135.Re:BirthDay


「はああああぁぁぁっ!」 


 月に出現した虹色の球体――人類の統合意志へと、神谷は連続で拳を叩き込む。

 凄まじい乱打に吹き飛んだ球体はバウンドしたかと思うとぴたりと空中で静止してみせた。

 手応えはある。だが外見があまりにも生物からかけ離れすぎているせいか、ダメージを与えているという実感がない。


「くそ、ぬかに釘打ってるみたい……!」


 それでも手を緩めるわけにはいかない。

 真下へ潜り込み全力で蹴り上げると、球体は10m以上真上にすっ飛んだ。

 

「まだまだあああ!」


 浮き上がった球体に対し、さらに真下から連続蹴りを食らわせどんどん持ち上げていく。重さは無い……ようで有る。月の重力を鑑みれば本来もっと重かったのかもしれない。

 今のところ攻撃は通用している。できるだけ攻め続け、攻撃対象をこちらに移すことができれば勝機はある。とにかく時間を稼がねばならない。


 しかし『通用する』という慢心――心の隙を、統合意志は容赦なく突く。

 神谷のキックを回避するように、空中で球体が真横に跳ねた。何もない場所でバウンドしたように見えた。物理的にあり得ない動きだ。


「な……」


 上昇していた神谷は対象を見失い、動揺によって空中での制御を失う。

 そこへ球体は横殴りに神谷へと激突した。


「がっは!」


 ダメージはさほどでもない。

 しかしこのスピードで、この角度で吹き飛ばされた場合――そのまま月の重力圏を離脱する。

 まずい、と冷や汗をかく。宇宙空間では引っ掛かれるものが何ひとつない。風のベールはまだ機能しているが、宇宙での活動を可能にする以上の機能は無い。よくこんな異能で今まで戦っていたものだ、と内心で園田を称賛し――しかしそんなことをしている場合ではない。


 神谷は両腕の黒闇を展開、全身を包む。すると次の瞬間には月面の大地に立っていた。

 空間に穴を生み出し繋げ、移動する。地球から月へと移動するときにも使った機能だ。


「……っ、はあ、はあ……!」


 だがそう何度も使える力ではない。

 この移動能力は体力の消耗が激しい。疲労困憊の神谷には自らを追い詰める刃にもなりかねない。

 

 そして息をついている場合でもない。

 人類の統合意志が、攻撃に移っている。


「斧……ッ!?」


 球体はぐにゃりとその輪郭を崩す。

 変形し、出来上がったのは斧。それも人間が原始の時代に使用していた石斧にそっくりだった。しかし武骨なシルエットに反しその色は虹色。ある種幻想的なその武器が、神谷へ向かって振り下ろされる。


「こんなの防げないって!」


 とっさの判断から真横に跳ぶと、神谷のいた場所が爆発した。

 ただ振り下ろしただけで莫大な砂塵が舞い上がり、竜巻のような現象を引き起こした。ただの一撃で、月の形状がわずかに変わった。


 そして暴風に打ち上げられた神谷を次なる攻撃が襲う。

 すでに球体へと戻っていた統合意志は次なる変形を始めている。表面にいくつもの突起が生まれ、出現したのは無数の矢だった。勢いよく射出された矢の群れは空中にいる神谷を容赦なく襲う。


「うああっ!」


 何本かが身体のあちこちに突き刺さる。

 それを力任せに引っこ抜くと全身を貫くような痛みが駆け巡った。

 放り捨てた矢は空中で霧散する。これなら無理に抜かなければよかったと歯噛みした。


 そうしている間にも統合意志は再び変形を始めている。

 出来上がったのは銃。火縄銃と呼ばれた原始的な武器。そしてその銃口は、遠くにいるルナに向けられている。


「やばい!」 


 この距離では間に合わない。

 射撃を妨害することもできない。

 ならば、と神谷は再び黒闇によって瞬間移動。ルナの前に立ちはだかり、放たれた虹色の弾丸を両手で受け止めた。

 

「があああああああああぁぁぁっ!」


 直径は神谷の身長と同程度の大きさを誇る銃弾だ。凄まじい威力に、銃弾の回転。

 それが神谷を押し込んでいく。

 だが、ここで引くわけにはいかない。絶対にルナを傷つけさせない。


「沙月!?」


「だい……じょうぶ、大丈夫! カガミさんは集中して!」


 その叫びとともに銃弾は停止し霧散する。

 少なくない血が零れた。裂けて破れて、ぼろぼろになった神谷の手のひらからだった。

 気絶しそうな痛みを潰すように両手を握りしめる。

 あとどれだけ戦えばいいのかはわからない。だがもう後がない。全身ボロボロで立っているのがやっとだった。


 だからこそ――後先考えずに力を出し切る時だというのがわかった。


「……絶対に帰る。約束したもんね、みどり」


 遠くに見える青い星で、今も自分の帰りを待ってくれているであろう彼女に想いを馳せ、勢いよく駆け出す。

 迎え撃つように二発目の銃弾を放つ統合意志――それに対し神谷は、


「借りるよアカネ!」


 深紅の大鎌がその手に生み出された。

 正面から迫る銃弾。それに対し、臆することなく大鎌を振り抜き両断する。

 動揺したのか虹色の球体に戻る統合意志。それを合図に神谷は黒闇による瞬間移動を使う。


「らあッ!」


 意趣返しのごとく、真横から殴り飛ばす。すかさず吹き飛んだ先に転移、今度は上へ吹き飛ばす。

 だがその先にも神谷が回り込んでいる。みたび球体は殴り飛ばされる。

 

