憧れに遭った日
@binzokomegane
憧れに遭った日
リカオンは、震えていた。
「あ、あわ、あわわ……」
「ハァア……ッ!!」
つい先ほどまで自分を飲み込もうとしていた、自分の倍ほどの体躯を持つセルリアン。
いくらリカオンが技を仕掛けてもびくともしなかった化け物を、割り込んできたそのフレンズは、ただの一撃であっさりと叩き潰して見せたのだ。
「……おい。どうして、こんな事をした?」
「……あっ、うぁえっ」
腰が抜けて。言葉も喪って。
背を向けたまま、突き放すように、冷たく言い放つその人へ、ただガクガクと首を振って返すことしか、出来なかった。
「自分が何をしようとしたか、ちゃんと考えろ……考えろよ」
「あ、ああぁ……あっ、あの……っ」
リカオンは、それでも必死に喉を振り絞った。
どこまでも無機質なセルリアンとは違った恐ろしさを秘めた、尖った氷柱のような鋭い声に、尚更酷く、情けなく身体を震わせながらも。
「あのっ……ヒッ、ヒグマ、さっ、わた、わたし……はっ!」
だって。
その背中は、とても、とても力強くて。
そして。
◆◆◆
再生・巨大化能力を持った、未曾有の大型セルリアンの出現によってもたらされた、パークの危機。
その、悪夢から抜け出してきたような黒い化け物が、かばんという名の少女と、彼女が友情を築いてきたフレンズ達によって倒されてから、一ヶ月の時が流れ。
今、ジャパリパークのゆうえんちでは、セルリアンの撃破とかばんが何のフレンズかわかったかを記念した催しが、彼女と特に深い絆を結んできたフレンズたちの手によって開催されていた。
「早くお代わりをよこすのです!」
「島の長に貢ぐのです!」
「あぁもう、わかった!わかったからもう少し待っていてくれよ、まだ前の注文の分ができてないんだから……」
食い意地の張った、島の長ことアフリカオオコノハズクのコノハちゃん博士とその相方を務めるミミちゃん助手に急かされつつ、必死に手元の鍋をかき回す、ヒグマの姿がその一角にあった。
慣れない手つきで火を扱い、必死に料理と格闘している様子は、セルリアンハンターとして活動している時の、冷静で剣呑とした普段の彼女の姿からは想像もできない。
「くぅ、作っても作ってもきりがないぞ……」
滲む手汗で手を滑らせないよう、布で拭き取りつつ料理と格闘する。
ヒグマがなぜこんな慣れないことをしているかと言えば、かばんを除けば、フレンズの中で臆する事なく火を扱え、料理ができるだけの賢さを持つのが彼女くらいしかいなかったからだ。
流石にパーティの主役を調理場に釘付けにするなどできるわけもなく、渋々ながらハンター業を休業とし、武器をおたまに持ち替えたのである。
「ヒグマさん!オーダー入りました、ライオンさんのところに10皿!」
「わかった!アルパカの注文分できてるから持って行ってくれ!後幾つ残ってる?」
「えっと、かばんさんのところは済んだから……タイリクオオカミさんのところに3皿、PPPコンサート会場に15皿です!」
「大きいのが残ってるな!それが済んだら休憩だ、それまで踏ん張れ、リカオン!」
「はいっ!オーダー了解です!」
「ヒグマさん。追加分のお野菜、切っておきましたよ」
「キンシコウ助かる!一旦そっちは置いておいて、リカオンを手伝ってやってくれ。量が量だからな」
「はい。忙しいですが、ヒグマさんもあまり根を詰めず、ちゃんと休憩、取ってくださいね」
「あぁ、わかってる。ありがとな」
探索・捜査能力に優れたリカオンが注文の管理と料理の運搬を引き受け、手先の器用さに優れたキンシコウは、食材をカットしつつ二人のフォローと疲労管理に務める。
長らくセルリアンハンターとして戦ってきた三人の優れたチームワークがここでも活かされ、膨大な量の注文を何とか捌くことができていた。
「アルパカさん!オーダーの品、料理10皿お待たせしました!」
「ふぁああ!待ってたよぉ!どぉぞぉ!はいどぉぞぉ!」
リカオンとキンシコウが料理を運んでくると、アルパカはいかにも心の底からといった満面の笑みを浮かべ、受け取った料理を紅茶を添え、テーブルを囲むフレンズ達へ提供していく。
