第14話 汚点
「ちょっと耳に入れておきたいことがあって」
そう言いながら、宮前修介は視線を和也に移した。
「こいつは俺の双子の弟で、宮前圭介。顔を覚えていて欲しい」
宮前は同じ顔の男をそう紹介した。
「こっちは親父。元警察官で、退職後は探偵をやっている」
「こんにちは」
「はぁ、如月和也です」
展開についていけない和也は、一応と言ったふうに頭を下げた。
「俺にとっては又従兄弟、聡子にとっては従兄弟になる。和也は聡子と同じ年だ」
「わかりました、覚えておきます」
「んじゃ、圭介よろしく」
「おう」
圭介は頷いてそのまま部屋を出て行った。家に上がってきたのは父親と、宮前修介だった。
「おい、修介、おじさんまで連れて来て…」
「いやいや、大事な話だから。今、息子と一緒に探偵業をやっていてね」
一礼して和也に名刺を差し出した。物腰柔らかい男だが、スキがない、と思う和也。確かに、名刺には探偵社の名前があったが。
「つい2週間ほど前、ある親子を探して欲しいという依頼が同じ探偵仲間にあった。詳しくは言えないが、まぁ、端的にいって如月登紀子さんと聡子さんの二人を探して欲しいと言う内容だった」
公介は簡単にそう言った。
「依頼人からの補足情報として、過去住んでいた場所や複数の親族の名前もあった。遥人君の名前もあったし、遥人君のお祖父さんの如月倫人さんの名前も。和也君は、如月直也さんの息子さんですよね、君の名前もあったよ」
「それって…」
和也が言葉を失った。
「依頼内容を関係者に暴露することは我々の死活問題だ。だから全て俺の独り言、として腹に収めてくれないかな」
「それでも俺が聞いた方が良い内容、ということですか」
遥人のつぶやきに、公介は頷いた。
「依頼を受けた探偵というのは私の親友でもある。調査対象が多いし、調査エリアも広くなるだろうということで私に手伝ってほしいと声をかけてきた。何より、彼は修介が遥人君と一緒に仕事をしていることを知っている。だから、わざと私に振って来たんだ。こんな稼業をしてはいるが、彼とはマイルールが一緒でね。どんな依頼でも受けるわけじゃない。特に、修介と遥人君に害意を与えるような依頼を受けるつもりはない。ただね、俺たちが断っても誰か別の探偵に調査依頼をするだろうと言うほどの執着がある、依頼人にはね」
「依頼人は、橋本行孝、ですか?それとも偽名を使っていますか?」
和也は公介を真っ直ぐに見据え、硬い表情でそう言った。遥人は自分の机の引き出しからファイルを取りだし、それを二人の前に提示した。
「…この男だ」
遥人はその古いファイルを二人に差し出した。今まで、人目に触れさせることはなかった記録だ。遥人にとっては汚点と言っても良い、聡子を守れなかった自分への自戒の記録として手に入れられる情報は全てここに集約していた。
「悪い、俺は知っているよ。俺と親父と、今回仕事を振って来た親父の探偵仲間の人と調べた。黙っていてすまなかった」
修介はそう言って遥人に頭を下げた。
いつそれを知った、と言いたげに、遥人の手が止まる。
遥人は、自分の産みの両親は既に亡くなっていて、父親の親友だった如月夫妻が養子に迎えてくれたことは話してある。如月の父親は交通事故で亡くなり、以後、母である静子の手で、如月に守られながら育ったことも、亡くなった二人の父の友人である岩井が折に触れて精神的な支えになってくれたことも。岩井は母親の再婚相手ではあるが、戸籍上養子縁組していないことも話している。
大学時代に出会ったとはいえ、お互いに忌憚なく意見を言い合った。お互いの恋も夢も恋愛も知っている。遥人が修介と雪子の縁を取り持ったから今二人は別居婚という選択もできたのだ。私生活から恋愛に至るまで何事も意見を言い合った二人の間ではケンカもあったし殴りあいもあった。遥人が修介の恋愛を知っているように、修介も遥人の恋愛を知っている。学生時代、付き合った女性のことも別れた女性のこともだ。唯一修介が知らないのははるか昔の、封印した遥人の片思いしかない。
昔、父である如月秋人は生まれたばかりの聡子を見て娘に欲しいとそう言った。聡子の父である如月信也は息子が欲しいと遥人を望んだ。
