宵闇誘いの章

宵闇誘いの章 其ノ一


 妖怪や幽霊が出る時間は夜と相場が決まっている。出歩く人間が圧倒的に少なく、彼らにとっては都合が良いからだ。決して人間が怖いからではない。獣は狩りをする際に、まず獲物の群れを分散させてから標的を絞る。妖怪も群れ離れた人間の方が襲いやすい。

 そして彼ら『妖』が決定的に獣と違う部分がある。獣は標的を絞ると捕まえるまで追いかける。


 妖は標的を見つけてもそれをしない。

 何故なら標的が自ら誘い込まれてくれるから。



「──そう、それは大変だったわね」


 そう言うと星ノ宮神社の主は茶をすすった。


「うん」

 

 秋深まりつつあるケノ国、八潮やしおの里の神社。その本殿で当たり前のように茶を啜る妖怪と人間の姿があった。この神社に住んでいる巫女『志乃』と那須野狛狗こまいぬ一族の長『イロハ』。それと那珂なかの里の猫又『トラ』もれっきとした妖怪で、今やこの神社の留守番役である。

 今、志乃たちの話していたのは先日に起きた九尾の狐騒動の件である。事の発端はイロハの一族に敵対しているいぬが人間の祈祷師を騙し、殺生石の封印を解いてしまったことに始まる。

 何とか退けることができたが、肝心の九尾の狐『珠妃たまき』をイロハが情けを掛けた隙に、正体不明の女『あさぎ』が入り逃がしてしまったのだ。


「これありがと、もうダイジだ」


 そう言うと顔を拭いていた手拭いを返す。

 朝、声がしたので志乃が表に出てみると、何故か外で大の字で寝ているイロハの姿があった。服も汚れてしまったので今は志乃の着物を貸して貰っている。


「洗っておくから適当に置いといて」

「ふむー、しかしイロハよ、これからお主はどうするつもりだ? ワシはあの九尾が大人しくしているとは思えん。あさぎとかいう女、奴の目的もよくわからん」


 イロハが土産に持ってきた鹿の干し肉をかじりながら猫又のトラが尋ねる。


「お主が選び、那須野衆(那須野の妖怪)で決めた事、ワシらがどうこう言うことでは無いかも知れんが」

「万が一何かあって周囲に飛び火する恐れもある、そう言いたいんでしょ? 妖とのいざこざが絶えないこの時勢だもの」


 そう言うと志乃は軽くため息が出た。

 九尾の狐が復活し、今もケノ国のどこかをうろついている事を考えれば無理も無かった。事を公にすると弊害へいがいが大きいのは明らかなので誰にも相談など出来ない、信頼している小幡こばたにもだ。もし話せば、ケノ国の人間は那須野に対し大規模な山狩りを始めるだろう。


 『一切の他言無用』那須山で蒼牙そうがやおかよたちと結んだ約束でもあった。


「……オラはあの判断は間違ってなかったと思う。珠妃は約束を無下にしたりする奴じゃねぇと思うんだ」

「思う、ね。それは貴女の直感? それとも大妖怪がそこまで愚かな真似はしないっていう確信から?」

「絶対なんてもんはねぇ、それは分かってる! ほだから覚悟はしてるべ!」


 持っていた刀の鯉口こいくちを抜いて見せた。


「もうオラ一人でも珠妃は倒せる! この刀と神様がくれた力があれば!」


「神様? どういうこと?」

「神様に稽古付けて貰ったんだ! で、戦って勝ったんだぞ神様に……手加減してたかも知んねぇけど」


 それを聞くなりトラと志乃は笑い出した。


「はっはっはっ! 神を倒したか! イロハは強いのぅー」

「本当だって! 信じて無かんべ!?」

「狐か狸に化かされたんじゃない?」

「ちーがーうー!!」


 信じようとしないトラと志乃に対し、顔を真っ赤にして否定する。


「まあ確かにイロハはこの前と比べ別人のような気の流れを感じるがな」

「ほだ! 神様と戦ってオラは生まれ変わったんだ!」

「うーん……私にはよくわかんないわ」


 内心おかしくて笑うのを抑えている志乃。神を信じてない訳ではないが、神と戦って勝ち強くなった等と聞いて信じられる訳が無い。


 不意にいつもの声。


──志乃 誰かくる 余り雰囲気 良くない


(え?)