彼女は普段はじゃんぐるちほーのこうざんでカフェを営んでおり、悩みを解消してくれた大切なお客さんであるかばんを祝う今回のパーティは見逃せないと駆けつけ、ジャパリカフェゆうえんち支店を臨時開店していた。
「いやありがとねぇ!私ね、料理ぃ?ってゆうの、初めて聞いてからねぇ、うちで紅茶と一緒に出してあげたらお客さん喜んでくれるかなーって思ってたんだよぉ!おかげで夢が叶ったよぉ!嬉しいなぁ!嬉しいなぁ!」
「ど、どうも……そんなに喜んでもらえると、なんだか照れ臭いですね」
「こちらこそ、ありがとうございます。是非、後で一服させてください。三人で来ますから」
「もぉっちろんだよぉ!待ってるよぉ、席用意しといてあげるからねぇ、寄ってってねぇ!」
おどおどと恥ずかしげに目を伏せ頰を掻くリカオン。
対するキンシコウは、三人の中でもセルリアンに襲われているフレンズの救助・護衛を担当する場合が多いこともあって、場慣れした様子で予約を取り付けていた。
次の注文の為にヒグマの元へ戻る途中、リカオンは感心した様子でキンシコウへ話しかける。
「やっぱりキンシコウさんは凄いですね、どんな人ともちゃんと話せて。私、アルパカさんってちょっと苦手で。あいや、嫌いじゃないんですけど、むしろ好きなんですけど。なんていうか、いつ相槌していいのかわからない、っていうか」
「ありがとう。リカオンさんは、知り合ってからまだ短い子とお話するの、あまり得意じゃないですもんね。いいんですよ、無理して気の利いた言葉を返そうとしなくっても。一緒にいて楽しいって気持ちは伝わるものですから。さぁ、残りの注文も片付けちゃいましょう」
「はいっ!」
リカオンは、返事を返しつつ、尊敬の目で前を歩くキンシコウの背を見つめる。
内気で想定外の事態に弱く、怯えたフレンズにもあまり良い対応の出来ないリカオンにとっては、どんな状況でも自然体のまま、どんな相手にも優しく寄り添い、暖かい言葉を投げかけ落ち着かせることができるキンシコウの社交力は、とても頼もしく、そして憧れるものだった。
「ヒグマさーん!アルパカさんからのオーダー完了しました!」
「わかった!次の皿もう準備出来てるから!後一息だ、頼んだぞ!」
「はい!オーダー了解です!」
(……やっぱり、かっこいいな。ヒグマさんは)
そして、今は料理に四苦八苦しているとはいえど、堂々とした様子で場を切り盛りしているヒグマもまた、尊敬の対象だ。
どんな相手や事態を前にしても怯まず、落ち着いた振る舞いを見せる冷静さや判断力。
そして何よりも、時に周りから『最強』とすら評されるほどの、圧倒的な強さ。
ただ一人でセルリアンの群れを相手取り、勝利を勝ち取れるほどの、一騎当千の実力者。
(……でも)
リカオンが本当に、心からヒグマについていきたいと思ったのは、その圧倒的な戦闘能力がきっかけではなかった。
(それだけじゃないんだ。私は、あの人のように––)
積もったオーダーを着実に遂行しつつも、リカオンは、その記憶に焼きついたヒグマの背中を、憧れに遭った日のことを、思い出していた。
◆◆◆
フレンズ化には利点と欠点がある。
利点、というのは分かりやすい。
まず、元の動物よりはるかに身体能力が向上する。
更に、動物の特性を持ったままヒトの特性が付与されるため、直立二足歩行や、言語による高いコミュニケーション能力を有しながらも元の動物の持つ優れた点……例えば、サーバルを挙げるならば、ヒトの可聴領域を凌駕する超音波を聞き取ることができ、さらに自身の背丈の数倍もの高さへ助走なしで軽々と飛び上がることのできる、優れたとして生まれ変わることとなる。
逆に欠点は、元の動物との体格や、習性などとのミスマッチが挙げられるだろう。
例えばオグロプレーリードッグを例とすると、本来は群れで巣穴を掘って生活する動物だが、何故か同一種の動物を元にするフレンズが複数誕生することは稀なため、単一の動物での群れが形成できず、更にフレンズ化に伴い体格が大きく変化してしまっている。
結果として、単独で穴を掘らなければならなくなり、更にヒト化した体格に合わせた大きさにする必要があるため、崩落の危険に悩まされることとなるのだ。
「はっ、はっ、はぁ……っ!」
