第質話 まほろば、炎獄と化す

 一刻(約2時間)後、トラは猫たちの会合場に現れた。集まった猫は数にして二百余、中にはまだ何も理解できぬ子猫までもが来ていた。ニャーニャーと口々にわめいていたが、トラが現れると皆一斉に黙りこくった。

 トラの後ろに人間がついて来ていたからだ。


「なるほどね。御犬様が一番偉い世の中で、この里じゃ猫が一番偉いってわけかい」


 あの女がトラの説得に応じ、共に戦うと約束したのである。一人でダイタラボッチを倒すと意気込んではいたものの、正直猫の手も借りたかったのかもしれない。

 猫の会合の場に人間が現れ仰天する猫たち。トラが事情を説明し、この人間と共にダイタラボッチを倒す旨を伝えると、猫たちの間から非難が飛び交った。


「人間と協力しろだと!? 気でも狂ったか! クロトラ!」

「化け物が襲ったのは人間だ! 俺たちには関係ねぇ!」


「この里は藩境にある、幕府の援軍が来るには時間が掛かるのだ。それまで里の人間は里を守るのに手一杯、誰かが化け物を討たねばならぬ」


 トラは口々に騒ぐ猫たちに向かい、戦える者は手を貸すようにと訴える。だがその試みもむなしく、遂には西の集落を仕切っていた猫が帰ろうとする。


「やりたい奴は勝手にやれ、俺らは余所の里へ移るだけだ」


 その時、黙って成り行きを見ていた女が、帰ろうとした猫を捕まえた。


「おまんま食うだけなら牙はいらんな! 出て行く奴は牙を置いていけ!」

「ンガガガッ…!」


「よせ!……わかった、戦う気の無い者に無理強いはせぬ!」


 慌てて止めに入るトラを見て、ようやく女は猫を離した。




「甘いよクロトラ、なぜあたしを止めた?」


 トラは数十匹の有志を連れ、再び北の集落へと向かう。その途中で女が問うた。


「優しさや道理だけじゃ子分はついて来ない。それくらいのこと長ならわかる筈だ」


「……耳の痛い話だ。だが俺は俺のやり方でやる。それをこれから皆に示す」

「あぁそうかい、ならそうしな」


 ぶっきらぼうに言い放つと、女は猫たちと開けた場所から北の山を一望した。既に化け物の噂は人間たちも聞きつけており、山の際には急ごしらえであろう、丸太柵が置かれている。さらには僧侶たちが妖怪の嫌う札をばらまき、香を焚いていた。


「周りの藩も協力すれば、もっとしっかりした対策ができたろうに。ケノ国の殿様は明主めいしゅ揃いだけど、家臣にはろくでもないのもいてさ。そこらは猫も人間も変わんないもんさね」


 気に入らない奴がいたからぶん殴ってやった、と女は付け加え、いたずらっぽく笑った。なんでもそれが原因で土地を追われ、この里に流れ着いたのだという。


「お主は城に仕えておったのか?」

「いんや、八潮やしおの里の神社に住んでたのさ。星ノ宮っていうちっぽけな社さ」


 道理で妖怪に詳しいと合点がいくトラ。それにしても不思議な女だ、人間だというのに他人の様な気がしない。恐らくはこの女も自分と同じ、幾多の修羅場をくぐってきた者なのだろう。


「ん? 何やら陰ってきたね。一雨来るか?」


 空を見上げると黒い雲に日は隠され、冷たい風が吹いて来た。

 途端、怪しげな霧が辺りに立ち込め始める。


「見ろ! おいでなすったようだ!」


 一匹の猫が山の際をさす。そこには何者かに矢で撃たれ、倒れた僧侶たちがいた。


「まだ真昼だぞ!? もう妖怪があらわれたのか!」


 トラたちは慌てて僧侶たちの元へと向かう。ここから見るに現れた妖怪は少ないが油断はできない。


 その時、うしろの方から声がした!


「で、で、でた──!! 親分!! ダイタラボッチだ!!」

「なんだと!?」


 慌てて振り返ると霧の中に巨大な影!

 西の集落へと向かって行くのが見えた!


「ここはあの坊主らにまかせて、あたしらはあいつを討つよ!」


 巨大なダイタラボッチの影を目指し、一行は走った。そして走っているうちに西の空が赤くなっているのが見え始める。


 火事だ。


 飯の支度で火を使っていた民家から出火したのか、もしくは妖怪が火を放ったのか。とにかく一刻を争う、急がねば!



 西の里では金持ちの屋敷が炎に包まれており、蔵から米や物を奪うべく妖怪たちが押し寄せていた。そんな中、燃える屋敷を見上げながら騒ぎ立てる猫たちがいた。


「兄者! 行っちゃなんねぇ、死んじまう!」

「うるせえ! 中にはまだ、俺の主人がいるんだ!」


 そう叫んで燃え盛る火の海に飛び込む猫がいた。

 西の集落を仕切っていた、あの逃げ出そうとした猫であった。


 

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