星ノ巫女番外編 ケノ国九尾伝説前夜


──時は平安、鳥羽上皇時代晩期の京の都。


 一人の女性が宮廷を抜け出し、人目をはばかりながら都を後にしようとしていた。肩に深い傷を負っているが、今はそれどころではないとばかりに必死だ。

 女の名は玉藻前たまものまえ。鳥羽上皇の寵姫ちょうきであったが、上皇の側近で陰陽師の『阿部あべの泰成やすなり』に正体を見破られ、今は追われる身となっている。


 玉藻は大陸から渡ってきた妖狐だったのだ。


 大陸に比べ日ノ本は小さな島々、たかが知れていると考えていたのが命取りだった。まさかの人間、それも身内だと考えていた者からの裏切り。このまま大陸にいた頃のように世を欺き、国を動かせると完全に油断していた矢先の出来事だった。


「……はぁ、はぁ……おのれ……!」


 既に京の都では自分を探し出す者で溢れている。逃げる際に負った傷の血を、犬が嗅ぎつけ追いつかれてしまうのも時間の問題。宙を舞って逃げようものなら立ち待ち弓で射貫かれてしまう。


ワンワン!


(もう来おった!)


 都の中心部から離れているこの場所。周囲は運悪く高い塀に囲まれ、隠れる場所が無い。運に身を任せ高い塀をヒラリと飛び越し、どこかの敷地内へと逃れた。

 だが運はここでも玉藻を見放した。始めは分からなかったがここは玉藻を見破った張本人、阿部泰成縁の屋敷だったのだ。身を屈め慎重に足を運ぶも、たまたま留守を任されていた若い男に見つかってしまった!

 これは一巻の終わりか、男を殺す余力はあるが屋敷に一体何人の人間がいるのか? 静かに事を済ませられるか? 鋭い爪を隠しながら近づこうとしたその時。


「早く! 急いでこちらへ!」



 部屋の中を玉藻が見渡すと、様々な術具で溢れかえっていた。ここはあの若い男の私室のようで、男は術師の卵といったところなのだろう。

 それにしても術矢を受けた傷が癒えぬ。何か手当てできるものは無いかと見渡していたところ、丁度男が部屋へと戻ってくる。


「宮中の兵が来ましたが、追い払いました。屋敷の方々にはここへ近づかないよう言ってありますので大丈夫。それより傷の手当てを」


 いつもなら「触れるな下郎!」と払いのける玉藻であったが流石に窮地の檻、この若い男に従うのだった。年はまだ二十になっていないだろう。まだあどけなさの残る優男やさおとこの顔立ち、てきぱきとした手際が将来を有望視されていることが見て取れた。この男、この若さで医学にも通じているのか。

 それにしても何故自分を助けるのだろうか? 突然の侵入者、相手が手傷を追った若い女で助けたいというのはわかるが流石に不審に思うだろう。宮中から何も聞いていないのか? いや、先程宮中から兵が来たと言っていた、知らない訳がない。


「……何故なにゆえわらわを助ける?」

「この傷では難儀でございましょう」

「そうではない、妾が誰か知っての上でか?」

「宮廷で才女と名高き玉藻御前……そして今は、正体を暴かれ追われる身」

「なれば何故このような真似をする?」


 玉藻は顔を近づけ手を男の顔に当てがった。相手は若い男、大方色香に誘われ下心から自分を助けたのだろう。ならばそれを利用し逃走の手助けをして貰おう。役に立たなくなれば殺せばよい、どうせ憎き泰成縁の者だ。

 男は玉藻の手を握ると下を向き、顔を少し赤らめながら答えた。


「…………貴女が……母に似ていたから……」

「なんじゃと?」

「……私は生来身内がおらず、母親の顔を知りません。ですが……よく夢に出てくるその母に貴女が似ているのです。何故かは判り兼ねますが母は私が近づこうとするとお狐様に姿を変え、悲しそうな顔をしてどこかへ行ってしまうのです」


 しどろもどろながらそう話す男に、遂に玉藻は腹を抱えて笑い出してしまった。

 夢で自分に似た母が出てきたからそれを助けた? 女を口説く文句にしてみても、余りに陳腐で馬鹿馬鹿しい。母が狐に変わりどこかへ行ってしまうなどその極みだ。きっとこの男は呪術修行のしすぎで頭がおかしくなったのだろう。