リカオンもまた、そういったフレンズ化の欠点に悩まされる存在だった。
元々群れで暮らすリカオンにとって、規律のない社会というのは肌に合わない。
誰もが個人個人で勝手気ままに暮らすジャパリパークは、自由である反面、基本的に他者から必要とされることのない場所なのだ。
そういった『組織性のない世界』では自分は生きていけない。
そう判断した彼女は、このパークにある数少ない『組織』の一つに、居場所を求めたのだ。
「だ、だからって、こんなっ、オーダー……っ!」
ただっ広い平地を必死に走るリカオン、その背後に土煙を立ちのぼらせて迫る影。
リカオンの体躯のゆうに二倍はあるセルリアンは、無機質な一つ目をリカオンの背から離さずまっすぐと後を追ってくる。
仮にこちらが群れだろうと自分より巨大な敵とはまず戦わないリカオンにとって、あまりに荷が勝ちすぎる。
……まともに相手にするならば。
「ハァッ、ハァッ、見えたっ、指定ポイント……!」
サバンナの只中、ポツンとある岩場を視認して呟く。
既にセルリアンとの追いかけっこが始まってからしばらく経つが、そのペースは落ちることなく、常に一定の距離を保ったまま続いている。
1日に数十キロ以上を移動する事もあるリカオンの、強みを活かした立ち回りだ。
「オッ、オーダーッ!完了ですっ!石は頭のてっぺん!」
「わかった、後は任せろ!」
「いきますっ!」
リカオンの声を受け、岩場から二つの影が飛び出し、セルリアンを迎撃する。
一つは美しい金色の毛並みを持ったけもの、キンシコウ。
そしてもう一つは落ち着いた茶色の毛並みのけもの、ヒグマだ。
「うおおおおおおおおっ!!」
「はっ、せやぁっ!!」
ヒグマが真正面からセルリアンへ武器の熊手を振るい怯ませ、その間にキンシコウが岩場を使って飛び上がり頭頂の石へ棒を振り下ろす。
異種同士とは思えない、息のあった卓越した連携を見せ、二人はあっさりと大きなセルリアンを片付けて見せた。
「ふぅ。お疲れ様です、ヒグマさん、リカオンさん」
「は、はい、お二人もっ。はぁ、無事に済んでよかったですよ……いきなりあんな大型相手なんて、逃げ回るだけとはいえハードル高いですよぅ」
振り向き、労いの言葉をかけるキンシコウにリカオンは気弱に答える。
二人は彼女の所属する組織の仲間だ。
セルリアンハンター。
それが、食べ物にも寝る場所にも困らないフレンズたちを脅かす脅威たるセルリアンから平穏を守るため、この自己完結生の強い世界から必要とされている、数少ない組織だった。
「そんなことありませんよ。小型相手に十分経験は積んでましたし、初めての大物相手に、とても良い動きだったと思いますよ。石の位置もちゃんと発見してくれていますし」
「まぁ、走るのと、見るのが取り柄ですから……でもやっぱり怖かったですよぅ。もし追い付かれたらお二人みたいには戦えないですし」
入隊からの日の浅さにしては動きの良いリカオンをキンシコウは素直に褒め称えるが、リカオンは否定的に首を振った。
元々の動物からして、自分より小さい動物のみを狙い、必ず群れで狩りを行うリカオンは、追跡能力や移動能力こそ優れているが、単体での戦闘能力に関しては高いとは言い難い。
元々あまり強くない上まだ新人ハンターでしかないリカオンだけでは、せいぜい自分と同じくらいの大きさのセルリアンから身を守るのが関の山だった。
「この程度で弱音を吐くな、あんなのは序の口だぞ。二人は休んでいろ。私はもう少し辺りを見てくる」
「は、はい、すいません、ヒグマさん……はぁ」
キンシコウとは対照的に厳しい言葉を残し、踵を返していってしまうヒグマ。
初めて会ったと時から彼女はいつもこうで、仲間であるはずのリカオンに睨むような視線を向け、脅すような言葉を投げるのだ。
リカオンは、ハンターになってからというもの、ずっと彼女が苦手だった。
「うぅ、ヒグマさん、セルリアンより怖いですよ……」
「万が一、食べられちゃったら大変ですから。特に厳しいんですよ、新人の子には」
「分かりますけどぉ、そんなだからハンターが全然増えないんですよぅ、絶対もっといたほうが安心だし楽なのに」
「まぁ、その通りですね」
口を尖らすリカオンに、キンシコウはただ苦笑する。
