春の野から生まれた駄文ミステリ

うさぎつき

第1話 

知人の今井椎名は来る者拒まず去る者追わずに楽観的にのほほんとした生活を続けてきた。大学時代から今井の性格を知っている者は借りていたアパートの屋上に穴が空いて、平成の世でも珍しいバケツで雨受け生活をしていた彼のそんなもんだと全てを納得して生きている生活スタイルにびっくり仰天と眉間に皺を寄せて、できる限り関わり合いにならないようにと彼の存在を拒んで生きてきたものだが、その付き合いも十年二十年と年月が経つうちに、平成の世にらしからぬ仙人めいた生活を貫くスタイルに狂気と畏怖を感じてまるで動物園でのんびり寝そべる珍獣を檻越しにそっと眺めるように接するのだった。

雨が降ればベランダに逆さに並べたガラス瓶に雨音が当たるのをきまぐれな音楽として楽しんで、陽が出ればこれ幸いと近所にだだっ広く伸びた河川敷に足を運んで今時子供でも摘みにこない名も知れぬ野草類をスーパーのビニール袋一杯にまで詰めて自宅に帰るのだ。

彼がそんな生活に明け暮れるようになったのは、決して時代外れのヒッピーになろうとか、社会や企業に対する一際強い反抗心が胸の奥にあったからでもなんでもない。

今井椎名はある日どこからか生まれ、またある日どこともなく何処かへと消えるような、人間としても曖昧模糊とした人物だった。むしろこの男をよく知れば知るほどに、人並みに幼少期があったことや母親の腕に抱かれる赤子時代があったことに疑いを覚えるようになる。


「だからといって俺の所に野良猫を連れて込まれても困るんだけどな。同じような存在だろうと言われても、養うからには一応の飼育義務が発生するわけで、そうなったらもう根無し草とは名乗れないでしょうさ」


さて、私が訪れたくもない今井の家屋をわざわざ訪問したのには幾つか理由がある。

一つには私が愛する小学校の児童たちが学校帰りに子猫を拾って、服を泥で汚しながらも「せんせいみてみて。かわいいでしょ」と瞳を輝かせながら必死の嘆願をしていたからであり、本来ならば可愛い生徒との約束を果たすべく私が責任を持って自宅のアパートで飼育をするべきなのだが、残念なことに私のアパートは入室の際にペット厳禁と何遍も何遍も強く念を押されるほど小動物の扱いに対しては大家がうるさくて厳しい場所なのだった。それもそのはず以前付き合っていた恋人があまりにも私よりも茶色のずんぐりむっくりを優先するせいで学校に着ていくスーツはどれも歯形が付いているか、思い出したくもないアンモニア臭の犠牲に一度にまとめて晒されるかのどちらかだったので、ペットも余計な人生のお荷物も付いてこないいっそ潔癖なまでの場所をわざわざ選んで移り住むことにしたのだ。(それにしても思い出すだけで今でも怖気が走る!)


「養うか養わないかじゃないんだ。問題はいつまでそうした根無し草精神を続けているかという点だ。重要なのは野良猫の存在ではなくてお前の魂の在り方なんだ」

「魂とは大きく出てきたな。だが魂なんて物は空想上の産物だ。人間の意識は脳で作られる。魂なんて抽象的な概念を子供たちに教え込んだら、保護者のクレームが嵐だ」

「そんなことを心配するなんて珍しいじゃないか。浮き草のような人間のくせに良くそんな発想が思い付くもんだ。いいから受け取れ。これは社会復帰に向けての一つのプロセスなんだぞ」


私がいつものように押し切ると今井はそれ以上反論する気もなく諦めたのか、またいつもの春風のような厄介事が自分の上に降りてきたことを承諾したのか、子猫の首根っこを捕まえて自分の近くに引き寄せると奇妙な軟体動物を初めて目にしたかのように瞬きしては無言で承諾して自分の上着の中に招き入れた。


春なのに寒い。

元々春の陽気は三寒四温というように寒気と暖気が交互に訪れては不安定に政局を奪い合う時期で、小学校の庭先に咲いたチューリップも咲いては縮こまり咲いては縮こまりを繰り返していた。もっともこれは単純に太陽が当たる際の現象でもあり、チューリップの開花に伴う現象だから気温の移り変わりには大して関わりはない。春といえば小学校の門まで続く桜並木に、門の中でどっしりと根を下ろした桜の古樹もなかなか見応えがある存在として立派に立ち並んでいるのだが、その樹には少々薄気味悪い噂話がある。


そんなことよりも大人たちにとっては花粉症の存在も大問題で、職員室の中も空気清浄機が連日の如く、一切の休みなく稼働している。教員たちは毎日マスクを付けているし、教室での授業ではただでさえ悪戯精神に溢れた男の子たちが騎馬戦の真似事でもしているのかと教師の付けたマスクを奪いに来る。この被害者は主に新人として入ったばかりの若い女性が中心で、赴任したばかりの彼女たちは期待に満ち溢れて笑顔で教室に入ったところで子供たちに慕われる心優しい女性教師という理想像を無慈悲に打ち砕かれる。名前と先生という呼称を叫んでやって来る子供たちは、しかし集団が生みだす悪鬼の大群なのだ。幼稚園から手加減を知らずに学校にやってきた彼らは好奇心の赴くままに教師という存在を小さな二本の紅葉で貪りに来る。ついでは体力も気力も充分に満ちた男性教員などがいいおもちゃとして扱われ、隙あらばと手を伸ばして不意打ちのタイミングで顔に髪に腹にと飛び付いて来る。傍目から見ていると何故そうして勝ち目の見えない巨大な敵にわざわざ攻撃を仕掛けにいくのか疑問ではあるが、年頃の少年にしてみれば魔物か何か邪悪な敵を想起させるらしくてどうにも興奮の一材料となっているらしい。

