第捌話 火中の巫女、黒き虎


 トラたちが西の集落へと着いたときには、既に炎に包まれ地獄絵図と化していた。人間たちは寺社の者、百姓町民問わず混乱に陥っている。襲われた北の集落にばかり気をとられていたというのもあるが、昼間から妖怪が攻めてくるとは誰も考えていなかったのだ。見上げる程の化け物の襲来と、あちこちから上がる火の手に里人は怯え逃げ惑うしかなかった。


 燃え盛る集落の有様を見て、女は抜刀するとトラに叫ぶ。


「クロトラ! 散り散りにならないよう皆をまとめろ! 奴らがどれくらいいるかはわからんが、バラバラに出くわさったら厄介だ!」

「お主はどうする?!」


「これ以上被害が出ないようダイタラボッチを叩く! 共に生きてまた会おう!」

「よせ! 無茶だ!」


 トラが止めるのを聞かず、女はダイタラボッチ目掛けて走って行ってしまう。


「親分! あっしらは何をすれば?」


 振り返ると自分について来た猫たちが、トラの指示を待っていた。そうだ、自分はこの里の猫の長、やるべきことは限られるが、できることをやるしかないのだ。


「よし、お前たちは三つの組に分かれ、この集落の同胞どうほうを見つけ次第しだい助けるのだ! 万が一、人間も妖怪に襲われていたらついでに助けてやれ。絶対に単独で動くな!」


『はっ!』



 大きな屋敷の中で、主を探しながら西の猫は叫んでいた。屋敷は炎に包まれており猫の子一匹入れない。もう逃げて助かったのか、それとも焼け死んでしまったのか。欲深く、人当たりの悪い主人であったが、自分といるときは優しく飯まで貰った主。西の猫は何としてでも助け出したかった。


ガラガラッ!


 突然、燃え盛る屋敷が崩れる音がした。

 そして奥から出てくる人影が! 主人か!?


 しかし期待を裏切り、中から現れたのは妖怪であった。

 槍をたずさえ、屋敷から奪った物を抱えてこっちへ向かって来る。


「き……貴様ぁぁぁ!」


 主人の大事にしていた物を奪われ、怒りに任せて妖怪に飛び掛った。だが、槍を持った妖怪はそれに気づき、素早く西の猫を叩き落す。妖怪はこの燃える屋敷の中、一体何が飛び出してきたのかと西の猫をつまみあげた。


 ……何だ猫か、猫なら喰っても旨くない。

 掴んだ猫を屋敷の奥へと放り投げた。


「ギャッ」


 二度も叩きつけられ、身動き一つできなくなる西の猫。勢い余って落ちた場所が屋敷の外であり、火の中へ投げ込まれずに済んだ。だが槍で殴られた衝撃が受身を取ることを許さず、酷く打ち付けられて力が入らない。


 不意に聞き覚えのある声がした。


『ひぃ! 寄るな! これだけは誰にも渡さんっ!』


(……御主人!!)


 顔を上げると裏出の蔵の前で、妖怪たちに囲まれている主人が見えた。小脇に金の観音像を抱えながらなたを振り回し、妖怪を追い払おうとしている。主人を助けようと西の猫が体を起こすと、目の前に大きな壁が立ちふさがった。


ズゥンッ!!


 ダイタラボッチだ!


「ひ、ひぁぁぁ──!?」 


 ダイタラボッチは足元に目をくれず、目の前の蔵を掴むと揺らし始める。そして、蔵の中に人間が入っていないことを知ると、猫の主人目掛けて手を伸ばした。


「御主人っ! やめろぉぉ!!」


 その時、不思議なことが起こった。突然西の猫は何者かに抱えられ、恐ろしい速さで燃える屋敷の前へと連れ去られたのだ。



「あぁ、お前か。助けてやって損しちまったか」


 地に下ろされ、驚いて見上げると、例の人間の女が立っていた。一体何匹の妖怪を斬り捨てたのか、抜刀した刀から真っ黒い血がしたたり落ちている。

 突如、物凄い奇声が聞こえ、ダイタラボッチが倒れこんだ!


「とろまめ! 今頃足を斬られたことに気が付きやがった!」

「蔵が崩れる! なぜ俺だけ連れて来た!? まだ人間の主人が残っていたのに!」


「へぇ、そうだったのか。生憎、あたしゃ金持ちが嫌いでね……むっ!?」


 燃え盛る屋敷の中から飛び出してくる気配を感じ、女は刀を構えた。

 見るとそれは熊の様な化け物で、人間の男を咥えている!

 化け物は女の前まで来ると男を離した。


「ひぃぃ! あわわわわ……」

「御主人! ……よかった……無事で」


 刀を向ける女に、化け物が二本の足で立ち上がる。


「待て、俺だ」 

「……これは魂消た。その声、クロトラなのか!?」


「クロトラの…旦那……」


 月の光の強い晩にだけ巨体化できるトラだったが、どうやらダイタラボッチの作り出した怪しい霧と、集まった妖気で変化へんげができたようだった。 


「妖怪ならまだしも、お主に斬られてはかなわん。妖怪の仲間と思ったか?」

「本物の黒い虎かと思ったさ! 道理で里の猫が皆ついていくわけさね!」


 金持ちの男は喋る化け猫に怯えてはいたが、やがて自分を喰うつもりが無いことがわかると地にへたり込む。自分の飼い猫が心配そうに見守る中、焼け落ちていく屋敷を見上げた。

 屋敷にいた者はもういない。化け物が襲ってくると聞きつけて、他所へ移ろうと荷造りしていたところを襲われた。身に迫る危険よりも、物に執着して動こうとしない主人を置いて、皆逃げてしまっていたのだ。唯一手元に残った観音像に、男は話しかける様に呟く。


「みんな…みんな失ってしまった……。わしはこれからどうすればいい……」

「馬鹿野郎! 今は生き延びることだけ考えろ! 後の事はそれから考えな!」


『親分──! クロトラの親分──!』


 皆一斉に声をする方を向くと、大勢の猫たちがこっちへ向かって来るでは無いか!トラを慕ってついて来た猫たち、それに助けられた西の猫たち。さらには南の集落の猫たちを、トラの利き腕の野次やじが連れて来たのだ。 


「親分! 西の猫は助けられるだけ助けやしたぜ!」

「クロトラ殿! 南の猫の長と話がつきました!」


「お前たち……野次もよくやってくれた!」


 喜ぶトラを恨めしそうに見ていた西の猫の長だったが、力無くたたずむ主人と、助けられた手下たちを見て、遂に決意する。


「クロトラの旦那、朝方はすまなかった……。動ける俺たちだけでも一緒に戦わせてくれ! ……ここまでやられて黙っていられるか! 皆もそうだろう!?」


 そうだ、そうだと西の猫たちは声を上げた。女はその様子にニヤリと笑う。


「これで軍備は万全、他の集落の人間も時期にここへくるだろう。一丁、あたしらは妖怪退治へと洒落込しゃれこむか? クロトラよ!」


「よし、皆の者! これよりダイタラボッチの首を取りに行くぞ!!」


『うぉぉぉぉぉぉ────!!!!!』


 足を引きずり集落から出て行くダイタラボッチを追って、一行は北へと向かった。

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