現在のセルリアンハンターの構成人数は、リカオンを含めてもわずか三人。
他にもリカオンと一緒に入ったメンバーもいたのだが、ヒグマの扱きに耐えきれずに辞めていってしまった。
残ったのはリカオンだけだ。
「正直私も、やってける自信ないですよ、この先。チームなのに、ヒグマさんは全然こっちと仲良くしようって気がないっていうか、ドライっていうか……本当は一人でやりたいんじゃないかって思いますよ」
「そうですね……ちょっと、お話しましょうか。リカオンさん。はい、じゃぱりまんです」
「あ、どうも……」
じゃぱりまんを受け取り、促されるままにリカオンは岩場の陰に座った。
キンシコウも、近すぎも遠すぎもしない丁度いい距離に座る。
彼女はこういった細かい心配りがとても得意だった。
「私も、実は戦うのってあんまり上手いほうじゃなかったんです。今でも、ハンターじゃないのに私より強いフレンズの子、沢山いますし」
「そう……なんですか?」
「ええ。今のリカオンさんの方が、数倍以上もましなくらいに」
「はえぇ……」
今のキンシコウの姿からは想像もできない、信じられない話にリカオンは唖然とする。
確かにキンシコウは純粋な力の面ではそこまでではないが、頭が良く手先も器用で、その技量を持ってヒグマをしっかりと支えている。
そんな人が、自分より酷かったなどと、懐かしんでいるのだ。
「で、でも、じゃあなんでハンターに?」
「そうですね、あまり褒められた理由ではないのだけど……きっかけは、寂しかったから、かな」
「寂しかった……」
「ええ。キンシコウって、元々群れで暮らすけものだから。誰かの役に立つことで、周りと繋がりを持ちたい、って、思ったんです。セルリアンから皆を守りたい、とかじゃなくて、守ることで頼られて、必要とされたかった。今でもそう……失望させちゃったでしょうか」
「いっ、いえいえっ。ただ、意外、というか……」
キンシコウの話に相槌も忘れて聞き入ってしまっていたことに気づき、慌てて首を振る。
キンシコウは、居場所を求めてハンターになったのだ。自分と同じように。
「それで、ハンターになったけれど、初めのうちは正直なところ辛かったです。さっき言った通り、私は弱くって。周りのみんなに、よく、助けて貰ってました」
「はい……」
リカオンは俯く。
キンシコウの述懐は、そのまま今の自分に突き刺さるものでもある。
その様子を見つつも、尚もキンシコウは語る。
「特に、ヒグマさんにはよく助けられてました。ハンターになったのは私と同じくらいの頃だったのに、すごく強くって。でも無愛想で、ちょっと近寄りづらい感じでしたね」
「……それって、今も同じですよね」
「ふふっ、不器用な人なんです」
キンシコウは目を細めて微笑む。
誰にでも優しいキンシコウだが、特にヒグマとの間には、他のフレンズより一層強い絆があるのをリカオンは知っていた。
それは、同じハンターとして羨ましくもあった。
「昔から、ヒグマさんは、あまり周りとお話ししたり、一緒に遊んだりしようとしない方でした。ハンターとして仲間と協力する以上に、誰とも仲良くなろうとしていないような感じでした。だから、一度、気になってきいてみたんです。『貴女は、どうして戦っているんですか』、って。なんて答えが返ってきたと思います?」
「え?きゅ、急に聞かれても……」
(でも……確かに。なんでヒグマさんは戦ってるんだろう)
キンシコウの口から問われたその時、初めてリカオンはヒグマがハンターとなった動機について意識した。
ヒグマほど強力な力を持つフレンズならば、大概のセルリアンからは自衛できる。
そのうえ、キンシコウ以外に特に仲のいいフレンズがいるようにも見えないし、必要としているようにも見えない。
彼女は、そもそも何を求めてハンターになったというのだろうか。
「『怖いから』。ヒグマさんは、私の質問に、一言、そう答えたんです」
「怖い……から?」
「はい。本当は……凄く優しくて、臆病な方なんです。きっと、リカオンさんにもそのうち、分かると思いますよ。だって、態度には出さないけど、ヒグマさん、もう貴女のこと、凄く信頼してるんですから」
「信頼……ヒグマさんが、私を?」
「おい!二人とも!」
