113(-522).求めた景色がここにある


 怒号が響く。

 羽が舞い散る。

 戦いは続いている。


「ぐおっ!」


「きゃあああっ!」


 悲鳴が時折上がり、そして聞こえなくなる。

 もう一時間は戦っていただろうか。

 天使兵は三体減ってあと七体。対してあたしたちは約半分の11人にまで減っていた。


「こっのお!」


 あたしが放った渾身の一振りを、天使兵は空中に飛ぶことで回避する。

 相手は飛べてこちらは飛べない。それだけの事がなにより厄介だった。

 リーダーは向こうのリーダー格の天使兵――他のものより鎧が豪奢な個体を抑えるので精いっぱいで他に手が回らない。

 あの天使兵は強い。戦いの最中に横目で見るだけでそれがわかる。それでもきっとリーダーならと信じて武器を振るう。

 

 滞空しこちらを見下ろす天使兵。

 余裕ぶっているのか、それとも追い詰められているのか……だが、関係ない。

 

「打ち落としてやるわ」


 携えた大鎌を力任せに振るう。

 すると三日月形の赤い斬撃が天使兵に向かって一直線に飛ぶ。

 最近習得した技だ。異能スキルは敵を倒すほど強くなる。そして他の仲間より数多くの戦闘をこなしているあたしの成長度も随一。あたしが一番強くなれば、他の人が戦う必要もなくなる――そう考えて。


 だがその斬撃は回避される。自由飛行が可能な天使兵にとってそれくらい造作もないことだ。

 しかしここまでは織り込み済み。あらぬ方向に飛んで行った斬撃は空中でぴたりと停止、くるくると回転したかと思うと――向きを変え戻ってくる。それはまるでブーメランのように。

 

 意趣返しのつもりか、手に持った槍を投げつけようと構える天使兵――その背後から襲い掛かった赤い斬撃が天使兵の胴を真っ二つにした。


「よし! ……あれ?」


 がく、と視線が下がる。 

 いつの間にかあたしは膝をついていた。すぐに立ち上がろうとするがうまく足に力が入らない。

 めまいがする。視界が回る。倒れないようにするだけで精いっぱいだった。


 ここにきて、疲労が牙をむいた。

 連日の戦闘。充分でない睡眠。そういえば最近は食事もろくに喉を通らなかったっけ――今更のように思う。

 異能スキルというのは何の代償もなく使えるものではない。使えばその分疲労する。それは肉体だけではなく、精神的にもだ。

 気づかないうちに、あたしの身体は蝕まれていた。

 そう。


 うずくまるあたしを正面から狙う、他の天使兵の攻撃を回避できないほどに。


「あ――――」


 間の抜けた声が喉から漏れる。

 これは死ぬ。朦朧とする意識の中で、あたしは不思議と確信できた。その未来を受け入れていた。

 これでこの世界に生きずに済む、戦わないでよくなる――そんな一種の解放感を味わった。

 どうしてこんなことになってしまったんだろうと、いつだって心の奥底で考えていた。この現状を嘆いていた。だから、もうここで終われるならと……ああでも、お姉ちゃんが悲しんじゃうかな――