「じゃあ今から見せてやるよ! 二人共表さ出てよく見てろ!」

「あ、ちょ、ちょっとイロハ!」


 イロハは止めるのも聞かずに外に出ていこうとした。


 一方、星ノ宮神社の石段の下、鳥居の前で一人の人間が訪れようとしていた。


「ちょっとイロハ! 待ちなさいよ!」


 扉を開け出ていこうとするイロハを捕まえた。


「どうしたんじゃ志乃?」

「無闇に出て行っては駄目……嫌な予感がするの」

「……本当だ、誰か上がってこっちさ来る!」


 先程まで気がつかなかったイロハだが、志乃に言われ本殿の中から外をそっと伺う。


「気配さ消して上がってくる……よくわかったな志乃」

「ワシも気がつかんかったわ、何者だ?」


 巫女と妖怪たちは扉の影に隠れ、気配を殺して上がってくる者を待ち伏せた。


(……話し声が止んだ。流石に気付かれたか)


 石段を上がって来る者は思わず足を止めた。


(いけないな、無意識に気配を殺して歩いていたようだ。争いに来たわけではないというのに……)


 そう思いつつも、心身共に張り詰めた緊張が自らの警戒心として現れていたのだ。


(……さて、どうしたもんだろうか)


 再び歩みを進め、石段を上がりきった。案の定、神社の境内は先程までしていた話し声がすっかり止み、人の気配すら消えている。とにかく会って話さねば。思い切って声を出した。


『御免、おられるかな?』


 社の殿中に身を潜めていた志乃とイロハに戦慄せんりつが走る!

 石段を上がり声をかけてきた人物、あさぎの側に居た侍風の女だ!!


(何しに来たのかしら?)

(さあ?)

(ん? 人間か?)


 トラは顔が格子こうしまで届かず外の様子がわからない。


「おられますか? 是非お話したいことがあります」


 顔を見合わせる志乃とイロハ、だが油断は出来ない。


「今日は争いに来たのではありません。どうか話を聞いて頂きたく……。返事を頂かないことには私も帰ることができません」


(だそうだ。志乃、どうする?)

(……念の為にイロハは隠れてて頂戴)


 イロハの身を案ずる志乃、この前はイロハが殺されかけた。狙いはまたイロハなのかも知れない。


(オラはダイジだって!)

(そういう油断が危ないの! 扉を開けるわ、いいわね?)


 そう言い扉に手を掛けると、イロハは刀に手を掛け黙って頷いた。


バタッ


 観音開きの扉が開けられ中央に仁王立ちする志乃。本殿の前には花梨かりんが立っており、志乃の姿を拝むと頭を下げ一礼する。


「や!貴様は?!」


 花梨の姿を確認するなりトラが志乃の前に出、今にも飛びかからんと睨みつけ低く唸る。


「花梨、と申します……この間は誠に申し訳ないことを」

「黙れ! 一人のこのこと何をしに参った! むざむざ殺されに来たか?!」


 その時、トラより先に花梨に飛びかかった者がいた!


シャン!


 なんとそれは志乃だった!!


「……っ!」

「……」


 神社の縁から飛び降り、花梨の胸元に銀鈴ぎんりんを突きつけていたのである。志乃の銀鈴は特注で鈴の他に中央に五寸(20cm弱)程の刃が付いている。相手に致命傷を与えるだけの刃渡りは十分にあった。


「殺されても文句ないわね? あいつが何したかちゃんと憶えてるんでしょ!?」


 イロハはあさぎに首を刎ねられかけたのだ!

 刃を突きつけられ恐れおののくと思いきや、花梨は落ち着いていた。


「私は争いに来たのでは無い! それでも気が収まらないのなら刺せばいい!」

「私が刺さないとでも? 妖怪を神社に上げるような巫女よ?」

「よく知っている。だが私も役目を果たさないことには主に顔が立たない!」


 そう言うと花梨は銀鈴を掴んでいる志乃の手を握り、刃を自分の胸に近づけ始めた。


「な、何考えてんの?!」

「どうした? 刺せばいい! さすれば幾ばかは主への面目も立つ!」


カシャン


 志乃の手から銀鈴が落ち、わずかに花梨の着物のすそを切った。


「おのれ!」

「トラ!待って!」


 飛びかかろうとしたトラに、本殿からイロハが降りてきて口を挟んだ。


「話だけでも聞いてやんべ。もしかすっと、ほんとに話さしに来たのかも知れねぇ」

「イロハ、あんたこいつらに殺されかけたの忘れたわけじゃないでしょ?」


 するとイロハは志乃の肩に手を掛けると静かに諭す。


「志乃、今の志乃いつもらしくねぇみてぇだ。オラのこと考えてくれんのはいいきと冷静にならねぇと。あいつの格好見てみな、脇差はしてっけど太刀は持ってねぇ。それにこより(紙で縛ること)がしてある。少なくとも殺し合いに来た訳じゃなさそうだ」


 志乃は思わずハッとする。確かに今の自分は冷静さに欠けていた、イロハの方がずっと冷静だったのだ。


「……そこまで言うならそうしましょ、ここで死なれても困るしね」


 そう言うと落ちていた銀鈴を拾う。

 内心ほっとする花梨。


(無駄死には避けられた、かな)


「ふん!イロハに助けられたな! ワシゃ聞かんぞ!」


 機嫌の悪いトラは縁に再び上がると、罠だった時のことを考えてすぐ飛び掛かれるよう備えた。

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