リカオンが新たに質問をぶつけようとしたところで、見回りに出ていたヒグマが戻ってきた。
その表情には真剣さがあり、どうやら穏便に済んだというわけではなさそうだった。
「まだセルリアンがいたぞ、もう一働きだ……どうした?キンシコウ。何かおかしいか?」
「ふふっ……いえ、なんでも。いきましょう、リカオンさん」
「あ、はいっ」
キンシコウに促され、リカオンは立ち上がり後を追う。
ヒグマに、今まで向けてきたのとは違う、興味の視線を投げながら。
「見ろ、あそこだ。大した大きさじゃないが数が多い、油断はできない」
「黒いセルリアンですか。珍しいですね」
ヒグマに先導され、岩場の陰から様子を伺う。
そこは二方を岩壁に挟まれた谷のような場所で、小型の黒い体色を持ったセルリアンが数体、彷徨うように徘徊している。
セルリアンは様々な体色を持つが、赤、青、緑の三色のどれかに該当する場合が多い。
イレギュラーな特徴を持つセルリアンは特殊な性質を有する場合があることを、ハンターたちは経験から理解していた。
「いつも通りの手順で行くぞ。リカオンがおびき寄せ、私とキンシコウで叩く。特にリカオン、お前は小さいからって自分一人で対処しようとするな。誘導に専念しろよ。いいな?」
「は、はいっ。オーダー了解です!」
「わかりました。何かあったらフォローします」
「ここは普段フレンズが使うこともある通り道だ、早めに片付けて安全を確保するぞ。それじゃ、作戦開始だ!」
「行きます!ばうっ、ばうっ!」
ヒグマの掛け声に合わせてリカオンが飛び出し、セルリアンの群れへ向けて吠える。
敵対存在に気づいたセルリアンたちは、一斉に感情のない一つ目をぎょろりとリカオンへ向け、跳ねながら近寄ってきた。
「うぅう……まだだ、もう少し引きつけて……今っ!お願いします!」
「はいっ!はっ!せやっ!」
「任せろっ!ハアッ!」
リカオンに惹かれ峡谷の入り口まで寄ってきた所で、左右から飛び出したヒグマとキンシコウが挟み撃ちにする。
地形も利用した、お手本のような連携プレーだ。
「やった、残りもこの調子で……あれ?セルリアンが、一気に引いて……」
「まずい!追うぞっ!」
「はいっ!」
「わっ、わかりましたっ!」
襲撃を受けるや否や、撃破されなかったセルリアンたちが一斉に反転、逃走の一途を取る。
あまり消極的な動きを見せないセルリアンにしては珍しい意外な行動に、リカオンは一瞬あっけに取られるが、ヒグマはすぐに後を追って駆け出し、キンシコウも後に続く。
いつ一般のフレンズが通るかも分からない以上、この場で確実にセルリアンを全滅させておきたいのだ。
(……でも、あの動き、整然としすぎている)
慌てて二人の後を追いながらも、しかし、敵の動きの中にある妙な不気味さを、リカオンは感じ取っていた。
(覚えがある、あれは、そう……)
……リカオンは群れで狩りをするけものだ。
今のハンターの基本戦術も、リカオンが二人に提案したものである。
つまりは、囮、或いは追いかけ役によって、獲物を特定のポイントへ誘導して仕留める、待ち伏せ戦法。
「……まずいっ!ヒグマさんっ!キンシコウさんっ!今すぐ引いて……っ、わわっ!?」
「リカオンっ!?」
突然の背後から衝撃に、体勢を崩し転ぶリカオン。
振り向けば、先ほどまで追っていたものよりふた回り以上もあるような大きなセルリアンが、崖から飛び降りて着地した所だった。
「ぐっ、挟み撃ち……っ、間に合わなかった……っ!」
「あんなでかいのが隠れてたのか!くそ、ここは一旦逃げるぞ、キンシコウ、リカオンを!」
「はいっ……くっ、邪魔しないでっ!」
先ほどまでとは一転窮地に立たされ、ヒグマは速やかに撤退を選択する。
しかし、二人とリカオンとの距離が離れている上に、下がろうとするたびに追っていた小セルリアンからの妨害が入り思うように助け入れない。
「走れるかっ!?リカオンーっ!」
「ぐっ……痛っ!」
(ダメだ、捻ったか、力が入らない……走れそうにない)
何とかたちあがるものの、リカオンはすでに理解してしまった。
この脚では、後ろから迫るセルリアンから逃れることは叶わないと。
(なら、後私にできることは……怖い!怖いけど……!)
