宵闇誘いの章 其ノ二


 花梨かりんはあさぎがイロハの首に傷をつけたことについて説明し始めた。本人にイロハを傷つけるつもりは無かったらしい。只、あの時は多忙を極めており自制が利かずに理性が飛んでしまったとのこと。


「あの時以来、大変気に病んでおられ、御二人が揃った時に改めてお詫びをしたいと仰っていた。大変失礼だが今晩辺りご足労頂けないだろうか?」


 それを聞いてトラがピクッと反応する。聞かないと言っておきながらやはり気になっているようだ。


(志乃、こいつは!)

(罠だって言いたいんでしょ)


 志乃は考えた、今まで散々自分に付きまとってきた輩である。

 だが「虎穴入らずんば」という言葉もある……。


「……いいわ、誘いに乗ってあげる。こっちも色々と聞きたいことがあるしね。時と場所を教えて」

「?!」

「お?! 志乃行くか?!」


「ありがたい! 場所はこの先の小高い丘で今宵の六つ(日没頃)では?」

「いいわ」

「オラも多分大丈夫だ」

「駄目よイロハ!?」


 一人で行くつもりだった志乃は、イロハを止めようとする。


「あさぎはオラにお詫びしたいんだべ? それにいざとなったらオラが志乃を守ってやるよ」


 志乃の肩を叩きながら得意げにニコニコ顔をされ、何も言えなくなってしまった。


「帯刀されて結構。ささやかながら宴を準備するので夕餉ゆうげはお控えなさるよう」

「ちょっと待って、教えなさい。あさぎは人間でないわね? 『妖怪』なのでしょ? 貴女は人間の様だけど、どうして妖怪のあさぎといるの?」

「……あの方はとても長い間生きておられ、妖怪の町を造り、妖怪たちを束ねていらっしゃる。そんな御方が妖怪でなくて何でおられましょうや? あの方のお手伝いをするのが私の役目、人と妖が一緒に居られる理由は貴女方がよく存じている筈」


 利害が一致し合いうまくやっていける仲なら人も妖も関係ない、そう言いたかったのだろう。花梨は一礼すると石段を降りて行ってしまった。



「お前たち正気か?!」


 花梨の姿が見えなくなると、トラが縁から飛び降りる。


「私一人で行くつもりだったのに」


 イロハを見るも、本人は聞こえない振り。


「さーてと、一旦屋敷さ戻って帰らねぇこと言わねぇと」

「今から山に帰るの?」

「うん、すぐ帰るって言って来ちまったし」

「帰るうちに夜だぞ?!」

「こうするのさ!!」


 するとイロハはその場で高く飛び上がった!

 五間(10mくらい)は飛んだだろうか?!


 そのままイロハは宙に浮き降りてこない!


「どうだ! 魂消たまげたべ!? あははは!」


 得意げにその場で宙返りしてみせた。


「ほんじゃ、またくっかんな!」


 イロハは那須山の方へと空高く飛んでいってしまった。


「なんと……一体どこであんな仙術を身につけたのだ!?」

「神様と戦ったって言ってたけど……まさか、ね」


 聞いただけでは信じられないようなことをの当たりにし、二人は暫く呆然とその場に立ち尽くしていたのだった。



 イロハが立ち去った後、納得のいかないトラは茶器を片付けている志乃に喰ってかかる。


「志乃、何故誘いに乗った? 相手が危険な奴なのは、お前もよくわかっておろう? 妖怪の住処なぞに踏み入れて何の得がある?!」

「私が断ってもイロハは一人で行ったでしょうね」

「それを見越してか? そうではないだろ! さっきの様子だと一人でも行くつもりだったのは志乃、お前の方だろうが!」


 トラの言う通り、イロハより先に即答したのは志乃。何よりイロハも行くことを渋っていたのも志乃。思惑あってのことなのだろうがそれがわからず、トラは外に出て茶器を洗うところまで付いて行き説教を続ける。


「まさかあの妖怪の腹を探ってくる気なのか? だったら判りきったこと! あの妖怪は黒だ! 尋常では無い気に加えて香の匂いがした! 香をつける妖怪は人を喰らう! 血の匂いと死臭を消し他者を欺く為にな!」


 志乃は洗い物をしながら何か考えている。

 ふと例の声に問いかけてみた。


(まだいるんでしょ? この付近に妖怪の気配はある?)