「嘘ではありません、私は真面目です! ……そうでなければ我が師をあざむき、貴女を助けたりはしなかった」

「お前は泰成の弟子か?」

「一族で身寄りのいなかった私を引き取り、ここまで育てて下さいました。泰成様は聡明そうめいな御方、時期に私の仕出かしたことも見抜かれてしまうでしょう」


 ようやく笑うのを止め、身を起こすと真剣な男の眼差しを見る。泰成の親族で弟子ならこのような屋敷に住んでいるのも合点がいく。陰陽師の家系である阿部一族は、実力もさることながら宮廷での聞こえも高い。

 玉藻は男の目を見るとあることを思い出した。阿部一族の創始者は相当な使い手で確か名を晴明せいめい……。丁度百年前に没した筈だが、まさかこの男はその先祖返りというものだろうか。

 あり得る話だ、輪廻転生りんねてんせいことわりを否定しない玉藻は改めて男へ向き直すとじっと見据えた。


「……泰成様は貴女の事を話す時、悪く言ったことはありませんでした。ただ、事があれば自分が戦の先陣を切らねばならぬだろう、と……」


 やはり玉藻は以前から見抜かれていたのだ。度々泰成からは遠回しに注意を受けることがあった。直接腹を割り言ってこなかったのは事を荒立たせたくなかったのか、それとも玉藻を傷つけるのを恐れていたのか、その両方であったか。

 思えば泰成という男もそういう男であった……。


「……終わりました、貴女の生命力ならすぐに全快するでしょう」

「……世話になった。して、妾を泰成に引き渡すか?」


 すると男は部屋に置かれていた小袋とお守りの様な物を玉藻に手渡す。


「旅銭とお守りです。どこか遠方の地で、ひっそりと生きては下さりませんか?」


 流石の玉藻も驚いた。自分を逃がすというのだ。渡した銭は木の葉や石を使い足がつかないようにする為。このお守りは何だ? 魔除けか? いずれ悪事が知れ渡るこの狭い日ノ本で、妖の自分がどこで生きろというのか。


「都を離れどこまでも北東へと赴くと蝦夷えぞ(現在の北海道、東北辺りの総称)の地があります。都の華やかさは無いでしょうが、妖が太古の姿のまま生きている里があるそうです。蝦夷はまだまだ未開拓の地、そこなら宮中の手も及びますまい」


「……後悔するぞ若者よ。精々妾の気が変わらぬことを祈っておるのじゃな」


 再び顔を近づけ恐ろし気な声でそう言い放つと、男の不意を突き口をつけた。


 若者の手引きで何とか京の都を脱した玉藻であったが、その後の道程は長く険しいものだった。日ノ本は人間だけでなく妖がはびこっており、身を隠しながら徒歩での旅を余儀なくされる。戦いとなれば足がつく、若者の言う通りそれだけは避けた。


 そして玉藻は遂にとある山里へとたどり着く。宮中の手の者でも流石にここまでは追ってはこまい。玉藻はもう蝦夷地へ着いたのだと錯覚していた。

 だがここは蝦夷地ではなくその入りの口、ケノ国の那須野という場所らしい。疲れていた玉藻はこの地の守り神たちに掛け合い、暫しの間滞在することを願い出る。言葉巧みな玉藻に守り神たちも折れ、短期間ならと滞在を許した。

 野山での暮らしは栄華を極めた宮中とは違い、玉藻には耐えがたいものがあった。そんな時は若者から貰ったお守りを眺めると、幾分かは心が落ち着くのを感じた。


 しかし、そんな生活も長くは続かなかった。たまたま人里へ出かけ、些細なことを切っ掛けに一人の人間の娘を殺めてしまったのだ。それからの玉藻は止まらなかった。人間を見つけては殺め、時としてその肉を喰らった。

 玉藻の恩を仇で返すこの行いは那須野の神、妖怪、人間たちの怒りを買い、遂にはその話が京の都まで届いたのである。


 悲しきかな九尾の狐。陰陽師、阿部泰成は名だたる将らとともに二万もの兵を挙げ、ケノ国の那須野へと赴かざるを得なかったのだ。


星ノ巫女番外編  ─ケノ国九尾伝説前夜─  完


 

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