意外なことに子供の群が飛び掛かりに来ないのは年配の女性たちだ。体力面でも男性に劣り、新卒の女性に比べても弄りがいのある彼女たちは、しかし子供にとっては親しい身近な家族や母親を想起するらしく、その後の巨大な雷を思うと意外と避けて通りたくなる相手であるらしい。


さてさて、春といい菜の花に桜にチューリップの風物詩といい、豊富な風物詩がある中で、困った物が冒頭に挙げた野良猫と子猫の群なのだ。この春生まれたばかりの子猫たちはどれも私の片方の掌に収まるほどに小さくて、そのくせみいみいと母親を求めて鳴く声は一時間経っても泣き止まないほどに力強くて、授業の途中で鳴き声が始まってからというもの子供の集中力はみんな子猫の位置探しの方に向けられて、黒板の方をしっかりと凝視する子供は一人いればいいぐらいの有様だった。

鳴き声が聞こえ出したのは二時間目で、ちょうど中休みを挟めたことで猫探しに休み時間が当てられ、揃いも揃って教室から全員が飛び出してちいちい鳴く未確認生物の確保と保護を無事に務めることができた。とはいえ見付けた後も完全にお祭り騒ぎで、教頭先生が用意してくれた段ボールの箱を手早く広げ、その上にタオルを敷き詰めて仮の宿が完成したはいいが、その後も最前列の子供たちは私が黒板に向かう隙を盗んで入れ替わり立ち替わりだるまさんが転んだにも似た要領で箱の中を覗いては繰り返し立ち替わり素早く自分の机に戻る有様だった。

冷静沈着で人の心を持たないだの人の姿をしたロボットだのと呼ばれる私でも、わざわざ拾った子猫を同じ場所に捨てるような真似はしたくない。そんなことをして子供が悲しむ姿を想像するだけで胸は張り裂けんばかりに痛むのだが、親御から責任あって子供を預かる身としては情緒の発達を伸ばすよりも義務として知識を身に付ける道を選ぶことが何よりも重要と考えられ、このまま子猫を教室に置いていても授業にならないならば安全な場所に保護するしか道はなかった。


「それで俺の家に子猫がやってきた理由はよくわかった。けど普段は俺のことを毛嫌いしているのに、こういう時はやってくるんだからお前も相変わらずなかなかのもんだよ。でもまあ、最近は変な事件もよく耳に入ってくるし、子猫が無事なら万々歳だろ。にしてもこいつらの親猫はどうしたもんだろうね」

「変な事件とはなんだ。親猫は何処を探しても見当たらなかった。昼休みに放課後と手が空いている教員陣で探したのだが」

「おやおや。そこまで熱心に探すなんて驚いた。いや、大した事件でもないんだけど、最近はよく猫殺しとか物騒な話を聞くからさ」

「ああ、その手の事件は昔からよくあるな」

「まあ、昔からあるんだけどな」


今井は何故だか語尾を濁す口振りをした。この男に何かを隠そうとする知性も性格も判断もあるとはとは思えなかったが、追求するほどの事でもないと思い直して無視をした。後から思えばどんなに些細な情報でも入手しておくべきだと思ったのだが、私の心の片隅にあるこの男を軽んじている心がどうせまた取り留めのない話だろうと聞く気を拒んでいたのだ。


「それよりも子猫をここに置いといても困るんだけどな。里親捜しでもしないのか」

「それなら丁度写真を撮影して学校の付近に貼り出す予定だ」

「貼り出すのか……それはどうなんだろうな」


今井が危惧していたことが何かは分からないが、今井は服の中に子猫を蓄えたままごろりと床になって居眠りをした。


さて、こんな所で紹介しても仕方がないが、保護された子猫は五匹いた。茶色と白と、茶色だけと、黒地に靴下を履いた猫と、白地に黒と茶色の点々が飛んだ猫と、全体に三色が入り混じっている猫の合計五匹で、今井のアパートの隣室に住む人間はさぞかしうるさいだろうなと思った。そして何よりも今井に子猫の世話が出来るのかと不安ではあったが、昔から空を漂う雲のような生き方をしていたこいつには日本よりもずっと食生活に難がある国にも旅行に行ってきた経験もあるそうで、悔しいが俺よりもずっと生き物に対する耐性も世話する力量もあるのが事実だった。その後も生徒に報告するために毎日のようにアパートを訪れているが、子猫たちは日を追うごとに今井に懐いていった。


そんな中、一つの事件が起きた。


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春の野から生まれた駄文ミステリ うさぎつき @04-19

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