星ノ巫女 ~化ノ国物語~

木林藤二

序の章


ヒォォォォォー……



 まだ霜月しもつき(現在の十一月)だというのに冬の嵐が巻き起こるケノ国北部の山の奥。例年に無い大雪は、山麗さんろくにある人間の集落にまで影響が及びつつあった。

 誰かは言った、これは「妖怪の仕業」であると。しかし退治しようにも妖怪の住む雪山へ入ることなど自殺行為に他ならない。今は人里にさほど被害が出ている程ではなく、自ら進んで妖怪退治しようする者などいなかった。


 たった一人を除いて……。


シャン……シャン……


ザッ……ザッ……


 みのかさまとい、板鈴の付いた錫杖しゃくじょうを突き、荒れ狂う雪山を平然と歩く娘が一人。彼女の名は「志乃しの」、修験者ではない。十里ほど(現在で約40km)も離れた里で暮らしていた新米の巫女だ。

 雪の登山らしからぬ軽装。己が寒さに強いという理由以外では、功をあせってのことからか。志乃には家族が一人もおらず、神社の神主に拾って貰った義理がある。少しでも早く恩返しをしたいという思いが彼女をここへと向かわせた。


ザッ……ザッ……


(符が反応している。元凶の妖怪が近いのかしら)


 片手で握る護符がビリビリと妖気を知らせる。


 志乃は呪術じゅじゅつや術具の扱いには非常に手慣れている。時に誰も知らない術を使って見せては周囲を驚かせた。他人から教わった憶えは無い。何しろ彼女は過去の記憶が朧気おぼろげなのだから。

 志乃自身も何故自分がそうなのか深く考えたことはない。それより一刻も早く日々の生活に慣れ、一人前になろうと必死だったからだ。

 

(──何かいる!)


 雪明りの中、うずもれ倒れている何かを見つけた。人間だろうか? いや、そんな筈はない。何故ならこの山は神無月かみなづき(現在の十月)になると里人の立ち入りが禁じられてしまうからだ。しかし近づいてみるとやはりそれは人の姿をしていた。


(子供……? 怪我をしているわね。これは刀? 男の子かしら)


 見ると倒れていた子供は妙な出で立ちだった。白い衣、手にはさやに収められた刀を握りしめている。どこか酷い怪我を負っているのか辺りに点々と血の跡が。

 志乃は雪を払ってやり、声を掛けようとして即座に飛び退いた!


(妖の子だ!!)

 

 子供の頭に触れた時、獣の耳が見えたのだ!

 迂闊うかつだった、符はこの子供に反応していたのか!


 志乃は高鳴る鼓動を抑え錫杖を倒れている妖の子へと向けた。今まで妖を見てきたことはあったが、ここまで人間に似た者を見るのは始めてだ。一見歳は自分と近そうだが油断はできない。油断こそが妖怪に付け込む隙を与えるのだ。


 さてどうする、放っておくわけにもいかないが……。


(吹雪はこの妖の子の仕業では無いわね。でも、もしかしたら元凶の妖怪と関わっているのかもしれない)


 倒れるほどの怪我だ、すぐ起き上がって襲い掛かってはこまい。志乃はそう考え、血の続く先を見据えると再び歩き出そうとした、その時だった。


『おかぁ……行かねぇでくろ……』


「……え?」


 驚き、再び妖の子に近づく志乃。しかし子供は何も喋らない、寝言のようだった。少し揺り動かしたがやはり反応が無い。

 しばし考えた志乃は子を背負い、引きずるようにして戻り始めた。少し距離はあるが、戻れば先程まで休んでいた雪屋(避難小屋のこと)がある。


(私、何してるのかしら……。妖怪を討伐しに来た筈なのに……)


 妖に情けを掛けるなどあってはならないことだ。しかし今、こうして自分が妖の子を助けようとしているのは何故だ? 母が居ない同情からなのだろうか?

 自分には母との思い出などかすかに憶えているだけだというのに……。


(私もまだまだ精進が足りないのかもしれないわね)


 背中から伝わるぬくもりを感じ、錫杖の鈴を鳴らし歩いて行くのだった。


 


 1716年、江戸中頃。妖怪は人前に姿を現すことが少なくなった。だが数十年前からどういう訳か下野ノ国しもつけのくにへ集中して妖怪が現れ、人里を襲い奇妙な事件を多発させるようになった。何時しか下野は「ケノ国」と呼ばれ、忌み嫌われる国となっていたのだ。

 当時のケノ国、烏頭目宮うずめのみや藩主は妖怪討伐令を密かに発足、ケノ国にある諸藩と連携し、妖怪に熟知しているであろう各寺社へ御触れを出した。


『各寺社中、妖怪討伐を行うべし。但し討伐において自足でかかること』


 しかし、これだけでは当然事はうまく運ばなかった。そこで徳川幕府では下野への妖怪討伐援助としての特別予算を設け、更にはケノ国の寺社が特別税まで取れるという許可まで出したのだ。その多くは妖怪を退治した者への報奨金として使われる。


 これが功を奏して、各寺社では妖怪に対抗できる兵士や僧侶の教育が盛んとなったばかりか、他国から妖怪を退治しようと集まる者まで出始めたのだ。


 討伐令が発足され三十年経った今でも妖怪との戦いは続いている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る