「紅音ーッ!」


 そんな中、リーダーの声が聞こえて――盾を捨てて彼はあたしに覆いかぶさる。

 その背中に、天使兵の槍が無情にも突き刺さった。

 ごぼっ、という湿った音とともに吐き出された血があたしの胸元を濡らす。


「あ……な、なんで」


「……お前のことを……守って、やってくれと」


 姉のことだ。きっとここに来る前――あるいはもっと前から、そんなやり取りを交わしていたのだ。

 だけど、そんな約束を律儀に守る必要なんてない。ましてや自分の身を投げ打ってまで。

 リーダーの身体から力が抜け、そのまま地面に倒れる。

 恐ろしい勢いで血が流れ続ける。どうやっても止まらないだろうことが、素人のあたしにもわかった。


「だからって……! リーダーよりあたしが死んだ方がいいに決まってるじゃない!」 


「げほ、それは……違うぞ……」


 息も絶えだえ、今にも息を引き取ってしまいそうな程の状態なのに、それでも瞳の輝きだけは衰えない。この瞳にみんなは着いてきたのだ。


「俺じゃないんだ……死んではいけないのは紅音、お前だ……お前こそが切り札なんだ……!」


 リーダーは必死だ。

 おそらくリーダーは死ぬ。それが彼にもわかっている。そんな瀬戸際に、それでもあたしに何かを伝えようと、残り少ない命を懸命につなぎ止めている。

 だったらそれを受け取るのが今のあたしの役目だ。

 後ろから振り下ろされた剣を大鎌の柄で受け止める。


 悲しみがあった。

 後悔があった。

 そんな感情を、途方も無い怒りが塗りつぶしていく。


「――――ッ!」


 声のない叫びとともにあたしの異能スキルが、大鎌が、リーダーの流した血を吸収していく。

 それだけではない。すでにこの戦いで死んでいった仲間たちの血までもがひとりでに吸い込まれ、あたしに力を与えていく。


 これがあたしの異能スキルか。

 こんなものがあたしに与えられた力なのか。仲間の死こそが何よりあたしの力になる――そんなもの、欲しくはなかった。

 だがこれこそが状況を打開するのに必要ならば、喜んで使おう。それがきっとリーダーの意志だ。

 

 大鎌は深紅の光に包まれ、蓄えた力が溢れ出すかのようにバチバチと稲妻までが駆け巡っていた。

 これまでにない、巨大な力が宿っているのを感じる。

 しかし抑えきれない。アクセルをベタ踏みした車のように、走り出してしまう。


「みん、な……伏せて……!」


 大鎌を構える。天使兵たちと戦う仲間たちは、その声に振り向いた。

 ほとんどの者は戦いに必死だったようで、リーダーがやられたことにたった今気づき――あたしの様子を見て事態を把握した。

 彼ら彼女らは慌てて天使兵から距離を取り、体勢を低くする。

 よかった。これ以上誰かが死ぬのは見たくない。


 指先から腕、肩、腰、足――順番に神経を集中させていく。力は抑えられなくとも、正確に。

 全てを切り裂くために。


「う――あああああああッ!」


 360度。

 あたしを中心として放たれた斬撃は、残っていた天使兵六体をまとめて真っ二つにした。

 それだけではない。

 円形の斬撃は敵のみならず、周りの崖や丘までたやすく切断。一帯を更地に変えた。


「すげえ……」


 どこからか上がった声。

 だが今はどうでもいい。ふらつく足を必死に動かし、倒れたリーダーに歩み寄る。


「さすが、だ……やはり俺の思った通りだった……」


「喋らないで!」


 出血量が酷いのだろう、リーダーの顔色は見ていられないほど悪くなっていた。

 こんな力があっても、救うべき人の命を救えない。それが歯がゆくて仕方なかった。

 戦いを終えた仲間たちが集まってきているのを感じる。すすり泣きのような声も聞こえた。みんな、この先どうなるかを悟ってしまったのだ。


「いいんだ……さっき、お前は……死ぬなら自分の方がいいと言った……だがな」


 そこで一度詰まり、咳き込むとともに血を吐き出した。べっとりとしたそれが砂の地面を湿らせていく。


「本当は、俺も、お前も……他の誰だって、命の重さは変わらないんだ……ただのひとつの命でしかない。おれは……そう、信じている……」


 そんなことはない、と思う。

 人それぞれ価値に違いはある。残酷ではあるが、間違いなくある。例えばあたしたち異能保持者ホルダーが全員いなくなれば人類はなすすべもないだろう。だが逆なら別だ。

 そんなことはリーダーにもわかっているのだろう。だがそれでもその綺麗ごとを捨てない。死ぬ間際になっても。

 それをあたしは――何より美しいと思う。綺麗なものしか知らないわけではない。汚いことも山ほど知っていて、それでもと主張し続けているのだ。

 そんな高潔な魂が、今まさに失われようとしている。


「……きっと、あなたの分まで戦ってみせるから。みんな同じだっていうなら、あたしたちがあなたの代わりをするわ。あなたにできることならあたしたちにだってきっとできる……そうでしょ?」


「ああ……そうか。そうだな……それは……いいな……」 


 苦しげだったリーダーの顔が緩む。満足そうに。

 それきり彼は一言も発することなく、静かに息を引き取った。

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