け、見晴らしの良い場所へ差し掛かると一行は足を止める。

 そこには小さな石が雪を被っていた。


「姉さん、着きました。でも『狛狗に墓無し』と聞いていたのに、墓があったなんて初耳だわ」


 白蛇の姉妹、妹のたつほが目の見えぬ姉にそう囁く。


「いいえ、水倉に墓は無い筈、おそらくは……」

「水子供養のものだ。石に地蔵の姿が掘られている」


 光丸坊天狗が呟き教える。


「では、あれは先に死んだ蒼牙様の……」



 一行の後列が追いつくと、喪主のイロハと月光が前へと進み出る。穴を掘り小さな箱を納め、土をかけると二人は頭を垂れて黙祷を捧げた。


 野狗や妖たちに囲まれ、トラはその様子をじっと見ていた。母と別れ、父を失った幼い娘、その辛さは想像を絶することだろう。涙ひとつ見せぬイロハに感極まるも、自分も決して泣くまいと堪えるのであった。


 イロハと月光が立ち上がると、縁深き者から黙祷を捧げていく。後方だったトラは自分の番が来ると、どっしりと腰を降ろし目を瞑る。


(蒼牙、お主と飲んだあの日を忘れまいぞ……イロハの事を守ってやってくれ)


 小さな地蔵の前で祈る巨体を、イロハもじっと見ていた。


(トラも来てくれてたんだ…)


 見知った姿を見て安心すると、力が抜けそうな感覚が襲ってくる。その様子に気づいてか、月光は突然イロハを呼んだ。


「イロハ、お前に見せたいものがある。来い」


 感傷に浸っていたところへ急に声をかけられたイロハは、言われるまま月光に連れられて行った。


「ありゃ、あいつらどこ行く気?」

「これ! 次はお前の番だ!」

「あ、はいはい」


 イロハに声を掛けようとしていた茜。葬儀の場で師に怒られるのを恐れ、渋々従うのであった。



 蒼牙を埋めた場所から更に奥、険しく急な登りを進んでいく。

 一体、月光はイロハに何を見せようというのか? 


「ここだ。お前が行けば崩れるかもしれん。ここでいい」



ゴォォォォ───……


 そこは風の吹き荒れる崖であった。辺は薄暗く何も見えないが、落ちれば命がないことは手に取り想像できる。上がってくる不気味な風音が、恐ろしい化け物のうなりりとも叫びとも聞こえた。


「ここが本来の……我ら水倉の『墓』だ。死んだ狛狗は骸をここから投げ落とされるのだ。誇り高き狛狗の生きた証、としてな」


「ここが、墓……」


 墓だと言われても実感せず、イロハはただ『ひどく寂しい場所』とだけ感じた。

 先ほど蒼牙を埋めた場所と比べ、まるでここは地獄の入口ではないか。


「叔父御は生前『死んだら自分の子と莉緒を待つ』と言っていた。だから火葬し骨にしてあそこへ埋めた。本来なら子であるお前が叔父御をここへ投げ入れたのだ」


「オラがおとうを!? なしてそだごどを!」


「我らは気高き一族だが、相続の儀において親殺しを行う業深き一族でもある、その因果に由来するのだろう……。亡骸は焼かれずここまで引きられ、ただ奈落へ捨てられるだけで見送りの者すらいない。古来より我ら一族はそうしてきたのだ」


「じゃあおとうも、おじいをここに?」

「そんなこと今はどうでもいい。それよりイロハよ」


 制止するかのように崖の前に立つと、月光はイロハを向いて怒りをあらわにした!


「俺にとっては先祖や狛狗の生き方など、そんなことはどうでもいい! 叔父御は常に水倉の仕来しきたりを守り生きてきた、だが俺は違う! 俺は一族の教えに従おうなどと考えてはいないっ!! 供に暮らしてきた肉親を殺めるのが狛狗の定めだと? こんな場所へ我が子に投げ捨てられるのが誇りか!? 馬鹿馬鹿しい!! 」


 せきを切って押し寄せる濁流の様に、月光は自分の胸の内をぶちまけた。今まで月光が蒼牙に従ってきたのは先祖代々の誇りの為ではない。果敢で行動ある蒼牙を尊敬し慕っていたからだ。その為なら己の思いも考えも抑え、イロハの前で鬼にもなれた!


「兄者………オラ、まだ死んだ時のことなんか考えたことねぇ。皆のことは考えてるけど……けど、まだ分かんねぇことが一杯ある! 知りたいこと、知らなきゃいけねぇこと一杯あんだ!」


 とうに迷いを捨て、信念を持とうとしていたイロハだが、先日茜に言われたことがどうしても引っかかっていた。


──掟を守れば先祖がお前を助けてくれるのか?


 そんなことしてくれる筈が無い、先祖は頼るものではないからだ。

 目前の危機において、頼れるのは自分と仲間だけだ。


 それを正直に話すイロハ。

 月光の目から険しさが消える。



「……そうだ、今はそれでいい。皆が待っている、戻ろう」


 月光は元来た道無き道を下り始める。


 イロハにはまだわからなかった。月光は古い狛狗の仕来りを真っ向から否定し、断ち切ろうとしている。それに比べ自分は常に受身で、その日その日を生きてはいないだろうか?


 自分は確かに信念は持っていた筈だ。

 それでも他人の言う事がどうしても否定できない時がある。


(不安で堪らない……志乃……)


 友を想い、遠く山向こうの人里に視線を移す。

 イロハの目をもってしても見えはせず、ただ白い山肌がそびえるだけだった

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