息子が欲しい、娘が欲しいと言い争い、だったら二人を結婚させれば良いという酒宴での戯言が如月の仲のよさだと親族に言わしめた、事故後には幻となった遥人と聡子の婚約の話だ。
しかしそれは、遥人の気持ちの中では現実のことだった。あの夏の聡子の事件があったとき、遥人はまざまざと自分の気持ちを自覚した。聡子という少女は、いつの間にか自分の中で一人の女として花開いている。その事実に。
聡子を守れなかったことは遥人自身にも影を落とす。年齢差や、聡子が負った精神的ショックも肉体的ショックも大きかった。医者はあれほど信頼していた直也や倫人も、何も知らない従兄弟の和也との面会も許可できないと言った。回復を待たないままの面会は、聡子の生命維持の生活すら危ないと判断したからだ。だから、自分の中の最大の汚点として二度と後悔しないようにと聡子を守ると決意し、それを一切表には出さないようにと自分の気持ちは封印した。
その日以来、恋愛することに一線を引いた。
修介は遥人の心の中に「誰か」がいるのだろうと予測はしているし、それが誰かということも推測している。だが、修介はそれが「誰か」ということは口にしたことはない。あの夏の日の出来事を一切話さない親友の姿は、愛する人を護りたいという一念だった。修介はそんな親友を助けたい故に父の力を使って「知られたくない出来事」を知ってしまったのは自分の罪であり、傲慢にすぎないと自戒している。やはりあの夏の出来事は修介にとっても自分の人生への汚点なのだ。
「悪かった。大学4年の夏、約束の日にお前は戻ってこなかった。代わりに警察官が来てお前のことを調べていった。だから…。どうにかしてお前を助けたかった。理由なく殴るような男じゃないことは俺が一番良く知っている。でも…それはお前が護りたいとおもっている人たちを傷つける行為に過ぎない。俺は傲慢だった。あんなに如月の家が好きだと言いながらあの事件を境に如月の家に寄り付かなくなるほどお前は傷ついていたというのに」
修介は頭を下げたままだった。
「…もう良いよ、気にしてない」
「すまない」
「ハル兄があいつをぶん殴ったのは、聡子が許嫁だったから、だよ」
和也のその言葉に、おい、と遥人が和也を止めた。
「ああ、それも知っている。あの時、知った」
修介はあっさりとそれを認めた。
事件が起きてすぐ、穏やかで真面目な遥人が一方的に暴力を振るうということは何かあったのだと、内定が決まった制作会社の面々も、大学の学友も、教授たちも「理由なく暴力事件を起こした」とは思わなかった。その理由を教えてくれと誰もがそう言った。相手と示談もしないという遥人を、どうにか説得しようとしたし、被害者と和解するために謝罪して欲しいと誰もが願った。
だが、遥人は絶対に頭を下げなかった。
信念があって相手に暴力をふるった、社会的に許されることではないと承知しているが、これだけは曲げることはできなかった、遥人は、ただそう口にした。
自分のわがままであることは重々承知しているが、曲げられない、と押し通した。
遥人についた弁護士も、守秘義務を守るため、の一点張りで事件の内容を漏らさなかった。
暴力を振るわれたという被害者側の両親の代理人だという弁護士は、遥人の情状酌量を申し入れた。
だが、被害者本人だけが遥人を許さない、と騒いでいた。
結局、不起訴処分になった。
不起訴処分になったのは、担当した刑事が尽力し、担当した検事がその事情を斟酌した結果で、遥人は橋本を拘束するために暴力をふるったが、橋本本人には謝らないという姿勢を貫いた。
内定先の会社は、理由があったと思っているが、過去の事例と照らし合わせてみても、事情を話さない上に社会通念上許されることではないと内定を取り消した。
大学も、本来なら退学処分に相当するというのに夏休み含め3カ月の停学処分を課して終わった。不起訴処分に加え、制作会社が内定取り消しをしたことで社会的制裁を受けているとし、かなり寛大な処分だったが、学籍簿には「停学処分」の四文字は永遠に残ることになった。
その陰で、事件直後から何も話さない遥人に業を煮やして、修介は走り回っていたのである。得られた結果に絶句した。当時、手を貸してくれた父の友人ですら、怒りで声を震わせていた。