 転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る。転移。殴る――――――


「うあああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 高速連続転移による全方位からの連撃。

 球体は全く抵抗できない。変形しようとしても即座に叩いて均される。まるで打撃の檻に捉えられたようだった。

 しかし神谷もまた追い詰められていた。連続での転移は身を削る。弱った今の状態ならなおさらだ。

 

(時間が来るまでこれを続ける! これならあいつだって何もでき――――)


 その時だった。

 喉からせり上がってきたものを思わず吐き出すと、真っ赤な血が宇宙空間に撒き散らされた。

 ふ、と一瞬で全身の力が抜ける。たった今、神谷の身体は限界を迎えた。いや――とっくに限界など越えていた。そしてこれ以上はもう何もない。


 目の前には虹の球体。それはぎゅるりと姿を変え――ウニのように全方位へ長い棘を伸ばす。

 その棘は無抵抗の神谷の全身を貫き、引きちぎり、穿った。

 べしゃりと地面に落ちる神谷。そこへ球体は追撃を始める。

 戦闘機のように姿を変えた統合意志は何機ものミサイルを放つ。虹色のミサイルは空を駆け、すでに虫の息だった少女の元へと飛来、大爆発を起こした。




 爆発の、その直後。

 ルナは『月の涙』の中断シークエンスを完了させた。

 5分もかかっていない。想定よりも早いスピードでそれが終えられたのは、神谷へと報いるためでもあった。大罪を犯した自分を見捨てなかった神谷が戦っているなら、自分もまた死力を尽くさねばと。

  

「沙月! 終わったよ、これで……」


 その時。

 傍らに転がってきたものが何か、ルナには一瞬わからなかった。

 とにかく赤い。その赤は細い川のように流れ、乾いた月面を濡らした。


「うそだ」


 それは。

 その真っ赤な何かは。

 まごうことなき神谷沙月だった。


 左目は抉れて無くなっている。左腕もちぎれているし、右足首から先も吹っ飛んでいる。脇腹は内臓ごと抉れ、全身のいたるところに穴が開いていた。傷ついていない部分を探す方が難しい――そんな状態だった。


 本来ならとっくに死んでいるはず。

 だが神谷の持つ力が、自動的に空中へと解き放たれた『月の涙』のエネルギーを吸収しているのだ。しかしそれでも消耗の方が早い。このままでは間もなく本当に死んでしまう。

 

「い、いやだ、いやだ、沙月……ごめん、本当にごめんなさい……!」


 激しい後悔がルナの胸を苛む。

 ルナがエラーに侵された結果神谷を生み出し、ここまで追い詰めることになってしまった。


 いったい自分はどれだけこの子を苦しめれば気が済むのか。これではすべて終わりだ。


 人類は助かるだろう。しかし神谷がいなくなっては何の意味もない。なんのために今まで戦ってきたというのか。この罪は、今まで生きてきた数十万年をすべて費やしても償い切れない。それだけ重い罪を犯してしまった。


 ルナは自分の頬に熱いものを感じた。手を添えてみると濡れている。涙が流れているのだ。生まれてから今までの、気が遠くなるほど長い時間で、初めての涙だった。


 愁嘆に暮れ、地面についたルナの手に、別の手が添えられた。


「沙月……?」


「ぁ…………カガミさん…………」


 倒れた神谷が、残った右目だけでルナを見ている。

 しかし目を開けているだけで、おそらく何も見えていない。瞳の光が抜け落ちている。


「沙月……っ! もういい、しゃべらなくていい……もうこれ以上……!」


「カガミ、さん……みんな……わた、しの……たいせつなひと、たち……まもるから……ぜんぶ、わたしが……まもる……から……」


 うわごとのように、ただ繰り返す言葉。

 おそらく意識もはっきりしていないのだろう。死の淵ぎりぎりで、それでもと謳い続ける。

 今度こそ、涙が止まらなかった。この命は失わせてはいけない。どんなことをしてでも絶対に。


 統合意志が近づいている。

 ルナを消し去ろうと、審判を下そうとしている。


 何かないのか。この少女を助ける方法は。

 思考を巡らせ、巡らせ、巡らせ――そしてたどり着く。


「沙月――わたしを吸収して。君の力で、わたしを……!」


 その言葉が本当に届いていたかどうかはわからない。 

 意識どころか命が消えかけている神谷。しかし彼女はルナの訴えに、確かに頷いた。


 黒闇が噴き出す。ルナを包む。

 黒い霧の塊は渦巻き、神谷の身体を包み、そして――そこにひとつの卵のようなものが産まれた。

 黒いようにも、白いようにも見える卵。それはどくん、どくん、と脈打っている。その振動がどこまでも広がっていく。


 統合意志は近づけない。卵の放つ波動がそれを妨げている。

 そして、卵に亀裂が走る。一筋だけのそれはいくつも生じ、枝分かれし――その時が来る。


 もとはひとつだった。

 全能だったその存在は、しかしとある少女によって引き裂かれる。

 月はバラバラに砕け、あちこちに飛び去り――だが。

 ようやくすべてがここにひとつになった。

 片割れの月と月。そのふたつが合わさり満月となる。完全なる1に姿を変える。


 それは幼さを残した、美しい少女だった。


 髪は右半分が黒。左半分は白。

 右の瞳は黒く、左は金色。

 漆黒の羽衣を身に纏う、神谷沙月とも、ルナとも違うその姿は、これまでの旅路が手繰り寄せた一瞬の奇跡。


 遠く離れた青い星が、新たな誕生を祝福するかのように瞬いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る