──この付近誰もいない 誰も覗いていない


「志乃、聞いておるのか? ワシは納得がいかぬままお前らが敵の罠へとはまりに行くのが我慢ならんのだ!」

「そう、わかったわ」


 声へとも、トラへともとれる返答をすると茶器を拭いて本殿へと戻っていった。

 本殿の奥、志乃は隅の壁の板を外すと箱を取り出す。


 中に入っていたのは五寸(15センチ程)針だった。


「そいつは?」

「毒針よ。妖怪殺しのね」


 仕舞われていたその針、妖怪なら一刺しで死に至らしめる殺傷力があった。志乃は毒針と言ったが針自体に毒は無い。妖怪に対する呪いや恨みが込められた代物、言わば術具に等しい。

 針を符でくるみ盆に乗せると神棚の前に置き祈祷を始める。殺傷力を上げる為では無い。その強力な力を表面上抑え込み、使うべき相手に気取らせない為である。


(まさか、あのあさぎとかいう妖怪を殺る気なのか?!)


 神棚に向かい、何やら祈祷をする志乃を見ながらトラは考えた。


(……ワシは志乃を止めるべきなのか?)


 妖怪と戦うのが志乃の生業である、危険な輩となれば尚更のこと。しかも目的も手口も正体すらも不明な相手の誘いに乗るとは。


 一旦様子を見て機会を伺ったほうが良いのではなかろうか?

 それとも今回が千期一遇の機会と踏んだのだろうか?

 ここで引き止めたら志乃の仕事を邪魔することになってしまうのだろうか?


 そんなことを考えていると、志乃が祈祷を終えこちらを振り向いた。


「トラ、これ見える?」


 そう言って右手を掲げて見せた。


「いや? 何か握っとるのか?」

「つまり見えないのね、うまくいったわ。……ちょっと裏向いてて」

「?? ……ああ、うむ」


 手に持っていた何かを置くと、志乃は巫女装束を脱ぎ出し裸となった。そして腹にサラシを巻き始める。


「……のう志乃、聞いてくれんか。お前さんが仕事をすることにワシは止めぬ。じゃがお前さんにその……覚悟はあるんか?」


 裏を向きながらトラは尋ねる。


「死ぬ覚悟ってこと?」

「それだけではない。危険を侵す程失う物も多いということだ。知らぬうちに大事な物を失って、後から後悔することもありうるということだ。年寄りの余計なお節介かも知れんが……」

「相変わらず心配症ね、トラは」


 いつの間にか支度を終えた志乃がトラを素早く抱え上げた。


「当たり前だ! ワシは!」

「大丈夫よ」


 まるで赤子を抱え上げるように、肩に担ぐとトラの背中をポンポンと叩く。


「死ぬことは元より怖いとか、ましてや後悔なんて絶対しない。そんなこと考えてたら何も出来なくなってしまうもの」


 そう言いながらよしよしと赤子をあやす様な仕草をする。

 流石に恥ずかしくなるトラ。


「それにね」


 下ろしてやると頭を撫でながら笑いかけ、こうも言った。


「私ははなからあさぎを殺しに行くわけじゃない、ギリギリまで出方を見極める。その上で敵だと判断したらその時決めるわ。イロハだってきっと分かってくれる」

「志乃……」


 そう、もう一つトラの心配していたのはそこだった。今から志乃がしようとしていることは騙し討ち。それが原因でイロハとの仲にヒビが入って欲しくなかった。


「そして万が一、あさぎを殺したとしてかたきを取りに来る妖怪がいるとは思い難い。あんなに胡散臭いんだもの、私が妖怪だったとしても近づきたくないわ。付き人に人間なんか置いてるのがいい証拠よ……里に友達がいない私の様にね」


(志乃……お主そこまで考えていたのか?)


 肝の座りっぷりに改めて驚かされるトラ!

 丸く開いた目で再び志乃を見つめ直す。


 この感じ……そうだ、莉緒りおに似ている!

 親子でも無かろうに不思議だ。

 それともこれが、星ノ宮の巫女特有のものなのだろうか?


「大丈夫、ちゃんと生きて帰ってくるわ。だからいい子で留守番お願いね」

「……その言葉、信じておるぞ」


 諦めとも納得ともとれる返答をし黙ってしまった。トラは自分よりもずっと年下であろう人間の少女を頼もしく思ったが、恐れを隠すための開き直りとも感じとれた。


 そして覚悟が必要なのは自分かもしれないと思うのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る