「……二人とも、こいつは私が引き受けますから、早く逃げてください」
「リカオンさんっ!?何をっ!」
「時間は稼ぎます……三人共倒れになるくらいなら……っ」
(嫌だ、助けて助けて助けて……っ!)
背後からキンシコウの悲鳴を受けながら、リカオンは震える足を引きずって背後に向き直った。
その巨体で渓谷を塞ぐセルリアンは、ゆうにリカオンの二倍以上はある。
フレンズ化していないただのリカオンなら、まず相手になどしない大きさだ。
しかし、すくみ上る内心とは裏腹に、それでもリカオンは仲間のため、構えを取る。
「せめて、石の場所くらいはっ!うわあああああああああっ!!」
振り上げたリカオンの爪が輝き、サンドスターの軌跡を描いて一撃、二撃とセルリアンの身体へぶつけられる。
リカオンが、自分の『わざ』を発動したのだ。
「ハァッ、ハァッ、これで、少しは……そんな」
『わざ』の発動に伴うサンドスターの消費で息を切らすリカオン。
しかし、それはわずかに大セルリアンの表面を削るに止まっていた。
ぎろりと空虚な目玉が動き、リカオンの姿を捉える。
「あ……っ、うあ……っ、」
その余りに無機質な視線に貫かれ、言葉を失い、リカオンは後退りをしようとして尻餅をついた。
時間稼ぎ。目の前の化け物の気を引けた以上、彼女の目論見は成功したと言っていい。
しかし、すでにそんなことを気にしている余裕などなかった。
唯々、口を開け、大セルリアンが自分の身体を押しつぶして取り込もうとする様子を呆然と見つめ。
「ォ、オオォォォオオオオッ!!」
その巨体が、大きく歪んで吹き飛ぶ。
「……あ、わ」
リカオンは、震えていた。
「あ、あわ、あわわ……」
「ハァア……ッ!!」
つい先ほどまで自分を飲み込もうとしていた、自分の倍ほどの体躯を持つセルリアン。
いくらリカオンが技を仕掛けてもびくともしなかった化け物を、割り込んできたそのフレンズは、ただの一撃であっさりと叩き潰して見せたのだ。
「……おい。どうして、こんな事をした?」
「……あっ、うぁえっ」
腰が抜けて。言葉も喪って。
背を向けたまま、突き放すように、冷たく言い放つその人へ、ただガクガクと首を振って返すことしか、出来なかった。
「自分が何をしようとしたか、ちゃんと考えろ……考えろよ」
「あ、ああぁ……あっ、あの……っ」
リカオンは、それでも必死に喉を振り絞った。
どこまでも無機質なセルリアンとは違った恐ろしさを秘めた、尖った氷柱のような鋭い声に、尚更酷く、情けなく身体を震わせながらも。
「あのっ……ヒッ、ヒグマ、さっ、わた、わたし……はっ!」
「……終わりだ。今日はもう、帰れ」
「大丈夫ですかっ、リカオンさん。見せてください」
リカオンの言葉を待つことなく、背を向けたまま歩いていくヒグマ。
怪我をしたリカオンにキンシコウが駆け寄り、足の手当てを始める。
「キンシコウさん……そっちのセルリアンは」
「心配ありません。ヒグマさんが、全部倒しましたよ」
「……そう、ですか」
数は減っていたとはいえ、リカオンが大型の気を引いていたわずかな時間の間に、小型セルリアンの残党を全て倒し、リカオンの加勢に入ったというのだ。
ここにきて改めて、ヒグマの驚異的な強さを実感させられる。
(さっきのヒグマさん……声が、震えてた。泣いていた……)
しかし、リカオンは確かに、その背中に、強さだけに留まらない何かを、感じ取っていた。
「……すみません、キンシコウさん。今する話でも、ないかもしれないんですけれど。ヒグマさんが、戦う理由って」