自分が受けた社会的制裁は当然の処分だ、とすがすがしく笑う遥人に修介は言葉を失った。理由がわかって、やはり自分が知っている「遥人」だったのだと安心した部分がある。だが、遥人の秘めたる想いを調査という名目で暴いた自分たちの行為に、酷く後悔したのも事実である。
事件前、時折口の端に上る如月聡子という再従姉妹の名前。
彼女の名前が上がるたびに、ふっと表情を和らげているところを見ると、遥人にとってとても大切な女性だということが分かる。彼女に対して親族以上の感情があると気が付いてしまったのは入学直後の話だ。年齢が離れているからこそ、相手を傷つけまいとゆっくりと温めていた遥人の感情に触れたと思った。だから二人は上手く言って欲しいと密かに願っていたのに、調査書にあった事件の被害者の名前は彼女だった。遥人に断りなく、秘密を暴いた事実に未だに後悔している。
だから、今まで、何も話さないで「知らないふり」でいたのだ。
遥人はため息をついてとんとん、と頭を下げたままの友の肩を叩いた。
「悪い、言うわけにはいかなかった。俺は聡子を助けられなかったから。まぁ、今は今後そんなことが無いようにあいつを守るだけ、って思えるようになったが。当時はそこまで大人じゃなくてな。悪かった」
さらりと遥人はそう言った。
「で、今後の話だが。依頼者の隠し撮りをしていてだな」
公介が差し出した数枚のカラー写真を、遥人がファイルしている橋本の写真と照合する。誰がどう見ても間違いなく同一人物だった。年齢は重ねていたが。
「やはり、同一人物か。これからどうするかが問題だな。現段階では依頼自体を保留にしてあるから時間稼ぎはできるだろうが、な」
「ハル兄」
「おじさん、申し訳ないですが、その依頼を拒否することはできますか?おじさんに迷惑がかかることになる。今の居場所を知ったら、この男は一直線に聡子を狙ってくる。きっと」
「お前…」
「じゃぁ、聡子ちゃんと既に接触しているということかな?」
「瀬川を退職したのは、偶然見かけた聡子に対して公開プロポーズやったのが引き金だ。だから聡子は会社に行けなくなって、追い詰められて何も食べられなくなった」
和也はそう言った。その言葉に本当なのか、と修介がため息をついた。
「あれだけ聡子に執着していたんだ、多分、来るよ」
「ハル兄…またぶん殴るとか言うなよ?」
「俺はやるよ。何度でも。聡子があの男と一緒になって幸せになるなら邪魔はしない。でも、聡子はあいつを今でも憎んでいる。あいつを殺したいくらいに」
「今度は俺もやる。黙ってみてるだけなんて嫌だ」
和也が吐き捨てるように言った。
「和也」
「和也君も、知っているのか?」
「俺が親父から正式に話を聞いたのは高校生の時です」
「そうか。…で、瀬川を退職したって何の話だ。というか、対策を立てる前にお互いに情報のすり合わせが必要だな」
「そうですね。その方が助かります。おばさんの病院にも橋本が来たので、今如月は厳戒態勢なんですよ」
和也がそう言った。
「勤務先の病院に押し掛けたということかい」
「ええ。出所したんだから聡子ときちんと婚約させてくれ、というようなことを言ったと言っています」
「わけわからん」
ぶすっと遥人はそう言った。
「本人には?」
「いや、俺も和也から聞いたばかりで」
「帰る車の中で親父から電話があったんだ。だから聡子ちゃんには話していないよ。今、業務の後処理任せて事務所にいる。何も話していないから知らないぞ」
今まで一緒にいた修介はそう言った。
「知らせるか?当面外回りさせるか?」
「あいつの狙いが分からないから出歩くのは危険だな。目が届かないところで接触されたら、発作を起こす可能性が高い。動けなくなったらあいつの思うつぼだ」
「手配が付いたら内勤させるか。明日はそもそも朝便はなかったよな?」
「ああ」
修介が遥人と話しながら次の仕事を頭の中で組み立てる。その横で和也と公介が情報を摺り合わせはじめた。
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