「……はい。ヒグマさんは、すごく、怖がりなんです。傷つくのが、失くすのが、忘れるのが、怖くて怖くて、仕方がない人なんです」
穏やかに、しかし何処か哀しげにキンシコウが語る内容を、先ほどのヒグマの姿を見なければ、リカオンは信じていなかったかもしれない。
「……それでも、戦うんですね」
「だからこそ、戦うんです。自分が味わった痛みや苦しみ、寂しさを……自分でない誰かが味わってしまう事が、もっと恐ろしくて仕方ないから。自分の大好きなものが、傷ついてしまうのに耐えられないから」
「だから……なんですね」
漸く得心がいった、と、リカオンは頷く。
ヒグマがハンターを増やそうとしないのも、必要以上に誰とも仲良くしようとしないのも、恐れているからだったのだ。
自分が、もしセルリアンに食べられてしまったら、その仲良くした誰かを酷く傷つけてしまう事になる。その逆もまた、同じ。
本当は、ヒグマはみんなが、この世界が大好きなのだ。
好きが過ぎて、その手で触れる事すら避けてしまう程に。
なまじ、その強さで守り通せてしまうが故に。
独りで、全ての痛みや苦しみを、背負い続けるつもりでいるのだ。
それは、途方もなく気高く、そして、寂しい覚悟だった。
「……キンシコウさん。私、ヒグマさんのようになりたいです」
「……どうして?」
今までにない、決意の光を瞳に湛えたリカオンへ向け、キンシコウは一言、問うた。
「ヒグマさんの生き方は……かっこいいと思います。でも、凄く、寂しくて、辛いから。私も、もっとずっと、強くなって、ヒグマさんの背負ってるものを、一緒に背負っていけるようになりたいんです」
「そう……そうですか」
キンシコウは、唯、静かに微笑んだ。
まだハンターとしては頼りないリカオンも、自分と同じようにヒグマに惹かれ、共にゆく道を選んだのだ。
それは、ただ、自分の居場所だけを求めていた彼女の、大きな成長に違いなかった。
「嬉しいです、リカオンさん。ヒグマさんのこと、わかってあげてくれて」
「いえ……これからが、本番です。キンシコウさん、どうか、改めてこの先、お願いします」
「勿論です。一緒に、頑張りましょう」
頷きあうキンシコウとリカオン。
いつしか日の暮れはじめた中で、二人は遥か先……ヒグマの歩いていった、その方角をずっと眺めていた。
◆◆◆
(なんて、キンシコウさんの前では格好つけて宣言しちゃったけど)
ある種自分のルーツとも言える日のことを思い返すと同時に、先日の体たらくまで脳裏に浮かび上がり、リカオンは溜息をついた。
奇しくも相手はあの時と同じ黒い体色のセルリアンだったが、ひたすらに巨大で不気味な相手で、そこそこ経験を積んできていた筈だったのに、相対するだけでリカオンはすっかり腰が引けてしまっていた。
「ごめんなさいキンシコウさん、まだまだ私に、あの背中は遠そうです……」
「おい、何ぼうっとしてるんだ!早くこっちを手伝ってくれ!リカオン!」
「あっ、はいすいませんヒグマさんっ、只今!」
「ふふっ……」
ヒグマに怒鳴られ我に帰り、慌てて仕事の続きに戻るリカオン。
そんな二人の様子を見て、キンシコウは嬉しげに微笑んだ。
「大丈夫ですよ、リカオンさん。だって……」
つぶやき、忙しく料理に翻弄されるヒグマの背中を見やる。
もはや、あの時のような寂しい影を湛えてはいない、大きくて、力強い背中だった。
憧れに遭った日 @binzokomegane
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